夜明け前





 鳥の鳴き声で、目が覚めた。
 ここには陽の光が入ってこない。だが、聞きなれたさえずりは正確な時間を彼に教えてくれる。夜明け前、誰かを呼ぶように高く長く続く声。
 もそもそと座りなおして、彼は暗い室内で目を凝らした。大木のうろの中、植物を荒く編んだ絨毯に水や食料の入っているらしい壷がいくつか。壁にかかったランプには、今は火は灯されていない。
 彼らをここへ導いたエルフはまだ戻ってきていないようだった。彼女の言葉を信じるならば、今頃は自分に疑いをかけさせないために、森中を捜索しているであろうエルフと神族に加わっているのだろう。
 あれからゆうに数刻は経過している。ここへは誰も近づかない、と言ったのは嘘ではなさそうだ。
 なんとはなしに息をつくと、よりそっていたぬくもりがごそごそ動いた。
「…………ルーファス……?」
 眠気のためかいつもよりも舌足らずな響きで、彼の名が呼ばれる。ルーファスは瞬きして腕の中の少女を見下ろした。
「夜明けまではまだあるぜ。もう少し寝ておけよ、アリーシャ」
「……ええ……ルーファスは?」
 俺も寝るよ、と返せばアリーシャはうなずいておとなしく目を閉じた。再び体温が高くなっていくのがわかる。目覚めかけていた身体が、また睡眠へと戻っていったのだ。
 細心の注意を払いながら、華奢な肢体を抱えなおす。なにやらむにゃむにゃつぶやいているようだが聞き取れなかった。でも、悪い夢ではないのだろう。薄く開かれた唇にはほのかに笑みが浮かび、ちいさなこぶしが彼の服の胸元をぎゅっと握りしめている。
 指先で長い金髪を梳けば、さらさらと心地よい音がした。
 こうしてよりそって眠るようになったのは、ごく最近のことだ。わけもわからぬまま二人きりになってしまって、心も背中も預けられるのはお互いだけになってしまった。そして、いつのまにか。気づいたらこうすることが当たり前になっていた。
 そもそもディランやレザードがいた頃は、手を繋ぐことさえほとんどなかったのだ。宿の部屋も別々だったし、野宿でも適当に地面に転がるだけ。
 それが今では、まるでつがいの鳥のようによりそっている。
 無垢な寝顔を飽かず眺め、気づけば朝だったこともある。無防備に身を預けられることに喜びを覚え、同時に何故か腹立たしいような気分になることもあるのだけれど、少女のやわらかさとあたたかさに包まれて、ささくれた感情などすぐに流れて消えてしまう。
 他でもないこの森で、半ば監禁に近い生活を送っていた頃には想像もつかなかった。
 自分以外に、大切なものなど何もなかった。味方なんて一人もいないと思っていた。神だって人だって、自分のために他を利用するだけだ。まして背中を見せるなど。心を預けるなど、命を懸けるなどと、あってはならないことだと思っていたのに。
 それなのに。
 運のつき、というのだろうか。守らなければと思ってしまったのは。
 アリーシャは本来、強い少女だと思う。目の前で父を殺され、気づかぬうちに母を失い、厭いながらも半身と認め共存していたシルメリアまでいなくなってしまった。それでも懸命に前に進もうとするその心は、強靭といわずしてなんと表現すればいいだろう。
 それでも守らなければと思ってしまったのだ。
 涙で潤んだ瞳が忘れられない。壊れそうに細い背中が忘れられない。今だってほら、この儚さはどうしたことだろう。少し力を込めれば折れてしまいそうな。かすかな吐息にも震える金の睫の際は、ほんのり朱鷺色に染まっている。きっとここのところ泣きっぱなしのせいだ。抱きしめ、優しい言葉をかけることで彼女が少しでも笑顔を取り戻してくれるのであれば。
 もしかしたら――いや、もしかしなくても、自分は支えが欲しいのだろう。別れを告げたとき、すがるような表情で見つめられてどれほど嬉しかったことか。アリーシャを支えることで、むしろ潰れてしまいそうだった自身を奮い立たせた。
 今更一人になるのは嫌だった。もう一人には戻れない。
 だから、守る。
 これほどに穏やかな気持ちで微睡むことができるのだと、教えてくれたこのちいさなぬくもりだけは、絶対に。
 ルーファスは顔をあげた。慣れ親しんだ森の気配は、少しずつ夜明けに近づいている。
 狭い入り口に落ちる影は、あのエルフの女性のものだろう。
 短かった安らぎのときは去り、再び混沌の中へ。








--END.




|| INDEX ||


あとがき。
この話はさらーっと書けました。
てかまあ、短いし。もともと小ネタのつもりだったからかもしれんけど。
ルーファス、一番最初はぶっちゃけアリーシャのことなんかどうでもよかったとは思うんですよ。
あくまで自分の利益だけを考えてついてきたに違いない。
ただお人よしだから目の前で危険な目にあったりしたらつい助けてしまう、とかその程度で。
それがだんだん彼女の内面を知るにつれ、同類意識だとかその他もろもろ思い入れが増していく、と。
個人的には水上神殿あたりで軽い友情程度、火山あたりでもそっと仲良しさんになり、ディパンで“仲間”になり、精霊の森に着くまでの間になんかこうムニャムニャ(笑)な関係になる、くらいの進展速度かしらーと妄想しております。
んで最終的には運命の相手か…うむ。

(初出:2006.07.08 改稿:2006.08.27)