トリス・クレスメント二十歳。
現在正座中。
……そうです、お説教くらってるんです……
とげぬき
さて、正座するように言われておとなしく座ってから、だいたい十分くらいが経つ。
慣れてない人だとこのくらいの時間でも、救いようのないくらいに足がしびれちゃうらしいけど、もちろんあたしは全然平気。だって、昔っからお説教くらうときには正座させられるもんだって相場が決まってるものね。
寝坊したり、授業をさぼったり。課題提出の期限を破ったり、はたまた派閥から脱走しようとしてみたり。叱られる要素に事欠かなかったあたしだけど、そのおかげなのかずっと正座しとくっていう苦行に関しての耐性はついた。
……いやさ、いばれることじゃないのはわかってるんだけど。けーどさー、いつもみたいにガミガミ言われるならともかく、正面でじっと黙ってるだけなんだもの。反論しようにもネタがないんじゃ、他のこと考えてるしかないじゃない。隣に座ってるネスはどうなんだろう。横目ででも見られたらいいんだけど、下手なことして見咎められたら、お説教長くなりそうだから嫌なんだよね。
そう、なんと今回は。あたしとネスの二人が怒られてるんだなあ。
正面にはマグナ。いつものほほんと緩んでる顔は、今は厳しく引き締められてる。こうしてみると男前に見えないこともないのよね、お姉ちゃんは嬉しいわ。いやいやマグナは自分がお兄ちゃんだって主張するし、他の人に説明するときはあたしもそう言うようにしてるけど、でも双子だしねえ。日が違うならともかく、たぶんお母さんのお腹の中にできたのは同じときだもの。だからいいのよどっちが上でどっちが下でも。
とと。えーと、要するに、今の状況を端的に説明するとすればね。ものすごく珍しいことにマグナとネスの立場が逆転してるという。
ふとちいさなちいさなため息が聞こえて、あたしは意識を顔ごと右方向に向けた。想像してたとおりの神妙な表情。ネスってば怒られるの慣れてないもんね。しかもいっつも自分が説教する側だったもんね。あたしたちみたいに雷をやりすごす術もよく知らないはずで、衝撃はよくわかるわ。ええ、そりゃもう。おとなしくしてるわりに、顔に「不本意だ」とか書いてあるのもやっぱりよくわかるけど。
……昔はカケラも持ってなかったはずなのに、いつのまにやら身についてた反骨精神は旺盛なまま今に至っているわけね。
「……トリス」
まるで地の底から響いてきたみたいなおどろおどろしい声が聞こえて、あたしは一瞬びくりと身をすくませた。あああダメだわ、サプレスどころかリィンバウムを含めた世界中にその名をとどろかせた大悪魔メルギトスの一喝にもひるまなかったあたしが、この程度でびくつくなんて。戦う必要がなくなったからってのもあるのかなあ、実際ネスとアメルが帰ってくる日までの二年間、レシィとハサハに頼りきり、おんぶに抱っこーで暮らしてたもんね。そりゃだれるってもんよね。
「……トーリースー……」
はっ。
いかんいかん、なまじっかマグナが静かなもんだから、余計な方向に思考が飛んでたわ。
「なに? マグナ」
ほけらっと笑って応えると、マグナは目を吊り上げて腕組みした。
「なに、じゃないだろ! ガミガミ言うのもなんだし、ぐちぐち言うのもやっぱり嫌だし、だからしばらく黙ってて自省させてやろうって思ったのに!」
全然関係ないこと考えてたんだろう、そうなんだろう!?
うわ、むちゃくちゃ怒ってる。
「だいたいなんなんだよ! 喧嘩するなら外でやれ、外で! わざわざ家の中で凶器使う必要がどこにあるってんだ!」
はい、すいません。
マグナが怒る理由はわかってる。あたしが悪いんだってのも、わかってる。
ネスと、ケンカしたんだ。別にそれだけならいつものことで片付けられちゃうし、みんな一応は止めに入ってみせるけど、結局放置。あとから笑い話のネタにされる程度で終わるんだけど。
……椅子、振り上げたんだよねー……威嚇のつもりで。
腕力はそれなりにあるほうだし、うちの椅子は背もたれのない軽いやつだから、ほんとに威嚇だけのつもりだったのにさ。バランス崩して、こけちゃってさ。
横でなんとか止められないかってあたふたしてたアメルを巻き込んで、まあアメルにはケガはなかったんだけど、妙な体勢で倒れこんだあたしは見事にひじをひねって、壁にたたきつけられた椅子は。
……まあ、なんというか、壊れたというか……足折れました。
実はここんとこ何回か同じようなことやってるんだ。最初は呆れ顔で注意するだけだったマグナも、今日ばかりは堪忍袋の緒が切れたって感じで。
どうしてだろうねー、今までケンカっていったら口(召喚術含む)だけで、物壊したりなんてこと、なかったのに。や、物で威嚇はしょっちゅうだったけど壊れるまでいかないといいますか……
かくして、ケンカ両成敗とばかりにあたしだけじゃなくネスまでもがお説教の対象になっているというわけだ。
「悪かった、マグナ。これからは気をつける」
ネスが無残に折れた木の破片を横目で眺めながら、殊勝に頭を下げた。あの椅子は確かフォルテが作ってくれたものだったと思う。小器用なのよねー、フォルテって。あたしたちが今住んでる家もやっぱり、そういう心得のある仲間たちが建ててくれたものだ。あのときネスとアメルが消えてしまってから、あたしたち二、三日はただただぼけっと座ってただけだったから。気づいたら家ができてて、レシィとハサハと四人だけでも最低限暮らせるようにって環境が整ってたから。
もともと貧乏暮らしに慣れきっててものを粗末にするなんてとんでもないって考えは染みついてるし、そういう経緯があるもんだから、なおさら大切にしたいって思ってるのに。
ケンカを始めると、周りのこと見えなくなって。そうして、後でいろいろ後悔するんだ。
だんだん思考が暗くなってきて、それにつられて顔まで伏せたら。不意に、扉を開く音がした。
「クッキー焼けましたよ」
優しい声と一緒にふわっと甘い香りが流れ込んでくる。中で繰り広げられてた騒ぎなんか知ったことじゃないって風で扉の隙間から顔をのぞかせて、アメルがにこにこ笑ってる。
ふっ、と、マグナの表情がやわらかくなったのがわかった。でもまだ完全に水に流す気にはなれないんだろう、こっちに向けてちらっと、咎めるような一瞥をくれてから立ち上がる。
「ご苦労さん。俺椅子直しちゃうから。先にお茶にしといてくれる?」
「冷えちゃうけど?」
「ん……でも腹いっぱいになると昼寝がしたくなるからなあ」
マグナはそう言って頭をかいて、今まで険しい表情してたなんて嘘だって思えるくらいにお気楽な足取りで外に出て行った。ネスが慌しく後を追う。
「おいマグナ、僕も手伝う!」
「んー? じゃあ裏から薪一本持ってきてー」
「わかった。アメル、後で……」
「ええ」
心得顔でうなずいたアメルに続いてお盆を持ったレシィとハサハも入ってきた。ひとまずこの四人でおやつか。
「今日はね、ミニスちゃんが持ってきてくれたお花のお茶にしてみましたよ」
クッキー生地にも少し練りこんであるの。
うきうき嬉しそうに解説を始めるアメルとレシィに、ハサハが大きなほうの耳をぴくぴくさせながら聞き入る。いつもだったらあたしも一緒に楽しくおしゃべり、といきたいところなんだけど……はあああ。ため息出るわ。
「トリス?」
カップを口に近づけたままの恰好で、アメルが不思議そうにあたしを見た。どうやらさっきまでのすったもんだにはまったくこだわってないみたい。危うくとばっちり食うところだったってのになあ。
ネスみたいにガミガミ言われるのは嫌だけど、マグナみたいに静かに責めたてられるのも嫌だけど、これはこれでいたたまれなくなっちゃうよー……うあ。
「アメルは怒ってないの?」
恐る恐るたずねると、アメルは得心がいったようにうなずきかけて――それから慌てて首を振った。
「ううん、ええと……怒ってるというか、…………だって、トリスはもう反省してるんでしょう?」
「それはそうだけどさー……」
でも反省さえすれば済むって問題でもないしさ。だいたい、あのタイミングでおやつにしようなんて、要はあたしたちを解放しようと思ったわけでしょ?
なんかもやもやするの。ネスとアメルが帰ってきてくれて、マグナとレシィとハサハがそばにいてくれて、遠く離れて暮らしてるみんなも元気でやってる。不安も不満もなーんにもないはずなのに、なのにもやもやして、そんでもって手っ取り早くケンカでストレス解消しようとしちゃうの。
「………………あて」
ごつ、と頭のてっぺんがにぶい音をたてた。
顔をあげたら目の前は普通にお茶とクッキー。と、いうことは横からか?
人の気配を感じてそっちを仰いだら、アメルの笑顔とぶつかった。どうやら今あたしにげんこつをお見舞いしたのはアメルらしい。ごく軽くだったから、たいして痛くはなかったけど。なんか意外……かも。
「お仕置き完了。後でネスティにも同じことしておかなくちゃいけませんね」
ね、ネスにもげんこつなの? うわあ……見逃さないように気をつけとかなくちゃ。そんな光景、一見どころか百見の価値アリだわ。
「ううん、同じじゃなくて三発くらいにしておいたほうがいいのかしら? 原因はネスティですもんね」
え。
「ちょ、ちょっと待ってアメル……もしかして、見てた!?」
「いいえ? でも、なんとなく。トリスを見ていたら、そうなのかなって」
「…………」
あたしはすっくと立ち上がると、アメルの腕を取ってマグナたちが出てったのとは反対側の扉を押し開けた。後ろから「ご主人様?」って呼ぶレシィの声が聞こえたのには、そのままそこでお茶してなさいって言っておく。
さわさわ、さわさわ。相変わらずこの森はいい天気で、葉っぱがたてる音がうるさいくらいだ。ちょっとだけ、ファナンの海岸で聞いてた潮騒にも似てる。外でならちょっとくらいの声をたてても、向こう側まで聞こえてしまうことはないから。内緒話にはいい環境よね。
そのことをわざわざ確認しておいて、あたしはすでにぽやっと座って空を眺めていたアメルの正面に腰を下ろした。
「で?」
「え? なにが?」
きょとんとした視線が返ってきて、あたしは思わず脱力した。
「なにがじゃなくて〜。アメルはわかってるんでしょ?」
「たぶん……だけど」
「だったら、その……対処法とかさ、なんかさ、こう……アドバイスお願いできませんか」
最後は敬語にして、ちょこんと頭を下げてみる。アメルは困ったようにちょっとだけ考えて。それから、下げたあたしの顔をさらに下からのぞきこんできた。
「トリスは、今の状況が不満?」
「……うん。たぶん」
何がたぶんなんだか、って感じだけど。実際ストレスたまってあんなにケンカしてるんだしさ。
「ネス、なんにも変わらないんだもん……」
一番大事だって、言われた。
どんな手段使ってでも止めてやるって思ってたのに、抱きしめられて、耳元でわかってくれってささやかれて、何もかもが流れて溶けて消えた。
あのときの感覚はまだ残ってる。それなのに、帰ってきたネスはおかしいくらいに以前と態度が変わらない。相変わらず子供扱いしてくれるし、どう考えてもマグナと一緒くたに処理されてるわよ。
要するに欲求不満。……か、かっこ悪い……
そりゃいきなり態度変えられたってこっちも困るし、だからまあ、ゆっくりゆーっくりやっていけばいいよねって思うんだけど。……思ってたん、だけど。
比べちゃうんだ、どうしようもなく。
マグナとアメル。あたしとネスにとって一番身近な二人。意地ばっかり張っちゃって素直になれないあたしたちと違って、あの二人はほんとに自然に進んでいってる。仲良しで、ケンカも滅多にしない。そのくせ本音はしっかり言い合って、あたしから言わせてもらえば結婚して何十年もたった夫婦みたいだ。
そんなのをね、ごく近くで見せつけられ続けたら、やっぱりあせってきちゃうじゃない。……まあ、あせるというよりはそれでもちっともこたえてないみたいに見えるネスに不安を感じると言ったほうが正しいのかもしれないけど。
そんなこんなで、些細なことでも気持ちがささくれちゃって。ついついケンカにまで発展しちゃうんだなあ……
あたしはぎゅーっとアメルに抱きついた。ああ、あったかくていいなあ。ぽんぽん背中を叩いてくれるのが気持ちいい。
「……トリス、ネスティに最後にこういうことしたの、いつです?」
言われてちょっと考えた。……いつだろ。はっきり覚えてるのは、それこそネスが帰ってきてすぐのことだけ。途端に、すうっと頭が冷えてくのを自覚した。
「……もしかして、あたしも悪かった……?」
手をつなぐぐらいはした。でも、改めて思い返せばそれだけじゃ全然足りるとは思えない。
アメルはケンカの原因はネスにあると言ったけど、あたしも悪いのはあたしをイライラさせるネスだとばっかり思ってたけど、ほんとはどっちもどっちだったんじゃないの……?
「あ、アメル……」
「女の子同士だから、あたしはトリスの味方ですよ。まあマグナあたりもネスティが悪いって言いそうだけど……ふふ、分が悪いのは変わらないのね」
「むぅ……」
アメルはあたしから身体を離して、もう一度にっこりした。
「そろそろ一段落ついた頃じゃないかしら。仲直りするなら早いほうがいいですよ?」
……うん。そうだね。
一息に立ち上がる。一気に視界が高くなって、気持ちも明るくなったような気がした。
「よーし、がんばるぞー!」
もやもやしたまんまじゃしょうがない。答えがわからなくてもとにかく解答欄だけは埋めていく、それがネスが思い描いてるあたしの姿。そして、それは間違ってない。ちょっと立ち止まっちゃったけどね。
だったら。
あたしは勢いよく扉を開いて部屋の中に飛び込んだ。けっこうな音がしたみたいで、ハサハが目をまん丸に見開いてこっちを凝視してる。でも気にせずまっすぐに横切って、マグナたちが作業してるはずの裏庭に向かう。
「ネス!」
思いっきり息を吸いこんで名前を呼ぶと、ネスはびっくりしたように振り返って、それから、笑った。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
刺抜き作業(意味不明)に向かったトリスさん。以降は各自適当にご想像くださいませ。
や、一人称でらぶしーんは気恥ずかしいものがあるといいますかなんというかかんというか…
って、単にこの後の展開想像できなかったんで省いただけです(おい)
六人はED後いったいどのように生活してるのだろうと考えまして。
最初浮かんだのは椅子ぶっ壊してマグナに怒られてるネスとトリスの姿でした(笑)
私の中でマグナは小器用なんです。料理もそれなり、日曜大工もやったりなんかして、だからトリスが壊した椅子を直すのもマグナです。
日常日常。ネストリってけっこう抵抗なくいちゃついてそうなイメージもあるんですが、マグアメと一緒に住んでた場合はたぶん二人の目が気になって逆にさっぱりしているのではなかろうかとか。
ちなみに護衛獣の目は気にしません。たぶん。
しかしトリス、説教されてるってのにあっちこっちに思考飛び過ぎ…(笑)
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