在中のモノ、危険物につき





「ただいま」
 その日の夕方、いつも通り仕事を終えて家路についた。
 キールは我が家の扉を開く。が、いつもなら駆け寄ってくるメルディが現れない。
「メルディ?」
 珍しいな、と思いつつ、ふと、足元を見やると2つの大きな木箱。
「何だ?」
 箱の側面を見れば、セレスティア語でここの住所が書かれてある。
 その下に見慣れたインフェリア語で差出人の名前が書いてあった。
「ファラか」


 半年ほどからセレスティア、インフェリア間には定期便が設けられている。
 チャットのバンエルティア号の仕組みを応用した船が作られたためだ。
 2つの世界を繋ぐため、双方手に手を取り合い、苦難を乗り越えようやくここまでこぎつけていた。
 この計画には、もちろんキールも参加し、一時は寝る暇もないほどに忙しい日々を送っていたが、最近ではなんとか定時に帰ることができるようなり、数日に一度は休暇も取れるようになったのだった。
 そうして試運転に、試運転を重ね、今では3日に一度定期便が出るようになっていた。
 その定期便を利用してファラはことあるごとに荷物を送ってきてくれる。インフェリアの近況を知らせる手紙とともに。


 それはともかく木箱を見ると、2つとも蓋が開いている。
 どうやら中から何かひっぱり出したようだ。とすると、残りは重くて運べなかったということか。
 それもそのはず、中身はほとんどファラの畑で取れたと思われる、野菜、野菜、野菜の山だった。
 これでは当然運べないはずだ。
 とりあえずそれは後回しにして居間へ入る。
 ソファを見れば、メルディが自分の両手のひらをじっと見つめていた。
 なんだいるじゃないか。
 心の中でひとりごちてそっとソファの後ろへ廻る。
 メルディの背後に立ち、腰を屈めた。
「メルディ、帰ったぞ」
 耳元で声をかけた。

「バイバ!」
 びくりと大きく肩を揺らし、思い切りよく振りかえる。
「キール」
 確認するかのように名を呼び、きらきらと目を輝かせる。
「いつの間に帰ったか。メルディちっとも気づかなかったよ!」
 そのまま腕を伸ばし、ソファ越しにキールの首にしがみついた。
 すり寄せてくる体に腕をまわしきゅっと抱きしめる。
「えへへ〜。おかえり〜」
「ただいま」
 淡い紫色の髪の毛がふわふわと頬をくすぐり、その心地よさに軽く息を吐いた。
「なあ、ほんとにいつ帰ったか?」
 まわした腕はそのままで顔を上げ、尋ねる。
 う、とわずかに頬を赤らませメルディから少し顔を遠ざける。
 心臓の動きを悟られぬよう、まわされた腕を持ち上げメルディをソファに戻す。
 物足りなさげなメルディの顔に気づかない振りをし、そのかわりすぐ隣に腰をおろした。
「たった今だよ。声を掛けたけど、メルディが気づかなかったんだ」
 目をしばたかせ、首を軽く傾げ、なにかを思い出したのか、あ、と声を上げた。
「そっか。ごめんなキール。メルディちょっと夢中になってたよ。ファラから荷物が届いたな」
「ああ、玄関の荷物だろ。後で運んでおくよ。それより何に夢中になってたんだ?」
 自分の帰宅にも気がつかないほど何に夢中になっていたのか。そう含ませてみたのだが案の定気づかず、にっこり笑った。
「これな」
 手のひらを差し出しす。
 なんとなくつまらなかったが、これ以上突っ込むのもなんだしと、諦めその小さい手のひらを覗き込んだ。
 そこには長方形の小さなケース。
「あのな、これな、口紅よ。とってもうつくしーな」
 ふたを開けて中を見せる。メルディのいうとおりそれは口紅だった。
 細い紅筆とメルディの唇よりも少し濃いかと思われる桜色の口紅。
 ただ通常見られるものより、つやつやしていて、瑞々しく見えた。
 それにしても・・・。
「ずいぶん凝った細工がしてあるな。これもファラからか?」
 インフェリアから送られたそれは、とても細かい彫り込みをしており高価なものに見えた。
ふたを閉め、全体の様子をしげしげと見る。
 メルディの手のひらに収まるほどの小さな赤いケース。けれども刻まれた模様の色は金色で、まるで先の細いペンで丁寧に書き込みをしたかのよう
に細かいものだった。
 赤いキャンパスに金色のバラが咲き誇っていた。
「手紙入ってたよ。多分アレンデからな。ここ名前書いてるよ」
 メルディがテーブルから数枚の手紙を取り上げそのうちの一枚に指を当てた。
 確かに。メルディが示したその部分にはアレンデ姫の名前。インフェリア語は単語しか読むことのできないメルディだ。なんとかかいつまんだ結果、そう
いうことで落ち着いたようだった。
「そうだな。アレンデ姫から、メルディとファラに送られたそうだ。へーえケースはセレスティアのもので彫刻と中身の口紅はインフェリアのものらしい。
合作か。試しに10個作ったから二人におすそわけと書いてあるな」
 ケースをメルディの手のひらに戻す。
「塗ってみたらどうだ」
「え?」
 嬉しそうにケースを撫でていたメルディがきょとんとキールを見つめる。
「それ。塗ってみろよ」
「そーだなー」
 ふたを開けるのを見て、キールが少し離れたところに置いてあった鏡をテーブルの上に載せた。
紅筆を手にとり、口紅を少しだけすくう。
 そしておもむろに唇にのせた。

 ぬりぬりぬりぬり。

 しなやかな筆がメルディの唇を往復する。が。
「はみでてるぞ」
 上唇の山の部分やら、口角の部分やら縁という縁から、わずかではあるが、確かにはみ出している。
「んーむずかしいなー」
 修正しようとすればするほど、広がっていく。
 あまりの不器用さにキールは深くため息をつき、ケースと紅筆を取り上げ、替わりにハンカチをのせた。
「一度拭き取れ」
 よごれちゃうよー、と言いつつも、渡されたハンカチで唇を拭う。色残りせず、簡単に落ちた。
「取れたよ」
 鏡で確認し、キールに見せる、と彼の手元を見れば、ちょうど取り上げた紅筆で、口紅をすくっているところだった。
「キール?」
 筆に軽く紅をなじませ。こちらを向き、左手でメルディの顎を持ち上げた。
「キ、キールぅ〜?」
「じっとしてろ。それから、口開けて」
「え、えーと・・・口?」
 一瞬考えるように眉をひそめ、おもむろに口を開いた。
「あーん」
「違う!半開きでいいんだ。半開きで」
 キールのするどい突っ込みに少し肩をすくませ、
「こうか?」
「よし」
唇を薄く開いたところで紅筆をあてる。
 とん、と軽く下唇に。
 少しずつずらしながら色をのせていく。
 メルディが塗るところを見ながら思っていた。
 これはきっとつやを重視するのだと。
 普通の紅のように伸ばしすぎてはつやがなくなる。
 軽くのせる程度につけていく。
 そして上唇。仕上げに全体を軽くならした。
「できた」
 筆についた紅をハンカチで拭き取る。
 鏡を取ってメルディの目の前に掲げた。
 中に映るのはいつもとちょっとだけ違う自分の顔。
 ほんのり気持ち程度に色づく唇。
「すごいなー。キール上手」
 まじまじと鏡を見つめる。
 力加減がよくわからず、とりあえず動かしてみたものの色もあんまりつかないし紅自体がずいぶん柔らかいので思うようにいかなかったのだ。
「なんでキールこんなに上手か?」
 首をかしげて尋ねる。
「いや、別に。写生の色塗りと同じかと思って」
「シャセイ?お絵かきのことか?」
「そう」
「同じだったか?」
「同じだったな」
 こともなげにそういうので、そういうものかと納得してみることにした。
「きれーな色だなー」
 つやつやの紅は部屋の中の光にも反応して、顔を動かすたびにきらきらと光った。
「じゃあ、拭き取るぞ」
 メルディの手から鏡を受け取る。
「もうか?今日はこのままでいいよぅ。せっかくキール塗ってくれたし、もったいないからな」
 にっこり笑うメルディの手首を軽く握り引き寄せる。
「キー・・・」
 ぺろり。
 突然のことにメルディの目が大きく開かれ、あっという間に真っ赤になる。
「な、なに・・・」
 じたばたともがくメルディをさらに引き寄せ、腰に腕を回し、お互いの唇を寄せたまま
「その口紅はずいぶんと誘ってくれるからな。あぶないだろ」
なんだかよくわからない理屈を持ち出した。
「あぶないって、あぶないのはキーぅ〜うにゃぁ」
 顔を背け抗議してみるものの、キールの勢いは止まらない。
 うなじに指をそえ、軽く上向きに顔を固定すると、軽く唇を落とし、なぞった。
 ひくり、とメルディが体を震わせたのを確認すると、両腕でその小さな体をきつく抱きしめ、吐息も漏らせぬほど、深く、深く、口付けた。





 後日談として・・・。
 メルディお気に入りになるはずだったその口紅は、危険物として引き出しの奥深くに保管されてしまったという。







--END.




|| INDEX ||


キールさん勝利〜。よかったネv(笑)
いやちょっと今萌えてて適切な感想が思いつきません。
でもメルディったら、あの口紅なにもしまっちゃうことはないのに。
使いどころさえ間違えなければ…げーふげふ、なんでもありません。
ありがとうございました〜v