じゃっ。
頬を走ったその音は、あたりを染める爆音よりも鮮明に耳に届いた。
一瞬遅れて焼けるような痛みが襲いくる。
「ヴァイス!」
背後から幼なじみの悲鳴が響いたが、ヴァイスは振り返ることはせず、腕だけで彼女を自分の後ろに押し込めた。
火災によって生まれた風は荒れ狂い、体重の軽い彼らは気を抜くと吹き飛ばされそうになる。それでなくとも沈みかけた軍艦は均衡を失い、ぐらぐら揺れているというのに。
この不自然さは、なんなのだろう。
生まれて初めて見た、レースをふんだんに使ったドレス。裾も袖もふわふわと広がり、なんとも愛らしい。まるで人形のように華美で、動き回るには少々どころかおおいに難のある恰好をした少女が、たった今飛来したナイフの主だなどと。
たらり、とあごに向けて血が滴ったのがわかった。それと同時に、対峙していた少女がぱっと踵を返す。
追っても無駄だと直感的に悟った。
だから、彼も方向転換をして、泣き出しかけた少女のちいさな手をとった。
「戻ろうぜ、アイカ」
絆
ヴァイスたちの住む島は、一見のどかな普通の村だ。
確かにそれはある意味では当たっていて、走ればほんの数分で一周できてしまうようなちいさな島なのに、生まれてこのかたそこから一歩も出たことがない人間というものも存在する。
しかし実を言えば、そんな人生を送るものはほんの少数に限ってのこと。ヴァイスの父親であり村の長でもあるダインのまとめるこの島では、男はほぼ例外なく船乗りとなる。たとえ女でも適性さえ満たすことができれば彼らと同等に扱われる。男女とも仕事の内容に区別などないが、やはり一人前と認められるまでには長い道のりが横たわっていて。航海に同行することを許されるなど、ずっとずっと先のことだと思っていた。
気候も情勢も穏やかな空域とはいえ、目的は買出しだとはいえ、行って帰ってくるまでには少なくとも一週間を要する、立派な船旅だ。
物心ついたころから航海に必要な知識を叩き込まれてきた子どもたちだが、もちろん経験はなきに等しい。二人だけで行けるのはせいぜい近くの浮島くらいで、それに満足していたとは言わないが、空の孕む危険を知らぬほど幼くもない。
父から声がかかったときはまず耳を疑ったものだ。
行くのか行かないのかと問われれば答えは決まりきっている。アイカと二人、一緒になってちいさな胸をわくわくさせていたのだが――まさか軍艦が沈没しようとする場面に遭遇するなどと、父も他の誰も考えていなかったに違いない。
「…………ヴァイス? ヴァイス」
考えに沈んでいると、不意に名前を呼ばれた。弾かれたように顔をあげ、声の主を探す。やっとこさ焦点を結んだ瞳に、顔見知りの船乗りの呆れたような表情が映った。
「…………あ?」
「あ? じゃねぇだろ、おい。手当て終わったぞって言ってんのにぼーっとしやがって」
「あ、ごめん。……と、サンキュ」
座ったまま軽く頭をさげると、彼はおう、と笑った。痛みは今は感じない。かすっただけで傷はごく浅かったので、縫う必要もなかった。しかし、彼が使う伝家の宝刀――消毒液のことだ――はかなりしみると聞いていたのに、全然わからなかったのが少し意外だ。
「そういえば、アイカは?」
椅子は高くて、足が届かない。飛び降りながら尋ねると、船乗りはさっと船室の扉を開けてくれた。
「おー。どうかな、そろそろ泣きやんでるころだとは思うが。まあおおよそ普段は手のつけられねえお転婆だけどなあ。びっくりしたんだろうさ」
早く顔を見せて安心させてやれ。
ヴァイスはうなずいて廊下に出た。空の青さが目にまぶしい。
目を細めると、一瞬だけずきりとした痛みが走った。
「ごめんね、ごめんね、あたしが油断してたから」
くるくると、表情がよく変わる少女だというのはもちろん知っていたが、見たことのあるものの大半は笑顔と怒った顔だ。だから、いきなり泣き顔とともに謝られてヴァイスは面食らった。
アイカは何か謝罪しなければならないようなことをしただろうか。記憶を手繰ってみる。
そもそもあのときは、ダインに言いつけられて船尾の様子を見に行ったのだ。軍艦を沈めたのであろう下手人の姿はすでになかったし、乗組員たちは素直に救い手に身をゆだねていたから、危険といえば爆風にあおられて空に落ちてしまうか、火にまかれて焼け死んでしまうか、それくらいしか可能性が無かったはず。
船尾に逃げ遅れた人がいないかどうか見て来い。ただし、絶対に一人では行動するな――
そう念を押されて、二人駆けていった。危険性の高い船室は熟練の船乗りが担当し、彼らは距離にしてほんの数十歩の甲板の上をざっと一瞥して戻るだけでよかったはずなのだ。
まさかあんな場所に少女がいるとは思わなかったけれど。しかも出会い頭にいきなり刃物を投げつけられるなんて、想像もしなかったけれど。刃はまっすぐアイカの顔の中心を狙っていて、とっさに押しのけたらああなった。
あればかりは不可抗力だ。それが証拠に、ダインも注意が足りないと短く叱咤はしてきたが、いつものように拳骨をふらせたりはしなかった。
「おちつけって、アイカ」
「だってぇ」
ナイフは鋭利なだけで、毒も塗られていなかったし錆びてもいなかった。そのことは船医を務める男が保証してくれたし、なにより普段からヴァイスもアイカも生傷が絶えないのだから、この程度は日常茶飯事だと言える。
どうやら彼女には傷の深さよりも、ヴァイスが自分をかばおうとして怪我を負ったということが重くのしかかっているらしい。
彼はちいさくため息をついた。
「あのなあ。おれが動かなかったら、あのナイフたぶんアイカの顔のまんなかに刺さってたぞ? そんなのいやだし」
滅多に見られない表情を正面にしているというのも、なんとも居心地が悪い。
「おれがもっと強ければ、二人ともけがしなくてすんだんだと思うし」
そばで父が無言でうなずいているのが見えて少し情けなくなったが、いちいち反応していたらいつまでたっても話が終わらない。横目でにらむだけにとどめて、ヴァイスはがりがりと頭を掻いた。
「だいたい、この前訓練中におれのことかばおうとして足くじいたのは誰だった」
「っそれは、」
「同じだろ?」
有無を言わさずにやりと笑ってみせる。アイカはなにか言いかけて、無理やり飲み込むようにして口をつぐんだ。
「……そだね。同じか」
「そう、同じ」
言葉にしてみると、今まであやふやだった確信が形を持ったような気がした。
そう。
彼女が危ないときは自分が助けるし、自分が危ないときはきっと彼女が助けてくれる。
それを実現するためにはいまいち二人とも実力が足りていない気がするが、努力するしかないだろう。
物心つく前から隣に立っていて、今では考えていることまで手にとるようにわかってしまう。実は双子なんじゃないかとまで思ってしまうくらい通じ合っている少女を助けるのに、理屈など要らない。
「つまりは訓練あるのみだ!」
がっしと大きな手のひらに突然頭をつかまれて、幼い二人はきゃあきゃあと悲鳴をあげた。
「ほら、甲板手伝って来い! 一人前にはまだまだ遠いぞ!」
「はーい!」
「了解、オヤジ!」
笑いながら走り去る子どもたちの背中に、ダインは一声叫んだ。
「船の上では船長と呼べ!」
返されたのはやはり、笑い声だった。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
すいません今難しいこと考えられませんだから文章もなんだかアレですえへん(何)
エターナルアルカディア大好きです。最高ですびばとれびあーん!
ファイナも大好きですが、私としてはアイカとくっついていただきたく。
なんていうかこの二人の関係理想なのですよ。
性別の違いを気にせずに、なおかつ自然に受け入れているというのか…
相手の実力を素直に認めあってるのに、助けが必要なとこではきっちり助けに入る。
そこに男女の違いを意識してる様子はちっともありません。
なのにかばったり甘えたりもすごい自然なのようおう…
なんつーかこう精神的双子と言うか相棒というか、とにかく好きだコンチクショー!
GCでお買い得版が出てます。持ってないのに読んじゃったよって人は買いましょう。今すぐ買いましょう。
(2004.07.19)
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