摘んだばかりの花からは、かすかな芳香に混じって青臭い匂いもする。
瑞々しい茎は硬めで、なかなか思うように曲がってくれない。シオンは数本をまとめて手のひらの中に握りこんだ。体温が移ってしんなりするのを見計らって、くるりと一巻き。同じ動作を繰り返すことで花が連なってだんだん伸びていく。充分に長さを確保したところで、いったん手を止める。
輪に成型するにはまだ張りがありすぎた。少し時間を置いたほうがよさそうだ。いつのまにやら詰めていた息を吐いて、うんうん唸っているもう一人を背中越しに振り返ってみる。
「アルフェン、どうかしら。うまく行きそう?」
「……んん……」
一応は返事のつもりだったのだろう。ただ肯定とも否定ともつかぬ響きで、彼女は身体の向きを変えて彼の隣に改めて陣取った。
「……微妙なところね」
「言わないでくれ……」
アルフェンの武骨な手にはやはり同じように白い花がそれなりの量まとめられている。
ただ、わりに整然と紐のように長くなっているシオンのそれとは違い、なんというか、でこぼこだ。茎の先っちょはぴんぴんはみ出ているし、花はそれ以上に野放図にあっちを向いたりこっちを向いたり。しかも一部潰れてしまっていたりもする。相当弄り回したらしい。土と緑の匂いが予想以上に強く届いて、シオンは苦笑した。
「力を入れすぎてるんじゃないの?」
「そうか? いや、やっぱりそうなのかな……でもほら、めちゃくちゃ元気じゃないかこいつ。どうやって押さえつけても反対方向に出てくるんだよなあ。こう、ぴょんっとする」
ぼやく間にも束から脱出しようと跳ねる花々が、まるで意思を持っているみたいに浅黒い指をぺちんと弾いてみせる。
「ああ、わかったわ。生えてた向きを考えてないからね」
言いながら彼女は膝の上に自分の持っていた花を置き、アルフェンの作品を奪い取った。
「いいこと? 見ていて」
ぷちりとまた新しく一輪摘み取って、少しだけ温める。なんとか形を成している束に添わせるように近づけてから、指先でひねってくるくる向きを変えた。
「この角度で巻きつけると……ほら、他と逆方向に跳ねるわよね。だからこっち向きにして……それから、こう」
「おお……」
花は周囲の植物や太陽の向きの影響を受けてそれぞれさまざまに茎をのばしている。素直にまっすぐなものなど逆に珍しい。弓なりに湾曲している頑固さはなかなかのもので、よほど萎れさせてからでなければ思いどおりにはなってくれないのだ。
つまりはひとつひとつの状態を確認しながら臨機応変に合流させていくしかない。いっそ雁字搦めに固定してしまっても輪にはできるが、花の向きが揃わないとやはり見栄えに問題が出てきてしまう。
「ええと、それじゃあ」
大きな手が不器用に花を回した。
いや、アルフェンは決して不器用なわけではない。ただそう、手が大きいから、ある種の繊細な作業には必然その指の太さが邪魔になってしまうこともあるというわけだ。……おそらく。
シオンもまた自分のぶんを再開することにした。彼女とて、人の仕事をじっと見守っていられるほど余裕があるわけではない。なにしろこの遊びは最近覚えたばかりで、圧倒的に練習量が足りていないのだから。目の前ですいすい手を動かし、あっという間に冠だの腕輪だの指輪だのを完成させていた友人には遠く及ばないにしても、それなりに見られるものを作れるようにはなっておきたかった。
曲げて、ひとまず輪を作る。見た目を整えながら編むのは手練れの業だから、初心者たるふたりが飾りつけに取り掛かるのは基本の形が完成してからになる。手順はどうあれ最終的に気に入るものができあがればいい。
野花咲き乱れるこの草原では材料に事欠かなかった。本番では白だけにしようということで意見は一致しているけれど、今は練習台として色とりどりに作ってみるのも楽しいのではないだろうか。
全体的な配置と色あいを思い描きながらさらに花を摘み、その合間にシオンは横目でこっそり恋人を窺った。
アルフェンは気が短い。そのくせ根気強いところもある。今回は後者が勝ったようで、苛つきは見えなかった。ただ真剣に緑色の輪を睨みつけている。ふと視線がこちらを向き、どうということでもないのに心臓がひとつ跳ねた。
「なあ、シオン」
「えっ……あ、なに?」
動揺を押し隠して応えれば、アルフェンが花のぴょんぴょん飛び出す輪っかを掲げて近づけてくる。
「頭の大きさを考えるの忘れてた。かぶってみてくれるか?」
「ああ……ええ、いいわ。試してみて」
差し出した頭にそっと載せられた冠はしっとりしていた。
俯いていてはよくわからないだろう。背筋を伸ばした瞬間に鼻先を青臭い匂いがかすめていって、輪は呆気なく彼女の肩まで滑り落ちて止まった。
「……。……大きすぎたな」
「……。そ、そうね……?」
これでは冠ではなく首飾りだ。白いぽんぽんのような花が、肩口で、いくつも元気に揺れている。折しも頭上を鳥が横切って飛んでいく。横たわる沈黙を彩るかのように、ぴちぴちと囀りがやけに大きく聞こえる気がする。
「……ふ」
「は、ははっ!」
ふたりは同時に吹き出した。
失敗ではある。あるのだが、なんだか無性におもしろい。
結局その日彼女と彼は、日が暮れるまでそこで花を編んでいたのだった。
ささやかな宴をみんなで。
そう計画して迎えた今日、窓の外はさわさわと控えめな賑わいで、これから起こることへの期待と興奮が静かに伝わってくるようだった。
閉ざされた扉の前で、アルフェンはひとつ深呼吸した。
彼の支度を手伝ってくれた友人たちは一足先に外に出た。あとはこの部屋で花嫁と合流して――そうしてふたり揃って、お披露目の場、つまりは庭に踏み出す段取りになっている。
三度叩けばすぐに応えがあった。取っ手に手をかけるまでもなく扉は中から開かれて、友人の満面の笑顔がふたつ。それから奥の椅子に、彼女が、座っている。
ゆったりと振り返ったその姿を目に入れた刹那、アルフェンは呼吸を忘れた。
一拍置いて戻ってきた息苦しさか、それともべつの理由か。喉が渇いて声が出ない。暴れ出す心臓を手で押さえるわけにもいかず、口を開けたまま立ち尽くす。
「……アルフェ〜ン? おーい」
「……はっ」
目の前でちらちらとちいさな手のひらがひらめいて、夢から急に醒めたような心地に陥った。いや、まだ夢の中ではあるのかもしれない。
手の主はさっと退いていって、彼の視界を邪魔することはなかった。
窓からやわらかな光が差し込んでいる。光沢の控えめな生地はふんわりした曲線を描いていて、肌を覆う薔薇の模様と絶妙に調和していた。棘のある花を意匠に用いて、だというのにまとう雰囲気はどこまでもやさしくて可憐だ。薄化粧した小作りな顔が微笑んだ拍子に、丁寧に梳られた髪がさらりと流れた。
視線が絡み、急に体温が上がる。
「アルフェン、アルフェン。力が入りすぎている、花が潰れるぞ」
「……はっ」
二度目の突っ込み――いや救いの手に、今度こそアルフェンは正気を取り戻した。
慌てて手の中にある花の輪を見下ろして、形を損ねていないことにほっと安堵の息をつく。
「あ、危なかった……」
せっかく会心の出来だったのに、自分で台無しにしてしまっては元も子もない。幸い生花は彼が思うよりも強靭で、力さえ抜けばすぐに元の形を取り戻した。
変な汗がようよう止まった気がしたところで肩を叩かれる。
「よし。では、私たちは先に外に出ているからな」
「玄関開けて、私とロウが声かけるから。ちゃんと出てきてね。……待たせないでね?」
「あ、ああ」
戸口にいたはずが、気づけば一足飛びにシオンのそばまで移動してきていた。歩いた記憶がない、無意識とは恐ろしい。最後のはきっとだらだらといちゃついていないで宴の主役として相応のふるまいをしろ、と釘を刺されたのだろうが。
そうされるだけのだらしない様相を自分はさらしていたのだろう。前科もあることだし仕方がない。咳ばらいをして、アルフェンはシオンに向き直った。
シオンも優雅に裾を払い立ち上がる。
「シオン。……綺麗だ」
「ありがとう。貴方も素敵よ」
美辞麗句なんて出てこないから、ただただ単純に思ったことを口にした。こういうときは何をおいても素直になるのがいちばんだ。すかさず褒め返されたのには照れくさくて、ふわふわ落ち着かない心地がする。
けれどこんなに美しい花嫁の装いは、実のところまだ完成されていない。
「これを」
アルフェンが緊張とともに差し出した花冠を、シオンは顔を輝かせて見つめた。
「すごいわ、きれいね。たくさん練習してた成果が出たわね」
「……飾りつけは、テュオハリムとロウに助言をもらったよ」
「あら」
ぱちくりと瞬きするシオンに向かって慌てて言い募る。
「あ、でも助言をもらっただけだからな! 誰も手を出してない! 作ったのは最初から最後まで俺だけだから!」
「ええ、嬉しいわ」
気を悪くした様子はない。くすくすと笑みをこぼしながら、愛しい人は楽しげに目を細めている。
花嫁衣装の頭を飾るのは、花冠に。そう決めたのはシオン自身だったそうだ。
レナの婚姻の儀では家の威容を示すため、花嫁は豪奢なドレスを纏う。当然のこと装身具も貴金属と宝石をふんだんに使い、文字通り光り輝くような姿で誓いをたてるのだという。
当初は華奢なティアラではどうか、という話も出ていたようだが、青空の下で風に吹かれる光景を夢想したら生花以外は考えられなくなったのだと彼女は笑った。
それならばと頼み込んで拝命したのが、花飾りづくりだったのだ。
本領発揮とばかりに張りきっていたキサラとリンウェルには難色を示されたが、そこだけはと押し通した。当日まで自分のものはともかくシオンの衣装がどうなるのかを内緒にされるのであれば、それくらいは譲ってくれてもいいだろうと熱弁してとうとうその権利を勝ち取ったのである。
花冠なんてこの年になるまで作ったことはなかった。作ろうと思ったことすらなかった。だから初めは、それはもうひどいものしかできなかった。けれど、練習は彼を裏切らなかった。緑豊かなメナンシアの気候も味方してくれた。
「かぶせてくださる?」
「仰せのままに」
おどけて囁き合ってから、そっと花冠をシオンの頭に載せる。清廉な白薔薇と瑞々しい葉の緑は、薄紅色の髪によく映えた。
「ありがとう。それじゃ私も、貴方に」
「ん?」
胸元に手が伸びてくる。シオンは一言断りを入れてからアルフェンの襟元を緩めた。
「少し上を向いていて」
「? ああ」
意図せず触れる指先が少しだけくすぐったい。首をすくめたくなるのを我慢しながら目だけを動かしてみても、視界に入るのは甘く香る花びらだけだ。どうもタイを結んでくれているらしい。上等な布地がこすれ合う音がさやかに聞こえる。
「これは私が作ったの。服までは無理でも、小物ならできると思って」
促されて鏡を見て初めて、彼は彼女の言葉の意味を理解した。
「ああ、ここに青が入るんだな」
見苦しくない程度にくつろげられた襟元を、品よく青い蝶が彩っている。
この部屋に入る前、花婿としての衣装に着替えたときも色形といい丈といい、なんとも絶妙な塩梅だと感嘆した。しかしそこに蝶ネクタイがひとつ加わっただけで、さらに全体の締まりが良くなったように思う。白黒のデザイン画だけではわからないものだ。
「貴方の数少ないこだわりよ、外すわけがないでしょう」
アルフェンの肩口に頬を寄せて、鏡越しにシオンはにんまりした。
「青色がないの、気づいてたわよね。そわそわしててちょっと可愛かったわ」
「かわ……ああいいや、それは置いといて。俺、そんなに落ち着きなかったのか?」
ふと気づいただけで、不満を覚えたというほどでもないのだが。どうやら彼女には見透かされていたらしい。
「そういうところはわかりやすいもの、アルフェンって」
「そうかあ……うん、でも嬉しい。俺もありがとう」
「どういたしまして。ほら、最後の確認よ。もう一度こっち向いて頂戴」
言われて向き直る。互いに手ずからネクタイの位置を直し、花冠の傾きもまっすぐに。にこりと微笑みあい、習いで唇を寄せたところで細い指先に阻まれた。
「んむ」
「今は駄目よ。……後でね」
かつては触れず直前で止まっていたシオンの指先は、今は彼の唇をふにふにと二度押してから離れていった。照れ隠しに頭を掻こうとして思いとどまる。一見自然に見えるアルフェンの髪型だが、実はロウとテュオハリムがこだわりを発揮して、相応の時間をかけて整えてくれたものだ。
そう、確かに外には友人たちが待っている。いつまでもここでふたりだらだらしているわけにもいかない。そろそろ、呼ばれるだろう。
それに今このとき思いのままに触れあおうものなら――ばれる。確実にばれる。皆笑ってすませてはくれるだろうけれど、気恥ずかしい思いをしてしまうことは間違いない。
折よく扉が開かれる音がして、ふたり同時に入り口のほうを見やった。少年少女の、彼らを呼ばわる明るい声が届く。
「行きましょう」
「ああ。……続きは後で」
寄り添って低く囁けば、白かった耳が紅を刷いたように染まる。かすかに尖らせたように見える唇は、けれど、弧を描いている。
教わったとおりに腕を差し出して、彼女がそこに手を添える。
ふたり踏み出したその日の空は、抜けるように青かった。
「そういやシオンの花嫁衣装、ヴェールで顔が隠れる感じじゃないな〜(ヴェール上げた後しか描写されてないだけかもしれんが)」
「せや! ヴェール上げてちゅーがないなら花冠かぶせてもらお!」
……で、考えた話でした。こういう展開もありかなって。
おとこのこがすきなおんなのこにお手製の花冠かぶってもろて「ぼくのおひめさま」やるのは王道だと思うんだ。まあそういうのってちっさい子がやるもんだよねーとうっすら考えないでもないのだが、それはそれこれはこれ。普段はやらなくても特別な日のためならアルフェンはやる! つくる! がんばった! ということで。
記念の日にお互いに最後の仕上げの一手を、みたいなはーなーしー。でもあるのかもしれない。
花冠に対になる行動ったら胸元に薔薇を差す、かなあとは思ったんだけど。「作る」で揃えたかったしこだわりに触れるやり取りがあって欲しかったので蝶ネクタイになったーよー。
練習に使ったメインの花はシロツメクサなイメージです。あと野菊とかキンポウゲとか、いや薔薇とは茎の具合だいぶ違わない? 大丈夫だよコツをつかむための練習だからね!