変わる日常
 枯れた花殻が、かさかさと乾いた感触を伝えてくる。
 少し力を入れればぽろりと取れるもの、多少なりとも湿り気があって残ろうと頑張るもの。軍手越しに指先に伝わる感覚で、適当に判断しながらそれらを取り除く。
 目につく雑草は引き抜いて、振って根っこから土を落とした。あっちは鳥が種を運んできたのだろうか、可愛らしい花が咲くからこのまま庭に居てもらうこともやぶさかではないけれど。競合しないように場所だけは移したほうが良いだろう。
 こっちの花はまだ蕾がつき始めたばかりで、ただしこれからの季節は湿気がこもるのを好まない。虫食い部分をちぎるついでに、茂りすぎた下のほうの葉っぱも透かして風が通るようにしてやったほうが、より綺麗に咲いてくれる。
 いつの間にか熱中しすぎていたらしかった。こんなもんかと腰を上げかけた瞬間、背中が鈍い痛みを訴える。同じ姿勢で長時間しゃがみ込み続けていたせいだろう。
 五月はゆっくりその場に立ち上がると、両腕を天に向けて大きく背伸びした。
 腕を振って軽く身体を回せば、違和感もすぐに消える。よし、とひとり満足していたところで、耳が自分以外の人間がたてた物音をとらえた。
「兄さん、庭にいたんだ」
 開け放ったガラス戸の向こうから、制服のままの少女が顔をのぞかせている。
「あれ七緒、おかえり。お前今日、帰りは夕方になるって言っていなかった?」
 庭に降りている分こちらのほうが目線が低くなる。珍しく見上げる姿勢で首を傾げると、七緒は苦笑した。
「ただいま、うん。そのつもりだったんだけどね。……友達に次々用事ができまして」
「ふうん?」
 今日は中間テストの最終日だ。試験自体はいつもより早めの時間に終わる。まだ一学期だということもあり、七緒たち三年生も比較的余裕のある放課後を過ごすものが多いだろう。
 部活の自主練をする生徒あり、答案の見直しと反省をする生徒あり、そのまま街に遊びに繰り出す生徒あり――確か今朝彼女は、友人とファミレスで反省会がてらだべってくると言っていなかったっけ。解放感も相まって、帰宅は暗くなる頃まで伸びるのではないかと踏んでいたのだが。
「先生に呼び出されちゃったのがひとり、親御さんから連絡があって早く帰ってきなさいって言われたのがひとり。あとひとりは他校の彼氏からデートのお誘いだって」
「あらら、みんな忙しいな。最後の子は……あー、まあ他校だったら……仕方ないかあ」
「先約なのにって、さすがにみんな申し訳なさそうにはしてたけどね」
 肩をすくめる七緒は、けれど特に気にしている素振りは見えない。口調こそやれやれとでもいった風だが、表情は笑ったままに片手に下げていた紙箱を掲げてみせた。出かける前には持っていなかったものだった。
「私は兄さんにかまってもらうから、気にしないでって言っておいたの。お団子買ってきたから一緒に食べようよ」
「あー、ありがとう。そろそろ小腹が空いてきたとこだったんだ」
 午前中は洗濯をすませてからずっと机に向かっていたので、肩がばきばき鳴っていたのだ。だから気分転換がてら花壇をいじっていた。ただ、身体を動かせばそのぶんお腹は減る。
 着替えてくると言いおいて去った七緒を見送り、五月はエプロンを外した。それほど本格的な作業はしていないし、こちらは着替えるほどでもないだろう。長靴を脱いで足につっかけをひっかけ、諸々道具をしまいに行く。戻りがてら洗濯籠にエプロンと軍手を突っ込んで、石鹸で手を洗った。
「七緒ー? お茶の用意するけど、どこで食べるのー?」
「縁側!」
 つい先ほどまでいた場所だ。
 まあ茂ってきた木々のおかげで日差しはそれほどきつくないし、花も春より少なくはなったけれど咲いていることだし。一服には確かにいい。
 見るものも居ないままうなずいて、彼は台所へ向かった。




「それでね、兄さんにかまってもらうって言ったら、『ブラコンも程々にしないと彼氏できないよ』とか言うんだよ」
「ブラコ……あー……、そりゃ他所からはそう見えるよなあ」
 七緒の買ってきた団子はみたらしと、よもぎに小豆餡をからめたものだった。水まんじゅうも買ってきたけれど、それは夜に両親が帰って来てから四人で、と。ただ団子だけでもそれなりの量があったので、もしかして買ったときお腹がすいていたのかもしれない。
 食べるのにも話すのにも忙しい。二人して縁側から地面に足を投げ出した恰好で座っている。足の周りをひらひらと蝶が舞って、それから離れていった。
「嫌味な感じじゃ全然なかったから、純粋に心配……というか、それこそ程々にしておきなさいよって意味だったと思うんだけど。反射的に『兄さんもシスコンだから問題ないよ』って言ってしまった……」
「……それ、答えが予想できるな。『そういえばそうだったね』って言われたろ」
「おあとがよろしいようで」
 あはは、と同時に笑う。ただし乾いた笑いだったことは否定しない。
 数か月前までは確かに、自分たちは純粋に仲良し兄妹と表現できる関係だった。仲が良すぎて怪しいみたいなことはしょっちゅう言われていたけれど、気にも留めなかった。同じコップの回し飲みなんて日常茶飯事で、洗濯物の中に下着が紛れ込んでいたってへっちゃら。いやもちろん、ちっともびっくりしないとまでは言わないが。兄妹と言えど一応年頃の異性ではあるので、礼儀として互いに気をつけるようにはしていた。でも同じ家に住んでいるのだから、どうしたって気の抜けるときはある。そういうときも、しょうがないなと呆れたため息ひとつだけで洗濯ばさみにはさんでしまうような、その程度の意識でいたのだ。
 横目で隣に座る“妹”を見る。彼女の視線は庭を向いているから、交わることはない。――と思っていたら目が合ったが、次に出す言葉は決まっていたので特に困らなかった。
「俺もだけど、友達にはまだ言ってないんだ?」
「うん、まだ。どうせそのうちみんなわかることではあるけど……卒業してから、仲良しだけにこっそり話そうかなって思ってる」
「うん、それがいいよな。俺もそのつもり」
 ふたりの気持ちが変化したことを打ち明けても、両親の反応はあっさりしたものだった。
 わざわざ口に出して言わなかったけれど、もしかしたら未来を暗示するような夢を見ていたのかもしれない。もしくは単に今までの伝承から、星の一族が八葉となることも八葉が神子と恋仲になることも珍しくはなかったのだし、という意識が念頭にあったのかもしれない。
 ただ、そんなことまったく知りもしなかった人たちにとっては寝耳に水もいいところだろう。自分たちとしては疚しいことなどなにもないが、びっくりするだけでは済まず、禁忌を犯したように感じて嫌悪を覚える人だっているかもしれない。無責任な悪意をまき散らす人間だっていないとは限らない。
「高校の子は俺たちのこと実の兄妹だと思ってるのが多いしなー……知ってても敢えて言わないでいてくれてたみたいだし」
「えっ……知ってる人もいるの?」
 私、あの時まで疑ったこともなかったのに。
 大きく見開かれた瞳に陽光が差し込んで一瞬きらめく。疑いもしなかったとの言葉に嬉しさと誇らしさを覚えて、五月はにっこりした。自分のものより若干ちいさな頭をちょいちょいと撫でる。
「そりゃ、七緒がうちに来たときはもう赤ちゃんじゃなかったんだしさ。氏子さんたちはだいたい知ってるよ、親世代はもちろんだし――近所の同世代の子たちの中には、当然三鶴兄さんの友達だっているんだから」
「あ、そうか……」
 撫でる手を拒みもせずおとなしくしていた七緒は、三鶴の名前に眉尻を下げた。
 結局あの片割れは数日をこちらで過ごしただけで、また乱世に舞い戻ってしまったのだ。大人らしく落ち着いたように見えて白龍の鱗をむしったり家から役に立ちそうなものを持ち去ったり、しかも幸村や兼続の話では若気の至りで過去相当にアレな振る舞いをしていたこともあるらしいので、五月自身はあまり心配していないが。何よりこの心に焦燥も喪失感も生まれていない、なら彼は今も無事でいつかはこの家に戻って来てくれるつもりでいるのだろうから。
 ただ、七緒はそうはいかないだろう。彼女は徒人になってしまった。人としての高い霊力自体は変わらずある、見えざるものを見ることもできる。でも世界の理に干渉することはもうできない。血縁ゆえになんとなく肌感覚で察することのできる五月や両親とも違う。
 心配ないよ、と改めて言いかけて、ふと彼は吹きだした。
「え、なに?」
「いや、兄さんのことは心配ないよ……ないんだけど」
 今の今まで気づかなかった。並んで座っていたから向こう側になってしまって、見えなかったのだろう。こちらを向いた口の端にあんこをばっちりくっつけたまま、七緒は深刻そうな表情をしている。
 それが可愛いやらおかしいやら。年頃になっても綺麗になっても、こういう抜けたところを見るとほっとするのは、兄としての気持ちだろうか男としての気持ちだろうか。
「七緒、あんこついてる」
「えっ、うそ? どこ……」
「ここ」
 何年も前から、何度もしてきたやり取りだ。五月は迷わず手を伸ばして、桜色の唇の端についた餡を掬い取った。そのまま口に入れる。直前まで食べていたみたらし味のしょっぱさに餡の甘さが加わって、やっぱり甘いものとしょっぱいものを交互に食べるのが最強だなあ、なんて暢気なことを考えた。
「もう兄さんたら、また……!」
 ただ、七緒の反応は今までとは違った。決して嫌がっていたわけではないけれど(それは知っていた)困ったようにたしなめてきた“妹”の顔は、もうしていない。
 子どもっぽいところを見せてしまったという羞恥だろうか。それとも唇に触れられたことへの動揺だろうか。頬を染めて睨んでくるその表情は、見たことがない類のものだ。
 わずかに尖らせた唇は直前までものを食べていたためか少しだけ濡れている。餡を取るために触れた箇所は乾いてすべすべしていたけれど、そういえばひどくやわらかかった。やさしい桜色はなんだか好物の和菓子も連想させて、美味しそうだななんてけしからん発想を抱いてしまう。
「…………七緒」
「なに」
 文句を言おうとしていた可愛らしい口は、呼びかけられて不承不承閉じられた。言いたいことがあったんだろうに、べつに黙らせるような意図はなかったのに、こちらの言葉をちゃんと待ってくれる。
 それが嬉しくてなんだか熱に浮かされたような気分にもなって、五月は内心の欲望をそのまま声に出していた。
「キスしていいかな」
「え……」
 目の前で、もとから大きな瞳がさらに見開かれていく。じわじわと、少女は首のあたりから朱を昇らせて口を開け閉めした。
 声が、出てこない。
 そう言わんばかりにはくはくと喘ぐ魚のようなその動きを目の当たりにして、一瞬で全身が冷えた。
「……っごめん! あー、いや、待って、今のなし!」
 叫んで顔の前で両手をぶんぶん振る。
「ちょっとほら、長いこと日に当たりすぎて頭煮えてて……いやしたいのはやまやまだけど嘘じゃないけど! けど早かったよな、そうだよな、いきなりごめん」
 頭の中は真っ白だ。言い訳の中に本音が巧妙に混じって言い訳になっていない。口が思いどおりに動かない、なんだこれ。なんだか冷や汗まで出てきた。
 ことばは言霊だ。ときに刃になりひとを殺め、ときに薬などよりよほどひとを癒す。思うよりずっと強いちからを持っているから、普段から不用意な言葉は口にしないよう気をつけていたつもりだったのに。
 ちゃんと考えてものを言わないといけない。間違いようのないときや、もう言うべきことが決まっているときはともかく。普段考え考え言葉を継ぐ習慣がちゃんと身についているつもりだったのに、欲に駆られてそんな心がけは見事にすっぽ抜けていた。
 嫌がられたわけじゃないのは反応を見ればわかる。だけどひたすら恥ずかしい。お菓子からそういう行為を思い浮かべるとか、まるでやらしい奴みたいではないか。いや自身の欲も本能も否定する気も目をそらす気もないが、この子に見せるにはどうにもまだ早いような。というかだから恥ずかしい。
「あの、兄さん」
「ごめん、ほんと……あー、ちょうどお茶減ってきてるしおかわりついでくる……」
「兄さ……五月!」
 びく、と肩が揺れたのが自分でわかった。
 袖をそっと引かれて、立ち上がりかけていた足を戻してのろのろと腰を下ろす。膝をついた姿勢の七緒に、こちらは正座して向き直る形になった。
 両方の袖をしっかり握りこまれて、振りほどくのもなんだか違う。うつむいたままの顔を覗き込むのもこの状況では不調法だし、どうしたものだろう。
 そのうち呼び方を変えようと言いあってはいても、七緒の己に対する呼びかけはほとんど今までと変わりなかった。こんなにはっきりと名前で呼ばれたのは、それこそ初めてかもしれない。抵抗があるわけではなく緊張するのだと言っていたから――少しずつ変化していければいいと思っていた。それがここに来てこうだから、きっと彼女にしても勇気を振り絞ったはずで。逃げ出す選択肢は呆気なく潰されてしまった。
「……あの、七緒?」
 それでも長い沈黙は気まずい。おそるおそる呼びかけようとしたところで、七緒は勢いよく顔を上げた。
「に……五月。……あのね、キスしてもいい?」
「えっ……と……」
 なるほどこれは破壊力が高い。
 どこか遠くから眺めるような気持ちにもなりつつ、五月は口を開けたまま固まった。やられる側になって実感する何かがある。やたら暑いから、頬が赤くなっているのは間違いないだろう。嬉しい、嬉しいのだけれどひどく喉が渇いた感覚があって、どうにもうまいこと声が出てきてくれない。
 ずいと顔を近づけられて、思わずちょっと半身を引いた。それからしまったと今更内心慌てたが、何をどう受け取ったのか七緒はきりりと瞳を凛々しくした。
「大丈夫、怖くないから」
「えっ、うん?」
 何だろうこれは、怖がってはいないから好きにしてほしいという意味だろうか。いやそれにしてはなんだかやけに恰好いい顔をしていないか。
 あれ、これって、なんだか。
「いやいやいやちょっと待って! どうして俺が抱かれる側みたいになってるの!?」
 思い至ってしまって、五月は裏返った声で抗議した。
 彼女の今の表情に台詞、まるで初めての体験に戸惑う乙女を優しくリードする色男ではないか。いや別に俺、怯えてないし。想定外に積極的な物言いをされたから単純にびっくりしただけだし。
「……え、だ、抱くってそんなの……」
 今しがたまでの凛々しさはどこへやら、七緒はもじもじして目をそらした。
「私べつに、そこまでするつもりは、ないんだけど……」
 気づいたら微妙にのしかかられている。そんな体勢でいきなり恥じらいだした彼女を前に、さらに混乱すればいいのか正気に戻ればいいのかわからない。いや正気に戻れるのか。ていうかこの表現通じるのか。まあ乱世ならともかく今の時代なら、女の子だってそういう方面の知識はきちんと得ているはず。そういえばそうだった。
 そんなに深刻に考える必要もなかったのかもしれない。勢いの弱まった七緒をちゃんと座らせて、五月はその顔を正面から覗き込んだ。
「……七緒」
 返事は、ない。
「キスしていい?」
 やっぱり返事はなかった。でも、ゆっくり頭が上下する。
 さらさら、さらさら。弱い風に吹かれて切りそろえた髪が揺れた。片手を肩に置いて、もう片方の手で頬を撫でて顎に指をかけて、促すように軽く持ち上げる。
 応えて上向いた睫毛は震えているけれど、隙間から垣間見える瞳の中には羞恥の他にも少しだけ、少しだけの期待が見え隠れしている。躊躇する理由は、なかった。
「……」
 ごく軽く。けれど確信をもって。
 一瞬だけ触れ合わせた唇はやわらかかった。
 知らず息を止めてしまっていたらしい。熱いというよりは、ぽかぽかする。緊張に閉ざされていた瞼が開いて、視線が合った。くちびるは離れたけれど、距離はまだ近い。
 額をつきあわせ、互いに前髪を混ぜあわせながらどちらからともなく微笑んだ。
「……て、照れるね」
「……うん、照れる」
 照れ隠しに放った台詞には、鸚鵡返しに返事があった。落ち着いているように見えて、たぶん自分も七緒もいっぱいいっぱいだ。それでも相手が満たされた気分になっていることはわかった。
 いつ、どんなふうに、何を変えるのか。ゆっくりでいいと思っていたのは本当だけれども、より親密に恋人らしく、という願いももちろんあった。しあわせすぎてくらくらする。七緒もしあわせそうに笑っているのがさらに嬉しい。
「ふふ、どきどきしてる」
 するりと心臓に耳を当てられて、余計にひとつ鼓動が跳ねた。とっくに見透かされている、わかっている。でも改めて指摘されると気恥ずかしくなるのが人情というものだ。
「こら、七緒……」
 咎めたつもりがやたら甘ったるい声が出た。やんわり引きはがそうとする五月の手を捕まえて、頬ずりまでしてくる。なんなんだろう、可愛い。
「大丈夫、おあいこだよ。だって、私もどきどきしてるもの……」
 その可愛いこは、捕まえた手をよりにもよって自身の心臓に導いた。
 喉元まで出かかった制止をかろうじて呑み込む。一瞬何もかもが吹っ飛びそうになった。
 それでもすぐに伝わってくる、とろけそうなやわらかさの中にはっきりと主張する、力強い脈動。奔流すら自覚できそうなほど頭に血が上った状態で、ただ、五月と七緒を生かしているその音は、間違いなく同じ速度で鳴り響いていた。
 駄目だ、足りない。
「七緒、もう一回」
「ん」
 やや性急な求めにも、彼女は目を潤ませてうなずいた。
 今度はもう少し長く。触れ合わせるというよりは押しつける。離れては「もう一回」とどちらからともなくせがんで、結局口づけはもう一回どころではない回数にまで及んだ。
 繰り返せば、すぐさま慣れてくる。息があがって苦しいけれど、息継ぎは二の次だ。表面だけではだんだん満足できなくなって、下唇を食むように挟めば七緒は軽く口を開いた。
 具体的な意味までは理解していないだろう。それでも了承の合図と受け取って、覗いた歯列をそろそろとなぞる。ちょんと舌先が触れ合って、驚いて同時に引っ込んだ。反射的に唇も離れて、ただ目線だけで会話して言葉もなくまた貪りあう。
 数か月前まで当たり前に存在するものとして受け止めて、いちいち気にかけたりなんかしなかった。それが今、このやわらかさとしなやかさがひどく新鮮だ。ほっそりと華奢な肢体から力が抜けてしなだれかかってきて、恐ろしいほどの攻撃力でもって理性を砕きにかかってくる。
 互いの胸に手のひらをあてているから、ごまかしようもない。互いが互いの欲を煽りたてていることを理解しながら、立ち止まる必要性は微塵も感じなかった。
 初夏の風が吹く、明るい午後。状況に救われたと思いながら、五月は心の赴くままに愛しい少女の唇に喰らいついた。




 さわさわと、葉擦れの音がする。数十分程度のことでは、世界は万事変わりない。
「あー……床冷たいー……気持ちいいー……」
「そうだねー……」
 思いがけず盛り上がってしまったあと。二人はそのまま行儀悪く、ぐでんと並んで芋虫のように縁側の板床に寝転がっていた。
 火照った身体の熱を、ひんやりした木の板が吸い取ってくれる。団子はまだ残っているし、冷蔵庫で冷やしてあったはずの緑茶はとっくにぬるくなっていた。が、それらはわりとどうでもいい。
 五月は珍しくだらしない様相のままの七緒を横目で見やった。四肢を投げ出して大の字になってごろごろしている。腕やら足やらぺったりと床に貼りつけるようにして、ときどき場所をずらしながら。
 今日のお昼すぎまで、ふたりは恋人だと言いあいながらもキスのひとつもしたことのない間柄だった。手を繋いだり抱きしめたり、そういうことは頻繁にあったけれど、それらは家族としての延長線上で片づけられてしまう程度の触れ合いだ。
 初めてだったというのに、何か色々すっ飛ばして暴走してしまった自覚はある。ちょっとどうなんだろうと思う場所にも手が伸び――いやたぶん我慢できていたと思うのだが、少なくとも拒まれてはいなかったようだし。
 ただ、状況的に助かった。真っ昼間で外の空気を如実に感じる場所、傍らにはおやつ。ついでに言うと夕方には両親も帰宅してくる。ちゃんと歯止めをかけられる要素がいくつもそろっていることがわかっていたからこそ、思うさま衝動に身を任せることができたのだ。七緒にはとても言えないけれども。
 そんなことを考えていたら、七緒がころん、と身を転がしてこちらに向き直ってきた。
「あのね、兄さん」
「んー?」
 また兄さんに戻ってる。
 指摘しようかと思ったが、たぶん照れ隠しが含まれている。あんまり絡んで恥ずかしがらせるのもかわいそうなので、そのまま続きを促した。
「あの、そんなにしょっちゅうじゃなくてもいいから。またそのうち、今日みたいに」
「……っか」
 五月は感極まって寝転がったまま七緒の肩を抱きしめた。
「してほしい……って、わわっ?」
 顔を真っ赤にして上目遣いでせがんでくるその姿は、ともかく可愛いが過ぎる。
「可愛い! あー可愛い、本当可愛い。好きだよ、七緒」
「うん、私も」
 抱きしめた腕の中で、その表情がぱっと明るくなった。
 そして今更気づく。さっき見た横顔は、ほんの少し憂いを含んでいた。逃げ出したいような気配はなかったし、初めての経験に戸惑っているからだと勝手に判じていたけれど、それだけではなかったのかもしれない。だって。
「私も好き。に……五月のことが好き。大好き」
「俺だって七緒が大好きだよ」
 好きだと繰り返すたびに、喜色を滲ませてくるのだから。
 どうものんびり構えすぎて――それから言葉も行動も足りていなくて、もどかしい想いをさせてしまっていたらしい。
 愛情自体は疑うべくもない。それはお互い、わかりきっている。
 でも、家族として慈しみあっていた時間が長かった。なにせ人生の半分以上だ。感情の種類が変わったのも変わったことを自覚したのもごく最近で、その変化自体は自然に受け入れても、改めてどう表現するのかと問われれば、確かにコツのようなものを掴めてはいなかった。なら、これからはどうするか。
 頭を撫でると、指の間をまっすぐな髪がするすると抜けていく。その感触が心地よい。
 肩をさすって背中を撫でて、くすぐったそうに身をよじる七緒を構い倒した。
「好き」
「うん、俺も好きだよ」
「好き」
 繰り返しすぎると、途方もなく照れくさくなってくる。それでもやめ時がみつからなくて、ふたりして延々言いあった。じゃれるように唇を押しつけあって、さっきに比べれば、ちょっと色気が足りないやり方だけど。
 五月が何かするたびに、七緒は笑ってくれる、このうえなく幸せそうに。それが嬉しくてたまらない。何度でも言えばいいのだ。口づければいい。特別から日常になっても、この心の内をちゃんと目に見える形にしてさらけ出すことを、忘れずにいよう。

 ずっとずっと一緒に居られる。
 その未来を疑わずにいられる幸せを、噛みしめた。
--END.
もともと仲良かったのでいちゃつくことに抵抗はない。ただし照れはある。
みたいな。
この二人、互いの愛情自体は本能レベルで全く疑ってないように見えますしゅごい。
兄妹から恋人になって今までたいして意識しなかった遠慮や嫉妬も生まれるのかもしれないけど、どっちかが引いたらどっちかが押して、押されたほうはそのまま受け入れそうなので、つまりはどこまででも行ける、と。
(2020.08.02)