ぽつ。
 唇に、何かが落ちた。そして初めて、そこがかさかさにひび割れていることに気づく。
 ぽつ。
 ぽつ、ぽとり。
 ああ、これは水か。
 その単語が浮かんだのが先か、それとも身体が動いたのが先だったのか。
 慎重に流し込まれる液体は生ぬるくてお世辞にも美味とは言えなかったが、それでも良かった。
 急いで急いでむせて咳き込んで、ようやく開けた視界。


慈雨に等しく





 最初に見えたのは、慣れ親しんだ青い瞳だった。
「……ヴェイ、グ」
 クレアは背中を支えてくれる手に素直に体重を預け、幼なじみの名を呼んだ。硬くこわばっていた表情に柔らかさが差し込んで、知らずこちらも微笑がこぼれる。
「クレア……気分はどうだ? どこか痛いところは」
「うん……?」
 言われてあらためて自分の状態に神経を向けてみると、頭の芯が少し痺れているかもしれなかった。手足は重くて動かす気がしないが、吐き気などは感じない。どうやら意識を失っていたらしいが、一体全体何が原因でこうなったものなのやら。
 空気に紗がかかっているようだ。細かな塵が多いのだろうか。ふと胸元に目を落とすと、離すものかとばかりに陶製のカップを硬く握りしめた自身の手があって、彼女は微かに頬を染めた。そういえば、ひどく喉が渇いていたのだ。ヴェイグの前で今更なにを取り繕う気もないけれど、水を飲んでいた最中の表情はそれはもう鬼気迫っていたに違いない。さっさと忘れてくれればいいのだが。
「……脱水症状と、軽い熱射病だそうだ」
 思い出したように付け加えるヴェイグの声を聞いて息をつく。そう、改めて周りを見回してみればここは先ほどまでいたはずの砂漠ではなく、石造りの壁に四方を囲まれた部屋の中だった。半地下のせいか、空気は湿ってひんやりとしている。光もあまり差さず薄暗い空間で、彼の白銀の髪がぼんやりと浮かんで見えた。
「……ごめんなさい」
 クレアは目を伏せてつぶやいた。
 足手まといになったこと。そして、心配をかけてしまったこと。
 せめて素直に仲間たちの言うことを聞いていれば、余計な手間だけはかけさせずにすんだものを。
 砂漠の気候は過酷だ。北国育ちでなくとも、体力のない者はすぐに参ってしまう。知識では知っていたし、実際猛烈な暑さと乾燥した空気に油断などしていたつもりはなかったのに。限りある水を自分だけがたくさん消費してしまうのが嫌だと、ただそれだけの理由で虚勢を張って、結局はこうなってしまった。
「オレは、おまえを足手まといだなんて思ったことはない」
「うん」
 謝罪を肯定しているのか否定しているのか、どちらともとれる言い回しも彼女には正確に理解できた。前髪をかきあげる指が時おり額に触れる。冷たい。心地よさに目を細めると、ヴェイグは反対に眉をしかめて口をへの字に結んだ。
 足手まといになるのは嫌だ。弱音は吐かない。
 それは彼についていくと決めたとき、クレアが心に決めたいくつかの中でかなり上位の位置にあることだった。
 けれど、それよりも前にまず、何よりも優先すべきだったのは、自分のこと。クレアが傷つくようなことがあれば、ヴェイグもまた傷つく。
 忘れていた。忘れようとしていた。誇らしくあたたかいものと同時に存在することに最近気づいた、心の奥底でほの暗く輝く感情から目をそらしたかったのかもしれない。何よりも彼を傷つけないためには、殊更に自身を大切に万全の状態に保つ必要があること。
 導かれる先は、何処だろう。
 少女がおとなしくなったのを見て取って、ヴェイグは気が済んだようだった。彼は知っているのかもしれない。それでも表情ひとつ変えないのだろう。今までと、何をも、変えないのだろう。
「水はここだ。……氷も少し作った。あまり急に冷やすべきではないが」
「それで手が冷たいのね」
 離れてゆく手を素早く捕まえて引き戻す。湖水の瞳を見上げて、クレアは悪戯っぽく笑ってみせた。
「こっちがいいわ、ヴェイグ」
「クレア」
「こっちがいいの」
 これくらいの我侭、たいしたことはないでしょう?
 言外に込めて放った意図は正しく伝わったらしい。
 視界を閉ざす寸前彼女が見たものは、ため息を吐き出した後にゆるく弧を描いた口許だったのだから。







--END.




|| INDEX ||


あとがき。
最初の「ぽつり」が雨を連想させ。
ついでにヴェイグちゃんのボディタッチはクレアさんには慈雨に等し(以下略)
題名の説明始めるようじゃもうだめだ…

クレアはヴェイグに対しては我侭気軽に発動。でしょうやはり。
そんでもってこう広い世界を知り自分の中の独占欲とか暗いものもあるんだみたいなことに気づきつつ、開き直っていちゃいちゃしてくれてるといい。
嫉妬だとか独占欲だとか、怖いけど、悪いものではないと思います。大前提として相手の笑顔が好き、っていうのがあれば。ただ発露の仕方が問題なのかもな。独善はあかんよ。あかん。

(2005.04.01)