わかんなかったんだ。
 ずっと、わかんなかったんだ。
 不思議でしょうがなかったんだよ、ずっと。

 ――あの子に会うまでは。

 同じ気持ちを、知るまでは。




はじまり





「……て……」
 ああ、声が聞こえる。
「……てください、マグナさん。起きて」
 優しい声が聞こえる。起きてって言ってる。
 女の子特有のやわらかい声。一番聞きなれてるトリスのものと違って甘えるような響きはないんだけれど。高いのにキンキンしてなくて、耳にすぅって入ってくるんだ。今じゃもう、この声に起こされることにすっかり慣れてしまった。
「マグナさんってば」
 そっと肩を揺り動かされる。気を使っているのか、手つきはあくまで優しい。ああ、気持ちいいな。なんだかくすぐられてるみたいだ。布団のふかふかした感触とあいまって、子守唄を聞いてるような気分になる。
 今までこういうときに聞いてたのは決まってネスの声だった。ものすごく大きくて、不機嫌丸出しで怒鳴るもんだからトリスはともかくとして俺はまどろむ暇もなく一発で目がさめてしまう。もちろん遅刻とかしないためにはそのほうがいいし、もし寝過ごそうもんなら教官どころかネスからも山のように課題が出されるから、都合は、いいんだけど。
 でもやっぱりね。
 どうせ起こされるならこっちのほうがいいよなあ。
「マグナさん……」
 あ、困ってる。んー、もう目は覚めてるんだけどね。気持ち…………いいもんだか……ら……
「トリスッ!!」
「うわぁっ!?」
 右方向から突然すさまじい音量の怒鳴り声が聞こえて、俺は思わずがばりと身を起こした。目の前では今まで俺を起こそうと四苦八苦していたアメルが、ただでさえ大きい瞳をまん丸にしてこっちを見てる。
 あー、狸寝入りしてたのバレたかなあ?
 視線を壁のほうにずらしてぽりぽり頭を掻くと、アメルは案の定気づいたらしくて鼻を鳴らしてちいさく、もう、とつぶやいた。
 もうちょっと寝てたかったんだけどなあ……
 いっぺん起きてしまったからにはそうはいかない。大きくひとつ伸びをして、それからベッドの端に腰掛けて顔をあげたら、見事な不意打ちで俺の狸寝入りを破ってくださった元凶の姿がまっすぐに目に入った。
 …………二人。
 兄弟子、ネスティと俺の双子の妹トリスだ。
 案の定な組み合わせと言えばそうなんだけど、珍しくネスもたったさっきまで寝てたらしい。ま、昨日は強行軍だったしね。あんまり陽も昇ってないみたいだから、別に不思議はないんだけど。
 ぼんやりした頭でそんなこと考えてたら、苦虫噛み潰したような顔したネスが、もごもご口を動かした。
「…………なんでトリスが僕のベッドにいるんだ…………?」
 あ、ほんとだ。そういえば。
 俺たちが宿に泊まるときの部屋割りはだいたい決まってる。大部屋で全員で雑魚寝するときもあるし、男女に分かれるだけのときもあるんだけど、二人部屋しか空いてないこともあって、そんなときはだいたい俺とネス、トリスとアメルが同じ部屋になるんだよな。
 どうやらネスは夜中にトリスがもぐりこんできたのに気づかなかったらしい。
 疲れてたんだろうなあ。
「……ふみゅー……」
 のほほんと状況分析なんぞをしていたら、トリスが眠そうなうめき声をあげてネスに抱きついた。
 おお。寝ぼけてる。俺、素面じゃ怖くてあんなことできない。
「っだあああああ! 離れろトリス!!」
 ネスは真っ赤になって身をよじるけど、トリスは離れない。意外と力あるんだよなー、トリスって。普段ならともかく、今は寝ぼけてるから手加減なしだし。ネスの方だって別に本気で振りほどこうなんて思ってやしないだろうし。
「……んもー、ケチぃ」
「そういう問題か!」
 ようやくあきらめたのか、トリスが手を離して不満げに頬をふくらませた。ネスは当然だと言わんばかりに仏頂面してみせたけど、まだ顔が赤いから迫力がない。
「一緒に寝たいっていうなら寝かせてやればいいのにさー」
 そう言うと、ぎっと鋭い視線が返ってきた。だって昔はよく三人で川の字になって寝てたじゃん。大きくなってからはそれぞれの部屋をもらったから、それからはみんな一人で寝てたけどさ。
「んみゅー、じゃあいいもん。マグナと寝るから……」
「あ、そうする?」
「え」
「あら」
 埒があかないと思ったのか、返す言葉もなくわなわなと拳だけ震わせてるネスを無視してトリスがごそごそ布団にもぐりこんでくる。ぎゅっと腰のあたりに抱きついてくるのをやんわりとはがして今まで俺が横たわっていた場所に寝かせてやると、んふふと幸せそうな笑みをもらした。最近寒いから人肌が恋しいんだよな。気持ちはよくわかる。まだ朝早いようだし、俺らが起きてても役にたてることはないし、ここはひとつ二度寝を決め込……
「何言ってる! 同衾なんて論外だぞ論外!」
 一瞬、時間が止まった。
 どうき……
 ……おい。
「ね、ネスティさん……だってマグナさんとトリスさんですよ?」
「んみゅ」
「だいたい何を考えてるんだトリス! 年頃の女性が、寝間着姿で、男のベッドに、も、もぐりこむなんて不謹慎にすぎる! 君には恥じらいというものはないのか!?」
 ないんじゃないの? というか、そもそも俺とトリスは兄妹なんだけど……
 そう言おうかと思ったけど、言ったとたんに矛先が俺に向いてきそうだからやめておく。
「んみゅー」
 トリスもう寝てるし。
「ネス気にしすぎ」
 呆れたように言ってやると、ネスはうっと言葉に詰まって、それでも何か反論しようとは思ったのか口を開きかけ――結局、無言でかぶりを振った。
 だってさ、トリスなのに。俺たち三人、ちっちゃいころから兄弟みたいなもので、まあ最初はネスとかラウル師範とかには打ち解けられなかったけど。でも仲良くなってからはそれこそ朝から晩までずっと一緒にいたのに。トリスなんか風呂あがりになかなか寝間着着たがらなくて、よく下着姿のまんまネスに追いまわされてた。
 今更どうのこうの言われても、正直ピンと来ない。トリスの俺にたいする態度はもちろん、ネスに対してのそれも。
 アメルを見上げると、苦笑が返って来た。
 なんだか部屋が静かになって、音といえばトリスの寝息だけになったから――これ以上話はしないんだろうなと思って、結局俺もトリスにくっついて横になった。
 だから、その後ネスとアメルがどんな会話を交わしたのかは知らないんだ。










 朝食後。例によってつめこめるだけつめこんだ腹はふくれてぱんぱんになって、動くのもつらいくらいだったけど、俺は後片付けを手伝ってからそのままアメルと庭で洗濯物を干していた。
 トリスとか、ケイナとかもね。手伝おうとは言ってくれるんだけど……なにせ手つきが危なっかしいったらありゃしない。却って邪魔になるからうまいこと言って断った。そもそもここんとこ天気がいいおかげで、洗濯物の量自体が少なくてたいした手間にはならない。
「さて、これで終わりですね」
 アメルの満足そうな声と同時にひときわ強い風が吹いて、真っ白になったシーツだのシャツだのが大きく翻った。布の間からこっちを振り向いた笑顔ににこりと笑い返して、縁側にそのまま後ろ向きで倒れこむ。アメルが腕まくりしていた袖を戻しながら近寄ってきた。
「天気いいからきっとすぐ乾きますね」
「んー、だろうね」
 平和だなあ。ずっとこんなんならいいのにって考えがふっと頭をよぎったけど、それが無理だってことはわかってる。顔には出さずに伸びをする。やるべきことがなくなると、今更ながら自分が満腹なんだってことが思い出されて、急に眠気が襲ってきた。あれだけ動いたのに、まだこなれてなかったんだなあ。
「……マグナさん? マグナさん……」
「…………。乾いたら起こして。取りこむの手伝う……」
 わかりました、と聞こえたのか聞こえなかったのか。充分すぎるほど睡眠をとったにも関わらず、意識が闇の中に閉ざされるのには少しの時間もいらなかった。










 俺の目を覚ましたのは、いつものような優しい声ではなく、かといって怒鳴り声でもなく。どこまでも紅く紅く輝く夕日の光だった。
 ……夕日の。
「うっそ!?」
 まさか俺があんまり気持ち良さそうに寝てるから起こさなかったとか!?
 アメルならあり得る。思わず身を起こすと、変わらず翻るシーツが見えて心持ち落ちついた。
 あれからどうなったんだろう。ずいぶん時間がたったことに間違いはないみたいだけど……
「……うーん」
 すぐそばから可愛らしいうめき声が聞こえて、俺はぎくりとした心臓を無理やりなだめてそろそろと声のしたほうを見下ろした。
 ……寝てる。どうやらアメルも手持ち無沙汰でぼうっとしているうちに寝入ってしまったらしい。
 気持ち良さそうだなあ。そろそろと顔を近づけても、気づかない。規則正しい寝息が続く。
 初めて会ったときも可愛いなって思ったけど、こうして近くで見ると改めてそう感じる。髪と同じ色のまつげが呼吸に合わせてときどき揺れる。肌は雪みたいに白いのに、ほっぺただけアルサックのはなびらを落としたみたいにほんのり染まってやわらかそうな色してる。薄く開いた唇からちっちゃなちっちゃな歯がのぞいてて、なんだか……

 触れてみたく、なる。

「………………やば」
 俺は知らずに口許を手で覆っていた。顔が熱い。きっと真っ赤になってる。鏡がないから確かめようはないけど、夕日に照らされてるからごまかしようはあるんだろうけど、それでも。
 がた、と勝手口の扉が鳴った。
「っ!」
 慌てて立ちあがり、未だ干したままの洗濯物に突進する。仕事中と見れば話しかけずに戻っていってくれるかもしれない。
「……マグナ?」
 現れたのは、ネスだった。俺の淡く可愛らしい期待は打ち破られたわけだ。ネスが俺を見て何も言わずに去っていくなんて、あり得ない。手伝ってくれる気でいるんだろう、「まだ取りこんでないのか」なんて言いながら近づいてくる。
 ううう、手伝ってくれるのはありがたいけどどうか気づかれませんように……
 祈るような気持ちでそんなことを考えて、ふと朝のネスの顔を思いだした。
 もしかして。
 ネスも、トリスに?
「なんだ?」
 まじまじとみつめたら、怪訝そうな表情をされてしまったけど。それさえもおもしろくて、俺は盛大に吹き出した。
「あ、あはははっ!」
「な、なんだ!? 何がおかしいんだ?」
 なんだ。そういうことか。
 なんだ。



 俺が涙まで浮かべて笑ってたのがよほど不思議だったらしくて、ネスは仕事が終わった後もしつこくしつこくたずねてきたけれど。
 結局笑ってた理由は教えなかった。






 今までちっともわからなくて、不思議で不思議でしょうがなかったんだけれど。
 やっとわかったよ。
 俺も少しはネスに近づいてるんだろうか。年はひとつしか違わないのに、永遠に何もかもかなわないと思いこんでた兄弟子に、近づいてるんだろうか。

 あの子に、出会ったことで。







--END.




|| INDEX ||


あとがき。
何故にマグナ一人称か。
……何故だろう?(首傾げ)
なんか寒い気がするんですが。いー年こいた女が思春期の少年(もう青年か?)の一人称書くって…
ま、いっか。
とにかく書きたかったのは、自分の気持ちを自覚すると同時にネスティの気持ちも理解するマグナ。
でした。
「だってトリスなのに」なんですよ。マグナの頭の中では(トリスもだけど)。
寝間着で布団にもぐりこんでこようが、薄着してその辺歩いてようが、トリスだから。
動揺も何も感じないわけですお兄ちゃん。で、ネスティも自分と同じだろうと思ってるのよねー。
でも同じようなことアメルにやられたら必要以上にどきどきしちゃって、それでようやくわかるの。
ネスティにとってはトリスは妹ではなくて、ひとりの女の子なんだなということに。

ところでこれ、時期はいつなのか…
とりあえず15話にはいってないです。アメルまだマグトリを「さん」づけしておるからね。
縁側があるあたり、モーリンのおうちとかかもしれませんが…もう筋うろ覚えだから(殴)

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