甘辛鬼ごっこ
 目の前で繰り広げられている光景に青年は一瞬口を開けた。
 それから目を細め、瞬きせずに二人の少女を凝視する。
 見間違いではない。確かに現実だ。それが証拠に、探索につきあってくれていた仲間たちもぽかんとして立ち尽くしている。
「…………なんや、あれ?」
 つぶやいても、すぐにその疑問を拾ってくれるものはいなかった。





 影の国では、馴染みの顔のほかにかつて敵としてあいまみえた人たちともまた行動を共にしていた。
 だいたいがいがみあいを良しとせず、協調性豊かな面々だ。唯一ひと悶着あった少女もまた自身が気を許す友人たちの説得によって、この場は休戦だと納得してくれたはずだった。
 それが何故、このようなことになっているのか。
 少女――レンは、確かに“身喰らう蛇”の一員だった。そして自分の妹分であるリースは、少々視野狭窄とも言えるほどの潔癖さを持っている。
 七曜教会が危険だとみなす組織に所属していた。見かけは愛らしくとも、その口から飛び出すのは人を傷つけて是とするような台詞だった。
 出会ったときにレンの過去も人格も知らなかったリースにとって、それだけの要素がそろったという点で彼女は排除すべき敵だった。
 事実衝突は一度ではなかったのだ。ティータやエステルが割って入ってくれなければ、二人は本気で殺し合いを始めていたかもしれない。それをなんとか収め、一緒にすごすうち互いに態度を軟化させ始め――
 ケビンたちが庭園を出発するまでは、二人の間になんら問題はないように見えた。守護者として影の王に呼び寄せられた剣帝との戦いの後のことだった。彼とレンが兄妹のように仲が良かったと聞き、戦いに同行していたリースが漏らしたのだ。
 レンにもちゃんとお別れをさせてあげられればよかった、と。
 その言葉を聞いたとき、レンは作り笑いでなく愛らしく笑った。教会のお姉さんにそんなこと言われるなんて不思議な気分ねと、皮肉のようにも聞こえる言い方だったけれど。でもその場にいて二人のやり取りを見ていたケビンにはちゃんとわかった。リースは素直な誠意をレンに向け、レンもまた顔を背けることなくそれを受け取ったのだ。
 その後レンはレーヴェのために聖典を読んで欲しいとせがみ、リースはそれを了承した。読み始めたのはやさしくて美しい子ども向けの話だった。宗教色や説教の色合いはあまり含んでおらず、教会のみならず幼い子どもが夜寝る前に母に聞かせてもらうような、そんな類のおとぎ話。
 リースは幼い頃から施設暮らしで、朗読はお手の物である。我も我もと集まってきたアネラスやティータたちと一緒に淡い笑みを浮かべながら話に聞き入るさまを見ればレンとて普通の愛らしい少女で、とても命のやり取りが当たり前の世界で生きてきたようには見えなかった。
 とにもかくにもそんな光景に和みそして安心し、ケビンは他のメンバーとともに未知の部分の探索に出かけたのだった。
 そのはずが、帰ってきてみればこれだ。
 いったい何があったのだろう。
「……なんやあれ?」
 もう一度つぶやいて、ケビンは右手で頭をがりがりかいた。
 リースとレンが追いかけっこをしている。いや、リースがレンを追いかけ回していると表現したほうが正しいのか。しかも無表情である。怖い。
 庭園は狭いので、撒くことはできない。いくら戦闘能力に自信があるといっても、さすがに星層に単身飛び込むほどレンは愚かではない。となればひたすら逃げ続けるしかないわけで、事実二人の息は離れていてもはっきりわかるほど乱れていた。が、止まる気配を見せない。
「なんで!? なんでレンのこと追いかけまわすのよぉっ! あんまりしつこいと殺しちゃうんだからっ!」
 説得力のない声でレンがわめく。
「自分の胸に聞いてごらんなさい。勝負するというのなら受けてたちましょう、返り討ちにしてさしあげます……!」
 対するリースには鬼気迫るものがあった。殺気はないのだが、ひどく怒っているらしい。
 視線をめぐらせると、苦笑するエステルと目が合った。彼女は事情を知っているのだろう。ヨシュアも隣で笑っている。手招きしてくれたので近づいていくと、一緒に探索に出ていた仲間たちも後ろをついてきた。
「なんや、何があったん?」
 尋ねると、エステルは肩をすくめた。
「レンが砂糖と塩を入れ替えたのよね」
「……砂糖と塩?」
 悪戯としては初歩中の初歩である。そういえば自分もごく幼い頃にやらかして母親にお仕置きされた。なるほどリースは食べ物のことで腹を立てているわけだ。それはちょっとやそっとではおさまらないかもしれない。紫苑の家での記憶をそのままあてはめるならばお尻叩きの刑である。
「あれ? でも色違わへん?」
 どういう原理なのかはわからないが、食料は庭園にそびえ立つ大樹に代価を支払えば購入できる。アンテノールなどの高級レストランでは素材の味だけを際立たせるため敢えて精製した砂糖と塩を使うこともあるというが、一般庶民が使っている安価な塩は岩塩、砂糖はメイプルシュガーだ。当然大樹が供給してくれる調味料もそれ。岩塩は白く、メイプルシュガーは茶色い。見ただけですぐ判断できるのに。
 首をかしげて追いかけっこを続ける二人を眺める。体力は圧倒的にリースが有利だ。距離は徐々に詰まってきている。レンが捕まるのは時間の問題かもしれない。
 ヨシュアが眉尻を下げた。
「そこはさすがレン、といったところでしょうか。岩塩とシナモンパウダーを混ぜて、メイプルシュガーそっくりの色にしてしまったんです。香りは顔を近づけないとわからない程度だったので、リースさんもまんまとひっかけられてしまったみたいで……」
「うっわあ」
 それは怒る。間違いなく怒る。とんでもなく怒る。
 そして同時に、事情を知る彼らがこの追いかけっこをのほほんと眺めているのも理解できた。
「エステル、ヨシュアぁっ! たすけてえ!」
 逃げながら哀れっぽくレンが悲鳴をあげるが、もちろん姉貴分と兄貴分は動かない。ティータはおろおろと足踏みしているが、割って入るには二人の移動速度が速すぎる。視界の隅でアガットがあくびした。
「しょーがないわ、レン。これも試練ってやつよ」
「なにがっ!? エステルの言うこと、レンにはわからないわ!」
「…………まあ、子どもが健全に成長する過程で大抵通る道ではあるね」
 うんうんと腕組みをしてうなずくエステルを、ヨシュアが半目になって見やる。その視線には複雑そうな色が混じっていた。年頃になってさえお転婆なエステルが幼い頃どんな子どもだったのか、想像するに難くない。なにか騒ぎが起きた場合真っ先にそのとばっちりをくらっていたのだろうヨシュアの横顔には、悟ったような静けささえある。――二十歳にもなっていない青年だというのに。
「そろそろ、観念したら、いかがですか」
 リースが切れ切れに問いかけた。対するレンももうへとへとになっている。彼女は庭園の端で立ち止まり、くるりと振り返った。つられて追いかけていたリースも足を止める。べつに殺気はないが、なんとなくだろう。お互い一定の距離を置いて観察し合いつつ、息を整えている。
 先に口を開いたのはレンだった。
「……いたずらじゃないのよ」
「そうなのですか?」
 リースは真正面からその言葉を受け取って表情を少しやわらげた。怒りから疑問へと浮かぶ感情が変わったのを見て取って、レンも真剣な顔になる。
「そうよ、いたずらじゃないわ。レンがそんな子どもっぽいことするわけがないでしょう? あれは研究だったのよ」
「研究?」
「ええ。岩塩にシナモンパウダーを混ぜて使ったらどんな味になるのかしらって思ったの。実験してみただけよ。言おうと思っていたのよ? その前にお姉さんが使っちゃっただけ」
 博士号を持つというレンが実験だの研究だのと主張すると、なんとなく真実味があるような気がする。なるほどー、と納得しかけたケビンの思考を中断するかのようなタイミングで、リースは思いきり眉根を寄せた。
「…………それならどうしてメイプルシュガーの容器に入れたんですか?」
「……」
 レンが目をそらす。
「…………。嘘ですね」
「う、嘘じゃないわ!」
「嘘ですね」
 リースはおよそ若い娘の声とは思えない、地の底から響くようなおどろおどろしい声でうなった。
「残念です、レンさん。悪戯にはお尻叩き三十回の刑なのですが。たった今嘘をついたので二十回増えました」
「レンはもう十二歳なのよ! そんな子どもみたいなおしおき受けないわ!」
 噛みつくように反論するが、ゆらゆらと怒りのオーラをたち昇らせているリースは眉ひとつ動かさない。
「子どもでしょう? こんな悪戯をするのが子どもでなくてなんだというのですか。よろしいですか、これは愛情ゆえです。決してレンさんのことが嫌いでするわけではありません。教育者としてシスターとしてときには心を鬼にしなければならないときというものが……!」
「いやぁーんっ!」
 立ち止まっていたことで多少なりとも体力が回復したのだろう、二人は再び追いかけっこを始めた。もう言葉も出ない。たったひとつ声に出せるとするならば、それは。
「…………アホくさ」
 ケビンはちいさくつぶやいた。
 レンもリースも、相手に対して多少思うところがまだあったとしてもおかしくない。悪意はなくとも、レンは年齢に釣り合わない聡明さゆえに他の人間よりも優位に立ちたがる傾向がある。反面リースは紫苑の家の子どもたちの面倒を見ていた経験から、一定以下の年齢の子どもの言動にはことさら敏感だ。
 少しだけやり込めてみたいなとレンが思い行動するのは無理からぬことといえばそう。そして仕掛けられたリースが奔放な子どもをしつけてやらねばと必要以上に奮起するのも、まあ理解できなくはない。
 しかし、そろそろ止めてやらなければようやく埋まりかけていた二人の溝は深くなってしまうのかもしれなかった。そもそも叱るという行為は互いに確固たる信頼関係を築いてこそ効いてくるものだ。リースの言い分を理解しないレンではないだろう。しかしへそは曲げる。確実に曲げる。わだかまりを抱いたまま別れることになってしまっては、本人たちにはもちろん、彼女の行方を捜していたエステルとヨシュアにとってもきっと良くない。
 ケビンはのろのろと片手をあげた。
「なあ、ちょぉーっと提案なんやけど」
「何」
 お仕置きをする気満々の顔でそのまま振り向かれたものだから、一瞬迫力負けして言葉に詰まってしまった。
 わざとらしくけほんと咳払いして、気を取り直す。
「リースは要するに、料理がだいなしになったから怒っとるわけやろ?」
「それだけじゃない」
「ああ、わかっとる。けどまあソレは置いといて。レンちゃん。少しは悪いと思うとるか?」
「…………少しだけなら、思ってるわ」
 とりあえず追いかけっこは中断して、レンはふてくされた表情で視線をそらした。少しだけ、のくだりでリースが彼女を凝視するが、顔があさっての方向に向いているので気づかない。
「なら今から作り直しや。レンちゃん、リース手伝って全員分のゴハン作り」
「全員分!? なんでレンが!」
「もちろん私としてはお尻叩き五十回でもかまいませんが」
 すかさずリースが突っ込んだ。少女はがばっとシスターのほうを向き――その瞳の中に正真正銘、本気の光をみとめて縮こまった。
「れ、レンちゃん! あのね、あのね、私も手伝うから! みんなでやればきっと楽しいよ!」
 ティータが今だとばかりにレンの腕を取り、とりなすように笑った。純真無垢な友人の笑顔に、張りつめていた頬が緩む。瞬時にいつもの小生意気な少女に戻って、レンはわざとらしく肩をすくめてみせた。
「……わかったわよ。やればいいんでしょう? 言っておくけれど、レンの手にかかれば十六人分なんてあっという間なのよ」
「それではお手並み拝見させていただきましょう」
 言ってリースは返事を待たずにすたすた歩いていく。手伝う、と少女たちも何人かは後を追った。
 残ったのは男性陣と他数名。オリビエがではボクも両手に花ならぬ花園の中で云々とまた訳のわからないことを言い出し、シェラザードに首根っこをつかまれて泉のほうに引きずられていった。阿呆、と冷たくつぶやいて後を追うのはいつもどおり、彼の幼なじみである。
「えーと。暇やけど、やっぱ待ってたほうがええんやろか」
「それがいいと思います」
 独り言に律儀に反応してくれた青年にうなずき返して、ケビンは石造りのベンチにどっかりと座った。
 影の国の探索は進み、状況はどんどん深刻になっている。おそらく裁きの日は近い。
 それなのにまったく沈んだ気分にならないのは、いやその暇がないのは、やはりいつでもどこでもペースを崩さない彼らに囲まれているからなのだろうか。
 離れるのは少し惜しいのだけれど、仕方がない。
 とりあえず今は出来上がってくるであろう食事に思いを馳せることにして、彼はヨシュアと他愛無い雑談を始めた。
--END.
何これ?
いや、なんかぽーんと頭に浮かんだんですよ。で書いてみた。
リースはともかくレンはこんな悪戯しないだろーよ、とかいうツッコミはなしの方向でお願いします(…)
いやでも教会のお姉さんが慌てふためく顔は見てみたいわとか、そういうことは考えてそうじゃないですかレン。で一番効果の大きいであろう食べ物でやってみたと。あ、途中の研究云々も嘘だけどまったくの嘘ではない。はず。と思います。
たぶん調味料入れ替えも味見の段階で判明したんだろうと思うので、料理のダメージはそんなに大きくない。無理やり味調えたうえで大半レンが食べさせられるんでしょう。あとリース。失敗は不可抗力とはいえ作った本人だし大食いだし。
聖典読んで、の会話のタイミング、詳細は忘れましたがレーヴェ勝利後かつ先に進むのにリースが必須だと判明する前…だったような気がする。たぶん。レーヴェ戦にリース連れてってレン連れてかないで、で勝利後レンと会話、リース外してレン入れてリースに話しかければ発生。だったかな。記憶怪しいな。でも七話は庭園戻れないし最終話になったらもう違うし。そのタイミングでよかったはず。つーかほんまどんだけ会話パターンあるんですかね。町の人と話ができないぶんそっちに気合入れてあるのかな。
最初この二人ギスギスしててものごっつ不安だったので(どっちの気持ちもわかるだけに)なおさらあの聖典会話にはほっとさせられました。次会うことがあるのなら、もっと和やかにできればいいなーとの願いを込めて。
あとリースはケビン帰ってきたらすぐ食べさせてあげるためにごはん作ってたのにーとかいう怒りも混じってたと思います。ケビリス的に。
(2008.10.13)