さわさわと、草原を渡る風が頬をなでる。
まっすぐ見上げた青い空。果てが見えないほど高く澄んでいて、ちぎれ雲がゆったりと流れてゆく。
ちらほらと咲いている黄色い花に、ときおり蜜蜂が降りたって。
うるさいようでいて、静かなようでもある、そんな空間。
風渡る丘
「やっぱりここにいた」
笑みを含んだ声がいきなり降ってきて、青年は空に焦点を合わせていた瞳を何度かしばたたいた。
少し頭をずらせば、陽光を受けて明るくきらめく金髪が目に入る。隣に人が座る気配がして、ざわ、と緑が動いた。風に遊ばせるにまかせた毛先を、一房だけつかまえて唇によせる。
「……フェルか。厄介なヤツにみつかっちまったな。お転婆姫様がこんなところまでいらっしゃるとは」
「言ってることとやってることがずれてるわよ」
するりと髪が逃げてゆく。それを追うことはせずに、彼は寝転がったままちいさく笑った。
「ま、みつからないとは思ってなかったさ。他のヤツならともかく、お前はここを知ってるわけだしな」
見晴らしのいいこの丘は、彼のお気に入りの場所だ。背の低い柔らかな草が一面に生えていて、季節ごとにさまざまな花が咲き乱れる。絶えず爽やかな風が吹きすぎて、あらゆる命の息吹を届けてくれるのだ。
目を凝らせば、彼方に見慣れたラインハットの旗。早駆けならば半刻もかからないが、歩けばかなりの距離がある。口うるさい大人たちから一時避難するにはうってつけの場所。なにせ彼の髪は翠緑だから、寝転がっていれば草たちが隠してくれて簡単には見つけられない自信がある。
「あたしはいったんお城によったのよ。秘書官さんが大騒ぎしてたから、ああまただって思って。ヘンリーおじさまたちは、いつものことだって笑ってらしたけどね」
一応のこと、彼はラインハット第一の王位継承者である。世継ぎの君が王宮より消えたとなれば通常不祥事どころではすまないのだが、肝の据わりすぎている両親から生まれた息子は、やはりちょっとやそっとでどうにかできるものではない。
二人が初めて出会ったときからずっと、あの生真面目な御仁は将来のラインハット像について頭を悩ませていたのである。至極健康で闊達、口も頭も回る王子の御世を心配する声など今では聞かれなくなったが、彼の心の中では未だ、いたずら小僧のまま成長しない子どもが駆け回っているのかもしれない。あんまり深刻そうにしているものだから、少しばかりかわいそうになったのも事実だ。
青年は嫌そうに顔をしかめた。
「……文句言われる筋合いはないぞ。出された課題は午前中に全部終わらせてきたんだし」
加えて軽く武術訓練などもやってきた。近衛兵士を数人地べたに転がして満足し、逃げたというよりは休憩のつもりでここまでやってきたのに。
フェレイアが心得顔でうなずく。
「わかってる。やるべきことはやってるものね。それに、人の背中にネズミ入れたりとか毛虫けしかけたりとかいろいろいっぱいやるけど、根は真面目ないい子だもんね、コリンズ」
「十年も昔のこと混ぜっ返すなっ!」
怒鳴り、コリンズは隣に座る少女の腕を強く引いた。
頭を抱え込んで、ぐりぐり拳を押しつける。きゃあきゃあと嫌がっているんだか喜んでいるんだかよくわからない悲鳴をあげながら、彼女はひとしきり手足をばたつかせて脱出を試みた。
やがてそれも無理だと知り、おとなしくなり――うってかわって甘えるようにすり寄せてくる肢体をこちらも抱きしめて、肩口に顔を埋める。
香水なのか少女自身の香りなのかはよくわからないが、若葉や朝露にも似た香りが鼻をくすぐるのが心地よかった。
「……グランバニアから飛んできたのか?」
「うん」
ひとしきりくっついた後、二人はどちらからともなく身体を離して土の上に座り込んだ。座ると草の丈はたいしたことがない。寝転がっていたときは視点が低く、常に目の端に映りこんでいたのだけれど。
「コリンズもグランバニアに来ればいいのに。ルーラなら一瞬で着くもの。エストがひさしぶりに稽古の相手してほしいって言ってたよ」
「や、それは遠慮する」
「どうして?」
ふるふると首を振ると、フェレイアは少しだけ頬を膨らませた。
「いやだってさ、あいつとやるとすさまじく疲れるんだよ」
「だからこそよ。最近物足りないんだって。まともに打ち合える人がろくにいないから……いつも同じ相手じゃマンネリになるし、やっぱりおもしろくないみたい」
「勘弁してくれよ……」
なにしろ件のエストレイドは、グランバニアの王太子であるのみならず、“伝説の勇者”なるとてつもなく大仰な称号を背負っている。もちろん名前負けなど微塵もしておらず、その実力は折り紙つきで――はっきりいって、相手になるのはつらいのだ。練習用のなまくらだからこそなんとか渡り合えるのであって、本気で命の取り合いなどした日にはおそらく、いや間違いなく数秒で負ける。
婚約者たる少女の兄であればこそ、簡単に負けるわけにはいかないと意地だけで対抗してみせてはいるものの。そもそも魔を滅ぼすための天賦の才ってずるくないかそれ。
「……。……あー、じゃあ、気力も体力も充実してるときにな。そのうちってことで」
「はいはい」
言ってフェレイアは立ち上がった。もう帰るのか? と目で尋ねてきた青年に、悪戯っぽい笑顔を返す。
「厨房の小母さんにね、頼まれたのよ。今からラズベリーパイを焼くから、できあがる頃に王子様を連れ帰ってきてくださいってね」
「なんだ。それを早く言えっての」
「じゃあ、帰るのね?」
「帰る」
「秘書官さんは何か言いたそうだったけど」
彼はう、と一瞬返答につまってから投げやりに頭をかいた。
「それは逃げる」
「逃げるんだ」
「逃げる!」
拳を固めてきっぱりと宣言したコリンズに、彼女は耐えきれず吹きだした。まあ、彼ならつかまるようなへまはしないだろう。よしんばそうなったとしても、逃亡に手を貸すことはやぶさかではない。
「じゃ、いきましょ」
少し離れたところで、黒毛の馬がのんびりと草を食んでいる。
軽やかな足取りで若者が二人、丘を駆け下りていった。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
コリンズ×王女萌えですとも。
ええもう主ビアヘンマリに続いて愛カップル。
コリンズのが半年早生まれ。この話の時点では17歳くらい、かな。18で結婚します。
ルーラが使えるもんだから、もう過ぎるくらい気楽に行き来しております。
性格はゲームではなく小説版寄り…もっともっと気が強いかも(え)
初対面はやはり印象最悪だったようですが、男前同士遠慮なくぶつかりあった挙句友情どころか恋愛まで発展してしまったというステキっぷりです。
いえ、夕日の浜辺で殴りあったりはしてませんよ?(何のゲームか)
(初出:2004.08.10 改稿:2005.10.12)
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