がたごとと、規則正しく世界が揺れる。
ときおり車輪が石に引っかかるのか、ごとんと大きな衝撃が襲ってくるけれど。他人には単調さを紛らわせてくれるものとして歓迎されるかもしれないそれは、今の彼女にとっては責め苦そのものだった。
喉元までこみ上げてきた吐き気を慌てて抑える。うぷ、と喉が鳴ったのを耳ざとく聞きつけて、隣に座る少年が顔を覗き込んできた。
「大丈夫、マルタ?」
「……だいじょうぶ……」
なんとか答えるも、声が弱々しくなる。
優しげな緑色の瞳を細めて、彼はちっとも信じていない風でマルタの背中をさすった。
「やっぱり歩いたほうがよかったんじゃない? もう峠は越えたんだし、降りようか」
今二人はハコネシア峠を越える竜車に揺られている。箱型の客車には他に客はなかった。
マルタは乗り物に弱い。竜車だけでなく馬車も、そして船も。以前借り受けて使っていた、レアバードなる風を直接受けて空を飛ぶ乗り物でさえ、頭がくらくらしたくらいだった。あれが駄目だとは相当なのだろう。なにしろ自分のことを臆病だと評してはばからない少年までもが、怖がる気配も見せず爽快だとはしゃいでいたのだから。
御者に話しかけようと腰を浮かせた彼の腕をひっぱる。がたごとと揺れる中で器用に均衡を保って見下ろしてくる瞳に、マルタはまず首だけ振ってみせた。
一呼吸置いて声を絞り出す。
「…………いいから。歩いたらもっと時間かかっちゃう。エミル、早くルインに戻りたいでしょ?」
センチュリオンや敵として戦ったリヒターの機転と優しさによって、エミルはマルタのもとに戻ってきてくれた。
彼に一番会いたかったのは自分だ。胸を張ってそう言いきることができるけれど、じゃあそれで終わり、というわけにはいかない。
マーテル騎士団に扮したヴァンガードにルインが襲撃されたあの日。化け物と甥を罵った叔父は、その瞳に後悔の光をよぎらせたのは一瞬だけで、すぐに頬をひきつらせて少年をにらみつけた。あのときの彼らの顔は忘れられない。エミルも傷つき、そばでその言葉を聞いた叔母も傷つき、そして、きっと彼も傷ついたのだろう。嫌な人たちだった。客観的に見たってあれはひどい。ただ、腹をたてるのは簡単だけれど、その後ちゃんと和解できた経緯を聞けば早く三人を会わせてあげたいと素直に思った。
気分が悪いのを我慢してマルタが竜車に揺られているのは、そういう理由だ。
アスカードからアリスの目を逃れて峠を越えたときは、人目に触れるわけにはいかなかった。竜車など使えば二人がどのようなルートを通ったのか一発でばれてしまう。待ち伏せされれば終わりだということで、街道を少し外れた道なき道を時間をかけて通ったのだ。
今はべつにそんな心配はない。なんだかんだで二人とも体力はあるので、歩いたとしても普通の人よりは早いだろう。でもやっぱり竜車とは比べ物にならないからと、思案顔のエミルを押しきったのはほかならぬマルタ自身だった。
「……確かに早いとこ無事を知らせたいなとは思うよ」
エミルがとりあえず座りなおす。
「だけどさ、早いって言ったって何日かの違いじゃない。僕、マルタにこんな思いさせてまで急ぎたくないよ」
「エミル……」
気分の悪さも一瞬忘れて、マルタは目を潤ませた。
「エミル、優しい!」
がばりと抱きつこうとすればエミルは反射的に身を引く。しかし所詮は狭い竜車の中、彼の目算は外れてマルタの思いどおりになった。あきらめたのか何なのか、よしよしと背中をなでられる。単純に気恥ずかしいだけで嫌がっているわけではないのだ。少年は軽くため息をついた。
「優しいんじゃなくてさ……これって人として最低限の気遣いに分類されると思うんだけど」
恥じらいというか、むしろ呆れているのかもしれない。べつにマルタとしては、くっつくのさえ許してくれるのならどちらでもかまわないのだが。
「んー、大丈夫気にしない。私は嬉しいから」
一息に言って額をぐりぐりおしつける。
「気持ち悪いのもちょっと回復したよ。つまりずっとこうしてればいいんだよ! 時間は短縮できるし、私も幸せ、エミルも幸せ、なーんていい考え! ね?」
「…………えっと。なんか違わない?」
口ではぶつぶつ言いながら、結局彼はマルタの肩に腕を回した。もうこのまま寝ちゃえばいいよ、とささやかれる。寝てしまえば乗り物酔いなど関係なくなるからだろう。
彼女は素直にうなずいて、目を閉じた。赤ん坊にするように、肩に添えられた手が一定のリズムを刻んで優しく跳ねる。
胸はむかむかする。油断したら、胃の中のものが逆流してきそうだ。口の中がしょっぱくて不快だ。しかも頭がぐらぐらするから、たぶん竜車から降りてもすぐにまっすぐは歩けないのではないだろうか。
それでもマルタは幸せだった。二度と会えないのだろうと、一生想い続けることしかできないのだろうと覚悟していた。世界なんてと口には出したかったけれど、誰も、そう、彼でさえそれを望んでいないことはわかっていたから胸の中に押し込めるしかなかった。
じわじわと意識が闇の中に落ちてゆく。エミルの体温を感じながら、迎えてくれるのは優しい闇だと知っていた。
最初は「エミル鬱陶しい!」と笑っていたのですが(悪意でなく)、どんどんどんどんいい感じの子になっていく姿に姉か母親のような気分にさせられた…
もともと優しい子ですしね。
エミルは擬似人格とかじゃあ主人格はラタなのかとかいろいろ疑問はあるんですが、個人的には融合派です。
なのでギンヌンガガップにはリヒターとセンチュリオンたちだけが残ってる状態。でリヒターに力だけ預けてる感じで。
エミルとマルタは相性最高だと思います。幸せになってくれい。