やわらかな熱
 優しい声で、彼女は言った。
 自信を持って。ロイド・バニングス。
 人気のない展望室は、ちいさなちいさな声もよく通った。
 貴方は貴方であるだけでいい。


 沁み入ってきた言葉はそのまま胸の中にとどまり続けて、やわらかであたたかい光を放っている。
 けれど時たま、得体の知れない痛みのようなものをもたらすこともある。







 ビルの谷間の向こう、マインツに連なる山々のさらに向こう。鮮やかな橙色の夕日が、見つめていてもわかるくらいの速度で沈んでゆく。
 今日の業務を終えた四人は足取りも軽く、特務支援課分室ビルへの帰途をたどっていた。
 中央広場を歩く人々の中には、すでに顔見知りも多い。適当に挨拶しながら歩けば、ビルはすぐに見えてくる。
「ローイドーっ!」
 とたとたとテンポの速い足音はすでに聞き慣れたものだ。名を呼ばれ、辺りを見回す。予想外に右側から突っ込み体当たりしてきた少女を、ロイドは慌てず騒がずやわらかく受け止めた。
「キーア? まだ帰ってなかったのか」
「うん、そうだよ! だってキーア、今まで図書館でおベンキョウしてたんだモン!」
「図書館?」
 仔犬のようなあどけない瞳は、充実していた時間を証明するかのようにきらきらと輝いている。
 ああそれで右からタックルしてきたんだな、とランディが笑いながらつぶやいた。いまいち状況がつかめずエリィやティオと顔を見合わせていると、暮れ始めて暗くなってきた道を、数人の子どもが走ってくる。
「おいおい、いきなり走るなよな! びっくりすんだろ!」
「はあ、はあ……キーアちゃん、はしるの、はやい……」
「あれ、ロイドさんたち!」
 にぎやかな子どもたちは、今ではおなじみの顔ぶれだった。キーアの突発的な行動に文句をつけるリュウ、ただただ感心しながら息を整えるのに忙しいモモ、目ざとく大人たちに気づくアンリ。皆、同じ日に大聖堂の日曜学校に通うキーアの友人たちだ。支援課を挟んで出会った彼女たちだが、今ではすっかり仲良くなって、西通りを主な遊び場に朝な夕な駆け回っている。
 てっきり今日も、元気にビルの裏口から帰ってくるものだとばかり思っていたのに。
「日曜学校で宿題が出たんです」
 アンリが察し良く口を開いた。
「シスターが図書館で調べ物をしなさいって……内容自体は簡単ですぐ終わったんですけど、キーアちゃんが本を読み出しちゃって」
「ああ……」
 ロイドは苦笑してうなずいた。
 未だ何の記憶も戻らないキーアだが、記憶云々は関係なく本は好きだったらしい。初めて図書館に連れて行ったときも本棚がずらりと並ぶ光景に大喜びだった。大概は数冊借りてきて、自室でおとなしく読んでいることが多いのだが――友人たちと一緒になってあれこれ物色していたら、確かに時間なんてあっという間に過ぎてしまうだろう。
「リュウも普段は本なんか読まないんですけど」
「うっせーな! べつにオレは本がキライなわけじゃねーぞ、キョーミあれば読むんだよ」
「リュウくん、クロスベルタイムズのバックナンバーとかよんでたの」
 退屈がって外に飛び出そうとするリュウを、モモが遊撃士と特務支援課の写真入り記事をみつけて引き止めたのだという。一般家庭では、雑誌など一度読んだら廃棄してしまう。見逃した記事などもみつけてつい興奮してしまって、二、三度注意された以外はずっとおとなしく読書会状態だったというから、子どもたちの集中力も侮れない。
「みんな、すごいわ。今日はがんばったのね」
「そーなの! ねえねえキーアえらい? えらい?」
「ええ、とっても」
 キーアは今度はにこにこ相槌を打つエリィに抱きついた。エリィは思いがけないめぐり合わせとばかりに、それはそれは幸せそうな顔をして少女を抱きしめる。キーアに負けず劣らず、エリィもまた人に抱きつくのが好きなのだ。まあ今までの傾向を見るに相手はちゃんと選んでいるようだし、悪いことではないと思うけれど。ああ、ということはキーアにもそのうち抱きつく相手は選べとか教えてやらないといけないんだろうか。
「キーアって甘えんぼだよなー」
 両手を組んで頭の後ろにやりながら、リュウがにやっとした。
「オレたちより年上なのにさ、兄ちゃんに抱きつくし姉ちゃんに抱きつくし、ツァイトにもよく抱きついてるし」
「あら、甘えん坊も悪いことじゃないわ。子どものうちにね、めいっぱい甘えておくと立派な大人になれるのよ」
「そ、そうなんですか?」
 アンリが目をしぱしぱ瞬かせながらエリィを見上げた。モモはモモで、何を言っていいやらわからないのだろう。きょとんとしている。
 にこにこするだけで返事をしないエリィに代わり、ティオがもっともらしく首を上下させた。
「子どもにとって、甘えることは何より精神の安定に繋がりますから。統計的に見ても、間違いはないかと」
「ハハ、違いねえや。ロイドもガキの頃はお姉ちゃんにべったりの甘えんぼだったっていうしなー」
「ラ、ランディ!」
 慌てて大声を出しても、時はすでに遅かった。へえっと子どもたちは目を丸くする。エリィはキーアを放さないままくすくす笑いが止まらないし、ティオはあさっての方向を向いている。ランディはものすごくとてつもなく爽やかに微笑んでいるしで――どうやら周囲は敵ばかりだ。
「それはともかく、そろそろ家に帰ったほうがいいのでは? 暗くなってきましたよ」
「そ、そうだぞ! ほら、もう時間も遅いし」
 ごまかすにも方法が思いつかなかったロイドは、ここぞとばかりにティオの台詞に便乗した。子どもたちの肩をやんわりつかんで方向転換させ、帰るように促す。そうしながら助け舟を出してくれた少女に感謝するべく、彼女を横目でうかがってみた。
 いつもどおりの無表情を装っているが、頬の一部が妙な具合にぴくぴく動いている。期待破れ、どうやら初めの読みどおり、ティオも敵であったことに間違いはないようだった。となればこれ以上の援護射撃は望めない。
 このうえ話を長引かせて、リュウたちと同じくシスター・マーブルが日曜学校の教師だったとバレてしまった日には、何を聞き出されるやらわかったものではない。いや、もう知られていたんだっけか。とりあえず今思い出されなければしばらくは大丈夫だろう、さっさとこの場を離れてもらわなければ。
「ほらほら、解散!」
 号令をかけると、ぶちぶち言いながらも(主にリュウが)三人はようやく手を振って踵を返した。
「さて、それじゃ」
 俺たちも帰ろう、と言いかけて止まる。
 急に動きを止めたロイドを訝しげに見やり、ティオとランディは彼の視線の先をたどった。
「……ぃ……」
 何やら訴えたいらしいが、もごもご篭っているので聞き取れない。キーアがエリィの胸元に顔を埋めた状態でじたばたしている。
 一緒になってからかう側に回ってはいたものの、そういえばエリィもシスター・マーブルに教えを請うていたのだった。恥ずかしい過去を暴露される危険性はロイドと五分五分といったところで、心中ひそかに警戒していたらしい。
 それは無理もない。一人前のような顔をしていたって、誰にでも子ども時代はあるのだ。他人のそれならただただ微笑ましいだけだが、自分のことはできれば掘り返されたくない。誰だってそうだろう。
 思わず全身に力が入り、ちょうど抱えていた存在にすがるような心地で締めつけてしまったものと思われる。が、キーアは尋常でなく苦しそうだ。
「お嬢、キー坊がじたばたしてんぞ」
「え? あ、あら、ごめんなさい!」
 ランディに指摘されてようやく事態に気づいたか、慌てたように声を裏返し、エリィが腕を緩める。キーアはぷはっと息をついた。
「もーエリィ、力強スギ!」
「ごめんなさい、つい」
 責められて、エリィはしょげてうなだれた。ちょっとした抗議のつもりだったのが思いのほか真面目な反応が返り、キーアは面食らって瞬きする。強く言いすぎたと感じたのか、彼女の手を取り、少女は可愛らしく小首をかしげた。
「あのね、キーア、エリィに抱っこしてもらうのスキだよ?」
「キーアちゃん……」
「だっていいにおいがするし、やわらかくてキモチいいモン。だけど強すぎると苦しいよ〜」
 その瞬間、びしっと空気が凍った気がした。
 ――のは、ロイドだけだった。実は。
 ふいにキーアが落とした爆弾は、彼の関節を固めて自由な動きを阻害し、空気が凍ってしまったかのように思わせる程度には威力を持っていた。
 二人を凝視する。正確には、二人の間にある“やわらかい”接点を凝視する。何か会話が右の耳から左の耳へ素通りしていっているのはわかるのだが、どうにも意味が拾えない。
 いい匂いがするのも、やわらかいのも知っている。
 あの夜。IBCビルの展望室で、エリィはごく自然にふわりとよりそってきた。優しい声は何の抵抗もなく胸の奥底まですとんと落ちてきて、彼女がそれまで考えていたよりもずっと近くにいたのだと気づいたのはあの時だった。
 黒の競売会に一緒に潜入したときも、腕に抱きつかれたような記憶はあるのだが、よく覚えていない。なにしろあのときは、無事に屋敷の中に入り込むことだけで頭がいっぱいだったのだ。恋人同士という設定だったし、それならどういうふうに振舞うのが一番自然なのか頭の中で瞬時に計算してその通りに動いた。もちろん仕事中に余計なことに気をとられるわけにはいかないし、だから覚えていないのは正しいのだと思う。
 これからも普段はともかく仕事中は、そういうことは頭から追い出しておかなければ。うん、大丈夫。できる。今はべつに仕事中ではないし、平和そのものの街中だ。だから今はいいのだ。ちょっと固まるくらい普通の反応だ、うん――
「……じゃなくて!」
「うお!?」
 突然の独り言、しかも大声に、隣にいたランディが軽くのけぞった。
「あ、ごめん」
「いや、別にいいけどよ。どうかした…………ははーん」
「な、何だよ」
 赤毛の青年は三つ年上だが、不思議そうに目を見開いたときの印象は十八の自分と正直大差ないと思う。それがだんだん変化していって、いかにも“悪い”顔になってきて、十近く年上の思い出の中の実の兄を思い出させる口角の引き上げ方をして。そう、これはおもしろいおもちゃをみつけたときの顔だ。そっくりだ。ロイドは咄嗟に身構えた。
「いやあ、わかる、わかるぞ! 安心しろロイド、俺はお前の味方だからな!」
 身構えると同時に一歩退いたはずだったのだが、長い腕は難なく彼の背中を捉えてばんばん叩いた。加減はされているのだろうが、衝撃はかなり来る。咳き込みそうになって慌てて手の届く範囲から逃げ出した。
「だから何が!」
「さあ、何だろうな?」
 ランディはにやにや笑いを崩さない。睨んでみても効果はなく、ますます楽しそうに目を輝かせるだけときた。
 お遊び大好きを公言してはばからないランディは、ことあるごとに女性陣のツッコミを受けている。一応のこと生真面目で通っているロイドもどちらかといえば彼を諌める側の立場に立つことが多いけれど、同じ男性として共感できることも決して少なくはない。
 つまり、ロイドの思考など彼にはお見通しということだ。
 ただし、ロイドにもまたランディに関してお見通しな部分はある。
「……ランディ、言いつけてもいいんだな?」
「………………。誰にだ?」
 低く低く、地の底を這うような声でささやく。急にロイドの様子が変わったことに気づき、彼は微妙に笑顔を引きつらせながら応じた。
「ソーニャ司令とミレイユ准尉に。あることないこと」
「ダブルかよ!?」
「あ、ついでにセシル姉とイリアさんにも言っておこうかな」
「くっ……この弟貴族が!」
 しかもあることはともかくないことって! その布陣じゃ完璧に俺が負けるじゃねえか!
 ランディは目の前の楽しみとその後の苦難、どちらを取るかあからさまに苦悩し始めた。少しだけ溜飲を下げて息をつく。根本的な意趣返しにはなっていない気がするが、当面の危機は脱せたはずなので良しとしよう。というかいい加減さっさと分室ビルに帰りたいのだが。
 と、視線を巡らせた先で、ティオが思案げに瞳を瞬かせて口許に片手を宛がった。なんとはなしにぎくりとする。しかし、彼女はロイドに近づいては来なかった。
 代わりに何をするかと観察していたら――すたすたと無造作な足取りでエリィに近づき、再びキーアを巻き込んで彼女の腰に腕を回す。
 いまいち行動の意味がわからない。
「……ティオちゃん? どうしたの」
 ティオの意図が読めていないのはエリィも同じなのだろう。戸惑って少女二人のつむじを見下ろしている。ティオは年上の同僚の身体に軽く頬を擦りつけた。反射的に白い手が薄青色の髪を梳く。
 あちこちで言われることだが、ティオもキーアもそれぞれ人形のように愛くるしい。そんな二人に同時にくっつかれて、首をかしげながらもまんざらではないらしいエリィを見上げ、キーアの額に自らの額を押しつけ、それからこちらを振り返り。
「ひゅーひゅー?」
 ティオの口から飛び出したのは、そんな擬音だった。
「ティオさん……」
 がっくりと肩から力が抜ける。なんだって、年下の少女にまでこういうことでいじられなければならないのだろう。しかも真顔である。余計にいたたまれない。たとえ、腹の底ではランディと同じように人の悪い笑みを浮かべていることに間違いはないだろうにしてもだ。
「ロイド? ティオちゃん? ええと、これは一体……」
「ご心配なく。思いついたので実行してみただけです。これでわたしの気は済みましたので、帰りましょう」
「? ええ」
 ティオの声を合図に、少女たちはそっと離れた。キーアが楽しげにスキップする。
「帰ろ、帰ろー! いっぱい本読んだからキーアお腹すいちゃった!」
「おお、確かに腹が減ったな。よっしゃ、急いで帰るぞ。キー坊、競走するか?」
「むむっ! 負けないよー!」
「キーア、走るのはかまいませんが転ばないように気をつけてください」
 二人は今にも走り出しそうだ。まあ、ティオがたしなめてくれていることだし、怪我をしたり近所迷惑になるようなことはないだろう。暢気にやり取りを眺めていると、エリィが「あっ」と声をあげた。
「エリィ? どうした?」
 何かあっただろうか。目を向けると、彼女は軽くかぶりを振った。
「あ、ううん……今日は私が夕食の当番だったわよね。今それを思い出して」
「ああ、そうだったな。疲れた? なんなら代わるけど」
「違うの、そうじゃなくて。みんなごめんなさい、先に帰っていてくれる? 卵がなくなったから買おうと思っていたのに、すっかり忘れてたわ」
 急いで帰るから、少し待っていて。言い置いて、エリィはさっと身を翻した。距離が開く前に、キーアがその背にまとわりつく。
「エリィ、キーア手伝うからね! 何をじゅんびしてたらいいのー?」
「ありがとう、それじゃあ作業台の上にたまねぎとにがトマトを出しておいてね。あとは一緒にやりましょう」
「わかったー!」
 ロイドは元気に駆け戻ってくる少女の頭を軽くなでた。キーアとは反対方向に歩き出しながら、後ろを振り返る。
「俺も買うものがあったの、思い出したよ。ついでだから行ってくる。ランディ、ティオ、悪いけどキーアを連れて先に帰っててくれ」
「お? おお」
「承知しました」
「ロイドも、はやく帰ってきてね!」
 手を振って、ロイドは足を速めた。街灯の光を反射して輝く銀髪は、すでにかなり遠くまで行っている。
 クロスベルは他の町のように、闇の中に沈むことはない。人通りの少なくなった広場を、星をも圧倒する無数の灯りが煌々と照らし出していた。







「うっかりしていたわ……百貨店の閉店時刻も忘れてしまっていたなんて」
 頬に手を当て、いかにも深刻そうにつぶやいたエリィを横目で見ながら、ロイドはちいさく笑った。
 広場でティオたちと分かれたあの後、ロイドはまずエリィを追いかけた。彼女の走っていった方向が、まっすぐ百貨店を目指していたからである。
 百貨店タイムズは、一箇所でおよそありとあらゆる品が揃うのでとても便利だ。従業員のサービスも充実しているので、何かを探すときには一番手軽な場所だともいえる。
 だが反面、開店時間は他の個人商店に比べて短い。祭でもない限り日が暮れるころにはもう閉店してしまう。終業時刻の不規則な警察官が業務後に立ち寄るには向いていないのだ。
 追いついて指摘して、それから二人はそろって西通りのタリーズ商店までやってきた。西通りは昔から住宅街なので、ありとあらゆる時間に人通りがある。真夜中まで営業している店も少なくはない。タリーズ商店も例に漏れず、仕事帰りの客で店内は比較的にぎやかだった。
「卵と……ああ、どうせだからニンジンも入れようかしら。みじん切りにすれば大丈夫よね」
 いかにも育ちの良さそうなお嬢様が真剣に野菜を吟味している姿は、何かおもしろいものがある。彼女も躾の一環として最低限の家事はできるように練習させられていたらしいが、やはり普段はメイド任せにしていた身、就職するまで料理はともかく店頭で野菜を選んだ経験はさすがになかっただろう。
 卵とにんじんと、クロスベルタイムズと武器を手入れするための機械用油。カウンターに載せられた商品を確認しながら、店主のタリーズが手際よくレジを打ち込んでゆく。
「卵十個、ニンジン三本、クロスベルタイムズ一冊、機械油三本、と。合計で五百三十ミラだね」
 それぞれの財布から出された硬貨をまとめて数え上げ、彼はにっこりした。
「はい、ちょうど。毎度あり!」
「ありがとうございます」
 ロイドは品物の入った紙袋をさっと抱え上げた。一瞬、隣でエリィが何か言いたそうな顔をするが、見なかったふりをしてさっさと歩き出す。ひとつにまとめてもらった袋はどう考えても女性に持たせる重量ではない。彼女なら運べないことはないだろうが、わざわざ大変な思いをさせることもないだろう。
 エリィもティオも女性だから子どもだからと特別扱いされることを嫌がる傾向にある。けれどランディと自分にしてみればそれは特別扱いではなく、ごく普通のことだ。男性と女性ではどうしても体力や腕力に差があるし、適材は適所に配置されるのが当然である。二人とも危険な場所にも不潔な場所にも文句一つ言わずにつきあい立派に仕事をこなしているのだから、その点では並の男以上だとも思っている。
 一瞬で気持ちを切り替えたか、彼女は小走りについてきてロイドと肩を並べた。
「買いたいものって、それだったのね」
 話しかけられうなずいた。
「ああ。定期購読分だからいつ取りに行ってもいいんだけど……思いついたときに行っておかないと忘れそうだしさ。油もみんなが使うだろ? けっこう減りが早くて」
「そうよねえ……」
 特務支援課はその性質上、魔獣との戦闘を頻繁に行う。当然それぞれの武器も毎日念入りに手入れしておかねばならず、ストックを買い置いてあっても気づけば減っている有様だ。
「定期的に届けてもらうにしたって、ビルを空けていることも多いし、結局気づいたときに買いに行くしかないのよね」
「そういうこと。まあ、タリーズさんのところみたいに遅くまで開いてるお店もあるから助かるよな」
「確かに。そういう意味ではクロスベルはとっても便利だわ」
 くすくすと、やわらかで軽やかな笑い声が耳朶を打つ。何か落ち着かない心地になって、ロイドは袋を抱えなおした。
 そういえば、夜エリィと二人だけで話すのは久しぶりのような気がする。それこそあの夜――警備隊とマフィアに追われてIBCビルに逃げ込んだとき以来だ。
 どんな支援要請であっても、ロイドたちは基本的にチームワークを重視して四人固まって動く。手分けするときは逆にバラバラだし、大抵昼日中でしかも急いでいるから、こんなふうに静かな雰囲気にはついぞ縁がなかった。
 こっそり盗み見た横顔の中で、ばら色の唇はゆったりとした弧を描いている。機嫌よく歩くエリィをうかがいつつ、胸の中にたまった空気を吐き出す。決して重苦しくはないけれど、いやに存在感があって、しかも得体の知れない熱を伴った塊。
 貴方は貴方であるだけでいい。
 思い出そうとすれば、簡単だ。あの日の彼女の言葉が蘇ってくる。
 自分は自分でしかない、足掻くことは無意味ではないけれど、別の人間になることはできないのだから。それは、自分自身で見出した結論でもあった。目の前のさまざまな仕事をこなし、壁を感じながらも着実に積み上げてきたいろいろなもの。今更人に指摘されるまでもないことだろうと思っていた。その一点に限っては、つもりではなく、迷いは振り切れていた。確信している。
 しかし改めてかけられた言葉に、あの時、ロイドは確かに歓喜したのだ。
 嬉しくて、急に彼女が愛しくなった。だから抱きしめた。
 その後の行動に関しては、なんというか、雰囲気に流されてしまった感も否めないのだが。ただ、あの瞬間からずっと、胸の中に何かがとどまり続けている。
 エリィは何も言わない。表立っては二人の間にあるものは何も変わらず、日々も変わらず、忙しいながら穏やかに流れて行っている。
 視線に気づいたか、緑色の瞳がくるんと回ってロイドを見た。
「ロイド? どうしたの?」
「あ、いや……」
 言い訳を口にしかけて思い直す。特務支援課分室ビルは、もうすぐそこだ。白っぽい光に照らされて、細い階段が見えていて、窓からはあたたかそうな黄色が漏れていた。
「急ごう。みんなが待ってる」
「ええ、もちろん。でもロイド、足元には気をつけて。階段はただでさえ危ないんだし」
「子どもじゃないんだから、さすがに転んだりはしないさ」
「そうかしら?」
 エリィは声だけは疑わしそうに、しかし表情には茶目っ気をたっぷりに含ませて、軽やかに階段を駆け下りた。じっとロイドの足元を見つめているのは、心配しているのかからかう隙を探しているのか。危なげなく下まで降りきってやれば、先回りして大きく扉を開け放ってくれる。
 途端室内の明かりが思いがけずまぶしく感じられて、ロイドは目を眇めた。
 光の中で、エリィが笑っている。
 また息を吐き出す。


 吐き出しても吐き出しても、胸の中に凝る熱はちっとも減る気配を見せない。
 いっそ名前をつけてしまえば楽になれるのだろうと予感しながら、未だ足踏みを続けている。
--END.
いつもエリィさんばっかり悶々としてるのでロイドさんに悶々としてもらいましたの巻。

恐ろしいことに気づいたら三周していました。全員の絆イベントを見ました。
んで、「よしこれならロイド×エリィ行けるで!」と思ってようやく書いた…(笑)
おそらくこの二人がくっつくのだろうなと思いつつ、空で言えばまだFCの段階でしかないのでラッブラブは無理でした隊長。
エステルとヨシュア、ケビンとリースは幼なじみなので、すでに強固な絆があるのですよね。
それに比べてこの二人はIBCでようやく始まった感がある。ロイド的に「あはは、ないない(笑)」から「え? いや、えーとその…」くらいの心境の変化。か?
IBCでのエリィの攻略力にはびびりました。ああ、ロイドのことよく見てたんだな…いいこと言ってる…とか思ってイベント見てたのに、肝心のロイドは「やわらかかったな」て!
思わず画面にツッコミ入れたさ! いや話もちゃんと聞いてたみたいで安心したけど!(笑)
うちのロイドさんはエリィにキス未遂をかましティオとデートの約束をしランディと話し込んだ無双状態を想定しつつ書いておりますハイ。
ED後、エリィはなんだかんだ何も言えず悶々としつつ、ティオはロイドを淡く想いつつエリィと接近するのを積極的に推奨することも邪魔することもなく適当にからかいいじり倒し、ランディは鋭くみんなの心境を知りつつ何も知らないような顔をして楽しく騒ぎます。
そんなイメージ。
クリアから一ヶ月以上経ってもこの二人のことばっかり考えてます。うおおお…!
久々にツボにはまるカポーが来てくれたので続編に大期待っていうか続きを…エリィとの続きを…!(結局それ)
(2010.11.13)