敵は、殺さなければならないのは、かつて師と慕った相手。
そして。
せめてもの
あの人とは戦いたくない、けれど。
忸怩たる思いを抱きながら、それでも望むがまま最良の結果を求めて行き着いた先はひとつしかなかった。
それはもちろん自分だけではない。もしかして以前ならば周りの気持ちも表情も見えることはなしに一人苛ついて当り散らしていたのかもしれないけれど――少なくとも今は理解している。
ルークは、窓に映る自身の顔を眺めながら片手で前髪をかきあげた。ため息をつく。
――情けない顔してら。
下がった眉尻も、への字に結ばれた口許も最早見慣れたものだ。かつて自分がどんな表情を浮かべていたのかはっきり覚えていないが、比べてみればまだましだったに違いない。
戦いたくない。堂々巡りの頭は、結局そこにたどりつく。
極論を言ってしまえば、今道をともにしている仲間たちみながそうだろう。ジェイドは軍人らしくきっぱりと割り切っているかもしれない。でも、ナタリアは潔癖なくせにお人よしだから、顔見知りを害することに躊躇があるに決まっているし。アニスにとってはかつての上司。ガイにとっては幼なじみであり故郷の面影のよすがでもある、相手。
そして極めつけは。
ため息の理由の大半はまさにそれだった。ルークとて未練は断ち切れていない。今更心底から憎むには、積み重ねてきた年月が長すぎた。話し合って解決できるものならばそうしたいと、この期に及んでも思っている。
けれど、おそらく願いはかなわない。
何度思考を繰り返しても出てくる否定の言葉とともに、少女の悲しげな顔が脳裏に焼きついて離れないのだ。
良く笑うとは言いがたい。いつも生真面目な表情を崩さず、一番簡単に思い出せるのは厳しい叱咤の声。でも、同じくらい彼の心を捉えてやまないのは、優しげに諭すような声。
笑顔は知っている。ちゃんと覚えている。でも、最後に見たのはいつだったろう。
葛藤の深さなど比べることはできない。けれど、思いの質はひどく似通っているはずで、だからこそ不用意に慰めなど口にできるはずはなかった。
「ったく、自分と一緒にするなっつーの……」
友人兼護衛であったあの青年ならば、完璧とはいかないまでも彼女の心を軽くしてやることはできるはずなのに。彼はルークが期待していたほどの役割は果たせず、いや果たさず、少し話しただけでその任を放棄してしまった。
肩を叩かれておまえの役目だろなどと言われても。どうしろというのか。
額を窓に当てると、こつりと音がした。自身の影に遮られて外が見えるようになる。そういえばこのままじゃ外から丸見えなんだ、と思ったとき――見覚えのある色が視界の端をかすめた。
暗い、闇の中に溶け込んでしまう灰褐色。まっすぐな髪が風に軽やかにひるがえり、後姿はとても優雅に見える。
でも、きっと正面から向き合ったら印象は違う。
何かを考えていたわけではなかった。ただ身体が勝手に動いて、気づけばルークは部屋の外に駆け出していた。
気配には、気づいていたらしかった。
「ティア」
振り返った端正な容貌に驚きの色はない。乾いた香りを運ぶ風が冷たくて、ルークは意識して渋面を作ってみせた。
「ティア。夜外に出るなら、上に着るもの持っていけよな」
こんなことくらいしか言えないのだ。歯がゆい気分に陥りつつも、なんだか自分が寒くなってきてひとつ身震いをする。
実際ティアは寒そうだった。この辺りは気候は穏やかなほうだが、陽が落ちれば冷えるのは当たり前。むき出しの肩がいつになく青白く見える。
「ええ……ごめんなさい。少し外の空気が吸いたかったの。でも、大丈夫よ。すぐに戻るつもりでいるし」
隣に並んでも、彼女は立ち去ろうとはしなかった。
沈黙が落ちる。気づかれないようにちらちら窺っても、静かな横顔は崩れることはない。
ふと、ルークは昼間彼女以外のものたちと交わしたやりとりを思い出した。なんと言っていたか――ああ、そうだ。最初は単純に慰めてやれという言葉で始まったはずの会話は、いつの間にやら肩を抱けだの無言で抱きしめろだの、どこの恋愛小説だと茶々をいれたくなるような内容に発展したのだった。
まあ、最初にそんなことを言い出したナタリアは素直にロマンスというものに憧れているらしいし。乗りに乗った相槌を打っていたアニスも、無邪気だの純粋だのと表現するにはいささかどころかおおいに難がありすぎる性格ではあるけれど、生き生きしていたし。
期待どおりにルークが動いて、なおかつティアが少しでも慰められるのならば諸手を挙げて喜ぶだろう。
が、しかし。
しろと言われてすぐ行動できれば苦労はしない。だいたい、生まれて七年ぽっちの自分にそんな高度なことを要求されても。そう思う。
いや、無知を言い訳にするなとは諌められた。確かにその通りだ。知ったかぶりをするなど論外だが、わからないの一言ですませるのではなく吸収できるものは即座に吸収し、自分なりに咀嚼して血肉と為す。通常よりも速い速度で行わなければならないに違いないその行為も、慣れてくれば楽しかった。
だが、それとこれとはさすがに別問題ではないのだろうか。
触れるのが嫌だというわけではない。ただ、腹の底から何かがわきあがってきて――むずむずする。そんなことできるかー! と一声叫んで、何かをひっくり返したい衝動に駆られる。
唐突に、くすくすと笑う声が聞こえて彼は我に返った。
出所を見やればティアが笑っている。静かに、穏やかに。けれどそこにあるのは確実に温かな気配だ。久しぶりに見た笑顔になんだかむず痒さがひどくなってきて、ルークは唇を尖らせた。
「……なんだよ」
「ふ、ふふ……どうしたのルーク、まるで百面相だわ」
「げ、ずっと見てたのか?」
後ずさると、彼女はすました顔でうなずいた。
「だって、見てるって約束したわ。あなたも見ててくれって言ったじゃない」
「今は変わってない。今は見なくていい」
ぶんぶん首を振っても、視線を追い払うことはできなかった。どうしてか、顔が熱くなってきたような気がする。くそ、と一人毒づいてから、彼は息をついて無理やり心を落ち着かせようと努めた。
どうすればいいのかわからない。何を言えばいいのかもわからない。
青い瞳を見つめても、思考を読み取ることはできそうになかった。おそらくは自分が何を言い出すのか予想もできず、かといって邪魔する気もなく、ただ待ってくれているだけなのだろうけど。
ガイのように誰彼かまわず優しい言葉をかけてしまうというのもどうかと思うが、なんとかして元気づけたいと思っているにも関わらず一言もしゃべれない状態というのも情けないものだ。
結局自分にできることといえばたかが知れている。
ルークは手を差し出した。首を傾げるティアに、灯りの方向を視線で指し示す。
「……帰ろうぜ。もう充分だろ?」
無意識に伸ばされたらしい指先は冷たかった。じんわりと熱が移動していく。彼女は数度瞬きをして、またちいさく、ほんとうにちいさく微笑んだ。
「ええ、そうね。戻りましょう」
「よっし」
ひっぱる。
力に逆らわず、ついてくる少女の足取りは常と変わらなかった。一瞬だけでもいい、笑う顔を見ることができた。つないだままの手がなんだか気恥ずかしくて振り返ることもできないが、それでも離そうとは思えない。
いくつもの街灯が同じ形の影をいくつも生み出して、地面が複雑な模様で染まって見えた。
指に力を込める。軽く、握り返される。
敵は、殺さなければならないのは、彼女の兄。
同じ人を慕うものとして思いもきっと同質なものだけれど、だけど、言うべき言葉はまだ見つけられていないから。
これから先見つけられるのかどうかもわからないから。
今はせめて、温もりだけを共有する。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
ティアが大好きなルークが大好きです。
ていうかあれですよね、もうほとんど刷り込みですねグランツ兄妹。天晴れ。
「ティアを慰めやがれ!(題名違)」のスキットには叫びまくり突っ込みまくりでした。
いや詳細覚えてないんだけど、ナタリアとアニス(ガイだったかも)の無謀な要求に笑った笑った。七歳児にそれは高度すぎる要求です兄姉よ…!(笑)
ルーク思春期は無意識ならたらしこめますが狙って行動することはできません兄姉よ。
本編中じゃあ奴にはきっとこれくらいが限度さ…
てかこのスキットが発生した時期よく覚えてないんですよねい…とってあるデータいくつか見返したけどその中ではわからなかった。
確かヴァンと本格的に敵対しなきゃいけないんだ、みたいな雰囲気のときだったと思いますがー。
間違ってたら修正入れる気満々で要所要所姑息な書き方してます。あはん。
まあたぶんこのままで大丈夫だとは思うけど。
↑1月10日追記
いくつかツッコミもらってなおかつ自分でも確認したところ、例のスキットはラスダン教官戦後でした。
あっはー。まあ気にしない気にしないv
んじゃあラスダン突入少し前(少なくとも月見よりは前)くらいにこういう会話があったんだと無理やり脳内で設定してしまえばいいのさ、ということで。
(2006.01.05)
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