悪くはないと思ってしまう
 ふと目の端に、見覚えのある人影が過ぎった気がした。
 香月は瞬きして、歩く足を止めた。隔離措置が解かれ、銃規制も復活した新宿。昔のような活気があふれ格段に人波が戻ってきた街で、その人物の姿を見かけること自体は別段不思議でも何でもない。
 ちゃんと顔を向けて視界を確保してみる。果たして、見かけたのは思ったとおりの人物だった。街灯の下で背筋を伸ばして立っている若い女性――女性、というか香月の姉だ。彼女は、香月が家を出てくる前とは見違えるような恰好をしていた。
 いや、見違えると言うと多少語弊があるか。姉、星野市香は自宅でもだらしのない服装はあまりしない。もちろんスウェットなど気の抜けた服も持ってはいるし、着ているのを見たことはある。だが少なくとも、突然の来客に対応しかねてしまうような状態でいたことはないのだ。
 実家はペンションを営んでいたから頻繁に人の出入りがあった。来客スペースと居住スペースははっきり分かれていたけれど、偶然誰かに出くわさないとも限らない。だから香月も含めてそういう方面の躾はきっちりされていた。加えて今は、姉弟の二人暮らしで言わば世帯主でもある。ことさらに規律正しい生活を送ろうとするのは、そのあたりの自覚もそうさせるのかもしれない。
 まあ、それは置いておいて。彼女の今日の服装は、繁華街に繰り出してくることを差し引いても普段より気合が入っていることは確実だった。
 少し距離があるから化粧など細かいところまではわからない。ただはっきり違うことがわかるのは髪型だった。いつもの紺色のリボンと自分の髪を一緒に編み込むという、男にはいまいち構造の理解できない形ではなくて、ごくシンプルにまとめてあるだけだ。リボン形のバレッタをつけている。ちなみに髪飾りに関しては香月が出かける直前まで迷いまくっていた。着ていくものを決めるのが先決ではないのかと思ったことは内緒である。
「ん、どうした?」
 両隣を歩いていた友人ふたりが、先に行きかけてから立ち止まる香月に気づいた。友人たちは彼の視線を追い、その先にいる姉を目ざとくみとめて首を傾げた。
「女の子見てたのか? って、おお、あの子可愛いな」
「ちょっとだけ年上かな? 何だああいうのが好みなのか、香月」
「は? いや、違うし」
 距離にしてはそれほど離れていない。人通りは多いとはいえ、午前中はまだざわめきもそれほどではない。大の男三人が道の真ん中で立ち止まって話し始めれば目立つのは必然だ。
「そんなんじゃねえよ……いいから行こうぜ、今日はお前らにつきあうって言ったろ」
「香月!」
 早いところ離れてしまいたかったのに、一足遅かったらしい。
 振り返ればぱあっと笑顔を全開にして走り寄ってくる姉、市香の姿が見えた。いや、悪い気はしないのだが。待っているのは別の人間だったのだろうに、と誰にも悟られない照れ隠しの悪態を内心だけでつく。
 無視するわけにもいかない。なんだ知り合いか、とでも言いたげな友人たちの顔をなるべく見ないようにしながら、香月はしぶしぶ市香に相対した。
「……姉ちゃん」
 X-Day事件の解決過程を機に、彼は今まで燻ぶらせていた姉へのわだかまりを捨てた。まさしく反抗をしていた真っ最中は特に気にせず姉を名前で呼び捨てにしていたが、それももうやめた。物言いが幼いと取られても、気にするほうが幼いのだ。そう思って子どものころからの呼び方に戻している。姉さんと呼ぶのも改まりすぎている気がして照れくさい。そして、本人のいないところでならともかく面と向かって姉貴呼ばわりするほどの度胸もない。実はない。
 結局この呼称が一番しっくりくるし、なにより呼ばれた瞬間――呼ばれただけだというのに――市香が毎回あまりにも嬉しそうな顔をするので、まあいいかと思わされる面もある。
 予想どおりというかなんというか、姉は輝くような笑みをさらに深めた。
「偶然だね! 香月もこのあたりで待ち合わせだったんだ」
「あ、なんだお姉さんなんだ」
「お姉さん!? マジかよ!」
 片方の友人はのほほんとつぶやいたが、もうひとりは急に色めきたってそわそわし始める。落ち着きがないな、いやわりといつもだけど。などと顔には出さずに失礼なことを考えていたら、がしっと腕をつかまれた。
「おっまえ……! オレ言ったよな、可愛い子いたら紹介してくれって言ったよな!?」
「聞いたけど。待てお前、紹介しろってこいつをか!? 普通対象外だろうが!」
 友人のかつての言に適当にうなずいた記憶は確かにある。しかしそもそも香月には、友人に紹介できるほどたくさん女性の知り合いはいない。グループで遊びに行ったり軽口をたたくクラスメートはいるが、彼女たちのことは彼らも知っているのでわざわざ“紹介”するような対象ではない。
 それにふつう、友人に「彼女欲しいから誰か紹介して」と言われて姉妹を思い浮かべる男はそう多くないだろう。女の子である以前に家族でしかない相手だからして、もちろん頭からは通常運行ですっぽ抜けている。事前に本人から同じようなことを依頼されていたならまた話は別だが、姉は姉で、年上で、すでに社会人で、しかも何より重要なことだが恋人がいる。
「年上だろうと関係あるか、だいたいあんま離れてないだろ!」
「いやそもそもこいつ彼氏持ち……」
「はじめましてっお姉さん! 近くで見るとますます可愛いですね!」
 友人は香月のもごもごした言葉などさっぱり聞いてはいなかった。勢いよく名乗りをあげて、市香の左手を両手で握る。もうひとりは幾分か落ち着いた雰囲気でやはり自己紹介した。まあ、彼のほうはつきあっている相手がいるので友人の高揚を生暖かく見守っているというところか。
 市香は勢いに気圧されたのか、握られた手を振り払うことも忘れてきょとんとしていた。すぐにころころ笑いだす。
「あはは、お上手なんだから」
 悪い気はしないのだろう、声にも笑顔にも険はなかった。ただし、まっっったく本気にとってもいないようだが。当然と言えば当然か。
「でもまだ私も捨てたものじゃないのかな、ありがとう。おもしろいお友達だね、香月」
 それどころかまるで自分はもう適齢期から外れていますと言わんばかりの反応である。なまじつきあっている相手と七つも年が離れているせいだろうか、追いかけることに一生懸命で、弟と同じ年頃の男などそれこそ眼中にないのだろう。三つしか違わないというのに。
「いやお世辞じゃなくて、ほんとに!」
 テンション高く褒めちぎる友人にも照れもせず微笑ましそうににこにこするだけだ。
 まあ、市香は可愛くないとは言わない。たとえば体型には、胸が大きいとか腰が細いとか、そういう男受けする目立った特徴こそないものの。身長がそこそこあって立ち姿は姿勢よくすらりとまっすぐで、だから見ていて気持ちがいいというのは認める。顔のつくりに関しては余計に感想がないが――少なくとも悪くはない。よく似ていると称される香月が容貌を褒められる機会はそれなりにあるので、客観的には姉も美人の範疇に入るのだろう。
 ただ確かに、最近綺麗になったな、とは感じていた。漠然とだが。
 飲み会に巻き込まれた折、市香の恋人が非常に不本意そうに漏らすのを聞いたことがある。彼女はナンパ遭遇率が高めらしい。その時は無難に、前はどうだったかなと、よくわからないと返しておいた。
 不満げな本人は、果たして気づいているのかいないのか。事実として市香を魅力的にした原因が具体的に存在するというのなら、それは間違いなく彼だというのに。今日だって彼女は、彼と逢うそのためにめかしこんで街中まで出てきたのだから。
 姉は傍から見ていても丸わかりなくらい彼のことが大好きだ。メールや、電話ですら誰からの着信なのか尋ねるまでもなく表情が違うし、デートなどということになればそれこそ前日から幸せオーラを辺り中にまき散らしている。
 たぶん以前の市香は、ナンパされる頻度などそう高くなかった。香月は密かにそう睨んでいる。男は彼女が醸し出す幸せな空気を感じ取り、それに惹かれて寄ってくるのだろう。
 そう、単純な話だ。香月にしてみれば、なんだって他の男のために綺麗になった女を自分のものにしたいなどと考えるのか、さっぱり理解できないのだけれど。そのあたりの細かい事情は他人がすぐに察せるものでもないか、とも思う。
 そういうわけだからどれだけがんばっても玉砕するだけだ。香月の声など耳に入っていないようだから、友人が自分で気づいてくれるのを待つしかない。
 よく見ろ、そいつ左手の薬指に指輪してるぞ。思いっきり指輪触ってるのに感触わからないもんかな。
「……なあ、香月。お姉さん彼氏いるだろ?」
「おう」
 今ひとりは早々と指輪に目を留めたらしい。この辺の洞察力の違いがそのまま相手の存在の有無に関わってくるのかもしれない、などと香月は自分を棚に上げて考えた。
 友人の気性はよく知っている。今は舞い上がっているだけで、別段不埒なことをしようとしているわけでなし。市香とて本気で嫌ならやんわりと手を外すなりなんなりするだろう。仔犬にじゃれつかれているくらいの気分でいるに決まっている。
 ――この光景を目撃すれば、彼氏は不機嫌になるに違いないが。姉も姉だがその恋人も恋人だ。溺愛と言っていいレベルで市香を大切にしているあの男に対して、文句は特にない。弟としては手放しで歓迎しているわけでもないけれど、本人たちが幸せそうだからまあいいかな、くらいの心持でいる。
「てか今日その彼氏と待ち合わせのはずなんだけど……姉ちゃん。柳さんまだ来てないのかよ」
 前半はぼそぼそと、後半は声を張り上げて。疑問を投げかけると、姉はあっさりうなずいた。
「うん。ちょっとね、お客さんとの話が長引いたんだって。でもさっき終わったって連絡来たし、たぶんそろそろ……」
 言い差したところで市香の眉が吊り上がった。常の柔和な視線はどこへやら、鋭く香月を――いや、香月の背後を見つめて友人の手を振り払う。
 なに、と尋ねる暇もなかった。
「どけえぇ!」
「香月!」
 それは同時だった。
 腕を引かれてたたらを踏む。頭の後ろを唸りをあげて通り過ぎる風を感じた。
 どこからこんな力を、と思うくらいに痛い。顔をしかめる香月にかまわず、市香は彼を乱暴に引っ張って引きずり、自分の背後に押しやる。
「何する……」
 文句は途中で消えた。姉の背中越しに見えたのは、ぬらぬら光る赤を掲げた男だった。
 どうも、すんでのところで割って入ってきた別の男が、切っ先の軌道をずらしたらしい。咄嗟のことだったのだろう、動きを封じるには至らず、奇声をあげながら狂ったように刃物を――そう、あれは血のついた刃物だ――振り回す男と、つかず離れずの絶妙な間合いを保ちながらのらくらと逃げ回っている。
「あ、れ……柳さん?」
 香月は呆然と呟いた。
 それは今では見慣れた後ろ姿だった。姉の恋人だ。騒ぐ友人にかまけて周囲の状況にまったく気づいていなかった。見回せば遠巻きに人垣ができていて、救急車のものらしいサイレンも聞こえる。向こうには救急隊員が数人群がって、ああ、腕を押さえながらこっちを見ている人もいた。肩を叩かれて振り返り、応急処置を受けるためなのか離れていく。
 いつのまにか柳と香月たちの間にはそれなりの距離が開いていた。ぼんやりと確認をしている間も市香は変わらず彼らを引きずっていたのだ。
 男は少し疲れた素振りで、一度刃物を持った手をだらんと下ろした。柳と何かを話している。内容は聞こえない。聞こえるほどの近さにいない。
「……あれは、加勢したほうが」
 スーツ姿の男性が、低くごちて一歩踏み出しかける。同じようにつられて人垣の前のほうに出てきた数人を、市香はきびきびした動きで制した。
「近づかないでください。今は刺激しないほうがいい。……あの人がなんとかしますから」
「なんとかって」
 いつの間に取り出したものか、言い返すことはせず無言で警察手帳を開いてみせる。それだけで彼らは察したようだった。
 正確には、柳は警察官ではない。だが市香が手帳を見せたことで、男性は柳もそうなのだと解釈したらしい。
「お、お姉さん。でも、さすがにあの人ひとりじゃ……」
 携帯を操作し始めた市香に友人がおそるおそる声をかける。
「大丈夫だから、心配しないで。もしものときは私が加勢する」
「私がって、今日非番だろ! 銃も持ってないんじゃ」
 香月の言葉に返事はなかった。耳に電話を当ててぼそぼそとしゃべり始める。一度だけ目配せされて、彼は口を噤んだ。そうだ、香月は所詮素人だ。華奢であっても女であっても、警察官として教育を受け働いている市香の判断のほうが優先されるに決まっている。
「……はい、はい。現在地は……の西口から……犯人は南へ移動、停止。はい、まだ確保できていません。至急……はい」
 抑えた語り口ではあったが、断片的にはかろうじて聞き取れた。通報はすでになされていたらしいが、それらしい姿はまだ見えない。最初の通報時から多少変化したのだろう状況を伝えつつ、市香は男たちを油断なく見据えたままだ。通話を終えて携帯をポケットに突っ込む。その横顔も視線も、今まで見たことがないほどに凛々しさをたたえていた。
 通話が終わったと同時、救急車のサイレンが再び鳴り出した。その場を走り去る。まだ救急隊員は残っているが、緊急で搬送すべき負傷者の収容は終わったのだろう。
「ああ……!」
 男の叫びは聞こえた。
 一瞬浮かべた表情は絶望だったのだろうか。
 その後憎悪をあらわに柳を睨む。歯を食いしばったその形相は正気とも思えなかった。男の赤い指が血にぬめる包丁をしっかり握りなおすさまを、香月の目ははっきりととらえた。
 柳は刹那痛みをこらえるような顔をして――そう見えた気がした――それから、親指で自身の胸を指し示した。隣で市香が息を呑む。
 男が地を蹴り、渾身の力で凶器を突き出す。それは柳の胸元に吸い込まれるように向かって。
 逸れた。
 正確には柳が半身ずらしたのだ。勢いのまま前に出る男の背後に回り、手首を取る。おろそかになった足で向こう脛を蹴られても、彼はそれに怯みはしなかった。あくまで暴れる男の手だけを掴みあげる。遠目にもわかる、ぎりぎりと締めあげられた手指が痛みに震え、甲高い金属音をたてて包丁がアスファルトの上に落ちた。
「……!」
 もはや頼りはそれだけだとばかりに、声にならない叫びをあげて凶器に追いすがる男の襟首をひっつかみ、引き上げる。一瞬の隙をついて革靴が包丁を蹴った。
「市香!」
 香月は自分の肩がびくりと揺れたのを認識した。
 弾かれたように駆け出す市香の背中が見える。カラカラと耳障りな騒音とともに地面を滑る包丁に追いつき、華奢な靴の踵がそれをおもいきり踏みつける。
 武器さえなくなってしまえば、素人などものの数ではないのだろう。柳はなおも暴れようとする男の両腕をいとも容易く拘束すると、後ろ手にまとめて引き倒した。抵抗を巧みにさばきながらうつぶせになった背中に片膝を乗り上げ、解いた自分のネクタイを素早く両手首に巻きつける。そこまでされて初めて、彼は逃げられないと悟ったのかがっくりと項垂れた。
 時間にすれば数十秒だった。
 けれどたったそれだけの時間の間に、何度心臓が縮み上がったことだろう。
「…………はあ」
 隣の友人のため息で我に返る。気づかないうちに息まで止めてしまっていたらしい。思い出したように落ちてきた汗が目に入って沁みた。袖口で無造作に拭う。
 到着したパトカーのサイレンの音が、駆け寄っていく制服姿の警官の足音が、どこか遠くで響いているような感覚さえした。





 事件発生から犯人の拘束までに要した時間は約三分。
 重傷者一名。腹を刺されているが、意識があり、命に別状なし。
 軽症者は三名。いずれもすでに病院に到着し、手当を受けている最中だという。
 香月が市香の身内だと知った別の警官の一人が、ちらりとだけ教えてくれた。
 当の姉と柳は、少し離れた場所で姉の上司や同僚たちと真剣な顔で話し込んでいる。そう時間は取らせないからここに居てと請われて、香月と友人たちは移動せずそのまま道の端で人々があわただしく動く様子を眺めていた。
 やがて話も終わったらしい。そのままパトカーに乗って行ってしまうかとも思ったのだが、そんなことはなかった。ふたりが近づいてくる。どうしても姉に行く視線をなんとはなしに逸らしたところで、結果柳と目が合ってしまった。切れ長の瞳を細めたやさしげな眼差しに、けれど微妙に決まりが悪くて香月の口許は固まる。次いで現れた苦笑は見慣れたいつもの表情だった。
「香月、お待たせ」
「お前たちも、怪我はないな?」
 黒い瞳が確かめるように彼らの上を行ったり来たりする。わかってはいても口に出さずにいられないのだろう。どこまで行っても気遣いの人だ。べつに反発したいわけではないので、ちゃんとうなずいておく。
「大丈夫……ありがと」
 両隣の友人がびしっと背筋を伸ばした。
「おっ、オレも、大丈夫です! ありがとうございました!」
「ありがとうございました。正直めちゃくちゃびびった……」
「いや、礼なんかいい。無事でよかった」
 気さくに受け答えする柳に対して、彼らは緊張気味だった。まあ気持ちはわかる。姉の恋人は長身で落ち着いた物腰で、いかにも大人の男といった見た目だ。しかも雰囲気がお父さんぽいというか、先生ぽいというか。無暗に威圧感を漂わせているわけでは決してないのだが、香月たちのような二十歳に届こうかという若者からしても蔑ろにしてはいけないような、逆らってはいけないような、そんな気にさせる何かがある。そのうえで先ほどの大立ち回りなのだから、居住まいを正すなというほうが無理だろう。
 そんな友人たちを横目に見ながら、香月は姉に水を向けた。
「結局何だったわけ、あいつ。通り魔?」
「……状況から推測できることはあるけど、まだ詳しくはわからないんだ。捜査上のこともあるし、教えてあげられることはたぶんないかも。ごめんね、気になるだろうけど……」
 答えはある意味予想どおりだった。肩をすくめてかぶりを振る。
「や、別に……そういう仕事だってのはわかってるからいいけどさ。じゃあ柳さんはここに来る途中で偶然出くわしたってことだよな?」
「ああ」
 口ごもるかと思ったが、柳はすんなり肯定した。たまたま目の前で事件が発生し、逃げる犯人を追いかけていたそうだ。救急と警察への通報は、咄嗟に一声かけた通行人の誰かがしていてくれたらしい。
「……あいつの走っていく先にお前たちが見えたときは、さすがに肝が冷えた」
「柳さん」
 そのときの心境を思い出したのかもしれない。少し顔色を悪くして、男ともみあっていた場所を振り返る。今まで気づかなかったが、アスファルトには赤いものが点々と落ちていた。それが何なのかなど考えるまでもない。あのときは姉と友人のやりとりに完全に気を取られていたから、背後に迫る危険の気配などまったく察することができなかった。
 もし市香が気づかなかったら。柳が、間に合わなかったら。香月はぶるりとひとつ身震いして、浮かんだ思考を頭の外に無理やり追い出した。
「被害者が刺された瞬間に居合わせたんだ。もっとうまくやれば、最初はともかく他には怪我人を出さずに済んだかもしれなかったんだが……力不足だな」
 そろそろまた岡崎にでも相手してもらうか、と一人ごちている。警察ならともかく、探偵に荒事が必要なのかどうかはわからないところだけれど。誰も傷つけたくはないと、守りたいのだと公言してはばからない彼には、純粋な力もまた必要不可欠なもののひとつではあるのだろう。
「力不足なんてことないです」
 市香がささやいた。
「柳さんは、私たちを守ってくれましたよ。それに、柳さんがいなければもっとたくさんの人が巻き込まれていたかもしれません。犯人のことまで気遣って……あのとき、自首するように言ってましたね?」
 香月たちのみならず、市香もあの時点では犯人と対峙する柳からは距離を取っていた。話し声は届かなかったはずだ、耳に自信のある香月だってそうなのだから。
 なのに言い当てられたことに関して、柳はそれほど驚いていないようだった。瞳が翳る。切なげな空気を押し隠すようにして一度うつむき、彼はちいさく笑った。
「まいったな、読まれてたか。……結局失敗したけどな」
「わかります、柳さんのことですから。犯人に関しては残念でしたけど、でも柳さん、みんな怪我だけで終わったんです。結果としては上々じゃありませんか?」
「……そう、だな。そうだな……うん。ともかく、お前たちが無事でよかった」
 市香の手を取ろうとしたのだろうか。手を持ち上げ、視線を落とす。そこで彼は自分の状態を改めて思い出したようだった。香月も気づいた。市香が短く悲鳴をあげて、引っ込めようとした柳の両手を捕まえる。
「やっ、や、や柳さん手……! 手、大丈夫ですか!?」
「あ、いや。これは」
 柳の大きな手のひらは赤く濡れていた。乾きかけた血がこびりついて、どす黒く変色を始めている。シャツの袖口や胸元も擦れたように汚れがついていて、おそらくあの男ともみあったときに付着したのだろう。凶器のみならず、あの男の手も返り血に濡れて光っていたから。
 ただ、おそらく柳自身は無傷に違いない。市香にぎゅうっと握られても痛そうな素振りがないし、むしろ彼女をどうやって宥めようか苦心しているように見える。
「市香、市香。大丈夫だ、落ち着け」
 冷静に分析した香月とは対照的に、姉は取り乱して半泣きになっていた。自分の手も血だらけにしながらポケットを探り、ハンカチを引っ張りだそうとする。香月はその拍子に落ちそうになった携帯をすんでのところで受け止めた。
「あ、ありがと……」
 言いかけたものの、また柳に向き直る。抵抗しても無駄だと悟ったのか、彼はおとなしく市香がハンカチを手に巻きつけるのを見守っていた。
 結んだ手を見下ろし、市香はかすかに肩を震わせている。いつもの彼女ならすぐに気づきそうなものなのに、やはり必死に気を張って決然とした態度でいたのだろう。未だ動揺を残して頭を冷やせずにいる。泣くほどのことかとは思うものの、姉の強すぎるくらいの想いを知っている香月はとりあえず茶化したりもせず柳の出方を待った。
「市香」
「は……痛っ」
 ごち、と鈍い音がした。
 手は解放してくれない。なら他で、と思ったのかもしれない。それにしても行動が予想外すぎて、思わず目を瞠る。あろうことか、柳は市香に頭突きをしたのだ。
 頭突きというには少し大げさか。身をかがめて顔を近づけて、要は額を軽くぶつけただけだ。なかなかいい音がしたけれど。衝撃を受けた拍子にぽろりと一粒涙が零れて、彼女は憑き物の落ちたような顔で目の前の恋人を見上げる。
「大丈夫だって言っただろう」
「でも」
「これは、俺の血じゃない。あいつの手についてた、被害者の血だ」
「…………かえり、血、ですか?」
 忙しなく視線を上下させる市香に、彼はゆらゆらと繋がれた手を揺らしてみせた。その動きにも表情にも苦痛の片鱗など見えない。
 いつもの落ち着いた声音で、言い含めるように繰り返す。
「そうだ。俺は怪我なんかしてない」
「……っ」
 じわり、と今度こそ市香の目に涙が盛り上がった。声もなくしゃくりあげ始めた恋人に、柳があからさまに狼狽える。
「い、市香? 悪かった、驚かせた。もっと早く言うべきだった、謝るから……その」
「痛いです」
「は?」
「おでこ、痛いです」
 涙声に混じる主張は、何か自棄くそのようにも聞こえた。香月の角度からは市香の額など見えないから、本当か嘘かも判断しようがない。どちらだろう。確かにいい音はしていたけれど、今敢えて持ち出すようなことだろうか。
 何度か瞬きして、柳はなんとも言えない表情で眉尻を下げた。
「……手加減したぞ?」
「し、知りません。痛いものは痛いんです。泣いてるのはそのせいです」
「確かに多少赤くはなってるが……ん」
 香月は咄嗟に目をそらした。
 正直、自分の反射神経に快哉を叫びたい気分だった。おかげでなんとも気まずい光景を目撃せずにすんだ。
 逸らした視線の先で、友人たちが絶句している。彼らの反応を見るに、柳の行動は香月が予想したとおりのものだったのだろう。
 おおかた額にキスでもしたのだ。お熱いのは知っている。知っているが、何もこんな公衆の面前でやらずとも良かろうに。
 八つ当たり気味に考えて、周囲に目を配る。意外というべきか、こちらを見ている通行人はいなかった。しかし自分たちに注意を向けている人間がどれだけいるのかも織り込み済みで今の行動だったのだとしたら、姉の恋人は本当に恐ろしい。というかいちゃつくならよそでやれ。見えないところでならいくらやってくれても口出ししないから。たぶん。
「や、柳さん!」
 市香の叫ぶような抗議は綺麗に流された。彼は直前と変わりない調子で続ける。
「だいたいお前、頑丈さには自信があるって言ってなかったか」
「い、言いましたけど! あれはそういう意味じゃなくて……!」
「じゃあどういう意味なんだ?」
 にやにや。まさしくそう形容するのがふさわしい。視線を戻せば、姉と柳が相変わらず手を握りあったまま額を突き合わせていた。柳の笑みがとてつもなく悪そうに見えるのは絶対に気のせいではない。
 彼だってわかっているのだろうに。市香が泣きだしそうになった本当の理由は、柳の身を案じたからだ。いつもなら素直な心配を口にするところが、もしかしたら勘違いに決まり悪くなったのかもしれない。珍しく、本当に珍しく意地を張って理由をすり替えようとしている彼女の内心などすべて読んでいて、わざと意地の悪い言い方をしている。
 市香は耳まで真っ赤にして口をぱくぱくさせた。何か言いかけてやめる。背伸びしていた踵を地面に戻し、顔を斜め下に向けて。
 軽く汗をかいている。潤んだ目を伏せがちに、やけに艶やかな表情をしていた。先ほど香月の友人に言い寄られていた時とはまるで別人だ。
「……ずるいです、柳さん。どうせ全部知ってるくせに」
「ずるいのはお互い様だろう。ほら、こっち向け」
「私ばっかり振り回されるんですから」
「そんなことはないぞ。俺がどれだけお前にまいってると……」
「……あのさ。そのくらいにしとかねえ?」
 幸せそうなのは何よりだ。と、強がってはみるものの。
 これでもかとばかりに身内のラブシーンを見せつけられて平然としていられるほど、香月は強心臓ではなかった。放っておいたら際限なくいちゃつきそうだ。さすがにそれはまずい。ここは公共の場で、何より友人も同行しているのだからなお居たたまれない。
 途中から香月たちの存在などすっかり忘れていたに違いなかった。ふたりは弾かれたように手を放し、それぞれ違う方向を向いた。
 市香はもとより全身真っ赤だが、柳の頬も赤い。うろうろと落ち着かなげに視線をさまよわせ――やがて深く息をつく。次の瞬間にはもう、彼はいつもどおり落ち着いた物腰の大人に戻っていた。未だもじもじしている市香とは正反対に。
「悪かった、香月。つい」
「つい、で見せつけられちゃたまんないんだけど……場所考えろよな、いい大人なんだから」
「……面目ない……」
 もとに戻ったと思ったのは勘違いだったかもしれない。柳の耳はかすかに赤かった。注意深く観察しなければわからないほど、ではあるけれど。以前あのワカメのような頭の男が看破したとおり、わかりにくいなりになんらかの兆候は表に出るタイプのようだ。まあそんな発見はわりとどうでもいい。
「星野、柳さん」
 姉の上司――望田が、片手をあげながら近づいてきた。ふたり、何事もなかったかのように振り返る。その変わり身は見事だ。
「お疲れ様です」
 柳が軽く頭を下げ、望田はそれに対して略式の敬礼をした。
「あの、望田先輩。本当に私、署に行かなくても……」
「ああ、それはいいんだ。すぐ解決したしな、聞き込みも最低限で済んだ。あとは俺たちの手を離れるし、詳しい調書は後日柳さんと同時に取らせてもらうから」
 言いながら手に持っていた細長いものを差し出す。首をひねりながら受け取った柳は、その正体を確かめて得心のいった顔をした。
「ああ、そういえば。ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ。一応お返ししておきます。……使えるかは、わかりませんけどね」
「ですね……」
 顔を見合わせて苦笑する男性陣が見下ろすのはネクタイだった。今日柳が身に着けていて、犯人拘束のために使ったもの。もとはネイビーの無地のものだったようだが、あちこち赤黒くなって模様よろしく変色していた。あれはもう、使えないかもしれない。
 短いやり取りの後、望田はあっさり離れていった。去り際に香月にも目を向けてきたので一応会釈しておく。ふわりと微笑んだその容貌には、柳とはまた違った頼もしさを感じた。初対面のときはあまり話す機会がなかったが、短い言葉からもだいたいの人柄は想像できる。あの人が上司なら、姉も働きやすいだろう。過酷な仕事なのは明白なだけに、同僚や上司に恵まれているのは安心できる要素の一つだった。
「悪いが、市香。一度事務所に戻らせてくれ。確か次の上映時間は……」
「あ、大丈夫ですよ。人気があるタイトルですから、夜まで枠を作ってあるみたいです。ゆっくり行っても問題ないかと」
「そうか。ならよかった」
 ふたりの会話から、今日は映画を見るつもりだったのだということがわかった。
 しかしあちこちを血で汚したまま、というのはさすがに誰だって嫌だ。市香が甲斐甲斐しくハンカチでごしごし手をこすってやっているが、どうにも落ちそうにない。水気がないことには汚れもゆるみはしない。
 柳は今更ながら眉間に皺を寄せて自分の恰好を見下ろしている。手だけならそこらで洗えば済むが、市香はともかく柳に至っては着替えも必要そうだ。よく見ればボタンも取れかかってびろんと糸の先に垂れていた。似つかわしくない間の抜けた光景だった。
「悪いな、ハンカチ汚した」
「だから、かまいませんってば。……うーん、シャツは漬け置き洗いしたほうがいいですね。事務所に重曹ありましたよね、確か」
「ああ。しかしネクタイはどうするかな……血液はドライクリーニングじゃ落ちるわけはないし、かといって」
「漬け置きだと色落ちしそうですよね……」
「しかも縮みそうなんだが」
「ああー……」
「駄目元で洗ってみて、無理なら捨てるか」
 うんうん唸る横顔ふたつは、どちらも至極真面目くさっていた。
 しかし、さっきの今でこれか。どこの夫婦か、とでも言いたくなるような所帯じみた会話を繰り広げている。ふたりとも家事は苦ではないらしいので、そういう話題で盛り上がることは珍しくはないのだろうけれど。とりあえず、いい加減解放してもらえないものだろうか。
「……姉ちゃん、柳さん。俺ら、もう行ってもいいよな?」
 呼びかけなければ気づいてもらえない。面倒くさかったが、香月は声を張り上げてふたりを遮った。
 自分たちだけの世界に入ってしまっているから、香月が黙って姿を消したとてしばらくは気づくまい。後でばつの悪い思いをするのはあちらだ。
 だがちゃんと断ってからでなければ、この過保護な姉とその恋人は、後でどうにかして連絡を取ろうとしてくるに決まっていた。電話の着信が来まくるのは嫌だ。
「あ、うん。……うん、ごめんね香月、引き止めちゃって。お友達も」
「あんなことはそうそう起こらないとは思うが。気をつけていけよ、お前たち」
「あーまあ、さすがにしばらくは気をつける」
 悪態をつくのは簡単だ。でも子ども扱いされるのは癪で、だからこそどうしても納得できないとき以外はおとなしく言うことを聞いておくに限る。
 香月の素直な態度に、姉は嬉しそうに笑った。柳の慈しむような眼差しはどうにも面映ゆいが、決して不快ではない。
 この人いろんな相手にしょっちゅうこういう目してるよな、どこの父親だよ。などと思いながら、彼は頬に入れていた力を少しだけ緩めた。



 並んだ後ろ姿は、だんだん遠ざかっていく。
 その場を離れず見送っていたのは、特に何を考えていたわけでもなく本当になんとなくだ。
 あ、腕に抱きついた。香月たちに見られているとは微塵も考えていないのだろう、もうだいぶ遠いから表情まではわからないが、どうせふたりとも周囲のほうが恥ずかしくなるような蕩けた顔をしているに決まっている。
 市香と柳が好い仲になったことを――というより、距離を縮めつつあったことを、かつての香月はちっとも気づいていなかった。姉のことを気にしてはいたけれど、事細かに観察していたわけでもない。柳と初めてまともに話したのは、お前たちのことを守ると言いきったあの日だったけれど、その時でさえふたりの間には遠慮のような壁のような、微妙な何かがあったことは確かだ。それは何故か見えていた。今思えばそれこそがまさに前兆だったのだろうが、あのときは気づけなかった。
 たぶん、仲を深めていく過程を近くでつぶさに見ていられなかったことが、そのまま釈然としない気分につながっているのだと思っている。それこそ蚊帳の外で、いつのまにか気づいたら、だった。X-Day事件を捜査するうえでどういう関わりにあったのかは知らない。ドラマも真っ青のスピード恋愛だ。柳も十年以上前の誘拐事件の当事者だったのだと聞いたときは、なんだか妙に納得した気分にはなったのだけれど。
 まあでも、いい人なのは間違いないから。慣れればこのちくちくした気持ちも、そのうち溶けて消えて行ってくれるだろう。それこそ自分に恋人でもできればあっという間かもしれない。
「……かっこよかったなあぁ……」
 友人がぽつりと呟いた。
「お姉さんもだけどさ、やなぎさん? も。ああいう人が兄貴だったら自慢できるよな、かっこいいし」
「あー……まあ」
 べつに否定する気はない。複雑だが、かっこいいと連呼されては悪い気もしなかった。まだ義兄ではないが、どうせ近いうちにそうなってしまうのだろうし。
 今一人、市香に言い寄ろうとしていた友人はがっかりしているのか喜んでいるのかどちらとも取れそうな、なんとも曖昧な表情をしている。
「……かっこよかったよな……なー香月、お姉さんに彼氏いるなら最初から言ってくれよ。無駄に盛り上がっちゃったじゃんか」
 それこそ言いがかりだ。香月は鼻を鳴らした。
「お前が聞いてなかっただけだろ」
「お前、お姉さんの指輪にも気づいてなかったしね」
 笑われてえっと声をあげる。どうも本当に気づいていなかったらしい。
「てかあっさり諦めるのな、お前」
「そりゃそうだろ、アレに対抗しようとはさすがに思わねえ……つうか、あそこまでのバカップルなかなかお目にかかれない」
「ああ、あれな」
 バカップルという評価に異論はない。ないのだが、そこまで考えて香月はふと首をひねった。
「柳さん、俺がいるときはわりと抑え気味なんだけどな。あそこまで見せつけるのは珍しいっていうか、よっぽど動転してたのか」
 誰の目があるか、ないか。性格の裏表がどうこうではなく、その場にいる人間が誰であるかによって、態度や振舞いにある程度違いが出てくるのはごく自然なことだ。
 その点柳は常識的で、香月がいるときは目を覆いたくなるような行為に及んだことはない。そういえば以前一度だけ、似たような光景を目にしたことがあるような気もするが、あれはいつのことだったか。皆でぎゃーぎゃー騒いで、市香を問い詰めた。あれは確か――
「ん、あれ牽制じゃないの?」
「牽制? 誰にだよ」
「だからお前」
 指さされて友人は目をぱちくりさせている。香月も考えてみた。あのときの状況を思い返して、ああそういえば、彼は市香の手をしっかと握りしめて彼女に詰め寄っていたっけ。そのあとの展開が怒涛すぎてすっかり忘れていたけれど。
 香月が危ない状況にあったことが目視できていたのなら、市香の状況だって見えていたに決まっている。
「ああ……それでか」
 心底納得して、香月は深いため息をついた。
「え、え? だってあの人、めっちゃ優しい目ぇしてたぞ? あんだけラブラブなら敵認定された途端に睨まれるか殴られるかしそうじゃね? ええ?」
「それはまあ……彼女の弟の友達、だからだろうなあ。男というよりは弟枠だろうし」
「え、オレわりとピンチだった?」
「あのまま行ってりゃそうだったかもな」
 もし何事もなく、柳が待ち合わせにやってきていたなら。一睨みされるくらいはあったのかもしれない。
 いや、なかったかもしれない。なかっただろう。やっぱり穏やかに微笑んで、やさしげな目で香月たちを眺めて――これでもかといちゃついて見せて去っていただろう。市香のほうは柳の思惑になどとんと気づかないかもしれないが、気づいていてもいなくても彼女の反応に何か変化が生まれるわけでもなし。
 なんだ、どんな状況でも結局同じじゃないか。
 つまりは脅威と取られていないことの表れでもあるのだが、それは口に出さずにおく。威嚇はしなくても牽制だけはしっかりしていくあたり、どれだけ心が狭いのだと思わないこともないが。それだけ市香に溺れているということだ、その根本的な部分に関しては文句などつけようもない。
「敵に回したら厄介な人だってのは、間違いねえよ」
 香月はちいさく笑った。
 まったく恐れ入る。あの人の、姉に対する執着は空恐ろしいほどだ。けれど対する市香も、その執着に怯むどころか歓迎している節があるのが明らかで。柳の強い愛情表現を心地よさそうに、全面的に受け入れている姿には、結局似た者同士なのだなと思わせる何かがある。
 要は相性が良すぎるのだろう。そう考えて無理やりにでも納得するしかない。ふたりが別れる未来も、すれ違う未来もまったく想像できないあたり、香月ももう深層心理ではとっくに心構えができてしまっているのかもしれない。
 義兄さんなどと呼んでやる気は、当面ないけれど。結婚したときか、甥か姪が生まれたときか。いずれにせよその瞬間はとてもおもしろいものが見られるに違いないから、じっくり機会を狙っていけばいいだろう。
--END.
「てかいつの間にそこまで! 聞いてないし!」
「ちょっと寂しい」
「でもものすごく幸せそうだからいいかな」
が同居しているのが愛市世界線の香月だと思っている。

市香ちゃんのお相手によって香月の反応だいぶ違いますよね。
すんなり認められるのは峰雄オンリーか…愛時と契はツンケンしながらも少しずつ受け入れていこうとする感じで尊は「絶対ヤダ!」で景之に関しては香月の反応が見られない…最終的に認めてくれそうだけど。
愛時さんはいい人なのはわかるんだけど「いつの間にか搔っ攫われてた感」が強くて微妙な態度になっちゃうんだろうなと思います。
でも市香が誘拐された当時香月は6歳くらいだろうから覚えてるよねたぶん。細かいことはともかく強烈な印象だけは残ってるはず。
その辺の経緯を聞いたらますます「釈然としないけど認めないわけにも…」みたいな気分になりそうでニヤニヤしますねはい。
そういや愛時さんヤキモチ焼きだけど香月に嫉妬する姿は見せませんね。むしろ仲良くなりたそうにしてる感がある。あくまで弟だからかな。まったく嫉妬しないことはないけど次元が違うから気にしてもしょうがないかな…的な何かですかね。自分にも兄がいる分そのへんは理解しやすいのかな。
(2016.10.10)