気心の知れた友人たちと旅をしている。
 皆がみな明るく気さく……とはとても言えたものではないが、気持ちのいい連中だと思っている。
 気ままな物見遊山ではない。命を張らねばならぬこともある。
 けれど、それよりも。
 妙に脱力する場面もあったりするというのが。
 たとえば今とか。


楽しい旅路





 寒いと身体は無意識に縮こまるものだ。下を向いて歩かねばならないような人生を送っているわけでもなし、何事も堂々と胸を張っているのが信条であったとて、それでもやはり大自然には勝てない。
「さっ…………む〜!」
 がちがちと歯を鳴らしながら、ティトレイは感覚のなくなりかけた手で宿のドアを押し開けた。
 うってかわってふわりと全身を包む温かな空気にほっとしつつ、食堂の中を見渡す。人影はまばらだ。すぐにみつけられるだろうと踏んでいたのに、目当ての姿が視界に入らず、彼は片眉を跳ねあげた。
 もしかして、皆まだ外にいるのだろうか。
 ノルゼンの雪景色は美しい。それだけを目当てに観光にやってくる旅人もあるほど。けれど、その美しさに比例して厳しい寒さに耐えるだけの覚悟も持っていなければならない。一行の中には寒さが苦手なものもいればそれほどでもないものもいる。そういえば北国生まれの幼馴染たちは、砂漠ではぐったりしていたがここではわりと平気そうな顔をしていた。雪の中で、自覚もなく逢引まがいのことをしている可能性もおおいに考えられる。
 つらつらそんなことを考えていると、額にしずくが滴り落ちてきた。わずかに髪に積もった雪が溶け出してきたらしい。
「おっ、いけね」
 彼は慌ててロビーに置かれたタオルを取り上げた。がしがしと容赦なくこすりつけ、ようやく身体を支配していた寒さも薄れてきたか、と思ったころ。
 唐突に頭上から声が降ってきた。
「あら。思ったよりも早かったのね」
「ヒルダ」
 見上げれば、手すり越しに黒髪の女が身を乗り出している。
「早くあがってきなさい。マオたちはまだだけど、ヴェイグとクレアはとっくに戻ってきてるわよ」
 言って、彼女は片手に持った酒瓶を振りながら身を翻した。瓶はもちろん未開封で、並々と酒が入っていたはずだが、それを感じさせない軽やかな動きだった。見た目だけは細いくせに、妙なところで腕力があるものだ。感心しながら後ろについて階段を上る。もちろん口には出さない。下手なことを言えばどつかれるに決まっている。
「ティトレイさん。お帰りなさい」
 部屋に入ると、早々にクレアの朗らかな声が迎えてくれた。隣には銀髪の幼馴染が寄り添うように座っている。彼のほうは視線だけあげてティトレイを見た。無言だが、目がおかえりと言っているのはわかるので、特に何もつっこまずにおく。無口なのはいつものことだ。彼ら二人はソファ、そしてヒルダの席は窓際の机と相の椅子らしい。ならば外から帰ったばかりの自分のいくべきところは――やはり暖炉のそばか。
 腰を落ち着けて改めて部屋の中を見渡すと、妙にもののたくさん置かれたテーブルが気になった。
 冬に咲く赤い花が生けられた花瓶。その下のマット。カップがいくつかと、紅茶のポット。スコーンの入った籠。ジャムの瓶。種類はブルーベリーにラズベリー、イチゴにリンゴ。ありとあらゆる種をかき集めたのではないかと思えるくらいに豊富なそれらと、極めつけは大小何本もの瓶。
「ん?」
 ティトレイは目を眇めてまじまじとラベルを眺めた。
「……なあ」
「なにかしら」
 呼びかけにヒルダが応じる。誰とも指定していないのに、自分のことだとわかったあたり、言葉の内容までも予測できていそうなものだが。
 それでも言わずにはいられなかった。
「この瓶、全部……酒じゃねえか!」
「そうよ? 見ればわかるでしょう」
「わかるでしょうじゃなくて」
 悪びれずまっすぐに見つめ返してくる娘に、先に折れたのはティトレイだった。がっくりと肩を落として首を振る。
「あのなあ……ちゃんぽんは悪酔いするぞ?」
 説教しても無駄なのはわかっている。なにしろ彼女は無類の酒好きで、しかも堂々と飲んでも怒られない年齢にまで達しているのだ。そして仲間に迷惑をかけたこともない。正体をなくして介抱されたこともなければ、誰かに絡んで飲ませたこともない。
 ないが、しかし。
 明日か明後日には船で発つことになっているのだ。酒には強いが船には弱いのだから、別の意味で酔ってしまう可能性を少しでも減らそう、などとは考えられないのだろうか。
「すんげえ強いのまであるし」
 さすがにほとんど減っていないが、ここに持ってくるということ自体どうかと思う。アニーなど、消毒液の匂いですら酔ってしまうというのに。この酒豪が。
 上等そうなブランデーの瓶をつまみあげると、クレアがあ、と顔をあげた。
「違うの、ティトレイさん。それは紅茶に入れようと思って……私がいただいてきたぶんだわ」
「へ」
「スプーン一杯程度だ。問題ない」
 隣に座る青年がすました顔でカップをかたむける。いやそういう問題じゃないから、と一足早く内心だけでつっこみを入れて、ティトレイはうなるような声を上げた。
「……おまえもか、ヴェイグ」
「こうすると手っ取り早く身体が温まる。オレもクレアも昔からよくやっていた」
「そうそう。お父さんとお母さんとヴェイグと私と、夕ご飯のあとにみんなで座ってね。なつかしいなあ」
 金髪の少女がにこにことうなずく。いつも以上に機嫌がいいらしい。暖炉の照り返しかと思っていたが、そういえば彼女の頬は上気してうっすら桜色だ。ヴェイグも顔色すら変わっていないけれど、脱力する友人に向かって冗談交じりであっても皮肉のひとつすら飛ばさないところを見ると、相当にご機嫌だということか。
「……ヒルダ〜……」
 なにやら二人を直視できない。救いを求めて窓際を見ても、やはり期待はできなかった。黒髪の美女は目の前で展開されているほのぼの劇をまったく気にする様子もなく、もくもくとグラスに酒を注いでいる。
 ふ、と黒曜石の瞳がこちらを向いて、何か言ってくれるのかと思えば。
「あんたはやるんじゃないわよ。二日酔いになられたら困るし」
「いやならないし」
「なるかもしれないでしょ。そもそも飲んだことないんだから、おとなしく言うこと聞いてなさい」
 いやだからべつに飲む気はないから。ただ目の前でそんなかぱかぱ飲まないでくれ。
 言いたいのはそれだけなのだが、ヒルダに口で勝てたためしはない。彼は黙り込んで、空いていたカップに紅茶だけを注いだ。そのままぐいと一口で飲み干して、窓の外を眺める。人通りは相変わらず、まったくと言っていいほどない。
 あああああ、早く帰ってきてくれみんな。
 ティトレイはここにはいない三人の顔を思い浮かべた。年長のユージーンはどう出るかわからないが、マオはまだまだお酒なんておいしくない、と言い張る年頃だし、アニーは下戸だ。人の健康管理にうるさいあの少女医師が帰ってきてくれればまだ勝ち目がありそうな気もするのに。


 彼の内心など知った風もなく、雪は降り続けている。








--END.




|| INDEX ||


あとがき。
雪の中でも咲く花、ていったら椿か山茶花くらいしか思いつかない私。
しかしテイルズに椿てどうよと思ったので曖昧にしてみた…

最初はティトレイさんがヴェイグさんと同い年なのに子ども扱いされて釈然としない、てぇお話にするつもりだったのですよ。だから酒だったんですよ。なのにずれた。あれ?
個人的にヴェイグとクレアは飲める人だと思っております。強くはないけどべつに弱くもない、みたいな。
クレアのほうが若干弱い? そして酔った勢いで兄さんにいやなんでもないですなんでも。ええ。
そしてティトレイはあまり飲んでるイメージがない…なんでかなー。

(2005.02.05)