今いる場所は、とても居心地がいいのです。
 どうしてかはわからないけれど、とっても安心できるのです。
 ……ママには、あいかわらず会えないままだけれど。




浜辺にて





「あら? モモちゃん?」
 「古き良き時代」を再現したのだというファウンデーション市街の、古風なホテルの一室で、最初に仮眠から目覚めたシオンはまぶたをこすりながらつぶやいた。眠りにつく前、確かに隣の寝台にいたちいさな少女の姿が見当たらない。シーツは綺麗にしわをのばされ、まるで最初からそこには誰もいなかったのだといわんばかりに整えられた状態で放置されている。
 シオンは目を眇めてもう一度部屋の中を見渡した。昼間宿についた一行は、休憩に過ぎないのだからと全員で同じ部屋を取った。ふたつしかなかったベッドはシオンとモモに優先してあてがわれたため、ケイオスとJr.はそれぞれソファに寝そべり、ジギーはその体躯を壁にもたれかからせて目を閉じている。いなくなったモモ以外は、すべてが眠りにつく前のまま。
「ねえ、モモちゃんは?」
 シオンは先ほどの台詞を少し力をこめて言いなおした。まずぴくりとまぶたを震わせてジギーがこちらを見る。彼は無言で視線を走らせると、問い掛けるような光を目に宿らせてかすかに首をかしげた。
「んあ〜? なんだぁ?」
 緊張感のない様子であくびをもらしつつ、Jr.が起きあがる。対照的に寝起きとは思えないほどの淡々とした調子でケイオスも起きあがり、グローブをはめたままの手で銀の髪をくしゃりとかきあげた。
「確かにいないね、モモ。お手洗いかな?」
「そうかとも思ったんだけど――」
 シオンは思案げに頤に指を当てた。一時的に席をはずすにしては、どうにもその後が綺麗すぎるのだ。
「どうも違うみたいなのよね。探しに行ったほうがいいかしら?」
 もちろんモモとて右も左もわからぬほどの子供ではない。街を一人で歩いたからといって問題が生じるほど幼くもない。けれど、彼女がありとあらゆる方面からその存在を狙われている立場であることはシオンにも、周りのものたちにもよくわかっていた。
 ここはクーカイ・ファウンデーション財団の力が及ぶ街。他の宙域とは比べものにならないほど治安はいいが――あまり一人で出歩かせるべきではないだろう。
「シオンはエルザに戻っとけよ」
 ようやく事態が飲み込めたらしいJr.が、ぴょこんとソファから飛び降りてロングコートを羽織った。
「え? でも……」
「俺とおっさんとケイオスと、三人で手分けすりゃ充分だろ? シオンは仕事仕事!」
 テーブルの上に投げ出していた拳銃帯の長さを調節しながら彼がにしゃっと笑う。
「そろそろアレンの兄ちゃんが待ってるころだと思うぜえ。『しゅに〜ん、まだですかぁ〜〜』ってな。『僕だけじゃ無理ですよお〜』とか言いながらオタオタしてるんじゃねえの?」
「そうだね。彼ならありえるかもしれない」
 反対側のソファに腰掛けて笑い出したケイオスにつられて、シオンも笑みを洩らした。
 確かにそうだ。それに、休憩を取った後はすぐにエルザに向かうと彼に約束した。彼女一人が抜けたところで大勢に影響はないだろう。
 宿の娘の明るい声を背に一行は往来へと出、そして思い思いの方向に散った。




 波の音が、する。
 生命はすべて海から生まれ出でたのだと太古の書物には書いてあったけれど、それが果たして真実なのか否か彼には確かめるすべはない。生命の歴史は長すぎて、もうそのルーツを探ろうという動きなど公にはとっくに失われてしまった。
 これはまがいものの空、まがいものの潮騒。しかし本物と偽物の違いなどどこにあるのかと首をひねりたくなるほどにこの風は、風景は自然そのものだ。
「ま、いーんだけどね。どうせおんなじこった」
 一人つぶやいて、Jr.は両手を頭の後ろにやった。
 ここはクーカイ・ファウンデーション代表理事のプライベートビーチ。数刻前まで彼らが戯れていた場所である。手分けしてモモを探そうという話になり、彼はとりあえずここから探してみようと思い立ったのだった。
 モモはまだここに来て日が浅い。デュランダルの中ならともかくとしても、彼女があまり知らない場所をふらふらするとは思えない。だからといって別段ここにいるとの保証もないのだが、まあなんとなくだ。ここでみつかればそれでいいし、街中に向かったケイオスやジギーが彼女をみつけるならばそれはそれでかまわない。
 海の方向をみつめながらぼんやり歩いていると、突然聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
 ……悲鳴?
「ッ、何やってんだ、あいつ!?」
 Jr.はひとつ舌打ちをしてすばやくロングコートをその場に脱ぎ捨てると、ざばざばと海の中に分け入った。向かう先では緊張感こそないが、何やらきゃあきゃあと騒ぎ立てて暴れるモモの姿。急いで泳ぎより、腕をつかんで岸まで引っ張ってゆく。
「ケホッ! ケホ、コホ!」
「ったく、何やってんだよッ!」
 頭のてっぺんまでずぶ濡れになった状態で、それでもJr.は目の前で咳き込む探し人を怒鳴りつけた。よくよく見れば彼女はしっかり水着に着替えており、だから危ないことをするつもりだったというわけではないのはわかるのだが――そもそも人工ビーチは極力危険がないように設計されてはいる――それでも何がなんだかわからない。
「す、すみません……モモ、あまり泳ぐのは得意じゃなくて」
「……そうじゃなくてさ」
 息を弾ませながらもにっこり笑う少女に毒気を抜かれ、Jr.は肩をつかもうと動きかけていた手をひっこめて頭を掻いた。
「ほんと、おぼれてしまうところでした。助かりました」
「だからそうじゃなくて」
 深々と頭を下げる彼女の足もとに座り込み、彼は下から見上げるようにしてモモの蜂蜜色の瞳を覗きこんだ。
「何してたのか、って聞いてるんだけどな、俺は」
「あっ!」
 モモは両手を打ち合わせると、慌てた様子で波打ち際まで走っていき――がっくりと肩を落とした。
「お魚さん……また遠くに行ってしまいました」
「はあ?」
 不可解な独り言にとりあえずの相槌を返し、砂を踏みしだきながら彼女の隣まで歩く。がっかりした様子で沖を眺める横顔を見、それから視線を戻し。Jr.は腕組みをして首をかしげた。
「……今晩のメシは魚がいい?」
 ぷっ、とモモが吹きだす。至極まじめな意見を出したつもりだったJr.は多少なりともむっとして彼女を見返した。
「違いますよ」
「じゃあ、なんだよ」
 子供っぽく唇を尖らせる彼にもう一度にこりと微笑んでみせてから、海に向き直る。
「婚約指輪です」
「婚約指輪ぁ?」
 ますますもってわけがわからない。目を白黒させているJr.にかまわず、モモはそのまま話しつづけた。
「酒場でお話しした女の方が、恋人さんからいただいた婚約指輪をなくしてしまったと泣いておられたので……しかも、その指輪を飲み込んだお魚さんがここに逃げ込んでしまったとか」
「……はあ」
 ここは、クーカイ家のプライベートビーチ。理事の許しがなければ入ることはできないとされてはいるが、それはあくまで建前であって、実は特に柵やブイで印がつけてあるわけではない。探し物があるのなら、入ってくるくらい別にかまわないというのに――その女性にはそれができなかったらしい。
 ……ま、ファウンデーションにガイナンが及ぼしてる力のでかさってヤツか……
 もしくは、はじめからあきらめていたか。
 Jr.は仏頂面でがりがりと頭を掻いた。
「すみません、みなさん心配してましたよね? ちょっとのつもりだったんですけど夢中になってしまって」
「あ? ああ、いや」
「そういうわけですから、心配しないようにって伝えてください。モモはもうちょっとがんばってみます……待ってればまた近くに来てくれるかもしれない」
 真剣な表情で沖を見やる彼女につられて自分も視線をそちらに移しかけ、それからJr.はふと気づいた。
「おい」
「はい?」
「どの魚が指輪飲み込んだのか、おまえにはわかるってのか?」
「モモは観測用ですから」
 うなずいたモモに、観測用だとかそういうの実は関係ないんじゃとうっかり言いそうになり、Jr.は慌てて両手で口をふさいだ。これで疑問はひとつ解消されたとして。
「……で、近くに来たのをまた捕まえる……?」
「そうです」
 まじめな顔でうなずく彼女に、Jr.は肩をすくめて首を振った。多少なりともわざとらしさを感じさせるその行為に、しかしモモは気分を害した様子もなく問い掛けてくる。
「いけませんか?」
「……で、またおぼれるわけだ」
「あっ……」
 どうやらそちらのほうの懸念はさっぱりだったらしい。両手をぱたぱたと振り回して口をぱくぱくさせているが、言葉は出てこない。軽い混乱状態だろうか。
「ちっと待ってろ」
 彼はため息をついて砂まみれのロングコートを拾い上げた。そのままビーチの出口とは違う方向に歩き始めるのに、モモが慌てた様子で追いすがってくる。
「あ、あの、Jr.さん?」
「着替えてくるからー、ちょっと待ってろっての。魚捕まえるのは俺がやる」
 ったく、女の子が無茶するもんじゃないよなー。
 ぼやきに混じって聞こえた一言に、モモは軽く硬直した。
「……あの、Jr.……さん」
「んあ?」
 まるで緊張感のない返事に、けれど硬い声でたずねる。
「……モモ、女の子ですか?」
「……なに、まさかおまえ男?」
 そんなわけはない。
 そうではないですけど、と口ごもった彼女を不可解そうに一瞥してから、Jr.は笑ってひらひらと手を振り、再び歩き始めた。
「だよなー、そんなナリで男だとか言われたら俺どうすりゃいいかわかんねって」
 からからと豪快な笑い声をたてる後姿を、モモはぼんやりと見送った。ジギーのどっしりとして安定感にあふれた大きな背中とは違う、少年らしい華奢な体躯が揺れて遠ざかる。

 女の子。

 ごく自然にそう言われて本当に驚いた。
 Jr.はモモが人造人間――レアリエンであるということを知っている。それなのに。
 確かにクーカイ・ファウンデーションは、異能者受け入れをその主な目的として設立された団体だ。その代表を務める人間が異能者を差別するようでは話にならないが、それでもこの種の偏見はごく当たり前のものとして存在している。
 なのに。
 ふと、モモはデュランダルで働いている百式観測機たちを思い出した。使い捨てとしてその感情制御が目下最大の課題とされているはずのレアリエンであるにも関わらず、彼女たちは生き生きと、楽しげに働いていた。量産されたお人形ではなく――感情を持った、生き物として。
 それが果たして都合がいいことなのかどうかはさておいて、どうしてそうなるのかはわかったような気が、する。
 だから居心地がいいのだろうか。ろくに知りもしないけれど、母のそばとはこんな感じなのだろうかと思いを馳せてみる。
 シオンのそばは居心地がいい。ジギーのそばも、ケイオスのそばも。Jr.のそばも。やわらかく包み込むような空気は、今いる場所の居心地がいいというのは、要するにそういうことだったのかと。

 モモは結局、Jr.が戻ってきて声をかけるまでずっとその場に立ち尽くしていた。




 Jr.という助っ人を得たにも関わらず、指輪を飲み込んだ魚を捕まえることができたころにはもうあたりは真っ暗だった。
 さすがに遅すぎると心配したシオンがガイナンに掛け合い、彼の念話でもって居場所を特定された二人はその後保護者連によってさんざんしぼられたとか。







--END.




|| INDEX ||


あとがき。
HAHAHAHAやっちまったよJr.×モモ!(笑)
とはいってもほんのーりほんのり。「どのへんがカップリング小説?」って感じですが〜。
この二人もいろいろ背負ってるものがあるけど、どっちかってーとのほほんほのぼの希望です。
あんましどろどろしたのは似合わないっぽい。ナリがお子様だからですか?(笑)
いやでもこの話はほのぼのっていうよりはシリアスよりな気もせんでもないですが。
しかもほのかにマイ設定が入り気味ですが。まあ気にするなv(えらそう)

しかし、「保護者連」って…モモはともかくとしてJr.はにじゅうろゲッフゴフン!!
Jr.かっこいいよね! 最高だよね!(逃)