木々を渡る想いの風を





 吹き過ぎる風が、さわさわと葉ずれの音を連れてやってくる。
 空を舞う小鳥のさえずりに混じって、枝から枝へと飛び移る栗鼠の足音まで聞こえる。
 それら雄弁な森の気配と、穏やかな沈黙。初夏特有の爽やかな空気が支配する木陰で、彼らはのんびりと手を動かしていた。
 と。

 どすばたん!

 丸太を組んで建てられた小屋の奥で、くぐもった音がした。
 ああ、転んだな。ふと思う。となると、次に聞こえてくる音と起こるべき事態は決まっている。
 ――――ばたばたばたばた……
 騒がしい足音がだんだんと近づいてくる。そう長い廊下でもないはずなのにやけに回数が多いような気がするのは、彼女が慌てているからなのだろうか。
 昇ってきた笑みをかみ殺しながら顔を上げると、はしばみ色の瞳と視線が合った。目を細め、示し合わせたかのように二人そろって同じ方向を見やる。
 ばたん! 派手な音と共に扉が開き、中から紫紺と白の塊が飛び出してくる。
「ネスはっ!?」
 案の定現れた少女――いや、すでに女性と呼ぶべき年齢にまで成長している双子の妹トリスの、あまりにも予想通りの台詞と慌てぶりに、マグナはとうとう耐え切れなくなってはじけたように笑い出した。
「あ、あははははっ!」
「マグナったら。そこは笑うところじゃないでしょう?」
 たしなめるはしばみの瞳の主、アメルが眉をひそめる。自分だって目は笑っているくせにと思いながらも、マグナはこみ上げてくる笑いを収めることができずにひゅうひゅう息を洩らしながら言い返した。
「だってさ、俺はやめとけばって言ったんだよ? それなのにネスの奴が」
「ネスがどうかしたの? どっか行っちゃったの……?」
 さっきまでハサハと三人でお昼寝してたはずなのに、どこにもいないの。
 そう言うが早いかトリスは不安にとらわれてふえぇ、と泣き出しかけた。その彼女の背後では、未だ寝ぼけ眼だったはずのハサハまでも瞳を潤ませ始めている。アメルは慌てて腰を浮かせかけ――はっと気づいて座りなおし、かぶりを振った。
「あああ、違うんです、違うのトリス。ネスティさっき起きてきて、何か手伝うことはないかって言ったから……水汲みを頼んだの。今日はたくさんお料理を作らないといけないから、水も汲んできてあるぶんだけじゃ足りないかと思って」
「だけどさー、トリスまだ寝てただろ? 起きたときに近くにいなかったら泣き出すんじゃないかって、俺言ったんだけど。泉は近いんだから問題ないっつってさっさと――あ、おいトリス!」
「あたしも行ってくる!」
 トリスは傍らに置かれた桶をひっつかむなり、飛ぶように駆けていった。置いてけぼりをくらったハサハはしばらく目を白黒させていたが、アメルが手招きするといそいそと寄っていって、隣にちょこんと腰掛けた。そのまま、籠の中のじゃがいもを覗きこむ。
「……………………おいも……」
「ええ、そうですよ」
 アメルはにっこり微笑んでうなずいた。
 二巡りの季節を挟んで彼女とネスティが帰還してから、今日でだいたい一月になる。約束していた北への旅立ちに踏み切るにはまだ二人の身体が心配だと、そう言い張るマグナとトリスに従って、レシィとハサハを含む六名は未だ大樹の陰のちいさな小屋に暮らしていた。
 そろそろ旅立ってもいいのではないか、そうつぶやいたのはアメルだったかネスティだったか。とにもかくにも、一度旅立ってしまえばしばらくは会えないだろうからということで今夜はまたかつての仲間たちが集まる算段になっているのだ。
 おそらく、料理(と酒)はいくらあっても多すぎるということはあるまい。そんなわけで幾種類もの料理を大量に準備することの苦労を慮って、マグナも手伝いを申し出たのだったが。
「…………おにいちゃんも……じょうず……」
 するすると籠の中に落ちてゆくにんじんの皮を、向かい側からハサハが興味深そうに眺める。彼は何を思ったか、おかしそうに肩をふるわせた。
「マグナ?」
「いや、トリスが水汲みってある意味ぴったりの役どころだよなあ」
 トリスに包丁持たせると危なっかしくて見てらんないんだよ。くつくつと声を押し殺して笑う彼に自身もくすりと笑みを洩らして、アメルはトリスが駆け去った方向を見やった。
「ネスティが出たのはかなり前ですよね。トリス、道の途中で会っちゃうんじゃないかしら」
「だろうね」
 手元をみおろしたままマグナがうなずく。
「トリスもなあ……ネス自身が側にいるってちゃんと約束したんだから、あそこまで神経質にならなくてもいいと思うんだけど」
「あら」
 そのまま適当な相槌が返ってくるとばかり思っていた彼は、アメルの声に何か含みを感じて顔を上げた。
「何?」
「マグナ、人のこと言えた立場ですか?」
「…………」
 いたずらっぽい光の宿った瞳に、思わずぎくりとする。
「…………バレてた?」
 なんだかんだと口実をもうけて、近くにいたこと。
「ええ」
「なんで?」
「だって、マグナが一番力があるもの。ネスティが起きてきたとき、あたしはてっきりあなたが水汲みに行くって言い出すかと思ってたんですけど」
「まいったな」
 マグナは苦笑して包丁を置き、濡れたままの手で頭をがしがし掻いた。
「まだ不安ですか?」
 そう言って小首をかしげるアメルにひらひら手を振ってみせてから空を見上げる。さわさわと、木々の間を渡る風。生命力に満ち溢れた、けれど静謐な空間と耳に心地よい彼女の声。
 それらをひとしきり感じてから、マグナは顔の向きを戻してゆっくりと首を振った。
「不安……とは、ちょっと違うと思うんだ。別にそういうわけじゃなくて、たぶん、あいつも同じなんだと思うけど」
 ただ感じていたいだけだ。この、やすらぎを。
 二人が帰ってきてくれたとき、安堵と喜びとともに同時に抱えた想いは。

 これが夢だったらどうしよう、と。

 もちろん今ではこれがまぎれもない現実だということはわかっているのだけれど。
 アメルは穏やかな瞳で笑っている。つられて彼も微笑んだ。




 ふと、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。
 見ればトリスが片手に桶を下げて、もう片方の手をぶんぶん振っている。後ろに続くレシィは笑顔、ネスティは仏頂面。唯一両手に桶を下げている彼の、けれど左手はやけに軽そうだ。
 やはりトリスは帰ってくる途中の彼らと行き合わせたらしい。両方とも自分が持つからと言ったネスティを押し切って、彼女も水の入った重い桶を持つことにしたのだろう。ネスティが照れたような怒ったような微妙な表情でいるのは、だからなのだろう。
 そのひと悶着のありさまが容易に想像できて、マグナはにやつきながらトリスに近づいて桶を受け取った。そのままの顔でネスティに「ごくろうさん」と声をかけると、憮然とした彼に軽く小突かれた。トリスとレシィが声をあげて笑う。



 木々の間を渡ってゆく風にも、笑い声は流れて運ばれて遠くまで届くのだろうか。
 この、想いと共に。







--END.




|| INDEX ||


あとがき。
うわーい(何)
私はマグアメスキーかもしれないとどこぞでつぶやきつつ、それがこれで現実になった感じです(笑)
いやー、ネストリも大好きなんだけどもうサイトさんが多いので。
しかもすばらしすぎる小説を先に読んでしまうと後から私なんぞが書くこともあるまいと思ってしまって。
で、マグナ視点マグアメベースのネストリエッセンスと相成りましたv
個人的にこの四人、セットだとすごく書きやすいのですが。
いいじゃないかマグナとトリスは双子でさー!(笑)
ああもう大好きだよ二人とも!(ていうか全員)ラーブ!

護衛獣はマグナにハサハ、トリスにレシィです。異性兄弟ちっくな感じがよろし。
ちなみに題名と中身あんまり関係ありません(笑)