釈然としないこの気持ちが、どこからくるものなのか。
 怒りばかりだと、思っていたのだけれど。



いらだちの在り処





 木々の間から見える水平線に、赤い夕日が沈んでゆく。
 急速に暗くなる視界の中、濃くなり始めたというマナの影響なのか、青白い光がちらちらと舞い躍るのをぼんやりと眺めた。
 テセアラに比べてあまりに貧しいこの世界は、けれどもとを正せば故郷とふたつでひとつだったもの。楔たる精霊こそ違えど、その景色にも大きな隔たりは見られない。今では自分にとって、同じように意味を持って愛しいもの。
 レアバードの力で境界を越えたときは、驚いたもののさほどの感慨はなかった。シルヴァラントはあくまでテセアラの対世界。 “もうひとつ”であるもので、“同じ”ものだとは思わなかったのだ。真実を知るまでは。否、実感させられるまでは。
 しいなは空を眺めたまま、無意識にひとつ舌打ちをした。
 柄にもなく世界の構造云々など考えてしまったが、実のところ今彼女の思考を支配しているものはそれではない。世界をつなぐ二極ではなく――そこで起こった、できごとだ。そこで思い知らされた、新たな真実だ。
 幼友達だった。物心ついたときには一緒にいて、遊んで、過酷な訓練にも共に耐え抜いてきた。その絆が揺らぐことなどないと、心の底から信じていたのに。
「くそ……くちなわのやつ」
 つぶやくと同時に背後の茂みが揺れる。振り返り反射的に身構えるも、現れた相手は特に警戒を必要とする輩ではなかった。月明かりにも鮮やかな緋色の髪が目の端をかすめる。しいなは心持ち肩を落として、しっしと手を後ろに振った。
「なによしいな、俺さま飯だから呼びに来ただけなのに」
 こちらの心境を理解していないらしい能天気な声が響く。この男、決して悪人ではないのに妙に気に障るのだ。少なくとも、苛々しているときに積極的に関わりたいとは思えない。
「……もうちょっとしたら行くさ。今はあんたの相手してる余裕もなんもないんだよ。あっち行っとくれ」
 声には思いっきり不機嫌さをにじませたはずだ。基本的にわずらわしいことを嫌う彼は、好んで面倒ごとに首をつっこんだりはしない。
 だから、すぐに立ち去ってくれると思っていたのに。
 予想に反して歩を進めてくる長身に、しいなはたじろいで身を引いた。
「な、なんだい」
「まーだ気にしてんの、おまえ」
 聞こえていたのか。くだらないことだと、切り捨てんばかりの口調に神経が逆なでされる。それでなくとも気が立っているというのに、光の加減で見えた口許だけが笑っていて、しいなは眦を吊り上げて斜に構えた男をにらみつけた。
「あたしは裏切り者ってやつが大っ嫌いなんだよ! いかにも味方ですみたいななりしといて、いざそのときになったら相手の驚く顔見てざまあ見ろって、いったい何様だってんだい!」
 なお許せないのは、自分のみならず里全体をも危険にさらそうとしたその心根だ。大切だったから、失って悲しかったのではないのか。兄であるおろちの残る里は、彼にとって価値あるものであるはずなのに。それすらも忘れて、何をも省みず、ただ憎しみだけを最優先として。
 しいなは奥歯をかみしめてうつむいた。前髪越しに、ひたりと据えられた視線を感じる。うかがい見ても闇にまぎれて、宿すものの正体がつかめない。自分さえ黙ってしまえば、お互い無言だ。羽虫のたてる涼しげな音色が耳をくすぐるけれど、それを楽しむ気には到底なれない。
 すう、と息を吸う気配がする。つられて顔をあげると、いつもの能天気さとは程遠い冷たい瞳にぶつかった。
 いや、冷たいのではない。ただひどく無機質な目をして、ゼロスは一言吐き捨てた。
「……先に裏切ったのはどっちなんだか」
 すっと血の気が引いたのを自覚した。
「んな……っ!」
 思わず声を荒げるも、続く言葉は出てこなかった。頭の中で何かがめちゃくちゃに吹き荒れる。振り回されて、本当は何が言いたいのか自分でもよくわからなくなる。それなのに、暴れまわるそれらをものともせず、彼の視線だけがまっすぐに奥までやってくる。
 何もかもを茶化して、楽しいことだけつまみ食いして生きているような男なのに。そう、思い込もうとしていたのに。
 どうしてこんなときだけまじめ面するのかと、呪わずにはいられない。
「あたしは……あたしは……っ!」
 あたしは裏切ってない。誰かを裏切ろうなんて、考えたこともない。
 真っ先に浮かんだのはその科白だったけれど、それが言い訳にしかならないことはわかっていた。なにやら冗談めかしてつぶやく声が聞こえる。うってかわってお気楽そうに、隙だらけで揺れる背中が遠ざかっていくのもちゃんと視界に入っている。けれど。
 その背中を追いかけてゆくことも、いつものようにその赤毛に拳骨を降らせることも、今の彼女には、まったく、思いつきもしなかった。





 月が中天にさしかかり、月影の輝きが少しばかり増す。
 今夜は闇夜ではない。森の木々に遮られて辺りは薄暗いけれど、海辺に出ればきっと遠くまで見渡せるのだろう。
 しいなは手の中に握りこんだ鈴をもてあそびながら、縮こめていた身体を伸ばして仰向けに寝転がった。首に、頬に当たる草は柔らかい。パルマコスタ付近は気候も温暖で、植物がよく育っている。あまり長居をすれば夜露に濡れてしまうことになるから、そろそろ仲間たちのもとに帰らねばならないのだが。
 あれから誰も探しに来ていない。なんだかんだでゼロスがうまく伝えてくれたのだろうか。笑ってみせることは簡単だけれど、その気遣いが痛いこともある。労わられることだけを望んでいるわけではないのだ。忘れたように振舞ってくれたほうが、実はありがたい。
 そういう意味では、あの男のそばにいるのが一番楽だった時期もあった。
「……やっぱり腹が立つねえ……」
 ひとりごちて、ごろんと寝返りを打つ。
 こちらの気持ちを察するだけの繊細な目を持ち合わせながら、それなのに言葉に容赦がない。どちらの立場に偏ることもなく、感情に左右されることもなく、耳に痛い、正しいことだけを言うから。
 公平すぎて、腹が立つのだ。
 冷静になってみれば簡単にわかる。確かに自分は里の仲間を危険にさらしたくてコレットに手を貸したわけではない。テセアラを滅ぼしたくて、シルヴァラントの神子を連れて来たわけではない。
 けれど事実だけ見ればそれは裏切りと等しい行為なのだ。任務においては結果がすべて。今しいなが彼らとともにいられるのは、ひとえに忍びたちが奔走して生き残る術を見つけ出してくれたからに他ならない。彼女自身は、まだ自らの起こした失敗の埋め合わせをできていない。
 ヴォルトとの契約だってそうだった。あの場にいて幸運にも生き残ったものは、口をそろえて言う。強大な力をもつ精霊に対して、実力も心構えもまったく備わっていない少女をぶつけたのは、失策以外のなにものでもなかったのだと。責は彼女にではなく、それを強いた大人たちにこそあるのだと。
 だがくちなわにとってはそうではなかった。幼いがゆえに兄とは異なり、伝聞でしか事態を知りえなかった彼にとっては、しいなは仇でしかない。
 状況がどうあれ、彼女の力が及ばなかったのは事実なのだ。周りがどれほど言い聞かせようとも、彼には彼の視点というものがある。
 ……わかっては、いたのだ。いや、わかっているつもりではいたのだ。
 けれど、どうしてゼロスなのだろう。どうして彼でなくてはならないのだろう。おまえは死にたくなかったのだろうと、だから助けただけなのだと、思いがけない熱さを見せたあの口から、同じように冷えた言葉が飛び出すなどと。
 きっと彼がくちなわならば、しいなを責めることはない。だが仕方のないことだったのだとも言わないだろう。おまえが起こした事態だと、だから背負えと、真顔で伝えてくるのだろう。
 背負えというなら、背負うまで。迷いなくうなずける。何もできなかったと、泣いて泣いて涙を涸らしたあの日々を思えば、多少の痛みや苦しみなどどうということもない。覚悟が足りないというなら、今から育てるまでのことだ。





 ただ。
 どうしてだろう。
 なにかがすっきりしなくて、なにかが心に引っかかるのは。
 いらだちの在り処は、どこにあるのだろう。







--END.




|| INDEX ||


あとがき。
え、ゼロしいですよ? ゼロしいですよこれ。
……ごめんえせシリアスで…(がっくり)
いやまあいろいろと。
あーそうそう、個人的にはくちなわのはまったくの逆恨みでもないよなあと思ったりするわけです。
でも健全な思考ではないかなあと思ったりもしてみるわけです。自分はこういう考え方したくないかなって思う。実際同じ立場になったらどうかはわかりませんが。
そんでもってゼロっさんはシリアスなところでは冷徹なくらい公平な視点で物事を眺めるイメージがあり…
べつに潔癖とかいう意味でなく。
ただし自分に関しては公平どころか卑屈度満々でお願いします(ほんとに萌えてるんですかアナタ)

本編中のしいなはロイドらぶな素振りを見せるくせして、ゼロスの一言ひとことにいちいち影響受けまくってるんですよな。なんかそこがすごい萌え。
なんだかんだでないがしろにはできない存在というか。ないがしろにしたいんだろうけど。
このあとおそらく彼女はロイドくんに諭されあっさりと機嫌をなおすのでしょうがそれもまた萌え(それでいいんか…)

(2004.10.20)