どこからかひらひらと、風に乗って花びらが飛んできた。
視界を横切ったそれを目で追う。見失う暇もなく、それらは次から次へとやってくる。いくつかはどこかに行ってしまう前にふたりの髪に服に、吸い寄せられるように引っかかった。
「……花?」
隣を歩いていた男がそのうち一枚をつまみ上げてためつすがめつする。彼に習って彼女もまた、自分の肩にくっついていた花弁を指先に挟んだ。
「自然に散った、というわけではなさそうね」
緑豊かなこの地は、季節を問わずさまざまな花が咲き乱れている。自生しているもの、誰かが育てているもの。もちろん珍しくはないのだけれど、ここは目抜き通りにつながる舗装された小路だ。
何より色とりどりのそれらは瑞々しく分厚くて、まだまだ生命力にあふれていた。傷んでもいないし、となれば盛りを過ぎて散ったものではなく人の手で花芯から摘み取られたものなのだろう。
「っと……人が増えてきたな」
勾配を登りきったところで急に人口密度が増して、ふたりは軽くたたらを踏んだ。いつも賑やかな街だ。行き交う人も笑顔も絶えない。
ただ、なんだかいつも以上に浮かれ騒ぐような声が聞こえてくる。かすかに酒の匂いも混じっていて、慣れ親しんだ気配とは少し違うように感じられた。
無意識にだろう。彼は背に彼女をかばうように前に出て、通りの様子を窺っている。戦場でもなし、そんなに警戒する必要もなかろうとは思うのだが。危険でないからこそ反発する気も起こらなかった。少しくすぐったいような心地で、おとなしく肩越しにきょろきょろしてみることにする。
やがて振り返った彼は破顔して彼女を手招いた。
「結婚式だ、シオン」
「結婚式?」
問い返すそばから花びらが降る。手を引かれて数歩進んでみれば、若い娘や子どもたちが笑顔で籠から花を振りまいているのがわかった。
なるほどさっき飛んできたのはこれか。ひらひらひらひら、青く晴れ渡った空にたくさんの色が映えて鮮やかだ。民家の戸口、階段で少しだけ高くなったその場所で、今日の主役らしき男女が寄り添いあって微笑んでいる。
「あら、いいときに出くわしたわね」
「だな」
豪奢な雰囲気ではない。でも精一杯考えて用意した一張羅なのに違いない。
ぱりっと糊をきかせたシャツに、赤いボウタイ。ズボンももちろんきちんと火熨斗があてられて、中心を折り目正しくまっすぐ一本線が通っている。
白いモスリンは光沢こそないものの、たっぷりと襞をとって可憐に膨らませてあった。ちいさな手を覆う手袋は素朴な編みレースだ。糸が太くて繊細さはあまり感じられないが、花や葉、木の実の意匠がところどころに絶妙なバランスで紛れ込ませてある。花嫁本人か、身近なひとの手になるものなのかもしれない。細やかな愛情と確かな腕を感じさせる手仕事だ。
そしてなにより目を惹くものは、新郎新婦の輝かんばかりの笑顔だった。
ふたりを囲んでいるのは親族や友人など、特に親しい人々だろう。それ以外の大半は自分たちと同じく通りすがりか。こんなふうに往来でお披露目をしているだけあって、あたりは人でごった返していた。祝い酒でも呼ばれたか飲み食いしているものあり、さらに花を撒こうと籠を頭上に掲げるものあり。足早に行き過ぎるだけのものも一瞬は目を向け、かすかに表情を和ませて、去る。
花嫁と視線が合った気がして、彼女はふと口許を緩ませた。
知らない相手。でも旧知の友のような顔をして笑みを交わしてみる。見ていたらなんだかこっちまで満ち足りた気分になってくるのだから不思議なものだ。
「いいもの見せてもらったな」
「ええ、本当に」
彼は、いつのまにか指を絡めるようにして彼女の手を握っていた。やんわり握り返して心持ちよりかかった。
周囲は笑顔にあふれている。空は青く高く晴れ渡っている。吹き渡る風は緑の匂いとともに花の香りも運んで、なんとも気持ちのいい昼下がりだ。それらを機嫌よく味わいながら、なにより服越しに伝わる体温が嬉しくて、彼女は目を細めてしあわせな光景を眺めた。
なんだか上の空だった気がする。
彼女ではない、彼のことだ。街で買い出しを済ませた帰り道、他愛もない話をしながらのんびり歩いていた。呼べば返事はする、相槌だって打つ。だけどどこか茫洋としていて、遠くを眺めているような。
石に蹴躓いて転びそうになったに至っては、彼女はとうとう抱いていた違和感を晴らすべくはっきりと問い詰めてみることにした。
「アルフェン?」
「ん?」
「アルフェン」
「なんだよ」
「なんだよ、じゃないわ」
つないだままだった指先をするりと抜き取り、小走りで彼の正面に回り込む。腰に手を当てて肩を怒らせると、彼はゆったりと首を傾げた。
「さっきから生返事ばっかりじゃないの。なにか気がかりがあるならここではっきりさせておいてちょうだい」
じゃないとまた転ぶわよ、と足元を指さしてやれば、少しだけ気まずそうな顔をする。荷物は虚空の中だから、両手は自由にしてあるものの。こんな有様では受け身をとるどころか顔面から地面に突っ込みかねない。
「そんなにぼんやりしてたつもりはないんだが……」
「充分ぼんやりだったでしょう。だいたいあなたね、私が一緒にいるっていうのに他のことを考えるだなんていい度胸してるわ」
「うえっ」
正しく言いがかりだった。
彼女と彼は、隣にある時にいつもいつも互いのことばかりを見ているわけでもない。同じ部屋に居ながらにして、それぞれ別の作業を好き勝手にして、会話すらないことだってままある。
そんな毎日に対して特に不満を覚えているわけでもない――そばにあることが日常だからこその距離感なのだと知っている。だから、これはただ考えていることを引き出したいがための方便だ。効果はそれなりにありそうだった。彼は視線を明後日の方向に逸らしながら、もごもごと口の中で何かを呟いた。
「……ほかのこと、じゃない」
「なに? 聞こえないわ」
「だから、他のことじゃない。考えてたのはシオンのことだよ」
「もっと悪いんじゃないかしら」
本人を目の前にしておきながら、心ここにあらずで思考を飛ばすなんて。開き直れるほどの理由もないのだろう、眉を八の字にしている。
ひとまずもう一度手を繋ぎなおして隣に並んだ。少し強めに握ってくるのは無意識か、それともこちらの機嫌を取ろうとしているのか。どちらにせよ話はまだ終わっていない。歩き出しながら引っ張って催促すると、彼は空いているほうの手で自身の頬を軽くこすった。
「前からずっと考えてはいたんだ。ただ機を逃してたというかなんというか……いやでもな、今言うのも正直どうなんだって思いもあって」
「そう、かまわないわ。いい機会だから白状してしまいなさい」
「…………わかった。言うよ」
今度は立ち止まったのは彼のほうだった。やわらかく肩をつかんだ手のひらはそこを一度さすって、落ちかかっていた彼女の薄紅色の髪を一房背後に払った。感覚などないはずの毛先をするりと指が通っていくのを感じる。
「シオン。結婚式がしたい」
「けっこん、しき」
鸚鵡返しに繰り返したその言葉が、声になった瞬間は意味が頭の中に浸透していなかった。
一瞬遅れて把握する。
「え、と?」
結婚式。といっても、彼女と彼はすでに夫婦だ。
新世界においては、未だ統一された行政府はない。かつての各領や集落などで細々と取りまとめ役が動いてはいるが、その規模も内情もさまざまだ。
婚姻は本人たちにその意思があり、事実家族であり、周囲もそれを認識しているのならばわざわざ否定されるようなことはない。ただふたりが暮らすこの地においては、比較的そのあたりの整備が進んでいた。レネギスでも運用されていた民生記録の機構が流用されているのだ。
同じ家で暮らすようになるその日を以って作成された書類は、宮殿の公式書庫に大切に保管されているはずだった。真っ白で分厚くて、金銀の箔でところどころ装飾された上質な紙。いかにも贅を尽くしたそれに、慣れぬ彼は途方に暮れたように彼女を見たけれど、したり顔の文官たちに皆こうだからと諭されてようよううなずいた。大張りきりで立会人を務めてくれた友人たちの署名と、夫婦それぞれの署名が婚姻の事実を証明する文言とともに青黒いインクで鮮やかに書き込まれている。
事務手続きのみで儀式などを経たわけではない。そのせいか感覚的には事実婚に近いものがあるが、この地においては当然ふたりは正式な婚姻を結んだものとみなされる。
彼女自身は彼と永遠を誓ったのだというその事実に浮かれて、あまりその他のことは考えていなかった。が。
彼は目許を赤く染め、ひたと彼女を見据えている。灰青の中に銀色が混じりこんで揺れた。
「いまさらだって言われるかもしれないが……やっぱり記念は欲しいんだ。なにより俺は、シオンの花嫁姿が見たくて」
「わたしの……」
口ごもっていた理由も、上の空だった理由もなんとなく察した。それはまあ、言い出しづらいかもしれない。他人のそれに触発されて話をきり出したのだと解釈されることを恐れていたのだろう。
でも腹を立てるなんて考えも及ばない。今更だなんてそんなこと思いもしない。
きっと、ずっと考えてくれていた。じわじわと頬に朱が昇ってくるのをはっきりと自覚する。街道の真ん中で見つめ合い棒立ちのふたりを見ているものは誰もいない。頭上を飛ぶのは鳥の影くらいで、あとはさわさわと葉擦れの音がするのみだ。
「私の隣に立つんだから、あなたも相応の恰好をしてくれるのよね?」
嬉しい。
素直にそう答えれば良かったのに、咄嗟に出てきたのはなんともかわいくない皮肉のような切り返しだった。なのに彼は喜色満面で瞳を輝かせるのだ。
「いいのか? いいんだな? やった!」
ぎゅうと抱きしめられて、いつものことのはずなのに心臓が跳ねる。
「ちょっと! 私の話を聞いてたの、あなたも」
「ああ、もちろん! 自信はあんまりないが、がんばるよ。シオンの隣に立つんだもんな!」
いきなり腰を掴まれて高々と持ち上げられた。子どもにするようにくるくると回り始めるから慌てて厚い肩につかまる。
長い髪とスカートが風にあおられ広がって、その軌跡を目で追いきる前にすとんと降ろされて。
手加減はもちろんされていたのだろうが、少しだけ目が回った。それを面に出さないようにしながら、彼女はさりげなく彼の袖をつまんでしかつめらしく唇を引き結んでみせた。
「服だけじゃないのよ。式ということは人を呼ぶんだから、決めなきゃならないことがたくさんあるでしょう」
大げさなことをする必要はない。だけど彼が脳裏に思い描いているのは、単に晴れの日にふさわしい衣装を身に纏う自分たち、だけではないだろう。親しい面々と笑顔を交わし、浮かれ騒ぐ。そこまで求めるのならば楽しいだけではない、面倒な作業もまた待っている。
声をかければ何をなくとも集まってくれる。そこのところは確信している。でも知己はそれぞれに忙しい人たちばかりなのだから、日程の調整だって大切だ。
「会場は家にするわよね。だったら少しは飾りつけたいわ。招待状の意匠も凝りたい」
「それもだけどさ。みんな集まるなら料理と酒も大切だろ。まずはそっちじゃないか」
「ええ、それは一番……っんん、まあ、そうかしら」
見透かされていた決まり悪さに咳払いする。実のところ最初に思い浮かんだのは確かにそれだった。口に出さなかったのは、まあ、なんとなくだ。なんとなく。他意なんてない。
晴れの席、人数がいれば宴会に突入する。いわばふたりは主役であると同時に主催で招待する側となるのだから。簡単で見ためが良くて、それでいて量を用意できて満足してもらえる料理もいくつか候補に挙げておかなくては。
「大勢を呼ぶ必要はない……が。全員が居間に入ったら狭いよなあ」
「過去の気象記録をさらって、天気のよさそうな日を狙いましょう。庭で立食パーティーがしたいの」
「ああ、いいな。気楽で良さそうだ。テーブルクロスは順当に白か。店でやってるみたいに、足にリボンを掛ければ見栄えがするかな」
「そう。それで花を飾るのよ」
生まれも育ちも、好きなものだって全然違う。それなのにああしたいこうしたい、と夢想を語るときだけはどうしてか自然に意気投合してしまうのは以前から変わらない。盛り上がるほどに時間はあっという間に過ぎていきそうだった。それでも立ち止まっているわけにはいかないから、どちらからともなく促しあって、並んで再び歩きだす。
こっそり盗み見た彼の横顔は、まだ興奮が残っているのかうっすら上気していた。正面に向き直って彼女がするのは含み笑いだ。どうせ自分も同じように頬を染めてしあわせいっぱいな表情をしているに違いないから、おあいこだけれども。
気配を察して見下ろされる前に、勢いをつけて腕に取りすがった。彼はちょっとだけよろめいた。
それが、それも、楽しくて。彼女は彼も、声をあげて笑った。
実際アルシオ順番どうなのかなーとか思ったりはしますけどね。
一緒に住むのと契るのと結婚式するのと、どういう順番…どういう順番でも美味しいので困ってしまうのだもぐもぐもぐもg(ry
なんかこうね、アルフェンとシオンって周囲が考える以上に色々違ってそうなふたりだとは思うわけですよ。そりゃそうだ、違う人間だからって以前にそれまで培ってきた何もかもが違う。でもだからこそ逆に衝突しつつも受け入れる素地があるっていうのかな。
ルーツが違うとわかりきっているからこそ、最初から折り合いをつけて尊重しあっていこうという気持ちが持てているってのはあるんじゃないかと思います。
言いたいことは言い合って、たぶん喧嘩もいっぱいする。
ただし根っこのところ、いちばん大切にしたい部分はきっと驚くほどに似通っていて、そこだけは面白いくらいに一致していそう。野営会話とかあまりにもふたりの「思い描く幸せ」が一致しすぎてて見てるこっちはもうニヤニヤが止まらなかったですわ〜でも仲間たちに聞かれてたら絶対同じ反応するって。絶対。
だから結婚式のあれこれもぽんぽん決めていったんじゃないかな〜というイメージ。そういう話でした。あと本編のサブイベでカガリとノッティオのときはほら、気持ちは通じ合っている自覚はあれども先のことはわからなくて将来が約束されてはいなかったわけで…そのときとの心境の違い、みたいなものもなんとなく考えてた。ED後のシオンちゃは余裕よの。
2022年6月、ツイッターで有志の方がなさってたアルシオウエディングお祝い企画に便乗させていただきました。
いっぱいいろいろ見られてしあわせです〜ありがとうございます!