火影ふる
 旅の基本は足だ。
 ほかに移動手段がないわけでもない。けれどただ距離を稼ぐためだけであればともかく、情報収集を兼ねて各地を周るとあっては、やはり己の足で歩く以上に良い方法はないのだろう。
 歩いて歩いて歩く。疲れれば休憩するし、腹が減れば食事を摂る。人里離れた場所で日が暮れればもちろん野営と相成るわけで――今日も今日とて彼女と彼は、いつもどおり夜を明かすための支度を進めていた。
「ちょっと重いぞ」
「ええ、大丈夫」
 これも幾度となく繰り返したやり取りだ。一対の防火手袋を分け合ってそれぞれ片手に嵌めて、しゅんしゅん音をたてる薬缶を受け取る。盥に張った水の中、もういっぽうの素手を浸しながら慎重に注ぎ口を傾ければ、少しずつ温かさが増していくのがわかった。
「……こんなものかしら」
「もういいのか?」
「そうね、熱めにしておいたから足し湯も必要ないでしょう。あとはあなたが使ってちょうだい」
「わかった」
 湯を沸かすだけなら鍋でもできるが、やはり薬缶は取り回しがしやすい。たったこれだけの作業でも違うものなのだなとちいさな満足感を覚えながら、彼女は天幕の扉布を無造作に下ろした。
 髪を頭上にまとめ、甲冑は外して脇にやる。下着だけ残して服も脱ぎ捨てる。湯から引き上げた手ぬぐいは、絞ってもなおほかほかと湯気をたてていた。汗と埃が拭われていく感覚に加え、肌を滑るほんのりしたぬくみがなんとも心地いい。知らず息をついて身体の力を抜く。
 たとえば気温が高くて、かつ清浄な水場があったなら。着衣のまま飛び込んでしまうのも実はおおいにありだったりする。お喋りしながら泳ぐのは純粋に楽しい。水面にぷかぷか浮いたり、潜ってみたり。遊んでいたら、いつのまにか水浴びと洗濯まで済ませてしまえるという寸法だ。
 ただ、今いる土地はそうといかない。夜は少し冷えるうえ、そういうことができそうな水場も近くには見当たらなかった。それでも今夜の野営地には使える井戸があったから、幸運だったのだとは思う。埃っぽさを落とせるだけで気分はたいぶ違うものだ。さすがに髪までは洗えないが、そこは仕方ない。彼女とて旅暮らしの不便さは心得ている。望んで送っている日々なのだから猶更に。
 ゆらり、と天幕に映る影が揺れた。
 風が出てきたらしい。分厚い布一枚の向こう側で、火の世話をしているらしい動作が見える。影だからか実際より大きい。
 食事の後片付けは手分けしてさっさと終わらせた。だからあとはもう火の番をしつつ寝るだけなのだが、ああ、もう少し火勢を弱めたほうがいいのかもしれない。揺れる火影と彼のかたちをぼんやりと眺める。そうだ、手に負えなさそうなら虚空から風除けを取り出しておこうか。
 彼女は手早く身支度を整え終わり、扉布をめくった。
「アルフェン」
「ん、シオン? もう終わったのか」
 肩越しにアルフェンが振り返った。
 のんびりした口調に、シオンは瞬きした。彼は火かき棒代わりに薪を一本持っているが、思うほど火に影響は出ていなかったようだ。どころか腰も浮かせていなかった。半身をひねった状態で、でもどっかりしっかり木箱に座っている。
 改めて耳を澄ませてみれば、空気の通る音はごく弱い。隙間風が余計に耳についただけだったとみえる。夜空は綺麗に晴れ渡って雲もない。星々に混じって鮮やかな赤や緑に輝いているのはレネギスの欠片か。涼やかな虫の声も流れてきて、そう、姿は見たくないけれどこの音色だけは好きだ。いつもどおりのありふれた、静かな夜。
 シオンは顎だけ動かしてうなずいた。
「代わるわ」
 再び満たされた薬缶は、今またしゅんしゅんと注ぎ口から蒸気をあげている。木製の杯を口に運ぶ彼を見るともなしに眺めていると、欲しがっていると思われたのか新たに湯を注いで渡してくれた。
 彼女が礼を言って口をつけると同時、アルフェンはもう一度火をかき回した。ぱちんと爆ぜる音がする。
「俺は寝るときやるからいいよ、シオンが先に休んでくれ。これが」
 言い差して、焚火の端に差し込んである棒状のものを示した。
 ぱっと見単なる棒にしか見えないそれは、燃料と獣避けの香木を練り合わせて作られたものらしいが、シオンも詳しい原材料までは知らない。目盛りが振ってあって、どこまで燃えたかである程度時間経過を把握することができる、いわゆる火時計だ。昼間は太陽の位置で時刻を計れるけれど、星だけになってしまう夜はそうはいかない。知る前はそういうこともあまり意識しなかったが、今ではなかなか重宝している。
「半分になったら起こすから。そのあとは頼む」
「そう? ならお先に」
 シオンは天幕の中に取って返して毛布を手に取った。ある程度安全を確保できる環境であるならば、ふたり同時に休むこともある。ただし今回のようにぽっかり開けた広場は、襲撃を警戒しやすい反面で獲物を探すズーグルの目につきやすくもあるだろう。交代で起きておくほうが賢明だ。
 気候が良ければ使わないことすらある天幕は、狭い。入り口近くに陣取って肩から下を毛布で覆い、芋虫よろしくころんと転がった。
 ――ふたりだけの旅路になってからもう、相応の時間が経っている。
 流れる生活は苦労もあれど、かつてとは比べようもないほど気が楽だ。生まれも育ちも違うふたりだが、根本的なところでの感覚が似通っているおかげもあるだろう。それに納得いかないことがあれば、とことんまで話し合うように心がけている。互いに最低限の気遣いはしても、それで疲弊するようなことは全くないのが不思議でありがたかった。
 もちろん未だ種々の問題は山積みで、でも、それでも気楽なものだった。
 アルフェンは、シオンが女性だからといって必要以上に仕事を取り上げようとはしない。どちらかが体調を崩したときは別としても、身体を使う作業も気軽に頼んでくるし、野営の不寝番もだいたい半々でこなす。あくまで対等な相棒として接するこの関係を彼女も気に入っている。
 肩を並べて、ときには前に、ときには後ろに。なんだかんだ歩幅が違うから、普段は気づけば距離が開いていて慌てて速足になることもしょっちゅうではあるのだけれど。
 こちらが寝るつもりだと思っているからだろう。アルフェンは焚火と天幕の間に腰を落ち着けて、背中を向けている。銀髪と黒々した甲冑が赤い光を弾いて、それぞれ複雑な彩りを描いていて綺麗だ。
 無防備な背中を眺めながら、そういえばこういうときの位置取りもずいぶん変わったものだとふと考えた。カラグリアの荒野をふたりで進んだ時は、隙を見せないように背中を見せないように、一定の距離を保ったうえで、互いを視界から外すなど絶対にしなかったものを。
 今では相手がどこにいようと気にしない。それこそ至近距離で背後に立たれたところで神経がざわつきすらしないのだ。狙撃手としての自分がこんな感覚になるなど想像もしなかったが、単にその気配に慣れきってしまっただけで鈍ったわけではないだろう。たぶん。
「……えーと、シオン? 寝ないのか?」
 凝視していたのにはさすがに気づいたか。アルフェンがもぞもぞと居心地悪そうに身じろぎしてから振り返った。
「寝るわよ」
 こともなげに応えてやれば、眉尻が微妙に下がる。
「寝るつもりはあるのか……入り口閉じないのか? 今日ちょっと冷えるだろ」
「問題ないわ。あなたは火の番に集中なさい」
「いや、集中っていうか……まあいいか」
 嫌がっているというわけではなさそうなので、一蹴してやった。まあ確かに、あまりじいっと見られるとなんだかそわそわして落ち着かない気分になるのはわかる。シオン自身、まさしくそうだからだ。
 アルフェンのほうだって見てくるときはとにかく見てくるのだから、ここはお互い様ということにしておけばいいだろう。何かの隙を窺っているわけでもないのだし。ただ眺めていたいだけだ。見慣れた背中を、見慣れたなあ、と思いながら。
「ほら、向こうを向いて」
「ああ、はい」
 確かに彼の言うとおり、乾いた空気は冷たくもあるけれど。
 毛布もあるし、焚火の温かさはちゃんとここまで届いている。直接目に入れるには強すぎる赤い光も、一部彼に遮られてちょうどよくなっている。風も同様で、たぶん傍から見るよりもだいぶ居心地のいい居場所を確保できている。
 ゆらゆら、ゆらゆら。
 銀と黒と青が、赤い光に照らされている。地面に落ちた影の揺れるさまも相まってきれいだ。きれいなものを眺めるのは、好きだ。
 弾むような心地では決してないけれど、じんわり染み込んでくるような何かはあった。
 向かい合っていない、手を差し伸べられているわけでもない。背中を向けられている。でも、受け入れられている。
 去るでなく、拒絶するでなく、阻むでもなく。ただ黙って静かに、ごく近くに在る。
 ゆらり、と。
「おやすみ、シオン」
 瞼の降りる瞬間、やさしい声も降ってきたような気がした。
--END.
振ると降る。
本編とビョンザドンの間くらい〜を書いたつもりの話でした。

アルフェンの悩みは人里に近づいた時に発動する感じだから普段シオンとか仲間たちと一緒のときはわりあいぽよよんとしてそうだよな〜と思っています。
きっぱり忘れるわけじゃないけどべつに気にならない、みたいな?
ビヨの冒頭とかメニュー画面のキャンプ風景を見て、ああ〜旅路が想像できるわね〜おもたんですよね。雰囲気というか空気感みたいなのを文章にしてみたかっただけなので特別テーマはない。ただ本編でも野営のときのキャラ配置が少しずつ変わっていくのとか楽しかったのでそこら辺は入ってる。たぶん。
最初から最後までフィーリングで形にした〜のよ〜久々なのでリハビリも兼ねて〜〜
(2025.02.24)