自らの心に正直に向き合い、進んでいこう。
 あの日、ぬぐえない諦観をもてあましながらも強く強く想った、ただひとつの願い。

 たとえ、愚かものよと嘲笑われようとも。



00.愚者





 マグナは信じられない思いで黒い瞳をみつめた。
「……よく聞こえなかったんだけど、今の」
 即座にそらされたと視線を追っても、映るのは木の床だ。
 追いつめられたゆえの衝動だとわかってはいても、その口から飛び出した言葉だとは認めたくない。
 唯一の味方だと思っていた。いや、今もそう思っている。口ではあれこれうるさく言いながらも、結局彼は自分たちの美点も欠点も知り尽くした上でそばにいてくれているのだ。態度も科白も散々で、でもその冷たい仮面をひとたび取り去ってみれば、現れるのは繊細で優しい一人の青年で。だからこそ頼りに思い、慕ってきた。
 それなのに。
「かかわらなければよかったのに、と言ったんだ」
 つむがれる声はあくまで冷たい。酷なことを言っているという自覚はあるのだろう。決してこちらを見ない瞳は、床に固定されたまま。にぎりしめた拳はかすかに震えて、心なしか血の気が引いているようにも見える。
「かかわらなければ……そうすれば、こんな状態に追い込まれることもなかった。順調にいっていれば、今頃はファナンで船にのる算段でもしているところだったんだ。それを」
「ネス、それは」
 仮定の話などしても仕方がない。マグナにしてみれば、初めからすんなりことが運ぶとは思っていなかった部分もあるし、なによりもレルムの村に行くことを承知したのは最終的にはネスティ――目の前のこの、兄弟子なのだ。
「……今からでも遅くはない……」
「いっ、イヤだからなっ!」
 ネスティの言葉を遮り、マグナは大声で怒鳴った。
「俺は嫌だからなっ! 成り行きだろうがなんだろうが、アメルをあんな奴らに渡すなんて絶対にダメだ!」
「現実を見ろ、マグナ。寒村とはいえ、集落ひとつを一晩で壊滅させてしまえるほどの相手に、君がいったい何をできる? 彼女一人のために、これからどれだけの犠牲を払えばいいというんだ。どれだけの人間を巻き込むと思っている。これは君一人のわがままで決められるようなレベルの話ではないんだぞ」
 理屈で言いくるめようとしてくるその姿勢が、ひどく憎らしかった。くらくらする頭を片手で支え、気を奮いたたせる。
 確かにそうなのかもしれない。冷静な部分は兄弟子の言葉に同意する。所詮アメルはなんの後ろ盾もない村娘だ。癒しの奇跡を行使できるにしても、それがなんだというのだろう。貴族や派閥を動かすだけの力になるとは、到底思えない。対して自分はやはりたいした力量のない召喚師だから。ごろつき程度をあしらえるほどの力など、なんの役にもたちはしない。
 いつか追いつめられ、命もろともに奪われ、そうして終わる。
 終わりがすぐには来なくても、追われる恐怖は確実に神経をすり減らしてゆくだろう。
 ……けれど。
 けれど。
 疲れた笑顔が頭の隅をよぎる。
 あんなめにあいながら、それでも周囲への気遣いを忘れない少女。悲しみに瞳を曇らせることはあっても、憎しみで瞳をにごらせることはない。暗い想いだけに囚われることなく、少しでもきれいなものを探して必死に前を向こうとする横顔を、見失ってしまうのは。
「………………やっぱり嫌だ」
 マグナは低くつぶやくと、力をこめてネスティの瞳をにらみつけた。
「ネスは、ネスのやりたいようにやればいい。俺は、俺の……したいようにするだけだよ。誰がなんて言ったって、認めない」
 すばやく踵を返し、わざと足音を高くしながら部屋を出る。最後に焼きついた兄弟子の残像がなんだか脆そうに見えたのは、なんのことはない、きっと錯覚だ。






 反抗期。
 一番最初に脳裏に閃いた単語に、我ながら馬鹿らしくなって苦笑する。
「そんなわけないだろう……何を考えてるんだ、僕は」
 紫紺の瞳に宿った意志の強さは、相当なものだった。いつも小言から逃げ回り、怒鳴りつければ仔犬のように縮こまっていたあのころから、そんなに時間が経っていただろうか。
 わかっている。馬鹿なことを言ったのは自分のほうだ。売り言葉に買い言葉で、即座に撤回して謝ることができなかった。
 反発されるだろうとは、わかっていたのだ。言ってしまってから、しくじったと思った。
 確かにあの夜から、いつも胸の中に抱いていた思い。けれど、決して誰にも見せられないと決めていた思い。たとえば――そう、たとえばフォルテなら、驚きはしても怒りだすことはせず、こちらの理屈にももっともらしく対抗して諌めてくれるのだろう。けれどマグナは違う。同じ年頃の青年よりよほどたくさんのものを見知っているくせに、妙に潔癖で。そして、変に融通がきかない。
 ネスティは軽く息を吐いて、ずっと持っていた本を棚に戻した。そうして椅子にかけていたマントを羽織ったところで、ようやく戸口のところにいる人影に気づいた。
 一瞬、思考が止まる。
「トリス……」
 聞かれたのだろうか。どこから? ざわざわと騒ぎ出す胸を必死で静めながら、何気ない風を装って数歩進み出る。少女は黙ったまま、いつ身につけたともしれないやけに偉そうな態度で、肩をそびやかして立っていた。
「いたなら声をかけてくれ。びっくりするだろう」
「ネスってば人のことバカだバカだって言えないよね……」
 別段腹をたてているわけではないらしい。しかしそれを抜きにしても、呆れたとでも言わんばかりの口調に神経を逆なでされたような気がした。
「用がないなら一人にしてくれないか。僕はまだ調べ物が残っているんだ」
「もう終わる気でいたくせに、何言ってんのよ」
 間髪いれずにつっこまれて顔をしかめる。
「トリス……」
「あんな言いかたしたら怒るってことくらいわかってたんでしょ? あたしだって、あたしがマグナだったら何言ってたかわかんないもの。……まあ外野だったから冷静に観察できたんだけどさ」
 やはり聞いていたのか。彼は眉をひそめて妹弟子を見下ろした。どうせトリスの出す結論も予測できている。いや、予測どころかひとつの選択肢しか選ばないことは確実にわかっているのだが。兄妹そろって強情なことだと、笑いたいような気持ちまでこみ上げてくる。
「聞いていたならわかるだろう? 言っておくが、あれは紛うことなき僕の本心だ」
 アメルを見捨てたくない、というのも本心ではあるのだ。その清らかさが鼻につくこともあるけれど、彼女はごく普通の、善良な娘だ。本来ならば理不尽に幸せを奪われるようなことはあってはならないはず。
 ……けれど、ネスティは彼女に対して弟妹弟子に抱いているほどの思い入れも義理もない。そうして優先させるべきものを選んだ結果が、結局は、こうなる。
「僕らの力などたかがしれている。フォルテやケイナも腕はたつが、それだけだ」
「不安なんだって正直に言っちゃえばいいんじゃないの?」
 鋭く切り込まれて彼は息をつめた。いつのまにか近寄ってきていた少女の瞳が、ランプの炎を映してゆらゆらと揺れる。そういえば催眠術には揺れる炎やコインを使うのだったかなどと、埒もないことを唐突に思い出して落ち着かない気分になった。
「誰が……」
「ネスが」
 取り繕うことすら忘れて視線をあちこちに彷徨わせる。薄暗い部屋は書庫特有のにおいに満ちて、かび臭い。年に一度は虫干ししてるのよとは年長の女性召喚師の言だったが、この有様では怪しいものだ。
 トリスは気もそぞろな様子の兄弟子に鼻を鳴らして、テーブルに手を着いた。ずいと身を乗り出せば、そのぶんだけ引いてゆく。気づかないふりでずいずいと追い詰めながら、彼女は畳み掛けるように繰り返した。
「不安なんだって言っちゃえばいいじゃない。あたしたちを守れるのかどうか怖くてたまんないんだって。ネスにとってマグナはいつまでも弟なのかもしれないけどさ、あたしたちひとつしか違わないんだよ? マグナもあたしも、大人になったんだよ。ひとりでなんでもできるなんて、そんなことは言うつもりはないけど、でも子どものころとは、もう違うんだよ」
 守られるだけではなく、守りたいと。
 おのれの罪におののいていた双子は、そう言えるだけの強さを身につけたのだから。だから信用してみないかと。
 ネスティは深く息を吸い、背筋を伸ばした。まさか見抜かれるとは思っていなかった。子ども扱いしていたつもりは毛頭ない。成長するにつれて、備えた力量と器に見合った態度で接してきたつもりだったのだけれど。
 なんだかんだで、いつまでもこだわっていたのは自分だけだということなのだろうか。気を張って、無理に突っ張って、勝手につぶれそうになって。
 ふっと力を抜くと、不思議なほど気が楽になって、自然彼は笑みを浮かべた。
「……マグナと話してくるよ」
「うん」
 袋小路に迷い込んだような気がして、一人あせっていたけれど。
 顔を上げてみれば、道はちゃんと目の前につながっていたのだ。






「なんだよ、なんだよ、なんだよ……っ!」
 むかむかする胃を無意識に押さえながら、ひたすらに階段を駆け上る。高所にあるテラスは、けれど彼の足にかかればものの数十秒でやってきてしまえる場所だった。
 頭上に広がるのは青空。緑の多い高級住宅街には、野鳥も頻繁に飛んでくる。
 ああ、あんな平和そうにさえずってる鳥まで憎たらしくなってくるなんて俺ってば。
 日没が近づき、少しだけ冷たくなり始めた風に吹かれながらマグナは肩を落とした。とりあえずテラスの端っこで、派閥本部に向かって“ネスのばかやろー!!”とでも叫んでやろうと思っていたのだが。いざ来てみれば、なんだかその気も萎えてしまった。
 心配してくれているのはわかっているのだ。過剰な兄弟子心が引き出した発言だと思えば許せないこともない。……たぶん。
 それでも感情は止まらなかった。いつも正しいことだけを冷静に口にする兄貴分から、あんな言葉が飛び出すなんて。もっぱら怠惰が原因で反発し続けていた今までとはあまりに違っていて、それが悔しくて悲しかった。
 なんだか鼻がつまってきたような気がする。悔し涙なんて子供のころ以来だ。このままおもいきり泣いてみるのもいいのかもしれない、と思ったとき。
 背後からかけられた声にそれらは一瞬で引っ込んだ。
「…………マグナさん? どうかしたんですか」
「あ、アメルっ」
 ぱっと振り返り、笑顔を作る。出会ったころに比べると少しだけやせただろうか。長い栗色の髪も、心なしか艶がないように見える。それでもその表情だけは邪気がなく、ただ純粋に疑問だけを宿していて、彼はなんだか救われたような心地になった。
「あ、あはは、なんでもないなんでもない。ちょっと高いとこに行きたくなってさ」
「そうですか? ……ならいいんですけど……」
 アメルは癒しの奇跡を行使する際に、望むと望まざるにかかわらず相手の心まで読み取ってしまう。もしかしたら触れるだけで流れ込むものがあるのかもしれないと、けれどそれでもかまわないと、そう内心でつぶやいて、マグナは隣にたたずむ彼女の手をとった。
「俺さ、派閥を出るときに決めたんだ」
 そう、決めたのだ。さまざまな感情が渦巻く派閥の中で育ち、蔑まれ同時に恐れられ、自分を殺して振舞っていた時期もあった。選択肢など最初から存在せず、ただ言われるがままに召喚の業を身につけ、力の制御の仕方を叩き込まれた。
 誰も恨んではいない。魔力の使い方を教えてもらえたという点では、感謝すらしている。嫌いな人はいたけれど、殺したいほど憎いと思う相手もいなかった。
 ただ、ときどき生きているのか死んでいるのかわからないなと、自嘲気味に考えることすらあったから。
 突然目の前に開けた自由に戸惑いさえした。
 けれどすぐに気づいたのだ。実質追放と同等だと言われても、自由とは選択肢が無数に存在しているということ。すべてを自分で選び、自分で決められるということ。
 その際負うことになる責任も、むしろ望むところだった。
 決めたのだ。
 自分の心にだけは、嘘をつかずにおこうと。
 そうしてまっすぐ前を見て、胸を張って進んでいこうと。
 マグナは空を見上げたまま手に力をこめた。
「俺は君を守るよ、アメル。君のことが好きだから、君をちゃんと守りたい。……力が足りなくても、絶対にどうにかするから」
「……はい。頼りにしてます」
 握り返す指の感触に、少しだけ笑う。




 たとえ、愚かものよと嘲笑われようとも。









--END.




|| INDEX ||


あとがき
ネス話なのかマグナ話なのか。よくわからん。
とりあえず結論としてはみんな愚者です。それでおっけえさ!(おい)
だって馬鹿じゃん。愛すべき馬鹿じゃん。
確かゲームではネスティはそれらしいことを一瞬言うだけですぐアメル擁護に転じてくれていた記憶はあるんですけどね。
トリスもいるもんでちょっと事態を複雑にしてみましたのことよ。
ネスも複雑な人だからなあ…(笑)
ちなみ、マグナの「君が好きだから」に深い意味はありません。アメルも承知しております。
好きは好きだけど、なんていうか子どもの好きというか。だって序盤だし。
マグナ→アメルは一目ぼれ説推奨ですが、本人に自覚はまったくありません。うわーい(笑)

(2004.10.15)