身体中のどこもかしこも、ふわふわやわらかいものに包まれてて。
 大好きな女の子に触れてもらうなんて願ったりかなったりの状況にありながら、でも意識はちょっとばかり遠くのほうに飛んでたりして。
 これを幸せと言わずして、なんて言うんだよ?




07.なんだか幸せ





「……ナ。マグナ、起きてください」
 繊細な指先が、優しく髪を梳く。今まで一定だった動きが急に変化したからだろうか、俺は自分で思ってたよりも簡単にまどろみの中から戻ってこられた。
 ぱっとまぶたを開いて視線をめぐらせる。
 まだ陽は高い。南向きに大きくとられた窓からは、レースのカーテン越しにもはっきりわかるくらいに陽光が差し込んできていて、部屋の中を明るく照らし出している。はす向かいのソファには俺の護衛獣であるちいさなハサハが座って、手に持ったカップの湯気をすかしてこちらを見ていた。思わずにへら、と笑ってみせる。
 にこ、と控えめな微笑が返ってきたのを目の端で確認してから、俺は改めて首を回して呼び戻してくれた声の主を見上げた。
 ……動くと頭の下がやわらかくて気持ちいい。いや、やましい意味じゃなくて。……たぶん。
 ふっと暗くなる。下を向いたのにあわせて、長い髪が背中から流れてきたからだ。さらさらこぼれ落ちる栗色の、外側は光を弾いて輝いてるのに、内側は古木の幹みたいに落ちついた色をしている。
「アメル。ごめん、寝ちゃってたみたいだ」
「そうみたいですね。ぴくりとも動かないから、少しだけ心配になっちゃいましたけど」
 この角度から見上げるってのもまた格別だなあ。いつもはどうしても見下ろす形になっちゃうし。それでなきゃ、座って並んでるとかさ。
 今みたいに膝枕してもらうって、状況自体があんまりないから。手をつなぐとかはけっこうしてるけど、それとはまた違う幸福感がある。
 なんだかしみじみしていると、アメルが軽く俺の肩を叩いた。
「さ、こっちは終わりです。今度は反対側の耳を上にしてください」
 今度は寝ないでくださいね。
 言われて苦笑する。いや、俺もべつに寝るつもりはなかったんだけどね。気持ちよかったからついつい。また同じことにならないって保証はないよなあ。
「……寝ちゃってもいいといえばいいんですけど……寝ぼけて急に動いたら危ないでしょう? いくら後で治せるからって、痛いものは痛いんですから」
 うん、まあね。
 痛いのは嫌だよ。それになにより、俺が傷を作ると、アメルやハサハのほうが痛そうな顔するし。可愛い恋人(のつもり)と妹分にそんな顔させるのは忍びないよな。
 二人して立ち上がって、場所を入れ替える。このソファ、そんなに大きくないから。右の端っこに座ってたアメルが今度は左端に来て膝をそろえる。ごそごそ頭を動かしていい具合の場所をみつけると、そろそろとちいさな手が動き始めた。
 じっとしてなきゃいけないけど、眠るのもあんまりいただけないっていうんなら。
 やっぱりおしゃべりしかないだろ。
 そう思った瞬間、ちょうどハサハと目が合った。大きなほうの耳がぴくぴく動いてる。ず、とひかえめな音をたててすすってるのはシオンの大将が持ってきてくれたシルターンのお茶で、緑茶というらしい。……って、なんでコーヒーカップに入ってるんだ。ユノミ、とかいうのも一緒に箱に入れてあったはずなのに。なんかすんごい違和感あるぞ。
「マグナが終わったら、ハサハちゃんのお耳も掃除しましょうか」
 手を止めることもなく、アメルが提案する。にっこり笑ったのが気配でわかった。あー、いいかも。人間型の耳のほうはともかく、狐のほう大きいしね。病気とかその他もろもろ、気をつけてやったほうがいいよなあ、確かに。ああ、もしかして俺ダメな主人なのかも。
「それとも俺がやろうか?」
 片手をあげると、ハサハはかすかに眉根をよせた。
 ……困ってる顔だな、これは。おとなしくって表情にもあまり変化がないハサハだけど、何年も一緒にいればそのくらいはすぐにわかる。
 俺になついてくれてるけど、アメルのこともやっぱり好きらしくって。ちょこちょこ後ついてく背中が雛鳥みたいなんだ。この子にとっちゃあ、究極の選択ってことになるんだろうか。
 おもしろい気分でしばらく観察してみる。
 あ、耳動いた。
 口の端ちょっとひくひくしてる。
 拳を握って、開いて。
 ……まだ結論は出ないらしい。
「……じゃあ半分ずつ、とか?」
 一瞬で表情が明るくなって、ハサハは何度もうなずいた。
「そうね。じゃあ、そうしましょう」
 にこにこ、にこにこ。落ちついたのか、テーブルに置いたままだったカップをもう一度手にとる。けっこう苦いお茶を飲んでも笑い顔は変わらなくて、ご機嫌なんだなって一目で知れる。
 あー、かわいーなあ。世間一般でイメージしてる妹の姿ってのはこんな感じなのかなあ。
 ふと実の妹の顔が浮かんだ。いや、あいつも可愛いっちゃ可愛いんだけど。ときどきは、ものすごく。
 でも普段男前だから……なんというか、妹というより弟のような気がしてくる。
 ……とかなんとか本人の前で口にしようものなら、鉄拳が飛んでくるのは間違いないけど。
 んー、でもやっぱりハサハは無口だから終始しゃべってるってわけにはいかないもんだなあ。しばらく口をつぐんで、ぼーっと部屋の中を見回してみる。
 白い壁紙に、薄緑と茶を基調にした家具群。必要最低限だけで決して数は多くないけれど、上質なものばかりだ。
 この家は……というより、屋敷と形容したほうがいいのかもしれないんだけど、ともかくこの家は、大樹の森から帰ってきた直後、クレスメントの家名とともに派閥から与えられたものだ。最初は必要ない、どうしてもっていうなら一般住宅街にちいさな家をもらえないかって交渉したけれど、却下されてしまった。こっちがそう思ってなくても、向こうは召喚師は貴族だと思ってるからって。余計な摩擦や気苦労を増やすよりは、最初から割りきって召喚師の街に溶け込むほうが楽だろうって、言われた。俺たちはうなずくしかなかった。
 とはいっても、師範たちの気遣いは見て取れる。立地は高級住宅街だけど端っこに――劇場前通りの商店街が見える――位置してるし。建物もそうおおげさなものじゃない。ある程度の金持ちならこれより立派な家を建てるかもしれない。
 派閥の寮を出て以来あちこちに厄介になっていた俺たちだったけど、帰れる場所がまた一箇所増えたってわけだ。それはきっと悪くないことで。
 トントン。
 ………………。
 ……んっ?
 トントン。
 ……聞き間違いじゃ、ないみたいだな。
「どーうぞー」
 応じると、誰かが入ってきた。個室ならともかく、ここは居間兼応接間なんだから、ノックなんかしなくてもいいのに。まあその時点で誰が入ってくるか丸わかりなあたり、便利なのかもしれないけど。あー、もしかしてこの部屋に扉なんかついてるからノックしたくなるのかも。先輩の家の応接間じゃそんなことしてなかった、確か。
 つらつら考えていると、人影はまっすぐに部屋を横切って俺の正面にやってきた。
「…………何をやっているんだ?」
「なにって、耳かきです」
「それは見ればわかる。わかるんだが……」
 入ってきた、保護者のようでいて兄弟子兼友人兼家族もしくは将来義理の弟(?)かもしれないその人は、珍しいものを見るようにこちらを見下ろしてくださっている。
 いや、そこまであっけに取られなくてもいいと思いますが。俺としては。
「しかし、人にやってもらわなくても自分でできるだろう? もう子どもじゃないんだぞ」
 それはおっしゃるとおりなんだけどさー。でもわかってないよな、ネス。
「いや、これは俺的幸せ家族計画だから」
「は?」
「この後ハサハの耳かきを二人がかりでやる予定」
 ネスは無言で額に手を当てた。
 来るぞ。来るぞ。
「…………君はバカか?」
 ……ほら来た。
「はははーだ、うらやましくても代わってやんないからな」
「要らん!」
 うん、要らないだろうけど。
 だいたい、今更バカだのアホだの言われたってちっともこたえないもんね。ネスのそれは愛情表現の一種だってこと。いや、本気で呆れられてるんだけど。それでもさ。
 やけに長いため息はあてつけなのか、それともほんとに長くなっちゃったのか。とにかく思いっきり息を吐き出すと、ネスは姿勢を正してメガネのズレを直した。
「……仕方ないな。派閥にきみを連れていくのはあきらめるとしよう」
「ああ、エクスに呼ばれてた件?」
「きみもわきまえていないんだか大物なんだかよくわからないな」
 思わず呼び捨てにしてしまった総帥の名を拾って、白い頬が苦笑する。
 だって普通にしてていいって言われたし。それならそれでいいんじゃないかなって思ったんだ。誰も対等に扱ってくれる人がいないのなら、せめて俺たちだけでもって。
 そういえば、頼みたいことがあるって手紙もらってたんだよな。それで俺たちを探してたのか。
「トリスなら大丈夫だと思うぜ? さっきからネスのこと探してるはずだし」
「僕を? 何故」
「さっきここ来て、"ネスどこかな"って言って去っていったから」
「……ちょっと待ってくれ。それはもしかして……」
 あ、汗。ふつふつ出てきたのは冷や汗……か? 唇もちょこっとひくひくしてるし、頭を振りながら手を前に出して後ずさりするさまはなんだか……おかしい。
「いいじゃん、一緒に行ってくれば。そんで、後で耳かきしてやれば」
「するかっ! もういい、僕一人で行く!」
 叫ぶが早いか、ネスはいつもよりも数倍早いスピードで居間を出て行った。照れも混じってるからだろう、足音が高い。どうでもいいけどあの顔のまんまで行く気かな。ほっぺた真っ赤になってたけど。
 ま、ネスの問題だしね。俺は気にしなーい。
「嵐みたいでしたねえ」
 くすくす笑い声が降ってきて、俺は顔を上に向けた。
 確かに。いつもなら、嵐だのつむじ風だのって形容されるのはトリスなのに。珍しいこともあるもんだ。
「終わった?」
「ええ、終わりました。でも」
 ハサハちゃんは待ちきれなかったみたいです。
 指差す方向を、頭を動かさずに無理やりみやる。
 ハサハは普段から静かだけど、寝てるときはもっともっと静かだ。いびきもかかない、寝言もときどきしか言わない。それもささやくみたいなちっちゃな声だから、隣に寝ていたって気がつかないことがある。
 そうか。寝ちゃったのかあ。しかもあの騒ぎでも起きなかったってことは、眠りは深いみたいだな。
「……俺もまた眠くなってきた……」
 言いながら、手を伸ばす。額を、頬をそっと指先でなでて、さらりとからまる髪の感触を楽しむ。ほんとにまっすぐでやわらかいんだよな。おもしろい。
 少し力を入れると、ちいさな顔は簡単に降りてきた。さらさらさらさら、紗のカーテンみたいに顔の周りを覆われて、暗くなるけど不自由はない。はしばみの瞳が長いまつげの中にゆっくり隠れていって。
 あたたかな桜色を、唇でついばんだ。






 はっきりしない意識の中で、肩に心地いい重みを感じる。
 これを幸せと言わずして、なんと表現するんだろう。








--END.




|| INDEX ||


あとがき?
バカ全開(爆笑)
いや、でも書いててすんごい幸せだったんですけど。すんごい。
膝枕耳かきって幸せですよねえ。バカップルの代名詞にもなり得るくらい幸せじゃ。
この後ネスティさんは3番外編につながる依頼を持ってかえってきます。
はてさて、トリスは野望を果たせたんだろうか?(笑)
いちゃつくだけの話書いたのひさしぶり。
そして場面移行なしでこんな長いのもひさしぶり。

(2004.09.19)