屈託と安堵
 頭上はすっかり、星空が広がっていた。
 坂道を登りきれば天蓋はいっそう広く見える。空を覆う無数の輝きに目を奪われるものの、それも一瞬のこと。ロウは意識して天秤棒を肩の上に揺すりあげた。
 骨と肉の間に食い込むそれは重い。とはいっても、彼にしてみればいつものことなので特に苦もなく運ぶことはできる。欲張ってちょっと多めに水を張ってしまったから、いつもよりは気をつけて歩かなければならないけれども。
 軽やかに先を行っていた少女とフクロウが、同時にくるりと振り返った。踊るように翻る衣装にまた一瞬気を取られかけ、いや猫じゃらしに誘われる猫じゃあるまいしと一人内心だけで首を振っておく。
「ローウ? 疲れたの? 手伝ってあげよっか」
「フルゥ?」
 フクロウだけがぱたぱたと戻ってきて頭の周りを飛び回るが、両手が塞がっているのでかまってやることはできない。ロウはわずかに顎を上げて一息つき、大きめの声で言い返した。
「いらねーって、大丈夫だよ! お前は自分の荷物に集中しとけ」
「まあこれはこれでそれなりに重いけどねー」
 んしょ、と華奢な腕が抱えなおすのは麻ひもで雑に束ねられた小枝だ。沢まで水くみに行く道すがら拾い集めたもの。固形燃料も持ってきているし、必ずしも必要なものではないが。ただ、夢現の中で乾いた木が弾けるぱちぱちという音を聞くのはなかなかにいい気分だった。口に出さずともそれは共通の認識で、だから野営の際は誰かしらがどこからか集めてくるのが恒例になっている。
 踏み固められた道まで出てしまえばあとはもう楽なものだ。口だけで適当に連れとじゃれあいながら歩くだけ。ほどなく焚火と張られた天幕が見えてくる。長く伸びたいくつかの影が、炎の動きに合わせてゆらゆらと揺れていた。
「ほい、到着っと」
 どすんとけっこう重そうな音がした。こぼすようなヘマはしない、一番近くにいた今夜の料理長――キサラがやわらかな笑みを浮かべた。
「おかえり、リンウェル、ロウ、フルルも。みんなご苦労様だったな」
「おう、ただいま」
「ただいま!」
「フル!」
 おかえり、と呼応するようにいくつかの声が重なる。その中に予想していた人のそれがなかったことに気づいてロウは周囲を見回した。
 兄貴分の青年は木箱に座って莢から豆をぽろぽろ押し出している。一行の最年長はすっかり堂に入った手つきで芋の皮を剥いていて、キサラは鉄串に刺した肉を火にかざして焦げ目をつけている最中のようだった。この脂の匂いは豚だ。ざるにはトマトが山盛りで、なるほど今夜のメインは煮込みかとうなずく。空気が少し冷たくなってきているし、空きっ腹にやさしくしみわたってくれることだろう。
「あれ、シオンは?」
 ああそうだ、シオンだ。彼女の声がしなかったから、姿を探してみたというのに。食材に気を取られて忘れそうになっていた。耳ざとく聞きつけた青年が背後を見やるように首を回す。
「シオンならここだぞ」
「うん? アルフェンのうしろ?」
 ちょこまかと足を動かして、リンウェルとフルルが彼の後ろに回り込んだ。なんとはなしにロウも続く。
 果たして探し人は、アルフェンの背中に頭をもたせかけ、安らかな寝息をたてていた。
 肌寒いのか分厚い毛織のショールにすっぽりくるまって、右半身をぴったり青年にくっつけている。座っているにも関わらずなんだかよだれまで垂らしそうな安眠ぶりだ。変な方向で感心しながら、ロウは賢明にもそれを口に出すことはせずにおいた。
「シオン寝ちゃったの? もうすぐごはんなのに」
 眠る彼女を気遣ってリンウェルが囁くように尋ねる。アルフェンは苦笑とも慈愛の笑みともつかぬ曖昧な表情を浮かべた。
「ゆうべ夜更かししてたからな……まあ、いい匂いがしてきたら自然に起きるんじゃないか」
「夜更かしなんかしてたのか? 今日のことは前からわかってたってのに、シオンにしちゃ珍しいな」
 双世界がひとつになった影響か、かつての各領にはいくつも未開の地が誕生している。
 峻厳な山脈の向こうに、花咲き乱れる平原があったとか。どこまでいっても水平線しか見えなかったはずが、ぽつんと島が浮かんでいたとか。レナの侵略以前からの痕跡が見受けられるような遺跡が、人里近くに忽然と現れたりだとか。それらはわずかずつながら存在を認知され始めていた。
 今回の目的地はそのうちのひとつだ。石造りゆえに朽ちることを免れた古い古い建造物で、先遣隊が調査に入っていたが――強力なはぐれズーグルに襲われて這う這うの体で逃げ出したのだという。そもそも皆まずは生活を安定させることのほうに手いっぱいで、史跡の調査など予算も人手もかけられない。だが形成途中の集落からさほど離れていない距離にあり、これを放っておくのも危険だ。ならばいっそ少数精鋭で潜ったほうが効率が良かろうと、かつての旅の仲間たちに声がかかったのだった。
 危険手当というのか、ちゃんと報酬も出る。立派な仕事だがロウにとってはやっぱりいつものことで――そして当然ながら、とても楽しみにしていた。六人と一羽で、久しぶりの道行き。これ以上に心躍ることがあるものか。いやない。それはきっと全員が同じに違いない。疑いもしていない。
 シオンのことだ、体調を万全にして臨んでくるものだと思っていた。ああでも彼女はわりと無鉄砲なところもあるから、そうとばかりは言えなかったのかもしれない。
「何か昨日のうちにすませておきたい繕い物があったらしいぞ。俺もやろうかって言ったら断られた」
 アルフェンは縫い目が荒いから駄目、だってさ。
 肩をすくめてそう続ける。ああ……とキサラのほうに視線を向ければ、彼女は目だけで肯定の意を示していた。確かにアルフェンは相応に手先が器用だが、繊細な作業はあまり向いていない。単純に手が大きくて指が太いからだ。雑巾やらちょっとしたものを繕うのならともかく、服であればシオンの言い分もわからないではない。
「そっかあ。今余分に寝ておけば明日は元気に動けるよね?」
「たぶんな。だから寝たいだけ寝かせとこうかと思って」
「はじめはアルフェンが芋を剥いていたのだがね。シオンがうとうとしだしたものだから、危ないし私と代わったというわけだ」
 とんとんと小気味よく芋を乱切りにしながら、今まで黙っていたテュオハリムも口をはさむ。そういえば水くみに出かける前はアルフェンがナイフを持っていて、テュオハリムの前に山盛りの豆の莢があった。
「大将もずいぶん慣れたよなあ」
「人とは常に成長するものだよ、ロウ」
 いやそんなおおげさな話じゃねえんだけど。返す言葉に微妙に困るロウを尻目に、リンウェルはしゃがみ込み、自分の膝に頬杖をつく形でシオンの寝顔をじっと見つめている。
「気持ちよさそうに寝てるね」
「よっぽど眠かったんだろう」
「えっとね、それもあるけど。そういう話じゃなくて」
「フル」
 ぱたぱたと羽ばたいていたフルルがアルフェンの肩に舞い降りた。くい、くい、と鳥類特有の首の傾げ方でもって、少女と同じようにシオンを見下ろしている。
 彼女は相変わらず周囲の声にも様子にも気づかずにすやすや、……これ本当に食事の匂いくらいで起きるのか?
「そういう話じゃなくてさ。私、シオンの寝顔なんて何回も見たことあるんだよ。野営のときとか、あとお泊まり会もしたし。でも」
 リンウェルはそこで言葉をいったん切って、触れるか触れないかの間隔でちょい、と薄紅色の髪に指を遊ばせる。もちろんシオンは目を覚まさなかった。
「……今のシオンの寝顔が一番かわいいなあって」
「そうなのか?」
 背後を見ようとしてから――でもそうしようとすると身をよじらざるを得ないので――やっぱり姿勢を戻して、アルフェンがちいさく息をつく。潔くあきらめたらしく、途切れていたぷちぷちぽろぽろが思い出したように再開された。ざるに豆がもりもり溜まっていく。これ全部使うのか。使うよな、シオンがいるんだし。納得して話題の人を眺める。正直ロウには寝顔の種類の違いなど言われてもよくわからない。
「アルフェンにくっついてるからかな。なんだか妬けちゃうけど……実際のところどうなの、アルフェン? シオンがくっつきたがるの、相変わらず?」
「うーん、そうだな」
 また答えにくいことをずばり聞くものだと思ったが、返事もごくあっさりとしたものだった。話してばかりでは作業は遅々として進まない。しっかり火のほうに向き直っているアルフェンは、手許を見つめたまま穏やかな声で続けた。
「相変わらずと言えばそうかな。さすがに一時期みたいに誰でも彼でもってわけじゃあなくなったが」
 荊から解放されてすぐ後のシオンは、もちろん今までの経緯を思えば当然だが、はっきりと浮かれていた。
 キサラやリンウェル、フルルだけでは飽き足らずロウにもテュオハリムにも触れるどころか抱きあいたがって――ちゃんと行儀よく許可を求めてはきたけれども――みんな直後はテンションも上がっていたし、一緒になってひたすらきゃっきゃと喜んだものだったが。日が過ぎるにつけ、これは大丈夫なのかと心配になったことも実は一度や二度ではない。
 さすがに他人に対して同じような距離感を求めることはなかったものの、近づかれることへの警戒心をまるでどこかに置き忘れてきたようになってしまっていた。あの時分のアルフェンは鷹揚にも表には出さなかったが、内心気が気でなかったのではないだろうか。
「随分落ち着いてはきた。でも様子を見る限り、まだ足りてないんじゃないか……そもそも、そういうもんに足りるとか終わるとか、あるのかどうか知らないけど」
「あー、それは確かに……足りてはないかもな」
 ロウの呟きを拾って、彼は顎だけを上下に動かした。
 長いこと、シオンを苛んできた<荊>。それがいつどんなふうに発現したのか彼女は詳細を語りたがらないが、口ぶりからしてごく幼い頃であったのだろうということは推測できる。周囲には研究材料として見られていたのだと言っていた。さもなければ恐怖の対象として。
 根はやさしいのにきつい物言い、花色の唇からは正論がよどみなく流れだす。レナどころかダナの間にあってさえ疑心暗鬼にならねば生き延びられなかったロウにとって、シオンの言動はむしろすっきりと清廉で好ましいものだった。でもときどきは、もうちょっと言い方に気を遣ったほうが楽になれるのではなんて思ったりもした。主に傍らの少女の反応を観察していた感想である。
 結局のところ、経験が圧倒的に足りなかっただけだが。旅路が続くと彼女は少しずつ変わっていった。おのれの中のやわらかいものを、人に見せること見られることに抵抗がなくなっていった。言葉選びがやさしくなって、吊り上げてばかりいた瞳はまるくなって、引き結ばれていた唇は弧を描くことが多くなって。
 大人は言葉で意思疎通ができる。表情で、声色で感情を伝えようとすれば可能だ。躊躇なく自分に触れるアルフェンの存在こそがもちろん一番大きかったのだろうけれど、触れずとも交流は叶うのだと知ってからの――ある種開き直ってからのシオンは、人と話すことにも積極的になった。
 それでもやっぱり。
「……俺もガキの頃はダチと団子になって遊んでたもんなあ」
「私も。あと、何かあったら理由つけて、父さんと母さんに抱きつきにいったりね」
 リンウェルが遠くを見るような瞳になる。
 幼児にとっては接触こそがなによりの交流だ。言語も未発達で、自分が今何を思うのかを正確に伝えることはできない。ぎゅうぎゅうおしくらまんじゅうして、取っ組み合いのけんかをして、時に大人に抱きしめられたり拳骨を落とされたり。その中で成長していく。それが、普通。シオンはずっと普通を奪われ続けていたのだ。
 人は過去の積み重ねでかたちづくられる。過去を未来で癒すことはできるかもしれないが、その隙間を完全に埋めることは決してできない。ここ数年はともかくとしても、幼少期は充分満たされて過ごしていた自覚のあるロウでさえ、その飢餓感は容易に想像ができた。本人にしてみれば途方もないに違いない。
「シオンはずっとできなかったんだもんね。ちょっとやそっとじゃ全然足りないよね」
「俺は俺で三百年も治療槽の中だったからかな。なんだかんだで人肌恋しいんだ。だからちょうどいいよ」
 快活な口調で言いきるアルフェンも、シオンに負けず劣らずの埋められぬ虚を抱えているだろう。それが嘘だとも、茶化していいようなものだとももちろん微塵も考えていないけれど。
 ……ただ、ちょっとだけ捻くれた思いつきも浮かんでしまったのは内緒だ。
 今のってさ、シオンはそう聞かされれば素直に納得しそうだけど。単に好きな女の子と思う存分べたべたするための口実にも聞こえないか。だってなんかこう、いつもいつもくっつきすぎだし。胸中で独りごちる。
「そう、ちょうどいいんだね。よかった」
 でもリンウェルも素直だった。笑み交じりの声にからかいの色はない。フルルが定位置、リンウェルのフードの中に戻っていく。
 ちょうどアルフェンは最後の莢から豆を押し出したところだった。ふいと視線をめぐらせるので、ロウは慌てて腰を上げた。
「あ、鍋だろ? いーよアルフェン、そのまま座ってな。俺が動くからさ」
「すまないな、助かるよ」
「水ー……は、どうすんだキサラ?」
「ああ、とりあえず豆を鍋に入れてしまってくれ。一度茹でこぼすから水の量は適当でかまわない」
「了解っと」
「ロウ、ざるひっくり返すぞ」
 座るアルフェンの前に鍋を置けば、ごろごろと音をたてて、ざるから鍋に豆が転がり落ちていく。途中まぎれこんだ筋やら何やらを取り除いて、今度は桶のところへ。木製のスープ椀になみなみと七杯ぶんくらい、ようやくちょうどいい水嵩になった。
 特に何を考えていたわけでもないが、水は多めに汲んできて正解だったなあと自分を褒めながら火がうまく当たるように鍋を設置。よし。
「あ。ゴミ、どこにまとめるんだ?」
「はいはい、それはこっちね」
 またべつの、目の細かいざるを掴んでリンウェルが兄貴分に寄っていく。生ゴミは野営の際、高温で燃やすか、そのまま地面に埋める。このへんは土も柔らかいし緑が多いから、埋めるだけで問題ないだろう。なんにせよその作業は腹ごしらえを終えて眠る前にすることだ。
「ありがとう、リンウェル。……っと」
 ぽとりと莢がひとつ、地面に落ちた。
 誰かが拾おうと動く前に、反射的な行動だったのだろう、アルフェンが上体を傾けて手を伸ばす。当然体勢も変わって、彼にもたれていたシオンの頭がずるりと滑った。
「あ」
 五人と一羽に緊張が走る。
「……んむ……」
 しかし危惧したような事態にはならず、シオンは器用にバランスを取ったようだった。彼女は何気に体幹が素晴らしいのである。眉間に皺を寄せて何事かむにゃむにゃつぶやいて、居心地の良い寝床が動いたものだから、夢の中でも機嫌が悪くなったのだろうか。
 ごそごそと衣擦れの音をさせながら――変化が目に見えたのはそのときだった。
 アルフェンの両脇からほっそりした腕がにゅっと生える。繊細な手は彼の腹のあたりの服を握りしめた。いっそごりごりと、音がしそうな勢いで縋りついた男の背中にひとしきり頬ずりし、また安堵の表情に戻って。呆気にとられた面々を置き去りに、健やかな寝息が再開される。
「…………お、起きてない、よな?」
 ずり落ちかけたショールをアルフェンごと巻きつけるようにしてやりながら、ロウはおそるおそるシオンを覗き込んだ。うん、目はしっかり閉じられている。
 起きたら起きたでべつに困るようなことでもないはずだが。相手は年上だというのに、ちいさい子を見守っているような気分にさせられるのだからなんとも奇妙なものだ。
「アルフェーン? 口笑ってるよ〜」
「フルッフ〜?」
 リンウェルがニヤニヤしながら彼の二の腕をつついた。フルルの鳴き声もなにやら同調しているかのようで、むずがゆくさせられるような響きがある。
 あいつどこまでわかってんのかなあとは、ロウがわりと頻繁に考えることである。ぱっと見よりはるかに頭がいいのは間違いないのだが、逆にぼくわかりませーん、とばかりに知らんぷりしていることもある。
「リンウェル。そこは言葉にせずにおくのが大人というものだよ」
「私まだ子どもだもーん」
「ふむ。そう返されてしまえばにべもないが……」
 リンウェルもやっぱりよくわからないし。今のは子ども扱いしろという主張なのだろうか。甘えの一環か? 彼女はそういうところがある。かといってロウが何か世話を焼こうとすると子ども扱いするなと怒り出すこともあって、まあ、年頃の女の子というのはそういう存在なのかもしれないが。いやでもフルルはオスだよな?
 今の今まで豆を触っていた手のひらでアルフェンが口許を覆った。
「い、いや、まあ、な? 参ったなこれ……動けない……」
 耳だけが真っ赤になっている。おお、とロウは珍しいものを見たような気になった。
 シオンが疲れているなら余分に寝かせてやるもやぶさかではない。その安眠にアルフェンが必要だというなら、それもいいだろう。
 ――なんだかんだいっても時間は等しく過ぎていくものだ。
 厚手のミトンをはめて火から鍋を下ろす。できるだけ地面の乾いたところを探して青臭い香りのする湯を捨てた。そのままテュオハリムのところに持って行って、芋とトマトを投入してもらう。次にキサラから豚肉。また水を加えて火にかけて、味を調えればできあがり。
 支度は静かに、粛々と行われた。困っているのか喜んでいるのか微妙な顔をしたままのアルフェンのことは、とりあえず皆放っておいた。自分だけ動いていないのを気まずく思っていることは間違いないが、それはもう仕方のないことだ。彼のお姫様のために謹んで枕の役割を果たすこと、それが今彼に求められている最大の使命である。
「……ん」
 あたりにいい匂いが漂い始めたのと、シオンが再びうめき声をあげたのはほぼ同じころだった。
「……ほんとにごはんの匂いで起きそうだね?」
 本人には聞こえないよう、リンウェルがちいさく呟く。抑えようと思っていたのに喉の奥からくくっと笑いが漏れてしまう。テュオハリムは息を吐くように微笑んだし、キサラは鍋をかき混ぜながら目尻を下げた。
「ん……あるふぇ……?」
 舌足らずに名前を呼んで、どうも背中の向こうでごしごし目を擦っているらしい。もたれかかられなくなってようやく自由になったアルフェンが、身をひねって未だゆらゆら傾いでいるシオンの肩を支えた。
「起きたか、シオン」
「……ん……そうね、よく寝た……おはよ……」
「おはよう……え、あ? ちょっ」
 そのまま伸びかあくびでもするかと思ったのに。しなやかな腕が、筋張った首にするりと絡みついた。その仕種がやけに艶めいて映ってぎくりとする。
 予感どおりというべきか。寄せられる唇をアルフェンは間一髪のところで避けた。いやまあこの場合、避けざるを得なかった、というのが正しいか。
「……なんで」
 一方のシオンは不満げにむうと頬を膨らませる。寝起きで力加減にまで気が回らないのだろう。ぎゅうぎゅうというかぐいぐいというか、とにかくさらにまとわりついてこようとするのを必死に押し返しながら、アルフェンは焦って上ずった声でわめいた。
「ちょ、待、シオン! 今は駄目だ! 今は、まずいって……!」
「だから何がよ……」
 目が合った。と、思った。
 天色の瞳が見開かれる。揺れる。事態を理解したシオンを見てとってアルフェンはほっとしたように肩の力を抜いたが、ロウにとってはそれどころではなかった。
 あっこれやばいやつ。
 内心でそうつぶやき終わるのが早かったのか、それより前だったのか。白い手が閃いて、瞬時に優美な銃身が現れる。
「忘れて! 忘れなさい!」
「アッハイすみません何も見てないです! ってなんで俺だけ⁉」
 ロウは素早く両手を上げた。
 わなわなと震えながら銃を構えるものだから、銃口はぶれにぶれてしっかり狙いを定められていない。いつも涼やかな印象の頬は真っ赤に燃え上がり、凛々しい瞳も涙目だ。よっぽど恥ずかしい思いをしたから、ということだろうが、恥ずかしいものを見せられたのはむしろこっちなのに。解せない。
 実際撃たれるわけはない、ないけれど鬼気迫る気迫をたち昇らせていて可愛いのに怖い。
 だ、か、ら、なんで俺だけ!
 助けを求めて周囲を見回せば、リンウェルは両手で顔を覆ってとっくにそっぽを向いていた。フルルはいつのまにかフードの中に潜り込んでお尻しか見えないし、キサラとテュオハリムはそらっとぼけた顔で鍋を覗き込んでいる。どうやらシオンに捕捉される直前に皆うまく逃げたらしい――なるほど、危機感知能力で負けた。
「よせ、シオン」
「ひゃっ」
 銃などものともせず、力強い男の腕が後ろから彼女を抱きすくめた。得物を奪い取られると同時、それは一瞬光って虚空に消える。
 いやだから、実際撃つわけはないのだと理解はしている。しているから本気の恐怖はないが、だからって、仲間を威嚇するのを咎めるにしては声色が甘すぎやしないか。どろっどろだ。暴走を止めるためにしてもあそこまで密着する必要はない。あれでは羽交い絞めというより単に抱きしめているだけである。たぶん。シオンはシオンで、武器を取り出しておきながら背後の相手に対して無防備すぎた。
「だっ……」
 だって、と言おうとしたのだろう。それを遮って薄紅色の頭にばさりとショールが被せられる。
「ほら、恥ずかしいなら顔隠しとけばいいだろ? 銃はやりすぎだ」
「…………」
 ショールは淡色なので、夜目には他より浮き上がって見える。そういえば子どもの頃、シーツを被っておばけの真似事をして遊んだような。俺はいったい何を見せられているんだ。思わず遠い目になってしまったところで誰が彼を責められるだろう。いや責められる筋合いはあるまい。半ばやけくそ交じりで独り問答する。
「あ、の……ごめんなさい、ロウ」
 見えなくなったおかげで羞恥は多少弱まったらしい。しおらしく謝られる。未だ赤い指先が羊毛の房飾りをいじっていた。
「……ああ、うん。かまわねえよ、気にすんな……」
 できるだけ明るく応えてやりたかったが、どうにもうまくいかない。だって力が抜けてしまった。それは身の安全が担保されたという安心からではなく、ただただ精神にダメージをくらったからだ。
 なんだあれ。なんだあれ。寝ぼけてたにしたって、要はいつも似たようなことをしているってことだろう。おはようのキスか。習慣なのか? 友人たちが仲睦まじいのは重々承知だし喜ばしいことだが、それとこれとは別だ。わざわざ見せつけろとは言ってない。
 大声あげて頭を掻きむしってごろごろ転がりまわりたい。なんか痒い。うずうずする。
「あ、頭を冷やしてくるわ!」
 ショールごと身をひるがえし、シオンは駆け出した。
「あ、シオン!」
 アルフェンが迷うように年長組のほうを見やる。キサラは心得顔でうなずいた。
「食べられるようになるにはもう少しかかる。はぐれはそういないだろうが、一人にはしないほうがいい。行ってやれアルフェン」
「っ悪い! すぐ戻る!」
 一声言いおいて、彼もまた弾かれたように走り出す。
 二人が向かった方角は、先ほどロウたちが水くみに行った沢だ。おあつらえ向きに冷たい水が流れていることだし、文字通り頭を冷やすには良い場所なのだろう。
 でも。
「しばらく戻ってこないんじゃねえかな、あれ」
 二人きりになれたのをこれ幸いと、好きなだけいちゃついてくるのではなかろうか。
 混乱の原因が目の前から消えれば、心は急速に落ち着いてくるものだ。なんだかとてもひどい目にあった気がする。呻くロウの傍らで、テュオハリムが火に小枝を投げ入れた。ぱちっと弾ける音がする。
「ふむ。……星空の 孕む静寂 切り裂いて 重なり響く 青き春かな ……青い……か?」
 キサラが吹きだす。
「か、って……どうして疑問形なんです」
「青っつーか桃色だろ」
「もうロウ、余計なこと言わない!」
 リンウェルには怒られたが、テュオハリムはどうやらロウと同じ思いだったらしく、彼女の死角で首肯した。フッ……といつのまにかまた外に出てきたフルルがまったくこいつは、と言わんばかりの目つきで凝視してくる。
「ほら、まだ終わりじゃないぞ!」
 ぱんぱんとキサラが手を叩いた。目の覚めたような気分になって、思わず彼女に注目してしまう。腰に手を当て、我らが料理長様はもうすっかりペースを取り戻していた。というかもともとそれほど動揺しているようには見えなかった。そこが大人と子どもの違いというやつなのだろうか。
「煮えるまでの間にリンウェルはリンゴを剥いてくれ。ロウは皿を出す」
「はあい」
「へいへい、働くぜ〜」
 帰ってきたらシオンは、今度は自分だけ何もしなかったと言ってしょげるのかもしれない。でもきっとアルフェンがうまいこと宥めるだろう。丸投げしておけばいい。
 ロウはふと頭上を見上げた。
 地上であれこれ起こった間にも、星の配置はちっとも変わっていなかった。
「なに黄昏てるの? ロウ」
「フッ」
 せっかくしんみり静かな気分になれそうだったのに、またしても邪魔される。
「黄昏てねえし! 星が綺麗だなって思っただけだし!」
「それを黄昏てるっていうんじゃないのー?」
「フッ」
「さっきからフッフフッフうるせえぞフルル!」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐ少年少女と一羽に、大人たちは忍び笑いを漏らすだけで何も言わないし加勢もしてくれない。
 ああもう、ちょっと意識をよそに飛ばすことも許してくれないのだから。
 だけど静かにしたいと思う反面、こうやってかまわれることに安心する自分がいることも、ロウはちゃんと自覚している。
--END.
おはようのキスは習慣ですよね。当然ですよね(したり顔)
寝ぼけてぐいぐいいくシオンといつもは攻めがちなのにあたふたするアルフェンが書きたいだけの話だった。まんぞく。

ロウはわりと思ったことすぐ口に出す傾向はあるけど、同時に慎重で用心深くて悲観的なので飲み込んでる言葉もそれなりにあるのかなーと思います。生来の気質と幸福な幼少期の環境と、少年期に放り込まれた過酷な状況、そこからの解放と消えない悔悟。それらが絶妙に交じりあって今の彼を作り上げたんでしょう。
それを頭から離さず打ってたつもり…だけど、うん、まあ。
こう並べたててみるとリンウェルの状況というか経緯も似てるんだなあ。
アルフェンも似てそうだけど作中ではっきりせんのでわからん。

こっからは今回の話とはあんま関係ないけど。
ED後一か月くらいは全員一緒にいそうだなという気はしてるんですよね。あちこち転々としつつ。絶対忙しい。あっちでトラブルこっちでトラブル。
それから数か月かけて少しずつそれぞれの足場というべき場所を定めていくんだろうと。
数か月後にアルフェンとシオンが同居を始め、さらに数か月後に結婚式やって。
(いやもしかして数か月どころじゃないかもと後で思い始めた…1〜2年は不本意でも炎の剣の肩書背負って六人つかず離れず一緒に居てがんばる可能性もあるな…リバースみたいに)
といっても、何をもって正式な婚姻とするかははっきりしないんじゃないかなと正直思っている…血統管理されてたレネギスはともかくダナ人の正式な戸籍はなさそう。婚姻管理もしくはコントロールして出生把握しても、わざわざ記録までは残さないでしょ。カラグリアとかガナスハロスとか人というより消耗品扱いだし。結局「お披露目」をして周囲にはっきり披露、認識してもらうというのが節目な気もする。
だって近代に入ってからはともかく中世の冠婚葬祭ってたいてい宗教がらみだよな…双世界の宗教…ないよな?
敢えてあてはめるならダナレナの星そのものと星霊力を象徴・信仰対象にするアニミズム…?
わからん。
メナンシアくらいはテュオが領将になってからぼちぼちシステム作りしてそうだなと思うんですけどね。ED後は余計そのあたりこだわって先駆けしつつ全土で確立していきそうではあるので、アルシオの結婚記念日は正式に記録に残されるはず。だ。
(2021.10.16)