愛しているわ、いとしい子。
思い出すのは、そう言って微笑んだ、あの日の母の顔。
答え
ぼそぼそと続いていたささやきが楽しげな笑い声に変わったのを聞き取って、マリアは閉じていたまぶたを薄く開いた。
ふせたまつげの陰からのぞく世界は灰色がかっている。未開惑星の、それもごく穏やかな気候のもとで生まれ出る色彩はやはり穏やかなもので、人工物の冷えた輝きに慣れた目に優しい。
彼女は身じろぎもせず視線だけをめぐらせた。案の定、声から予測した二人の人物の姿が目に入る。フェイトとソフィア。与えられた力だけを基準に考えるならば、この広い広い世界の中で唯一の同志と言っても差し支えない存在だ。
彼女がいるのは惑星エリクールの交易都市、ペターニにある宿の一室だった。この宇宙の支配者のもとへ赴くに必要な条件をあますところなく備えた星。そして、協力者たちの半数ほどの郷里でもある星。目的地への中継地でもあり、また物流の盛んなこの街は重要な拠点のひとつだ。地球やその他先進惑星に比べれば遠く及ばないものの、ときおり驚くようなものが手に入ることもある。最終決戦に向けて物資を調達すべく、留守番を引き受けたマリアをのぞく仲間たちは街中に出ていたはずだったのだけれど。
どうやら、他のものに先んじて戻ってきていたらしい。うとうとしていたマリアを気遣って声を抑えていたのだろう、今の今まで夢うつつのまま彼らがいることに気づかなかった。
そのまま、笑いをかみ殺すのに必死でいるらしい横顔を気づかれないように眺める。憂いの影などかけらも見当たらない、あたたかな陽だまりのような二人。その身のうちにすさまじい力を、そして大きな重圧を抱え込んでいるなどと、いったい誰が見抜けるというのだろうか。
決していい加減な性質ではない彼らは、世界そのものの命運をその背に負った今の状況でも――もっとも、その点では自分や他の仲間たちも同じなのだけれど――笑顔を絶やすことはない。
それはきっと、彼女が求めてやまないものの証で。
素直な羨望が口をついて出た。
「…………強いのね」
扉近くにいた二人がばっと音をたてんばかりの勢いで振り返る。その姿に自身の中にこみ上げる笑いを自覚しながら、けれどマリアは表情を変えることはせずに瞳を開いた。
ソフィアがゆっくり首をかしげてからひとつ、うなずく。
「えっと、ありがとうございます」
ぺこんと頭を下げた幼なじみを困ったように見おろして、フェイトはごく控えめに眉根を寄せた。
「……ソフィア……それたぶん違う……」
あら、と口許に手をあてかけて、マリアは唐突に気づいた。
おそらくフェイトは、今の言葉を皮肉だと受け取ったのだろう。幼くして多大な労苦を味わい、結果として現実しか見据えることができなくなってしまったマリアと。つい最近までいわば揺りかごのような安穏たる環境で暮らし、夢見ることこそが日常に近かったソフィアと。考え方の違いから生じる小さな衝突は何度かあった。そのたび仲裁にまわるのはフェイトの役目で、今回も彼はその気配を感じ取ったということだろうか。
しかし。
「ソフィアが正解よ。フェイトは、不正解」
何故か小気味いい気分でマリアはそう告げた。先ほどの台詞は純粋な賛辞だったのだから、それにかえるのは感謝もしくは謙遜であるべきだ。穿った見方などせずに、そのまま受け取れば良いだけのこと。意表を突かれたようなフェイトの顔を視界の端にとどめたまま、額に落ちかけてきた髪をばさりと払う。
「そのままの意味よ。今のこの状況を理解できないほど馬鹿でもない、投げ出してしまえるほどいい加減でもない。それでもちゃんと笑っていられるのはあなたたちが強い証拠だわ。それがうらやましいって、そう思っただけなの」
一息に言い切ると、青年は曖昧な笑みを貼りつけて頭を掻いた。
「マリアさ……褒めてくれてるのはわからないでもないけど、素直に喜べない言われかただよそれ」
「性分なんだからしょうがないでしょ」
つんとあごをとがらせてやる。自分でもどうにかしたいとは思っているのだ。しかし、長年通してきた姿勢というものはそう簡単に変えられない。これが気心が知れた相手への一種の甘えであることも自覚はしているが、結局自覚しているだけで改善の方向には向かわないのだから、そういう意味では自分自身に対する客観的な視点も宝の持ち腐れということになってしまうのだろうか。
ソフィアが瞳を細めた。
「後はやるべきことをやるだけですもんね。少し前は、どうして、どうしてって、そればっかり考えてたけど」
「どうして、私たちはこんな力を持っているのか。それは私たちに紋章遺伝子操作が施されたから」
まるで紙の上に書かれた文章を読み上げるかのような平坦な声でマリアがつぶやく。かつて彼女が独力でたどり着くことのできた答えはそれひとつだった。最初は力の根源さえわかればそれでいいと思っていたはず。しかし、解答がひとつ提示されれば、それに引きずられるようにして新たな疑問が湧きあがる。
問いをぶつければ答えてくれたのかもしれない養父母はすでになく、実の両親は比喩ではなく遠い空の下。父母とも兄姉とも慕うクリフたちにすら、抱える苛だちを吐き出すことはできなかった。
事実に驚きを隠せないながらも、それでも一途に博士らを信じられるフェイトとソフィアにも、嫉妬を抑えることができなかった。
どうして。どうして。どうして。
私はこんなにも悩んでいるのに。
それでも誰にも言えるものかと、意地を張りつづけて感情だけで爆発できてしまうかもしれないなどと思っていたのに。
今、二人の強さを素直にうらやましいと言えることが、我ながら不思議で仕方がない。
「……マリアに話を聞いたとき、僕が一番ショックだったのはさ」
ぽつりとフェイトが口を開いた。
「力があるとか、それが遺伝子改造の賜物なんだってこととかよりも、父さんと母さんが僕たちのことを実験材料だと思ってたんだろうかってことだった」
疑いを抱きながらも心の底では必死で否定しつづけたことだったけれど。
「ムーンベースで……自分の道は自分で選べって、愛してるって、そう言ってくれたときに自分でもおかしいくらい安心したんだ」
子どもみたいだよな、と笑う彼をぼんやりと見返す。つかの間沈黙が落ちた。
そう、知りたかったことはたくさんあった。そもそも絞りきれていなかった。
どうして私たちに遺伝子操作をしたの。
そう言って博士に詰め寄った。世界のためだと言われても、納得なんかできなかった。
それなのに、愛していると、その一言が抵抗なくすとんと胸に落ちてきたのは。
愛しているから、何をしていいというわけでもない。愛していると言いながら、その言葉を免罪符に、好き勝手する人間がいることも知っている。博士たちのしたことは、一般的な倫理観から見て到底許されない部類のことだ。
それなのに。
あのとき確かに、すべてを受け入れる気になってしまった自分がいたのだ。
「……そうね」
マリアは自嘲気味に唇をゆがめた。
「そうだわ、私も結局、一番知りたかったのはそれだったのかもしれない」
改めて指摘されるまで気づかなかった、幼い、けれど切実な思い。
だからこそ、知り得た今これほど穏やかな気持ちでいられるのだろうか。
欲しかったのは、確信だった。自分たちが愛されているという証拠。
猜疑心を強くしたのは、マリアだけ実の家族と引き離されて育てられたという事実だったのだけれど。実を言えば、何故その必要があったのかだけは未だにわからないのだけれど。
思い返せば、確かに自分も愛されていた。養父母とは血のつながりがないなどと、疑ったこともなかった。
ちゃんと理解してくれていたからだ。真実だけでは癒されない心があるということを。言葉にせずともわかるだろうと安易な道に逃げることをせず、子どもたちが求めるものをしっかりと提示してくれたからこそ。
「だからがんばろうって思えるのね」
痛みしか与えてくれなかったその傷を、生きるためのよすがにできる。
向けられる笑顔が、心地よい。つられてマリアも微笑んだ。
――――愛しているわ。
耳に残る、声。ことば。
あの日とうに与えられていた答えを、胸に抱いて。
--END.
|| INDEX ||
あとがき(兼語り)
…同ネタ多数だと思われる(笑)。
いやときどきこういうわけわからんような真面目なような話が書きたくなるのですよ、ええ。
しかもあまり整理しきれてないしネ。
ムーンベースのイベントは、FD人がどうとかこうとかのときは「ほほうほう…」と聞いとったんですが、最後のほう博士が謝りだしてからはイライラしてきちゃって実は。
ありがちですが、「愛してる」って言ってあげて欲しかったのですよ。
「違うだろ、そうじゃないだろフェイトたちが欲しがってるのはそんな言葉じゃない…!」とかなんとか。
だから最後はうっしゃ!って膝叩いて喜びました。
いや実際どうかは置いといて(笑)、私はそういう印象受けたもんですから。
特にマリア。
フェイトとソフィアは親元で普通に育てられたわけですしね。親子仲が悪かったわけでもなし、両親の愛情を疑う気にはあまりなれなかったんだと思います。
けど、マリアはなー…。一人だけ引き離されたわけだし(私はフェイトとマリアは双子だろうと推察しております)、「私だけ愛されてなかったの?」になるだろうなと。
実際彼女、自分は「失敗作」だったから廃棄された、みたいな言い方してなかったっけか、どっかで。
まあマリアだけ離して育てる理由がどこにあったのかはさっぱりわからんですけど。
でもトレイター夫妻は養父母として適した人格の方々だったみたいだし、その人選こそが愛情の証だと考えられないこともない。たぶん。
とにかくマリアがね。複雑なんだよね。
でもムーンベース後はふっきれたっぽいことを言ってたので、彼女が欲しかったのはむしろ真実よりもそういうものだったんだろうなと。
「愛してる」って言葉、事実は免罪符にはなり得ないけどね。
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