小さな狂犬
 白い柔道着に着替え、帯を締める。
 締まりすぎていないか、動きにくいところはないか。最後にところどころを確認してから、堂上はロッカールームの扉を静かに閉めた。
 今日は午後から格闘技訓練だ。今日も例によって、向かうところ敵なし過ぎて男と組めとまで言われてしまったあの新入隊員の相手をすることになるだろう。
 どうも自分たちの対決は、この時間の名物となりつつあるらしい。互いが互いに凄まじい形相で相手を睨みつけ、虎視眈々と隙をうかがう様はまさに生きるか死ぬか――こんなところで自然界そのものの戦いを見るとは思わなかったとは、誰の評だったのか。もう忘れた。
 堂上としてはそこまで息詰まる戦いを展開しているつもりはない。もちろん件の新入隊員笠原郁は、女性としては長身――なにせ堂上より背が高い――かつ、素晴らしいまでの身体能力を有してはいる。最初のようにドロップキックをかまされないとも限らないので、一瞬たりとも気が抜けないことには変わりない。
 ただその時間は、彼女の同期の男性隊員たちが噂するような恐怖に満ちたものだとは思えなかった。
 言うなれば小型犬がきゃんきゃん吠えているようなものだ。眉間に皺が寄っていて、目つきは凶悪で、その口から女性にはいささかふさわしくないのではあるまいかと思わせるような罵詈雑言が飛び出してきたとしても。ついでに負け続きで相当ストレスが溜まっているらしく、最近では全身からどす黒いオーラを発しているような気さえする。
 確かに迫力はあった。ありすぎた。だが自分にはこたえない。それだけのことだ。
 むしろ同じだけ、それ以上の迫力をと意識して相対するのは、楽しくてたまらなかった。
 気が抜けない。もちろん手加減はするが、びんびんと伝わってくる戦意を受け止めて、今日はどう畳を拝ませてやろうかとあれこれ思い巡らせるのは久しぶりのこと。そして郁も毎度毎度あらん限りのボキャブラリーを駆使して教官を罵っておきながら、吸収するべきものはきっちり吸収している。
 足を引っかけても、簡単には倒れなくなった。投げるたび、受身がうまくなっている。少々無理な体勢から持っていかれたとしても、極力ダメージを受けずに倒れる方法を、理屈ではなく本能で学び取っていっているらしい。
 良いことだ。
 受身がうまくなれば、それだけ負傷する機会は減る。防衛員である以上、命まで張らねばならない機会は必ず巡ってくる。来るべきそのときに向けて自分との対決でそれを学べているのならば、これ以上のことはない。
 もっとも、それまでにあと数十回は投げ飛ばすことになるのだろう。畳を拝まされるのはあの一度だけで充分。まだまだ今は、郁の前にそびえ立つ巨大な壁としての役割を果たし続けなければ。
 あの無鉄砲がいつか成長して、上官と部下として背中を預けあう関係になる日が来るのか否か、それはまったくわからないのだけれど。
 とりあえず今日も容赦なくしごいてやるのみと、堂上は口を真一文字に引き結んで訓練道場の廊下を足早に歩いた。
--END.
題名ひどいけどこれしか思いつかなかった…
どじょ教官はなんだかんだで最初っから郁のことが可愛くて仕方なかったんだよ、という妄想。
おまえらには組ませられんとか女は感じないとか(まあ訓練のときは確かにそういうことあまり考えてなさそうだけど/笑)どの口がー! みたいな?
出会いがインパクトありすぎかつお互いかなり美化してはいたけど、でも第一印象と本性は一致してたんだよね。それもすごい気がします。
(初出:2008.07.10 改稿:2008.08.17)