萌芽
 広げた布の上、並べた商品は順調に減っていく。
 比例してずっしりと重さを増してゆく財布の中身を確認するたび、頬が緩むのを抑えることができない。
 客足はだいぶ落ち着いてきていた。
 人の多さに物陰で隠れるようにしていたシンアが恐る恐る辺りをうかがい、苦笑したキジャに手招きされて出てくる。買い物というよりは物珍しさで寄ってきた子どもたちはゼノがかまってくれているし、一時花街かとツッコミを入れたくなるくらいうじゃうじゃいた若い娘さんたちも、買うもの買っておまけをもらったら潮が引くようにいなくなってくれた。
 小銭を笑顔で受け取りながら、視線だけでざっと周囲を確認する。姿が見えないのは三人。ヨナとハクとジェハか。
 でもジェハはもういい大人だし、単独行動には慣れている。はぐれても便利機能で合流可能なので何の問題もないだろう。ヨナとハクも先ほど視界の端で連れだって歩いていくのを見たので、やっぱり問題ない。二人とも後ろ姿がやけに楽しげだった。普段ハクはヨナに軽口をたたいて怒らせてばかりいるが、なんだかんだで幼馴染だ。こんなときはやっぱり、仲がいいなあなんて普通に思う。
 売り物にしていた最後の薬草が、客の懐にしまわれた。笑顔で手を振り返した後、硬貨を入れた袋の口をきっちり縛って、ユンは大きくひとつ伸びをした。
「ふはっ、見事に売り切れ御免だなー」
 豆を詰めた布袋をお手玉しながら、ゼノが隣にやってくる。ぞろぞろと後をついてくる子どもたちにはキジャが兄のような口調でもうおしまいだ、と言い含めた。シンアが首をかしげる。
「ユン……片づけ、手伝う?」
「ありがと、じゃあ敷布を畳んでくれる? 大きいから俺にはちょっと扱いづらいんだよね」
 言う傍からせっせとゼノが籠を重ねている。と思ったら、仕事がみつからずあわあわと振り回されたキジャの右手にうず高く積み上げられた。
「あれ、もう撤収かい? 早いね」
「おー、緑龍」
 折よくジェハも戻ってきた。あとは二人だけ。どこまで行ったのかはわからないが、ヨナ一人ならともかくハクが一緒なのだ、そう遅くなることはないと思いたい。特にどこそこで合流とは決めていなかったから、それならこのままこの場所で待つのが一番いいには決まっている。
「……ジェハ?」
 ユンはふと気になって背の高い男の顔を見上げた。確か最後に見たのはうさんくさいいつもの笑顔だったはず。それがどうしたのだろう、今はなんだかすっきりしない雰囲気だ。
 いやいつもすっきりしているかと問われればむしろねちっこいよと答えるところなのだが。なんといえばいいのか、とにかくいつもとは違う。
「何か不機嫌だね。どうかしたの。何かあった?」
 表に出しているつもりはなかったのかもしれない。緑龍は一瞬虚を突かれたかのように瞳を揺らしたが、それだけだった。
「いいや、何も。そうだね、強いて言うなら先ほど語らっていた美しいお嬢さんともう少し長く一緒にいたかったかな」
「そなたはいつでもどこでもそればかりだな……」
 理解に苦しむ、とキジャが零す。生真面目な彼だがべつに嫌悪感等はないようで、ただただ呆れた様子だ。里にいたころは大人気で色々色々あったらしいし、そこは口を出さず黙っていてやる。なんにしろモテすぎるのも大変だ。たぶん。
「…………戻ってきた」
 シンアの声は低くちいさく聞き取りづらい。けれどその分皆彼の発言には普段から注意を払っているので、独り言とも報告ともつかない一言も、流されてしまうことはなかった。全員がちゃんと反応して同じ方向を見やった。
 紙袋がふたつ、歩いてくる。
 否、紙袋を抱えた人間が二人歩いてくる。ちいさいほうの紙袋の陰から赤い髪がぴょこんとのぞき、戻ってきた少女は顔いっぱいで笑ってみせた。
「ただいまー! おやつ買ってきたわよ」
「え」
「姫さん、ちゃんと前見て。足元が疎かになってます、こけますよ」
 のっぽのほうはちゃんと袋の上に顔がある。しかし紙袋の印象が強すぎてどうにもそちらに注目してしまったのだ。
 香ばしい匂いをたてるそれにはアオがぴったり貼りついている。捕まえてゼノに託し、二人との距離を詰めた。
「おかえり、っていうか一体何さ」
「おーただいまユン君」
「何って、だからおやつよ。あんまり美味しそうだったからちょっと奮発しちゃったの! 肉まんと串焼き、みんなにひとつずつあるわよ。もちろんアオの分も。ねーアオ」
 ぷっきゅー、と嬉しげに鳴いたリスがゼノの手をすり抜けて再びヨナの肩に跳び乗った。一般に、小動物が肩に居る光景は可愛らしいものだ。だがそれがよだれをだらだらたれ流しているとなると果たしてどうなのだろうか。当のお姫様はさっぱり気にしていないが。慣れって怖い。
 確かに小腹は空いていた、だから渡りに船ではある。だがしかしいったいどうなっているのか。一行の財布の紐はユンが厳重に締めている。ヨナは現金など持っていなかったはずだし、客引きのご褒美と称してハクに渡したのは確か二百リンぽっちだ。その額でこの量の食べ物を購うのはさすがに無理がある。そりゃあ男ども――特にハクとジェハ――にはユンの把握していない財布があるのかもしれないが、だとしてもこういう使い方はしそうにない。ケチだとかそういうのとも少し違って、なんというか状況的に。いやまあハクはケチだが。それは置いておいて。
「串焼きのお肉は羊なんですって。少し味見させてもらったけどタレが絶品で……あ、串ちょっとべたべたしてるから気をつけてね」
「あ、ありがと……じゃなくてさ!」
 反射的に受け取ってしまってから声をあげる。空いているほうの手にはじゃらじゃらと硬貨が落とされて零しそうになり、慌てて体勢を整えた。
「これ釣りな」
「いや、釣りって! 釣りって、明らかに増えてるじゃんか」
 渡した額の十倍近くに膨らんでいる。買い物をした上にこれだけ残るというなら、元の額はそれなりだったはずだ。ただこの二人のことなので、やましい手段で増やしたものとは考えにくい。一応金額だけは数えて財布に入れて、肉まんも受け取って(目の前で構えて待機されていたので受け取らざるを得なかった)。まふまふと半分くらいまで肉まんを頬張ったところでようやく説明不足だったことに思い至ったか、ヨナが大きな瞳をぱちぱちと瞬いた。
 ふたり、顔を見合わせてにんまりする。そこで気づいた。ヨナもハクも、妙に機嫌がいい。
「いやあ、姫さんが一発大当たりをかましてくれてな」
「あの場合、当てたのはハクになるんじゃないの?」
「そうとも言いますかね。まあどっちにしろ姫さんの手柄でしょ」
「あーいや、それだけじゃわかんないから。わかるように説明してよね」
 幼馴染の会話は油断すると割って入る隙が見当たらない。ともかく無理矢理応酬を遮って落ち着けと身振りで示してはみたが、特にヨナはまだ興奮冷めやらぬと言った調子で、にこにこにこにこしている。あまりうまく説明できそうにない。
 救いを求めて振ったもう片方もやはりにやにやにやにやしていたが、こちらはすぐに疑問の答えを示してくれた。
「市の外れで賭け射的をやってたんだ。んで、俺が大穴一人勝ち」
「……あー、そういう」
「ああ、なるほどなー。娘さんが挑戦したんか」
 確かにそれなら大勝もするというものだろう。ヨナを挑戦者に仕立て、彼女に賭ければそれだけでいい。
 ヨナは、まだ少年のユンから見ても華奢で可愛らしい少女だ。賭けに興じるような男たちの目から見ればそれこそ子どもも同然で、まさか弓弦をひく力があるなどとは誰も思うまい。増して、的の真ん中に当ててみせるなどと。
「いやあ、爽快だったね。泣いて帰るに二千リンとか言ってた奴のあの顔! あの顔! くくくく」
「ちょっとハク! それを言うことないじゃないの」
「いいじゃないですか、実際見事にど真ん中だったでしょうが。ああもうせんせいは感無量ですよ、あのヘロヘロ矢がよくぞここまで……」
「だから一言多い!」
 べちっと肩を叩かれても堪えた風もなく、ハクはけたけた笑っている。
 いつもなら軽い喧嘩でもたしなめようとするキジャまでもが頬を緩ませた。
「とにかく楽しく過ごされたのですね。良うございました」
「ええ! とっても楽しかった!」
 ヨナは顔を輝かせてうなずいた。ぱっと花が咲いたかのようだった。
 花が咲いたような笑顔、なんて、それこそ陳腐な表現だと思っていたのに。女の子の笑うさまを蕾がほころぶようだと例えるのはあながち的外れでもないんだと、ユンは初めて気づかされた気がした。それを見た時の、気分も似通っている。だから、でもあるのか。新発見だ。
 もともとヨナは表情豊かな少女ではあったが、今は本当に輝かんばかりだ。頬を上気させて、なんだか目もきらきらしている。初めて会ったときは状況のせいで顔が曇りがちだったから、そのころのことを知っているから余計に際立つのだろうか。
 ……って、あれ?
 ユンは密かに首をひねった。
「市も楽しかったわ、色々商品があって。買わなくても見るだけでおもしろいものなのね」
「そりゃまあ珍しいもんもありましたし。しかし姫さん、衣装屋はともかく武器屋もおもしろかったんですか」
「おもしろかったわよ? 同じ名前の武器でも長さとか重さとか、ほんと色々違うのがあったでしょ」
「あーあそこわりと良いのも置いてましたからね。そりゃ振り回すんなら自分に合うもんのほうが楽だからなあ。細工もこだわる奴はこだわるし」
「綺麗なのがあったわよね。あれ、私にはちょうど良い大きさだったのに、ハクが持つと短剣というより小刀っぽくてちょっと笑っちゃった」
「当たり前でしょう、どんだけ体格違うと思ってるんです。第一ありゃ明らかに女性の護身用……ってまさかそれ繋がりで俺に女物の羽織着せようとしたんか」
「ハク大きいし、どんな感じになるのかしらって興味あったのよ」
「いやいやいや、何の罰かと思いましたから。店の親父も笑ってたじゃないですか。ああいうのはおとなしく自分で着といてくださいって」
「えー、あの色なら似合いそうだと思ったのに」
「色の問題じゃねえよ! だから体格考えろ、下手したら破れるぞ!」
 話はあっちに飛びこっちに飛び、脱線したかと思えば戻ってくる。ぽんぽん投げかけあう言葉は軽快で速い。生き生きと言い合う二人は本当に楽しそうだ。楽しそうだ。
「幸せそうだなあ」
 ほのぼのと呟いたゼノの言葉がすとんと胸に落ちてきて、ようやく合点が行った。横を向くと細められた目と目が合う。
 ああそうか、幸せそうなんだ。
 口喧嘩しているのかと思わせるくらいに語気は強いし、ちょこちょこ手が出ていたりもする。でも笑っている。時折混じる、甘えたような拗ねたような少女の声色は、馴染みがあるような初めて聞くような。
 まあ、そうだよね。
 ユンは声に出さずに苦笑した。
 なんとなく、いつかそうなるのではないかと思っていたのだ。本人たちはわかっていないに違いない、けれどこれは明らかな変化の兆し。今までと同じようでいて少しだけ違う。鋭いものならば容易に気づくだろう、ヨナの眼差しが淡く色づき始めていることに。
 自分は気づいた。ゼノもたぶん気づいている。キジャとシンアは――微妙かもしれない。意味はわからないながら、ただ主が笑顔でいるから自分も嬉しくなって喜んでいる。純粋培養の彼らの気性は、単純でやさしい。
 順番に龍たちに目をやって、最後に息をつく。
 単純じゃないのがここに一人いた。ジェハの物憂げな雰囲気はいや増していた。面に出さないように努力はしているようで、実際ユン以外は特段気にかけていないようだが――ゼノは相変わらずよくわからないので除く――理由が見えてしまえばことは単純だ。もしかしたら、連れだって出かける二人を見かけて忸怩たる思いを抱いていたのかもしれない。なにしろあのときのヨナとハクは後ろ姿だけを見ても本当にうきうきしていたのが伝わってきたのだ。声をかければそれこそお邪魔虫以外の何物でもなかっただろう。
 ハクとは別の意味で緑龍はいつも軽口ばかりだ。ただでさえ色事に疎いヨナなのだ、自他ともに女好きを認める青年の、しかも殊更に軽薄な響きを混ぜた誘いを本気に取るわけがない。それを重々承知したうえで敢えて態度を改めないのだから、自業自得と片づけられて然るべき。今まさに浮かべている表情を彼女に見せて真摯に訴えれば、少しは変化も見られるかもしれないのに。
 でも、ユンには彼の気持ちもわからないではなかった。悪夢のような一夜をたった二人で逃げ出して、生き延びてきた姫と元将軍。出会った時点ですでに何人たりとも割って入ることのできない絆で結ばれていた。恋愛感情なんかなくたって、時間は力だ。子どもの頃からずっと一緒に居て、互いの気性も好き嫌いも把握しきっている。それが、ともに行く人数が増えてもなおますます親密になっていく様を目の前で見せつけられ続けて、どうしてうかつに手を出す気になれるだろう。それこそ冗談に紛らわせるくらいしかないのだ。だから本当に気の毒だなとも、思うのだけれども。
 今のところ、ユンは誰を贔屓しようとかそういう思惑はないと思っていた。
 ヨナ自身が幸せなら、そしてその相手がまっとうに彼女を大切にするのなら、手も口も出すのは最低限にとどめて成り行きに任せる。傍観して、最終的には心底祝福するだろう。
 ヨナは単純に、魅力的だ。だからあの幼馴染がぴったりくっついていなければ、周囲にこんなに珍獣が溢れていなければ、自分もまた本気で彼女に入れ込んで胸を焦がすこともあったのかもしれなかった。
 そんなことをぼんやり考えつつも、目の前の光景があまりにしっくり馴染みすぎている時点で、彼の中の未来予想図は実は最初から決まっていたのだと気づく。やっぱりそうだよね、とは率直な感想だ。これってなんだっけ、予定調和っていうんだったっけ。
 男数人の中に女一人という特殊な集団生活で、しかも全員十代後半から二十代、まさにお年頃ときている。ただでさえ微妙な均衡の上に成り立っているこの集団の中に、惚れた腫れたの、のみならず三角関係だの嫉妬だの、そういったものを持ち込まれるのは面倒なことこの上ない。めんどくさい。そりゃ皆のことは好きだから、めんどくさいとは思いたくないけどやっぱりめんどくさい。
 ああ、でも。
 それとは別に、じゃれあう二人を見るにつけ、やっぱり幸せそうだなあと緩む口許を抑えることはできなかった。
 幸せの陰で泣く人間が、まさに隣にいるのだとしても。
 ユン自身は、この押し寄せる甘いような苦いような波は決して嫌いじゃない。
 とりあえずジェハの口には肉まんを突っ込んでやった。目を白黒させて、その後苦笑でもちゃんと笑った顔になったから、今はこれでいいのだということにしておく。
--END.
流れ者の市場。
あそこのヨナの笑顔の破壊力。萌えすぎて床ローリングしましたよわりと本気で。そして水の部族編の「そうなの?」の上目遣い…! しぬ!!(ごろんごろんごろん)
それまで楽しいけどあんま「萌え」とか考えてませんでした、せいぜいハクの不憫萌えくらいか。あとりゅうかわいい。的な。
しかしそれにしてもほんとかわいい。ヨナかわいい。城にいたころのお気楽なのもかわいかったけど、殺伐としてしまってから芽生えた乙女力はものすごい破壊力でしたとさ…
(初出:2015.02.01 / 再掲:2015.05.16)