「おいで」
 差し出されたその手を、疑いもなく取った。
 そのひとの瞳は、何も映していなかった。
 力や栄華を欲する、見なれたぎらぎらした光はなかった。

 ただ、透明だった。




水晶の瞳





「――――――……」
 卓に突っ伏した華奢な背が、ぴくりと動いたように見えた。
 開閉の音がしないようにと払った細心の注意は、いささかの役割も果たさずそのまま彼の目覚めを誘ってしまったらしい。それでも開けた扉を入ってきたときと同じように穏やかに閉めると、彼女はすべるような足取りで部屋の中央まで進み出た。
「ルックさま」
「……ああ、セラ」
 ルックと呼ばれた青年はたった今まで寝ていたに違いないのに、表情にも髪にも乱れひとつない。そのことに気づきながらも特に何の感慨も覚えず、セラは無表情のままわずかにあごを引いた。
「申し訳ありません。起こしてしまいました?」
「かまわないよ。……別に、寝たくて寝ていたわけじゃない」
 だからむしろ好都合だったのだ。無言の後に続いたであろう言葉を読みとってうなずく。彼がここのところよく眠れていないことは知っていた。けれど、眠れないことを歓迎しているようなふしがあることもわかっていたから、口出しをするつもりはなかった。
 静かな部屋の中に、茶器のたてる硬質な音が響く。白い手が差し出した湯呑をごく自然な動作で受け取り口に運びながら、ルックはふとなんでもないことのようにつぶやいた。
「夢を、見たよ」
「……夢……ですか?」
「そう」
 ルックが自分からそういったことを話すのは珍しい。セラは何度か瞬きを繰り返した後、自らも椅子に座り、頬杖をつくようにして正面の青年を見上げた。白く立ち昇る湯気の間からかすかに垣間見える翠の瞳は、深い色をたたえて底が見えない。すでに脈絡のない話にも突然の沈黙にも慣れきっていたセラは、続きを催促することもせずにその場のたたえる静寂に心地よく身を任せながら茶をすすった。
「…………どんな夢だったかは聞かないの?」
 探るような声。
「話してくださるのなら聞きます」
 そっけなく返す。
 まるで子供がすねたときのような台詞に少しだけ微笑ましさを覚える。もっともそう聞こえるのは言葉のかたちだけで、彼自身は単純に自分が聞き返さないことを不思議に思ってたずねただけなのだろうけれど。
 ルックは二杯目を注ごうとしたセラの手を制して冷え始めた湯呑を盆の上に戻した。
「どうしてだろうね、今さら。何にも知らず考えず、ただ馬鹿みたいに幸せな未来だけを夢見て」
 がむしゃらに戦って戦って、ときには泣きながら笑いながら生きていた彼ら。そしてそれを一線置いた立場から眺めながらもときには怒りときには笑っていた自分。
 今思うと信じられない。
 彼らにとっては、あれは確かに現実だったのだろう。めいっぱいに生命を燃やして、限られた時の中でみなまぶしく輝いていた。自らもその輝きの一部であるのだと信じていた。
 真実を、知るまでは。未来を、見るまでは。
 ルックは無表情に黙り込んだままの女性をみつめた。視線に気づいて涼やかな瞳がわずかに細くなる。ほんのささいな変化だが、微笑んだのがわかった。
「……迷ってらっしゃるのですか?」
「べつに」
 夢が自分を惑わそうとしているのは事実だ。しかし、迷ったとて最終的に選ぶ道は何が起ころうと変わるはずがない。わずかに苛立って、彼は眼前に垂れ下がってきた前髪を乱暴に払いのけた。
 セラには、未来は見えないという。聡明な彼女のこと、話だけで遠い将来何が起こり得るのかはっきりと理解しただろうとは思うものの、戸惑いはあるだろう。彼女は同志でこそあれ、流れる時に属する側の人間だ。悠久の未来に起こる事柄など、知ったことかと見ぬふりをすることも可能なのだ。
 考え直したほうがいいのではないかと、言われたような気がして。
 少しだけ、ほんの少しだけ心がささくれだった。
「ぼくの結論は変わらない。……セラこそ」
「はい?」
「こんなことにつきあう必要はないんだぞ。きみは、ぼくともユーバーとも違う……ごく普通に、生きていける」
「こんな力を持っていますのに?」
「隠せばいいだろう」
 幼い頃ならともかくとして、今のセラはもう立派に自らの力を制御できる。周りの相手誰一人として、力のことを気づかせずに生きてゆくこともできるはず。
 けして彼女が離れてゆくことを望んでいるわけではないけれど、最終的な目的の前に横たわるいくつもの犠牲に、セラの心が悲鳴をあげているのは間違いがないのだ。
 そんな思惑を知ってか知らずか、彼女はちいさくこうべを振った。切りそろえられた銀の髪が揺れる。
「私には、私の望みがありますから」
「望み? 何」
「秘密です」
 セラは立ち上がって茶器を片付け始めた。話を打ち切る合図だと察してルックが腑に落ちないといった顔をしながらも口を閉じる。
 再び部屋に落ちる静寂の中、まぶたを閉じて再び考え事を始めたらしい青年を、セラは振りかえってこっそり盗み見た。憂いを帯びた横顔。記憶にあるものとまったく変わらない。
 初めて出会ったとき、ルックはすでに笑わない青年だった。誰よりも近くで過ごした十年ほどの間にも、彼の笑顔は一度も見たことがない。
 何が彼から笑顔を奪ったか。彼に笑顔を招くにはどうしたらいいのか。
 レックナートから聞いた十数年前の彼自身を直接知っていたなら、あのとき時を共にしていた星々と同じような方法を自分も選んでいたのかもしれない。
 けれど、知らないから。過去の笑顔を知らないから。
 未来の笑顔を招くには、きっと。
 セラは嘆息して瞳を閉じた。








「おいで」
 そのひとが何を欲しているのかを知った今でも、自分はその手を迷いもなく取る。
 透明だった瞳の中に、確かな意思が輝く今も。



 なにも欲していなかったあのころ、なにも欲していなかったあのひと。
 求めるものがあるいま、求めるものがあるあのひと。







--END.




|| INDEX ||


あとがき。
ルクセラ〜。でした。
相変わらずわけわからん話ですが、まあ最近書いたものにしては思い通りいったほうかな?
実を言うと、ルックには、興味なかったんです。
1と2は坊カスとヒクテンにばっかり目がいってたもので〜(笑)
でもルック編のあまりの切なさに泣きそうになりました…うう。
でもね、でも、切ないしつらいけどけっして彼らは不幸だったとは思いません。
思うように生きた…んだと、思う。うん。

ルックとセラの過去のいきさつとかも気になりますねえ。
EDの一枚絵は過去のことだろう…とすると、セラはレックナートとルックに育てられたんだろうなあと
思うんですが…でも台詞からして最初はハルモニアにいたんだろうなあ。
ルックと同じように、レックナート様がさらってきた(笑)のかしら。
個人的には連れ出したのはルックだった、っていうのが萌えですが(萌えるなヨ…)

ところでルックの瞳って何色ですか? もしかして茶色ですか?
翠って書いちゃったけど…まあいいか。風だし。
でも設定上ヒクサクとかササライと見た目同じなんだよね…え、と。まあいいかv