優しい子守歌





 低いが響きの良い歌声。夜中という時間帯か、それとも照れているせいなのか。その声は少し小さい。それでも隣で肩に寄りかかる自分には十分だ。そう、このくらいの方がいいな。今この歌声は自分だけの物であってほしい。独り占め。そう思うとなんだかくすぐったい。
 「キールもっと歌ってな」
 メルディは頬を赤く染めつつも小さく肯いた彼の肩に頬をすり寄せた。


 優しい口づけを交わし、身を寄せ合っている二人。しばらくそうしているとキールの肩口に顔を埋めていたメルディがそのままの姿勢で、その為か少し不明瞭な小さな声で彼の名を呼んだ。
 「キール」
 「ん?なんだ?」
 それでもキールにはしっかり聞こえていたようだ。優しく彼女の体を離しその顔を覗き込んだ。とっいてももう既に覗き込んでいるような体勢なので本当は少し顔をうつむけた程度だが。
 「……あのな、キールが想い出が歌あるか?」
 「えっ?」
 キールは思わず聞き返してしまった。メルディは顔上げず律儀に繰り返して訊ねた。
 「想い出が歌、好きな歌でも良いけどな」
 「想い出の歌か……。そんなこと聞かれても」
 キールが困ったように頭に手をやった。目を閉じて思わず真剣に考え込む。そんなキールの耳にくすっと小さな笑い声が届いた。
 「な、なんだよ?」
 「そんなに難しく考えることないな」
 「そんなこと言われても、歌なんて、それこそ子守歌ぐらいしか覚えてないぞ」
 キールは歌などの芸術方面とは無縁ともいえる生活を送ってきた。自分の親は歌を聴かせて子供をあやすような者ではなかったし、ミンツ大学では日々勉強と研究に明け暮れて、そんな余裕はなかった。いや、そんなものはくだらないと決めつけ、頭から閉め出していた。今は違うが……。
 思い出にある最後の歌と言えば、本当に小さい頃に母親が歌ってくれた子守歌ぐらいなものだ。最もそれもかなり朧気だ。十年以上も前のことだ。当たり前といえば当たり前だろう。
 「特にないな」
 しばらくして、きっぱりと言い切ったキールにメルディがなぜか笑いを含んだ口調で訊いた。
 「子守歌は?」
 「かなり朧気で……って何でそんなこと聞くんだ?」
 なんだか嫌な予感を覚えながら、キールがメルディを見ると彼女はやっと顔を上げた、にっこりとした彼女の笑顔。だがキールにはどこか悪戯を思いついたような小悪魔が微笑んだように見え、思わず顔を引きつらせた。
 「……まさか」
 「歌ってな♪」
 予感的中。
 「駄目だ」
 「なんでかー」
 間髪入れずに断り、体を離し目をそらしたキールにメルディが縋りつく。
 「朧気だっていっただろ。ろくに覚えていない物を歌うなんて無理だ」
 「キール!お願いな!」
 一瞬目があってしまい。キールがうっと唸った。
 (……可愛い)
 そんなことを考えてしまい、キールの顔がボッと赤くなった。思わず誘惑に負けそうになったが、歌を歌うという行為にはかなり抵抗があり、すぐさま顔の熱を振り払い態勢を立て直す。彼女の視線から逃げるように体を離そうとするが、そうは問屋が降ろさない。
 「なあキールぅ!メルディお願い!」
 すぐさま離した分だけ詰め寄られ、あっという間にソファの端に追いつめられた。
 「歌なんてもう随分歌ってないし、聞いたのも随分前で……」
 「それでもいいな。きぃるぅ!お願い……一度だけな、だめ?」
 胸に縋りつかれ、上目遣いでしかも微かに涙で潤んだ目で駄目押しとばかりに可愛らしく小さく首を傾げられ、キールは、
 「…………い、一曲だけだぞ」
 負けた。
 「ワイール!ありがとなキール」
 満面の笑顔で抱きつかれ、キールが顔を真っ赤にして叫んだ。
 「わあっ!抱きつくな!!離れろぉ!!」
 心臓がばくばく音を立てていて、これでは歌うどころか理性を保つので精一杯だ。
 「はいな♪」
 やっと素直にキールの体を離すとメルディは、期待に目を輝かせこちらを見ている。
 キールは既にぐったりとなりつつあった気力を奮い立たせた。数回深呼吸をして、昔母親が歌っていた子守歌をなんとか思い出す。
 「じろじろ見るなよ」
 彼女の視線を感じて頬が熱くなる。なんだか声が上擦りそうだ。
 「はいな」
 くすくす笑いながらキールから視線を外すメルディ。
 
 
 低い、それでもいつもより少し高いキールの照れ臭そうな歌声。始めは本当に小さな声だったが、開き直ったのかだんだんと滑らかなものに変わっていく。優しいその歌声にメルディは目を閉じて彼の肩に寄りかかるようにして聞き入った。


 キールは歌いながら昔のことを思い出していた。歌を聞いた小さな子供の頃の時を。
 優しく温かかった母の膝、不器用な手つきで自分の頭を撫でた父の大きな手。前を走っていくファラの背中、すぐ息が切れる癖に負けず嫌いな自分を後押しするリッドの言葉。 口うるさかったが自分が確かに愛されていた記憶。どんなに遅れても待っていてくれた二人。一言紡ぐたびに甦る思い出。もうとっくに忘れてしまっていたのではないかと思っていた遠い故郷。
 旅に出てからもう一年以上になる。短い時間の中いろいろなことがありすぎて、それでも全てが鮮明に残っていた。様々な人々との出会いと再会、未知の出来事との遭遇する歓びと驚き、つらく悲しい別れ。
 故郷、今の自分にとって帰るべき場所それは……。頭に浮かんだその姿に頬が自然と赤らんだ。キールはただ思いを込めて歌う。
 
 なんとか歌い終えはしたものの、キールは気恥ずかしくて、まともに目を合わせることなどできなかった。こっそりとメルディを盗む見る。だがその途端、言葉を失った。
 「……メルディ?」
 掠れた声で呼ぶと彼女ははっとしたように手で目を拭った。
 「……ごめんな」
 メルディの声も掠れていた。そっと手を重ねると震えているのがわかった。感受性の強いメルディは彼の歌から望郷の念を感じ取ったらしい。彼女はこぼれようとする涙を堪えながらも言葉をつぐもうとする。
 「キール懐かしいか、故郷がインフェリア。メルディがせいでセレスティアに……」 
 「違う。お前のせいじゃない」
 「でも」
 キールはすぐさま否定したが自己嫌悪からメルディは両手で顔を覆った。
 「見ないで」そう叫びたかった。自分は今まで気づかなかった。キールの歌にはただ愛おしいものに対する思いがあった。こんなにも故郷を思っていたなんて、キールにずっと辛い思いをさせていた。
 「キール、キール……」
 口から出るのはキールの名前ばかりだ。本当は違うのに、謝りたいのに。それでも心のどこかでは認めたくなかった。彼が辛い思いをしていたと、いつか故郷へ帰っていくことを。
 自分はキールの気持を知っていたのに知らない振りをしていたのだ。
 (ずっとそばにいてほしかったから!)
 「ごめん、ごめん、な、……キール。きっ!?」
 「ヂム ティ セヤ ソワア エ ティアウムグ!(そんなこと言うな!)」
 キールはメルディの言葉を遮るように強い言葉と力で華奢な彼女の体を抱きしめた。
 「……キール」
 「ウ プディイトゥーススンド ティー ヤイオ。“ウ エルベヤス ベムティ ティーブン アンディン バウティア ヤイオ”(約束しただろう。“ずっと一緒に生きていく”って)」
 (メルニクス語。メルディの故郷の言葉……)
 それは誓い。彼女と、メルディとこの地で生きるという。誰でもない彼女といたい自分自身のためだ。

 堪えきれずメルディの目から涙が落ちた。だが、それは悲しみでなく喜びからだ。幸せでたまらない。頬を伝い流れ落ちる涙をキールの唇がそっと拭う。
 「キール……。ウ リヌン ヤイオ(私はあなたを愛しています)」
 「ヤンス。シ エトゥ ウ(ああ。僕もだ)」
 メルディの我が侭も思いも全て受け止めてくれる。どうしてこんなに優しいか?訊こうと思ったがやめる。耳元で囁かれるそれは優しい子守歌。
 髪を撫でる大きな手。目の前に流れる青い美しい髪。広い胸にメルディが顔を埋める。彼の心臓の音が聞こえる。ゆっくりと規則正しい鼓動を刻んでいる。いつもならメルディがこうするとすごい忙しく動いているのにな。
 なんだか笑みが込み上げてきた。あんなに悲しかったのに。嫌でたまらなかった自分さえもキールが好きでいてくれるなら、好きな自分になれるような気がした。
 互いを包むこの歌声が、手が、胸が、唇が全て語っていた。

 ウ リヌン ヤイオ。 ンティンディムウティヤ……。







おしまい。




|| INDEX ||


甘い…甘いです…てゆーかラブラブ? ラブラブ!?
メルディ可愛すぎる…そばにいて欲しくて認めたくない想いですか…v
キールの歌かあ…キールって、声を大きく出して朗々と歌う、というよりはむしろかすれる程度の低〜い声で歌うってイメージあります。
…聞きたい…結構うまそう…
…耳元で低く子守唄なんぞ歌ってくださった日には、私失神するかもしれません(笑)。
あああ〜いいなメルディ〜。
まあキールはメルディのもんですから歌ってくれとまでは言いませんが。
はああ〜、いいなあ〜(←まだ言ってる)。