無垢
 太陽が傾いてきた。
 真上の空は相変わらず青く高いけれど、遠くの山脈の端はだんだんと茜色に染まってきている。もう少ししたら日が沈むのだろう。
 かつて自分たちの家があった場所で後始末をしていた――とはいっても、激しい魔風に吹き飛ばされて大半の建物は土台くらいしか残っていないのだけれども――人々は、少しずつまた世界樹の洞の中へ戻って行っていた。
 もう風は吹かない。空気は特別湿っぽいということもないので、おそらく今夜は晴天だ。しかし、アーサトゥアルは北国で冷える。夜露に濡れれば体調を崩すものも出る。今後もしばらくは世界樹が人々を守る屋根として役に立ってくれるのだろう。
 アトリは壊れた家々の間から適当な大きさの木切れを拾って回った。重くなってきたら世界樹の前に戻って置いて来て、また拾いに行く。何度か繰り返してそれなりの量になっていた。本当なら薪集めなど放り出して、魔風のなくなった大地がどんなふうになっているのか、友達と探検にでも行きたいところなのだけれど。しばらくは子どもといえど、ただ気楽に遊んではいられない。健康でさえあれば立派な働き手として、手伝いを要求されることのほうが多いはずだ。周囲にいるのが大人だけであればともかく、自分よりも幼い子ども、乳飲み子やこれから生まれてくる弟か妹のためだと思えば、それもたいして苦ではなかった。
「あれ……」
 アトリはふと気づいて薪を近くの木の根元に置いた。
 以前の街並みを基準に考えれば、大通りから外れた路地裏になるだろうか。鬱蒼と茂る森の中へ踏み入る形になっていた小路のつきあたり、今は少し開けて広場のようになっている。近くに沢があって、夏はよく遊び場にしていた。
 その場所、折れた木々の幹に半ば身を隠すようにして、遊び仲間が数人何かの様子をうかがっている。恐々と、けれど好奇心も隠しきれない様子で、彼は首をかしげて彼らに近づいた。
「何やってるんだ?」
「うわあっ!?」
「きゃああ!」
 自分たちで大きな悲鳴をあげておいて、そのくせ顔の前に人差し指をたてて必死に静かにするように身振りで示してくる。騒いでも観察されていたのだろう対象は声ひとつあげない。子どもたちの間から顔を出して、アトリは皆が何を遠巻きに見つめていたのか理解した。
「ああ……あの人」
 そこには巨大な竜が翼を休めている。その腹に背を預けて、鬼神と称される敵国の最後の王子が座って目を閉じていた。
「あ、あの人さ、あれだよな? 不死身のシャールヴィ。アンサズの」
「うん……」
 忘れられるはずがない、声だけだってきっと聴き分けてみせる。それくらいアトリの意識に鮮烈な印象を残し、また戦の代名詞ともいえるほどの存在感を示した男が、今はただ静かに眠っていた。
 もう戦争は終わった。だから敵ではないという理屈なのかもしれないが、それでもまあよくもこんなところで呑気に惰眠を貪っていられるものだ。ここにいるのは戦のさなかであっても王都にいて割合ぬくぬくと暮らしていられた子どもたちだから、彼をどうこうしようという気持ちなど持ってはいないけれど。もしも家族を亡くした大人たちの誰かがこんな場面を見たら、囲まれて殺されてしまうかもしれないのに。
(……いや、それもないのかな)
 アトリは首を振った。そもそも今この街にいる兵が全員束になってかかっても、この男に敵うとは思えない。
 最低限の身づくろいはしたらしい、ぼろぼろだった甲冑を脱ぎ捨てて洗いざらしの服に着替え、頭やら腕やらあちこちにこびりついていた血糊も拭ってある。戦場の匂いを感じさせない姿になってなお、圧倒的な力を感じさせる何かが彼にはある。
 まあ、あんなすぐそばに竜を伴っている時点で近づきたいとも思わないけれども。現にあの竜はアトリたちが騒いだときにこちらを一瞥していた。無力な子どもだと見て取ってすぐに興味をなくしたようだが、例えば武装した兵たちが近づいてこようものなら、主人の目覚めを待つまでもなく追い払われるのは目に見えている。
「なあ、見ててもしょうがないだろ。そろそろ暗くなってくるし、帰らないと母ちゃんたちが心配するぞ」
 アトリがそう言っても仲間たちはなかなか動こうとしなかった。近寄るのは怖い。でも興味はある。あの竜は北の空から飛んできた、空を飛ぶってどんな気持ちなんだろう。確かに想像するとわくわくしてしまうがしかし。
「あ、アトリ。みんなも。ねえ、シャールヴィを見なかった?」
「姫様」
「エルナ」
 軽い足取りで、若い娘がこちらに駆けてきた。後ろにはグードランド出身なのだという若い女騎士を伴っている。
 エルナはもうすっかり元気そうだった。いや、帰ってきた時点で特別具合が悪そうには見えなかった。母が湯を使わせていたはず、もう傷の手当ても終わらせたのだろう。ちいさく切られた当て布があちこちに貼ってあるが、いずれもたいした怪我ではなさそうだ。
「あそこにいるよ。……寝ちゃってるみたいだけど」
「ええ、寝てるの?」
 二人は躊躇いもなく近づいていく。そういえば彼女もシャールヴィとともに竜に乗って帰ってきたのだ。だから慣れているのだろうが、ちいさな女の子たちは悲鳴をあげた。
「ひめさま! ち、近づいて大丈夫なの?」
「え、大丈夫よ? そんな、熊や狼じゃあるまいし。取って食われたりなんかしないもの」
「姫……僭越ながら。この子たちはシャールヴィ殿のことではなく、竜のことを言っているのではないかと思いますが」
「え? あれ? あ、そーか。あははは……」
 エルナの中のシャールヴィ像とはいったいどんなものなのだろうか。問い質してみたい気はしたが、ともかく竜はやっぱり無反応だ。つられて子どもたちが寄っていくと一瞬片目を開けたが、すぐに何事もなかったかのように無関心を装う。いや、装うではなく本当に関心がないのだろう。
 エルナは無造作にしゃがみ、シャールヴィの顔を覗き込んだ。
「ほんとに寝ちゃってる」
「回生呪の光は落ち着いていますし、お怪我はもう大丈夫のようですが……」
「うん……でもきっと、まだ完全に回復しきったわけじゃないんだわ。前もそうだったの。調子が悪い時はとにかく眠いらしくて」
「魔法を回復させるには睡眠が一番手っ取り早いですからね」
 白い手が慈しむように額に当てられた。けれども彼はぴくりとも動かない。ただ静かに寝息をたてている。アトリの目の前であんな派手な魔法戦を繰り広げた将軍と同一人物だとはすぐには信じられないくらいだった。
「さて」
 座っていた場所をずらして彼女も竜にもたれかかる。騎士が見下ろすと、エルナはかすかに笑った。
「私、シャールヴィが目を覚ますまでここで待ってる。夜になっても起きないようなら起こして一緒に戻るから、ラヴァルタ、みんなにそう伝えておいてくれる?」
「御意」
「え、ちょ」
 ラヴァルタはあっさり敬礼して、すぐに行ってしまった。エルナはといえば、持っていた袋の中からパンを取り出してちぎっている。そのままもそもそ食べだして、すっかり待ちの姿勢に入ってしまっている。そういえばこの二人は帰ってきて以来何も口にしていなかったのだ。
 残るか戻るか。アトリが迷っているうちに、遊び仲間たちもぱらぱらと来た道を戻り始めた。
「みんな帰っちゃうのか?」
「今日は遠慮するの。ねえ姫様、時間ができたらお話してね」
「うん」
 おませな女の子がにこっとして走って行った。竜を触りたそうにしていた少年も結局あきらめて離れる。まあ、下手なところを触って怒らせてしまうのも怖いし。賢い判断だとはいえるかもしれない。
 おろおろと首を回す。エルナが瞬きして、アトリは少しだけ肩を落とした。
「……えっと。俺もここにいてもいい?」
「うん、いいよ」
 エルナの隣に座って、彼は恐々と背中を後ろに倒してみた。感触はごつごつして蜥蜴に似ているかもしれない。ただ蜥蜴と違って、想像していたよりあたたかい。むしろ熱い。くっついていたら火を焚かなくても夜を過ごせるかもしれない。
 たなびく雲は赤く染まってきていた。飛ぶ鳥の声も聞こえる。ちゃんと世界樹の隙間に入って生き延びていたらしい。さわさわと風が吹いて、水の匂いを運んできた。街は壊れてしまったけれど、世界は生きている。本当に生きている。なんだか不思議な気分だった。
 エルナは相変わらずのんびり口をもぐもぐさせている。
「…………この竜」
 何を会話の糸口にしていいのかわからなくて、咄嗟に竜のことを口に出していた。
「? ええ」
「竜ってさ、人に懐くもんなの?」
 聞いたことはある。あの女性騎士の故国グードランドでは、小型の竜を飼い慣らして国内で便利に使っているのだとか。でも大きな作戦の時にはわざわざ魔境からもっと大きくて強いものを召喚するんだとか。
 今彼らが恐ろしくも背もたれ代わりにしている竜も、見るからに大きくて強そうだ。飼い慣らせるようなものだとは思えない。それなら召喚したのかなと思うが、そのわりにやけにこの王子に忠実そうなのが納得いかない。
「私もよく知らないの」
 エルナはパンの最後のひとかけらを飲み込んだ。
「この竜も、一度は召喚の期限が来て放たれたのよ。でもどうしてか、また来てくれたの。ギリギリの時に」
 片手で腹を撫でる。
「ふふ、最初はね、私を助けるためにきてくれたのかと思ったんだけど」
「違ったの?」
「うん、助けてくれる気はもちろんあったみたい。でもこの子が一番助けたかったのは、きっとシャールヴィなんでしょうね」
「……なんで?」
「見てればわかるわ。理由は……うーん、単に好きだからじゃないのかなァ?」
 彼女は何でもない事のように言うけれども、そこでまた最初の疑問に回帰する。
「竜って、人に懐くもんなの?」
「ねえ。わからないわよねー」
「うん。ホント、わかんない……」
 本音を言えば、本当にわからないのは別のことだった。
 エルナはときどきちらちらとシャールヴィの様子をうかがっている。穏やかな寝顔にも寝息にも変わりのないことを確かめて、少しだけ口元を緩めて、アトリを見てくれるのはそれからだ。
 彼は最初、アーサトゥアルの闇の姫御子を暗殺しに来たはずだった。予想外に魔法を費やす事態に陥って、次は無事逃げおおせるために人質として利用されたはずだった。
 それがなぜか連れ去られて、いつのまにか協力するようになって、一緒に魔境にまで行ってしまった。
 まだ子どものアトリにすらわかってしまう。翠の瞳の中には確かに焦がれる色がある。騎士はもちろん遊び仲間もそれに気づいて、邪魔はしないとばかりにさっさと帰って行ってしまった。アトリはそれが逆に癪で、そりゃあ世間でいう惚れた腫れたとかいう種類のものではないけれども、だってちょっと前まで彼女の一番の友達で理解者なのは自分だと思っていたのに。
「優しい人だから」
 釈然としない思いに唇を尖らせていると、エルナがぽつりとつぶやいた。
「きっとこの子にも、それがわかってるのよ。だから一生懸命助けてくれるの。だから、今も離れないで一緒にいて守ってるんだと思う」
 一瞬、彼女の気持ちを聞かされているのかと錯覚した。少し遅れて竜のことを言っているのだと理解が追いつく。いや、勘違いでもないだろう。自分では気づいていないのかもしれないけれど、エルナは自身の感情をこの竜に重ねて語っているのだ。
「そうなんだ」
 けれどアトリは気づかないふりをして相槌を打った。
「そうなの」
 うなずきあって、それきり黙る。人の声に反応して息をひそめていた虫たちが鳴きだした。
 いつのまにか日が沈んで、空には星が瞬いていた。
 月も明るい。
 もう少しだけこの静かな時間が続きますように。
 そして、癪だけれど、腹は立つけれども、いつかエルナの想いが実を結ぶ日がくればいいと、アトリはひっそり胸の中で祈った。
--END.
グードランドでエルナとシャールヴィが再会した時にラヴァルタが味わったであろう「釈然としない感」をアトリで。とかいうテーマを目指してみた。
EDの「なんでおまえがここにいるんだよー!」的なアトリの顔に当時も今も笑いが止まりません。うん、気持ちはわかる。気持ちはわかる。敵方に拉致されてった可愛い優しい友達のお姫様が誘拐犯マッチョゴリラと仲良く帰ってきたらそらびびるわ…(笑)
てかゴリラいないだろうにゴリラ呼ばわりされるシャールピーさんは気の毒なんだかなんなんだか。でも体はともかく顔だけは美形だと思っていますシャールピー。明らかにお母さん似。もみあげがすごいせいで男臭く見えるけど、エイリークより本数少ないけど、ちゃんと睫毛も存在しているんだぜ!(だから何)
フレースヴェルグとの戦いが終わったのは画面が明るかったんでたぶん朝か昼、でアーサトゥアルの首府についたのが日が暮れる前くらい。ていう前提で想像してみました。
すぐグードランドに行ってると夜中になっちゃうから、魔風が止まってすぐ北にやってきたアースムンドラヴァルタラタトスクと会って、使い魔だけ飛ばしてもらって、一晩アーサトゥアルで休んで翌日早朝各国へ直接顔見せ報告すべく出発する。くらい?
もう何度も何年も読み返して口調から何から全部把握してるつもりでしたが、えっらい書きづらかったです。なんていうの、漫画独特の台詞と間が。文章で表現しづらくて。いつもゲーム原作のばっかり書いてるから余計にかな。ゲームもなんだかんだテキスト量多いし台詞長いしねえ。
(2013.03.10)