おどる光たち
 街並みを照らす燈曾の数が、いつもよりも多い。
 この日のため事前に、カラグリアから大量の燃料を仕入れて備えていたのだとは聞いた。彼女が子ども時代を過ごした里は決して貧しくはなかったが、隠れ住んでいたがゆえにことさらに豊かでもなかった。読書のために睡眠時間を犠牲にするとそのぶん蝋燭の減りも進んで、ときおり釘を刺されていたものだ。いくら常闇の国といえど夜はちゃんと寝るべきだし、無駄遣いも良くないと言って。
 ここヴィスキントは今となっては世界で一、二を争う大都市に発展している。だから日が暮れても、人の行き来は少なくなることはあっても途絶えはしない。当然明かりが消えることもない。通りがいつもいつもこんなふうだったなら、もしかしたら彼女も少しばかり眉をひそめたかもしれない。なにしろ視界の確保という目的を通り越してきらきらちかちか、まばゆいくらいなのだから。これじゃ星も見えやしないじゃないか。
 でもたまの贅沢ならこういうのも悪くはなかった。もともとある街灯の隙間を埋め尽くすかのように吊り下げられた、色とりどりの光は美しい。赤や黄色、青、緑、紫。そのほか言葉で言い表すにはどうにも足りないような気がしてしまうほどに、鮮やかに染めつけられた色硝子を通して揺れる影は、これまたいろいろな形をしていて見ているだけで飽きないのだ。
 あの壁に映り込んでいるのはお座りした猫。石畳に躍る幾何学模様は何をもとに意匠をこしらえたのか彼女の知識では推測がつかない。道行く人の頬を髪を衣服を、ちらちら彩るあれは花びらか。気に入った燈曾の真下で足を止める大人や子どもの姿もそこここに見られた。
「おいリンウェル、速い、速いって」
 景色にはしっかり見惚れている。だけど目的だって忘れてはいない。人波をすいすい器用に避けながら――思えばこういう歩き方も昔はできなかった――リンウェルは傍らをつかず離れずぴったりついてきている少年を横目に見やった。
「べつに、ロウならついてこられない速さじゃないでしょ」
 現に少々息の上がっている少女を尻目に、ロウはけろりとしたものだ。かすかに唇を尖らせたリンウェルに気づいているのかいないのか、彼は眉尻を下げた。
「そりゃ平気だけどさ……こんなに急いで動いたら見落としかねないぜ。どこにいるかはわからないんだろ?」
「まあそうなんだけど」
 夜に沈んだヴィスキントは、けれど闇の中にあって明るく華やかに浮かび上がっている。街道あたりからこの街を眺めたならきっと、空までうっすら白んで見えることだろう。
 今夜を含む数日は、無駄遣いを承知で飲み、食い、浮かれ騒ぐ期間だと土地のものたちの間で認識されている。最近は他領にまで評判が広がって、わざわざ見物に訪れる人もいるくらいだった。いわゆる祭りだ。
 名目はいくつかある。どれが本当なのかわからない。分かたれて生まれてしまった双世界がひとつとなれた祝いなのか。類を見ないほどの支持を得た領将テュオハリムが無事帰還した喜びなのか。未だ融和を果たしたとは言い難いダナとレナの距離を縮めるためのどんちゃん騒ぎか、それとも単に思いきり遊んで日ごろの鬱憤を晴らしてしまえということか。
 どれが本当なのかわからない。たぶん人それぞれ、ひとつだったりふたつだったり全部だったり。もしかしたらリンウェルが思いつかないもっとたくさんの理由もあるのかもしれない。
 もともとの住人と近隣の民と、そして他所から来た人々がいる。普段に増して人口密度の上がった街で、しかもここはメインストリートだった。油断するとすぐ肩と肩がぶつかって、まあたいていは一言謝りあうだけで終わるからいいのだけれど。裏路地のほうからは怒号も聞こえてくることがあるのでもちろん近寄らない。探し人だってそんな陰のほうには行きたがらないだろうし、いるとしたら飲食を提供する店だ。おそらく給仕が回ってくれるようなお行儀のよいところではなく、席も量も内容も、自分で決めて自分で買って自分で運ぶいわゆる出店。
「シオンなら絶対、どこかの屋台で買い食いしてると思うんだよね。しかも大量にだから歩き食べじゃないはず。アルフェンも一緒にいるでしょ。まずはこの通りを端っこまで行ってみないと……急がなきゃ日付変わっちゃうじゃない」
「いやどんだけ長いこと見つからない想定で話してんだ」
 突っ込みは右から左へ流す。
 家族のような時間を過ごした旅路はもう過去のこと。今では各々の生活があって、毎日のように会うことはできない。最終的に合流する場所も時間もあらかじめ申し合わせてはあるけれど、みんながそろうのはしばらくぶりのことなのだから。少しでも長いこと一緒にいたいのは当たり前ではないか。
 シオンの髪はあまり見かけない、花のような薄紅色だ。アルフェンの銀髪も光を弾いて目立ちやすいけれど、何しろ珍しくはない。よほどのことがなければこのような夜だ、ふたりは一緒にくっついて行動しているに違いない。であればシオンの姿を求めたほうが視覚的にはきっと効率がいいはずで、すれ違う人も忘れはしないがまずは通りの脇で人々が思い思いに飲食しているあたりを特に重点的に選んで目を凝らす。
「お、いたぜ。シオンだ」
「え、もう見つけたの?」
 たぶん意気込みはリンウェルのほうが上だったはずなのに、あっさりロウに先を越されてしまった。
 上空を飛んでいたフルルが舞い戻って来て、リンウェルのフードの中にちょこんとおさまる。
「フルッ」
 負けちゃった、と言っているがロウにはわからないだろう。そもそも勝負をしていたわけでもなし特に悔しくもないのだが、雰囲気で何かを感じ取ったのか少年は言い訳がましく苦笑した。
「まあシオンはいろんな意味で目立つしよ……んー、でもアルフェンは見えねえな」
 若干背伸びをして、ちらちら躍る光を遮るようにロウが手庇を作った。
 もう片方の手で示された方向を見やれば、確かに話題の人物らしき後ろ姿がある。本人の優美な姿とは裏腹に、腰を落ち着けているのは何の細工も塗装もなされていない、木組みそのままの素朴な椅子だった。椅子にはもちろん背もたれなどない。けれどすっと伸びた背筋に、流れる豊かな花の色。探していた姿と寸分狂いはなかった。
「ほんとだ、アルフェンはいないみたいだね……あ!」
 鋭く一声上げて、リンウェルは姉代わりの女性の背に突進した。
「シオン!」
 いきなりで驚かせないように名前だけは呼んでおく。反応して肩が跳ねたのを確認してから、ぎりぎりで踏んばって止まった。大急ぎでそこらに余っていた椅子を持ち上げ、密着しそうなくらい近くに置いて、ぴょこんと滑り込んで座る。
 シオンがやわらかい視線を向けてくるのに、こちらは顔いっぱいで笑ってみせた。
「リンウェル。驚いた、よく見つけたわね」
「このあたりにいるんじゃないかなって思ってたんだよー。正解だったね。ね、アルフェンは一緒じゃないの?」
「ああ、アルフェンなら」
「……申し訳ない、話の途中なんだが」
 戸惑ったような声が聞こえて、リンウェルは内心だけで舌を出した。
 そんなこと百も承知だ。わかっていて割り込んだのだから空気を読んで退散してくれればいいのに、向かいの席に座った男性はなおも未練がましく焼き鳥の串を持ったシオンの手をめがけて指先を伸ばしてきた。
 当然触れることなどかなうわけがなく、かわされる。フルルが羽ばたいて、今の今まで彼女の手があった場所に舞い降りた。撫でるか? 撫でるのか? 少しくらいならいいよと言わんばかりに大きな目をくりくりさせて首をかしげてみせているが、怪訝な顔をされるだけだった。
 この子なりの牽制だが、通じてはいない。通じたらある意味すごい。
「話、話って。あなたさっきからそればかりで、なかなか本題に入らないじゃない。用がないなら邪魔しないでちょうだい。私忙しいの」
 何にと問われれば食事にと悪びれず返すのだろう。だが彼はその点について追及してくることはなかった。ただちいさくため息をついた。
 隣ではなく向かいの席だ。最低限の距離は保っているものの隙あらば接触を試みている風で、なんとも露骨な下心の透けて見える人だった。チュニカ・レネを着ているからたぶんレナ人。シオンが今身に着けているのはダナでも一般的なすっきりしたブラウスとスカートだけだが、彼女のこだわりで随所にレースがあしらわれていて、見るものが見れば上等だとわかる。服の質と所作や雰囲気で、同じくレナだとあたりをつけて話しかけてきたのだろう。年は二十代半ばといったところか。それなりに自信があるのか、シオンにすげなくされてもまだめげていない。
 ダナであるリンウェルとロウを前にしてもあからさまに居丈高にはならないあたり、悪人というわけではないのかもしれないが。いやでも人は見かけだけでは判断できないものだし、ちょっと喋ったくらいじゃ考えていることもわからない。
 何よりシオンにちょっかいをかけている若い男、という時点で、リンウェルにとっては最大の警戒対象である。
「それは……だから、大事な話なんだ。ここではちょっと」
「ここで話せないようなことなら聞く筋合いもないわ。だいいち私、連れと約束しているのよ。ここで待つって」
 なるほど、そのやり取りでだいたい経緯は理解した。たぶん。リンウェルはロウとこっそり目配せしあった。
 アルフェンは何かしらの理由があって今は席を外している。戻ってくるまでここを動かないと約束したから、振り切って逃げることもままならずにいるのだ。強引な真似をしてくれば銃の一丁や二丁取り出してみせるところだが、そこまでではない。こんな夜にこんな目立つ場所で騒ぎを起こすのも興覚めだということで、どうにか穏便に追い払えないものか辛抱強く相手をしてやっているらしい。
 シオンの機嫌がそう悪くないように見えるのは卓に所狭しと並べられた料理のおかげだろう。種類もすごいが、個々の皿の山盛り具合もすごい。おにぎり、炒飯、焼きそば、サンドイッチに蒸かし芋、ハンバーガー。待って炭水化物ばっかり。かろうじて串焼肉や果物の盛られた皿もあるけれど、おおむね炭水化物ばっかり。会話の合間にも食べ物は順調に減っていっている。いくら彼女が人目を惹くといえど、この様相を見て声をかけてくるあたり彼はなかなかの猛者なのかもしれない。
 ……でもまあ、確かに邪魔なんだよね。
 すぱっと切り捨てて、リンウェルはにっこり笑顔をレナの男性に向けた。
「お兄さん、お姉ちゃんとお喋りしてくれてありがとう。私たちが来たからもう大丈夫だよ。行ってくれていいから」
 礼を言いつつ、とっとと去ねと皮肉も混ぜる。
 一声かけた際に名は聞かれてしまっているだろうが、繰り返して印象付けるのはなんだか嫌だった。食事の邪魔にはならなさそうなほう、シオンの左肩に軽くもたれかかって黒髪を擦りつける。離されるどころか、ふっとこぼされた笑いを含んだ吐息に、彼女はますます口角を上げた。
 そう、お呼びじゃないのだ。かわいいかわいい妹分と弟分が参上したのだから、連れが戻ってくるまでの暇つぶしのおしゃべり相手にだって事欠かない。ましてどこかしらに連れ出して人目のないところで二人きりになろうだなんて――ここで話せないことがあるだなんて単なる口実で、絶対それが狙いに決まっている――そんなのシオンとアルフェンを知るものなら許すはずがない。なんとしても阻止する。本人たちのためと、それから相手と周囲の平穏のためにも。
「……おねえちゃん? だが、君は」
 リンウェルはおのれの眉尻がぴくりと跳ね上がるのを自覚した。ちがう、拾って欲しかったのはそこじゃない。
 いや、わざとたがえて受け取ったのだろうか。いちいち確認するところでもないだろうに細かい男だ。まだ引き下がらないとかかなり面倒な部類なのかもしれない。これは何か別の手も考えなければならないか。
 あくまで笑顔は崩さないまま。その裏で少々物騒な策も巡らせ始める。声に出さずともまとう空気を敏感に感じ取っているのだろう。リンウェルを静かに観察して口の端を引きつらせていたロウが、突然救い主を見つけたかのような声をあげて手を大きく振った。
「あ、アルフェン! アルフェン、戻ってきたな!」
 このタイミングだ、ロウにはまさしく天の助けに思えたに違いない。リンウェルとロウがこの場にいることは予想外だったのか、アルフェンは灰青の瞳を一瞬見開いた後、ぱっと破顔した。
「ロウ、久しぶりだ」
「おうよ!」
 足早に歩いて来てロウと拳を打ち合わせている。少年はいえーい、なんて言いながら小躍りしていた。暢気なもんだなあと思うが、シオンに関する問題はアルフェンさえいれば大半がすぐに解決する。それが仲間内における共通認識だ。
 だから、もう何もかもが片付いたような気になってほっとしてしまうのは、リンウェルにだってうなずけないことはない。
「アルフェンお帰り〜」
「リンウェルももう来てたんだな。すまないシオン、待たせ、た……?」
「ぐえ」
 立ち上がろうとした瞬間、蛙が潰れたときのような声が出た。
 何かこう、お年頃の少女の喉からはあまり発されないであろう類の音だった。
 しかし当の本人であるリンウェルにはわかる。これは自分の声だ。というかまさしく潰されたのでこういう悲鳴が出てしまうのは不可抗力だ。
 眼前に兄貴分のシャツが広がり、背後からは姉貴分の体温に覆われる。温かい、いやむしろ暑い。どうやらシオンが、隣に座っていたリンウェルを巻き込んで力いっぱいアルフェンに抱きついたらしい。らしいと認識できたのは、慌てた青年が恋人の肩を押し戻して空間を作ってくれてからだった。
「ちょ、シオン! リンウェルが、リンウェルが潰れてる!」
「サンドイッチの具みたいになってんぞ!」
「フ、フル〜!」
「……あら?」
 さすがに気づいてまで抱擁を続行するつもりはなかったようだ。力が弱まった隙に、ロウが腕を引っ張って救出してくれた。
「ごめんなさい、リンウェル」
「へへ、いいよ〜……だいじょぶだいじょぶ」
 ちょっとぐらぐらするけれども。気分は悪くない、ちゃんと立てる。加減さえしてくれるなら、両方からぎゅうぎゅうしてもらうのもまたおつなものだと思えるのだ。なにせ大好きなふたりなのだから、抱きしめられること自体は歓迎だと言っていい。そう、加減さえしてくれるのならば。
 心配そうな目を向けてくる友人たちに、それから肩にとまったフルルにとりあえずの笑みを返しておく。
 それからようやく、全員が黙ったままのレナの男性の存在に気づいた。いや思い出したといったほうが正しかった。
 疎外感を覚えてか、呆気に取られているだけか。ぼんやりされていてはかける言葉にも困る。シオンはどうも意図的に無視しているようなふしが見受けられるけれど、そのままいなかったような扱いにしてしまうよりは、ちゃんと色々見せつけて追い払ってあげるほうが今後のためにもいいのではないだろうか。
 ちょいちょい袖を引っ張ると、シオンは微妙に嫌そうな顔をした。機嫌は悪くない、が、かといってこの事態が愉快というわけでもない。そんな内心がひしひしと伝わるようだった。
 なによりアルフェンの見ている前で、これ以上軟派男と話なんか続けたくないと目が訴えている。
 それでも正しいと認めた選択肢は迷わず取りに行くのがリンウェルのよく知る彼女だ。予想どおり躊躇したのは一瞬だけで、決断してしまえば行動も早かった。
「こういうわけだから」
 前置きして、長々とこの場に居座る部外者(しかも若い男だ)に、かすかに気配を尖らせ始めたアルフェンの手の甲を宥めるように撫でる。そのまますり寄って、ほっそりした腕で彼のそれを抱き込んだ。いかにも慣れた仕種だった。
「あなたのお話とやらがどれほどのものかは知らないけれど、そろそろ退散してくれないかしら」
 椅子も足りないわ、と駄目押しの一言をつけ加える。つんと顎をあげながら嘯くシオンはいかにも気位が高そうに見えて、だけれどとても愛くるしい。その横顔に見惚れていることを取り繕いもせずに、男性は首をひねった。
「君はレナだろう?」
「そうよ。それがどうかして?」
 返答に詰まるような問いかけではなかった。シオンは平然と返した。
 ダナとレナは、違うと言えば違う。けれど同じと言えば同じだ。
 他領であればともかくここヴィスキントでは、両者の交流はごく普通のことであって珍しくはない。現にそこらで飲み食いしているいくつかの集団だって、ダナだけだったりレナだけだったり混ざっていたり、その比率もさまざま。そんな状況にある中で人種を持ち出したところで意味のない問答になってしまう。男性からも敵意自体は感じないから、なおさらだ。
「夫と友人たち――妹分と弟分よ。初対面のあなたより優先するのは当たり前のことだと思うの。そうでしょう」
「……正確には予定だよな……?」
「しっ、ここは黙ってろロウ」
 ささやかな確認は艶やかな笑顔で封じられた。
 圧が向けられたのは主にロウだけなので、リンウェルはフードの中に戻ってきたフルルともども黙って状況を見守ることにする。アルフェンもとりあえずはシオンに任せてみようと考えたのだろう。全身にかたく漲らせていた力を抜いて、彼女にいいようにくっつかれている。
 そう、シオンは腕を組むなどという次元をとうに越えて、半身をぴったりとアルフェンに寄り添わせていた。
 まあ仲がいいのは何よりだ。いい加減慣れたというか、さすがに往来で濃ゆく――これはロウの言であって、リンウェルには濃いだの薄いだのの判別はつかない、おそらく今のところは――いちゃつかれ始めたら目のやり場に困ってしまうけれども。くっついているくらいなら本当にいつものことなので、正視するも余裕である。
「は、夫……結婚しているのかい? レナとダナが? ……いや、だが、そういえば……」
 幸いというべきか男性の反応は、理解に苦しむといったふうではなかった。何か記憶を掘り起こしてでもいるかのように忙しなく瞬きを繰り返している。
 いきなり否定から入らなかったあたり、なにか心当たりはあるのだろう――時間はかかってしまうけれど、こういう場合は口を出さずに納得するまで考えさせてやったほうがいい。じりじりしながらもリンウェルは待った。
 やがて解を見出したのか、彼はひとつうなずいた。
「そうだ、たしかに聞いたぞ。どこぞのご令嬢が双世界の友好のために、ダナの英雄に降嫁されるという話があって……君たちが、そうなのか?」
「……降嫁って」
 アルフェンが眉根を寄せてちいさく呟いた。そんな兄貴分を一瞥してから、ロウが耳元に口をよせてくる。
「こうかってなんだ?」
「えっとね、身分……うーん、レナ風に言うなら家の格? が上の女の人が、格が下の男の人のおよめさんになることだよ。……そういえば、今のダナでは使わない言葉なんだよね」
 だからこの件に関しては、ロウが無知だというわけではない。今を生きる一般的なダナ人が、その音だけを耳にしてぱっと意味を推測することは当然難しい。
 ダナは長らく、等しくレナの奴隷としての立ち位置を強いられてきた。つまりダナ同士では身分の差など存在せず、そして支配階級であるレナと被支配階級であるダナの婚姻も、少なくとも表向きではありえなかった。リンウェルがすぐに会話の流れを把握できたのは、子どものころに読んだ物語の中でなんとなく蓄えた知識があったからだ。それと、アルフェンの表情の変化を見たからだ。
 三百年前のダナの社会では階級差が存在していた。かつてミハグサールで認識した史実に、気づこうと思えばもっと以前から気づけていただろう。その手掛かりは故郷にいた頃から充分与えられていたはずだった。そう思うと少しだけ情けない気はする。でも今の問題はそれではないので、反省と自戒の念はいったん横に置いておく。
 男性の口調はそれだけ自然で、嫌味も悪意も感じられなかった。少しだけ出会ったばかりの頃の――今は違うが――テュオハリムを思い出す。育ちの良さゆえに、逆に自身が相手を見下していることに気づけていないのだ。
 反応を見るに、アルフェンもまず間違いなく向けられた言葉の意味をきちんと理解しているのだろう。怒り心頭というふうでもないが、少なくともいい気はすまい。それが証拠に目つきが胡乱になっている。
「? そもそも夫婦になるのに、上も下もあるか?」
 そしてロウはといえば、さっぱりわからないといった顔で首を傾げていた。理屈を学んでも彼の感覚は純真だ。そういうところはわりと好きなんだよねと思いながら、リンウェルは重ねてひそひそ囁いた。
「ないけどさ。レネギスは階級社会でしょ? ……しかも家とか一族とか重視されてて、基本的にそういうのの代表になるのは男の人で」
「っあー……うん。なんとなくわかったかもしんね……」
 ロウはがりがりと頭を掻いて唸った。
 束の間ぽっかりと沈黙が落ちる。
「……あなた、いったい何を言っているの?」
 どこか気まずい空気を裂いたのは、シオンの心底不思議そうな声だった。
 かすかに頭を揺らすのに、結い上げた髪がさらさらと流れて華奢な肩を零れ落ちる。毛先が密着したままのアルフェンの肌をかすめて、彼は少しだけくすぐったそうに身じろぎした。
「家も世界も関係ないわ。私たちは愛しあっているんだから、一緒になるのは自然なことでしょう」
「……。……シオン?」
 様子を窺うような夫(予定)の囁きが届いているのかいないのか。いっそ無邪気なくらいの顔をして、シオンはますますぎゅうぎゅうと青年の腕を抱きしめた。
「私たちを見て、レナとダナも歩み寄れるんだって思う人が増えるのなら、それはもちろん嬉しいけれど」
 言い差して、かたわらの恋人を見上げる。シオンの満ち足りた表情につられたのか、アルフェンもまた眉間に寄せていた皺を消して口許を緩めた。
「でもね、それとこれとはまた別の話よ。できることがあるのなら、可能な範囲で協力はする。ただ、これだけは誰に強制されたわけでもない。私自身が望んだことだから」
 そうだろう。リンウェルは面に出さずに深くうなずいた。シオンなら、リンウェルだって、好きでもない人間と番えなどと強いられたら全力で拒否するに決まっている。
 たとえば誰かを何かを質に取られるとか、生活が立ち行かないとか。物語の中では女性でも男性でも、望まぬ相手と婚姻を結ぶひとたちというのはいた。いや彼女が見聞きしたことがないというだけで、きっと現実でだってあり得ない話じゃない。
 ただまあこのふたりの場合は、そういう要素が存在したならそれこそあらゆる手を使ってでも排除し、事態を望む方向にもっていくのだろうからして。なにせそれだけの情熱と執着と力量を充分に備えているばかりか、周囲も協力を惜しまないときているのだ。
 その結果――集大成? が、今リンウェルの目の前で繰り広げられているいちゃいちゃである。
「ややこしいことなんて何もないわ。私はアルフェンがいい」
 深呼吸し、彼女は腹の底から高らかに宣言した。
「このひととずっと一緒に生きていくんだって、私が決めたのよ」
「…………」
 涼やかで、麗しく。そんな楚々とした佇まいから繰り出される予想外の熱量に、気圧されてレナの男性は目を見開いて口を噤んでいる。
 それを尻目に、少年少女と一羽はちょっとだけ距離を取った。そしてひそひそ顔を寄せ合った。
「すっげ、言いきったぜ……!」
「シオンって時々発言が大胆だよね。アルフェンもだからある意味お似合いすぎるんだけどさ」
「フルッ」
 フルルもそのまま定位置にいるけれど、向いている方向はリンウェルとは逆だ。興味津々ふたりを見つめて翼の先をぱさぱささせている。
 この子はアルフェンとシオンがいちゃついているときはわりと『ようやるわ』とでも言いたげな目をしていることが多いのだけれど。あまりに直球すぎて、呆れるを通り越して顛末がどう収まるものか気になって仕方がなくなってきたらしい。
「私はアルフェンを愛しているし、アルフェンも私を愛してくれているわ。大切なのはそれだけで」
「シオン、シオンちょっと」
 さすがに居たたまれなくなってきたのかもしれない。アルフェンは自身にくっついたままの恋人の肩をゆすった。
 なにしろシオンはここまでの間、まったく声を抑えていない。戦うもののそれはたとえ戦場であっても遠くまで届く。特別張っていなくとも凛としたその響きは往来の注目を集め始めていて、見回してみれば少しずつ野次馬が増えていた。
 ……なんだかんだでアルフェンとシオンは(自分とロウもだけれど)ヴィスキントに顔見知りが多い。一方的に知られてもいるだろう。何人もが固唾をのんで、じっと成り行きを見守っている。なんだかちょっとした見世物みたいだ。
 シオンは何食わぬ顔をしているが、アルフェンの頬はうっすら上気してきていた。
「わかった、わかったから。ちょっといったん止まろう、な」
「あなたはわかっていても、この人はわかっていないみたいよ。だから何度でも言ってやるの。私はあなたを愛しているって」
 そこでうっかりひとつの事実を思い出してしまったのだろう。シオンは上目遣いにアルフェンを見つめた。
「……ねえ、私は言ったわよね。何度も。あなたのほうは、言ってくれないの?」
「へ、俺?」
 これこそが藪蛇というのだったか。矛先がアルフェンに向いてしまって、彼の怯むさまをまさに目撃してしまって、リンウェルはちょっと遠い目になった。
 恥ずかしい台詞は先に言ったものが勝ちだ。一方的にぶつけられたほうは開き直って同じように惚気るか、それともあたふたと羞恥に振り回されてしまうか。ふたつにひとつの道を選ぶしかない。
 今回のアルフェンは後者だったようで、あーだのうーだの唸りながら口をぱくぱくさせている。頬を寄せてくるシオンからさりげなく逃れ、ふと瞬きして目を眇めた。
「……酒くさい」
 呟いてさっと卓の上に視線を巡らせる。
 その先にあったのは陶製の大きなジョッキだった。大量の食べ物を載せられた皿の群れに埋もれてなお、しっかり存在感を放つ程度には大きい。リンウェルの身長では届かないけれど、彼の位置からならその中身まで瞬時に見える。アルフェンは一転慌てたようにシオンの肩を掴んだ。
「シオン、俺の麦酒飲んだな!?」
「? ええ、飲んだわよ。せっかく冷やしてあるのに台無しになりそうだったんだもの。あなた、戻ってくるの遅かったし」
 ぬるくなったら味が落ちるし、もったいないじゃない。
「それはまあ、確かに待たせた俺が悪い……悪いんだが! いやでもな、この量……ああ、全部飲んでるし……!」
 悪びれず続ける彼女に反論もできず、アルフェンは天を仰いだ。
 酒に親しんだものから言わせれば、醸造法によってそれぞれ飲むに適した温度というものがあるそうだ。ジョッキが汗をかいて濡れているところを見るに、麦酒は冷たいほうが美味しいということなのだろう。人いきれのせいかここらはちょっと空気がむわっとしている。だから冷たい飲み物が欲しくなる、という点についてはリンウェルにも異論はないが。
「つまり酔ってるな? 酔っぱらってるんだな?」
「責められる筋合いはないわよ。今重要なのはそこじゃないの。ねえ何度言えばいいの、私は」
 なるほど確かにアルフェンの指摘するとおり、シオンは酔っぱらっているらしかった。
 最初はそんな様子もなかったから、本格的に酔いが回ってきたのはつい先ほどからだろうか。横合いから見ていてもわかる、目がとろんと濁っていて、その際も赤く染まっていた。周囲のざわめきはまったく耳に入っていない。いや周囲どころか、これは下手をしたらリンウェルたちの存在をもひととき忘れ去っている。
「アルフェン」
 ひたと見据えられ、アルフェンは観念したかのように一度かたく瞼を閉じた。息をつき、身をかがめて恋人の耳に唇を寄せる。
 もちろん声など届かなかった。何を言ったかも聞こえなかった。
 けれどこの状況で彼が口にする言葉など決まりきっている。そんなこと推測するまでもなく一目瞭然で、シオンはまるで花が咲くようにあでやかに笑った。
「……ふふ」
「まったく……」
 満足げに胸にすりよってくる相手を拒むことなど、考えつきもしないに違いない。男の腕がそろそろと動き、けれどあるところで吹っ切れたのか力強く華奢な背を包み込む。
 野次馬の興奮は最高潮に達した。
 鳴りやまない口笛の中でふたりは、けれどたしかにお互いしか見えていなかった。あまりにも大盛り上がりで、離れたところからもなんだなんだと見物人がやってくる始末だ。
「…………あー、と。今のうちに、こっそり退散しといたほうがいいんじゃねえかな」
 あ、忘れてた。
 素直にそう思ったリンウェルの後ろで、ロウがレナの男性の肩をぽんと叩いた。
「フル〜! フルリルッ」
 フルルはリンウェルのフードから飛び出して行って、アルフェンとシオンの頭の周りをくるくる旋回している。なんだかとても楽しそうなのであちらはあちらで任せておこう。
 リンウェルもロウとは反対側の、男性の肩をぽんと叩いた。
「私もそれがいいと思うよ。今なら忘れてくれてるし」
「……。……ああ、うん。そうだね……?」
 さすがにここに割り込んでまで続行する気にはなれないだろう。無理もない。
 心なしかげっそりした様子の彼には同情半分、ざまあみろという気持ち半分。ここまで注目を浴びるとは思っていなかったけれど、今なら恋人たちが衆人環視のなかいちゃついているだけという体で終わらせることができる。その近くにひっそりと立っている部外者のことなど、誰も気に留めないだろう。いつの間にか姿が消えていたとしたって、あれ誰かいたかな? くらいのものだ。
 激昂するでもなくただ果てしなく疲れ苦笑して去る背中を、少年と少女は手を振って見送った。控えめに手を振り返してくれるあたり、まあ、やっぱり悪い人ではない。
 角を曲がって消えるまで。そのまま見送って待っていれば、周囲も徐々に落ちついてきているようだった。他人の恋愛はたいていの人間にとって最高の娯楽だ、だって他人事なのだから。それがうまくいっている風なら罪悪感だって生まれようがないし、余計に楽しい。
 ただいつまでも揶揄い続けるのもまた野暮、というのが共通認識だった。人の輪は徐々に崩れ、ばらけて、笑顔が思い思いに散っていく。その中心でふにゃふにゃ揺れているシオンの肩を支えるアルフェンに、ロウが黙って近寄っていく。後に続いた。
 ほっとした顔で迎える青年と少年の間を阻むものはいない。リンウェルは脇に追いやられていた椅子を差し出し、シオンに座るよう仕種で促した。けれど彼女はうなずかず、アルフェンの肩を押さえつけて彼を座らせる。そして何故かその膝の上に横向きでちょこんと納まった。
「……。……まだ酔ってんな、シオン」
「……。そうみたいだね……?」
「勘弁してくれ……」
 アルフェンの手は大きいから、片方だけで顔の大半を隠せてしまう。とはいってもすっぽり覆えるわけでもないので、指の間から見える肌が真っ赤なままなのは簡単に見て取れた。
「ふむ。宮の客室なら余裕があるが、そちらで休ませるかね」
「フルッ」
「あー。そのほうがいいかもしんね……って、うわ大将いつの間に!?」
「あ、テュオハリム。キサラも」
 ロウが文字通り跳びあがって驚く。戦闘中ほどではないにしろ、けっこうな高さだった。
 びょんとリンウェルより頭ふたつぶん上くらいの位置まで跳ねた彼は、けれど相手が知己であることもあってすぐに落ち着きを取り戻す。リンウェルはといえばロウが大げさなくらいびっくりしてくれたおかげで、却って何事もなくふたりを迎えた。
「そうさな、アルフェンが来る前には。つまりわりあい最初からだが」
 君が気づかないとは珍しいこともあるものだ、と返されてロウは肩を落として首を振った。
 ロウの気持ちはわからないでもない。人の気配や周囲の雰囲気に敏い彼といえど油断する瞬間はあるものだし、なにより――特にここヴィスキントでは、テュオハリムが移動するときは合わせて人波が動いたり割れたりして何かしらの前兆があるのだ。それが何もなく静かに寄ってきたものだから、リンウェルもまさか彼らが来ているとは思っていなかった。
 もと領将は、いつもの優美な装束ではなかった。ダナの労働者が着用するような簡素なシャツにズボン。特徴的な赤毛はターバンの中に押し込められていて、端正な容貌の上半分を真っ黒いサングラスが覆い隠している――って、サングラス?
「……夜だけど」
「む? ああ、良い夜だ」
 そういうことを言いたいんじゃない。ぼそりとしたリンウェルの突っ込みには律儀に相槌をくれたがそれだけで、結局核心のところは理解していない風で平然としているだけだった。彼女の脱力を察してくれたキサラが苦笑している。
 曰く、突っ込んでやるなと。
 もう突っ込んでしまったけれど、まあいいか。ちらちらと視線を集めながらも声を掛けられはしないのは、テュオハリムの恰好を見て民がああこれはお忍びのつもりなのだなと察してくれているからか。
 いつもの装束ではない。けれど、もちろんそこらの人々からは浮きまくっている。ちょっとした洒落っ気を出すためか腰に巻いている飾り布だとか、肩で風を切って歩く堂々とした姿勢だとか。見た目だけ変えたところでその本質を隠す気がまったくないのだから、本人は忍べているつもりかもしれないが、つまり気遣われて放っておいてくれているということだ。……ともあれ愛されているというのはいいことである。
「ていうかさ、見てたなら助け船出してくれたっていいじゃない」
 けっこうしつこかったよ、あの人。軽く睨むと、テュオハリムはゆっくりかぶりを振った。
「もちろん友のためだ。どうにもならないとあれば、それもやぶさかではないがね。彼はイルルケリスの派閥の者だから、私が出ていけば無暗に委縮させかねなかった」
 キサラを見ると、いつもはたしなめる側に回りがちな彼女も首肯する。
「アルフェンとシオンが一緒になることはふたりの意思だ。私たちはそれを知っているが、皆がそういうわけではないからな。出方によってはテュオハリムの命令だと間違った認識を広められかねない」
 それよりは、黙って見守っているほうがよかろうと判断したんだ。
 語られた理由をきちんと聞けば、それは至極まっとうなものだった。そういえばあのレナの男性も降嫁だなんだ言っていたが、要はふたりを結びつけたものが情でなく義務や利害なのだと解釈していたのだろう。そしてそれはそのまま、レナの間でおおかた流布している認識がまさにそうなのだという証左に他ならない。
 正直な感想を述べれば、腹立たしいの一言に尽きる。けれどこういうことは急には変わらないというのもまた本当だ。事実を知る人を少しずつ増やして、ゆっくり浸透させるしかないのだろう。ふたりを目撃すれば疑いなんてあっというまにどこかに飛んで行ってしまうに違いないのだから、思う存分いちゃついてもらうのが一番ということか。
「まあ実際、あっという間に撃退したもんな……」
「フルッフ」
 四人と一羽の注目を浴びてなお、酔っぱらったシオンは至極楽しげにアルフェンに絡みついていた。
 なにをするでもない。目のやり場に困るというほどでもない。ただただ厚い肩に腕を回してべたべたくっついているだけなのだけれど、なにしろここは公共の場だ。アルフェンはほとほと困り果てた様子で彼女の背中を高速で撫でている。
「ええっと、シオン。そろそろ水が欲しくならないか?」
「まだいらないわ」
「俺も腹が減ってきたんだが……」
「あなたは大丈夫でしょう、もう少し我慢なさい。ほったらかしにされていたぶんくらいは取り戻させてちょうだい。でなきゃ割に合わないじゃない」
「……ああー、うん。そう来るのか……」
 つまりひたすらかまえ、甘やかせと。リンウェルから見ても全開の笑顔が愛らしくて、邪険にしようなんてとてもとても思えない。アルフェンならなおさらだろう。
「シオン」
「あらキサラ。ふふふ、あなたも来たのねふふふふふ」
「…………これは、打つ手がないかな……?」
 早々に意味のある会話をあきらめたキサラの目配せを受けて、テュオハリムが顎に手を当てる。
「体調が急変するようなことはなかろうが……やはり、宮に部屋を用意させたほうが」
「いやそれはまずい」
 間髪入れず、遮るようにアルフェンがテュオハリムの言葉尻を引き取った。
 勢い込んだせいでおのれの膝からずり落ちかけたシオンの腰を引き上げ、抱っこしなおしてやっている。変なところで甲斐甲斐しい。それでまたシオンが気を良くしてぐにゃぐにゃしなだれかかっていくから、これはもう、事態を解決してくれるのは時間の経過のみ、なのだろう。
「今ふたりきりになるのはまずい。切実にやばい。このまま人目がある状態にしておいてもらわないと、絶対」
 早口で畳みかけるように続け、そこで神妙な顔を見合わせている年長組に気づいてごほんと一度咳払いする。
「……その、絶対また腹が減ったって言いだすと思うんだ」
 たぶんなにかを言いかけてやめた。声が上ずっていた。
「……。……それも一理あるか」
「……。そうですね。ひとまず私は冷たい水でももらってきておきましょうか」
 手心を加えてやることにしたらしい大人たちに習って、少年もまた白々しいほどに明るい声をあげて通りを見渡す。
「俺はもうちょい飯買ってくるかなあ。肉が足りねえよ肉が」
「では我々はふたりに付き添っているとしようか」
「あー……うん。そうしよそうしよ」
「ホ〜」
 飲み物と、食べ物。それぞれ希望を受けてから身を翻したふたりを見送り、リンウェルはアルフェンの背中側に椅子をひとつ移動させた。
 腰かければ肩越しにシオンの顔が正面に来る。兄貴分の首筋に、姉貴分は顎を乗っけた状態だ。目が合って送られるのはしまりのない、緩みきった嬉しそうな笑み。指先を伸ばせば存外強い力できゅっと握られた。ぱさぱさと、近くでささやかな羽ばたきの音が行ったり来たりする。
 何かをあきらめたのかごく低く穏やかに話し始めたアルフェンと、応じるテュオハリムの声は心地よい。うるさいくらいの騒がしさから一転、人混みは変わらずだというのになんだか急に静かになった。
 相手はいくつかお姉さんだ。なのにあやすような心地で、つないだ指先をゆったり揺らした。そのリズムが気に入ったらしく、シオンはおとなしくされるがままになっている。
「シオンの髪、花が降ってるよ」
 嘘ではなかった。頭上で揺れる燈曾から、こぼれる光は鮮やかに赤くて花びらの色をしている。薄紅色に映り込み、麗しい容貌を輝かんばかりに縁取っている。頬や目許にもちらちら降りかかるから、光は本人の視界にも入っているだろう。シオンは眩しげに目を細めた。
「リンウェルの髪にも羽が降ってるわ」
 こちら側はうすい黄色。それと、青。ガナスハロスの森深くで見かけた、色とりどりの鳥たちを思い起こさせる。あのときは焦燥と慣れない気候に追い立てられて、見惚れる余裕もなかったけれど。存外ちゃんと覚えているものだ。
 うっとり囁く。
「うん。……きれい」
「きれいね」
 行っては戻る、フルルの白い羽をも染めて。躍る色彩はどんなふうに自分を彩っているのだろう。リンウェルから見るシオンのように、幻想的で、綺麗で、しあわせな景色だろうか。
 そうだったらいい。うん、きっとそう。
 半ば確信しながら、リンウェルはふんわり頬を染めた。
--END.
また!
長い!

…というわけで、酔っぱらった勢いで公衆の面前で惚気まくるシオンさんでした。
アライズメンは酒豪って印象あまりないんですよね。作中でも大人たちは普通に酔っぱらってたり寝こけてたりするし。下戸ではなさそうだけど、すごく強いってこともなさそうな。
アルフェンがテュオハリムの勧めを前のめりで断ったのは、この話よりも以前に酔っぱらったシオンに押し倒されたことがあるからです。
という妄想。
結婚前のことです。…ので、大変だったんだと思いますアルフェン氏。
でも酔っぱらっていようがなんだろうがシオンを蔑ろにはできないので、ふたりきりだろうと人前だろうと正面から一生懸命受け止める。そして気が済むまでかまう。そしてわりとめたくたな振舞いしてみせてるのに誠実に相手してくれるもんだから、愛されていることをますます確信してしまいふにゃふにゃ上機嫌シオンが爆誕する。さらに甘える。とかいう流れ。
仲間たちはアルシオの進展具合は目に見える程度しか把握してません。大人組は流れもタイミングも本人たちの好きにすればいいのではって考えだし年少組は最低限の知識はあるけど実感とか経験はないので具体的にどうこうって想像あんましてない。てかできない。
結果トラブルにならない限りは、おー仲のいいことでーみたいな反応されて放っとかれるという。
あ、あとアルフェンが最初いなかったのは離れたとこで起こった喧嘩を仲裁に行ってたから。巡回兵を呼んでくるまでの時間稼ぎに、深刻なことにならないように頼まれて仕方なくって感じで。シオンも行きたがったけど、置いて行かれてしまいました。頭に血の昇った酔っ払いに近寄らせるよりは一人でも人目のあるところでじっとしてたほうが良かろうと。シオン、ちょっと根に持っていたかもしれない。

アルシオと直接面識があって、互いに人柄まで把握してる人たちっていうのは、実はそれほど多くはないんじゃないかなって思うけどー。ただ、名前というか二つ名的なものと立場はダナレナ両方に広く知れ渡っていそうです。イメージ先行?
んで、レナの大半は同胞の上位層のお嬢さんが友好のためダナの名の知れた男に降嫁したって認識だと思うよ…たぶん…
結婚は単純にめでたいよねって人、物語的に胸をときめかせている人、政略結婚なんて普通だしって人、ダナなんかに気の毒にって考える人、裏切り者がと苦々しく思う人、とにかくいろんな受け止め方がありそうだなと思います。そしてもちろん、ダナ側にもいろんな受け止め方してる人がいる。きっとな。
本当の意味でふたりが望んで一緒になったことが、世のすべてに理解してもらえるわけでは当然ないのだけど。まあ、少なくとも親しい面々はちゃんとわかってくれてるからいいよな〜くらいの精神なアルシオ。もちろん直接に否定的なことを言われたら反論はするでしょうが、そもそも自分たちのことを広く知られたいとか目立ちたいとか考える子たちじゃないしねえ。
この話では結果的に目立ってしもたが。

何が言いたいのかよくわかんなくなってきたけど、特に書きたかったのは往来の中心で愛を叫ぶ(叫んではいない)シオンと、サンドイッチの具と化すリンウェルと、サングラステュオハリムでした。まんぞく。
(2022.05.08)