慣れない寝台のやわらかさに、眠りが浅かったのかもしれない。
 さして注意を払ったとも思えない、けれどささやかな物音に気づいたのは、だから、本当に偶然だったのだ。




ある夜のぬくもり





 がちゃりとドアノブを回す音が聞こえたような気がして、ファラはシーツの中でもぞもぞ動いた。
 起き上がるまでもなく、隙間から漏れるわずかな光が扉が開閉されたことを教えてくれる。寝る前に鍵をかけた覚えはないから、人が入ってくるのか出てゆくのか、それはわからないけれど。
 どちらなのか確かめようと、彼女は昼間ほど思うようには動かない身体を起こして部屋の中を見回した。
 ……隣の寝台が空になっている。
 そこには今日まさに彼女が幼なじみとともに訪問した家の主が横たわっていたはずなのだが。
「……おトイレかなあ?」
 ファラはひとりごちてごそりと寝返りを打った。どうも眠りが浅い。あんなちいさな物音で目がさめたのもそのためだ。
 セレスティア製の寝台は総じてスプリング使いで、インフェリアの王城のものには劣るものの彼女が寝なれている自宅や宿のベッドに比べれば遥かにやわらかい寝心地である。窓からかすかに差し込む紫色の光が、ここはラシュアンではないのだということを殊更に主張しているように感じられた。
 慣れない環境というせいもあるが――実は少し、興奮気味でもあるのだ。あの大破壊の後、生死すらもわからない幼なじみとセレスティアンの少女を探して、ファラとリッドは奔走した。星の海までも越えてようやく再会できた彼らは思っていたよりもずっと元気でほがらかで、だから大きな安堵を覚えた。
「……クキュ……?」
 控えめに発された鳴き声に、ファラはふ、と物思いから現実に呼び戻されて起き上がった。声の主、クィッキーが主人の不在に気づいてきょろきょろとあたりを見回している。やがて何かを思いついたのか、青いちいさな体は床におりて扉に向かった。かりかりと爪を立てる音がする。
 そういえば、少女――メルディは、まだ戻ってこない。振り返って「開けて」とでも言いたそうに鳴いたクィッキーの声に薄い笑みを浮かべて、ファラは寝台から起き上がった。扉を開けて廊下に顔を出すと、薄暗がりの中を階段の手すりをちょろちょろと駆け上っていくクィッキーの青い毛並みがちらちら揺れた。思っていたのとはいささか違う展開に、あれ、と彼女は首をかしげた。
 メルディはどうやら二階に行ったようだ。






 キィ、と扉の開く音がした。一気に意識が覚醒の方向へと向かう。
 猟師としての性なのか、ささいな物音にも反応してしまう自分にリッドは内心苦笑した。
 ここは街中。しかも、戸口に鍵のかかった一軒の家の中だ。以前旅をしていたころならばともかくとしても、今はさして警戒を必要とするわけではないだろうに……染みついた感覚というものはそう簡単には抜けないらしい。
 横たわったまま顔だけ入り口の方向に向けると、徐々に広くなる扉の間からふわふわと柔らかそうな髪の毛のシルエットが浮かびあがった。
「……メルディ?」
 つぶやいて起き上がる。まさか寝ぼけて寝室の場所を間違えたとでもいうのだろうか。そのままためらいもせず入ってくる。
「メルディ?」
 名のあとに続くはずだったどうしたんだ、という問いは口から出る前に横から飛んだ別の声に遮られた。
「……どうした?」
 たった今まで寝息をたてていたはずのキールが、いつのまにやら身を起こしていた。部屋の真ん中でメルディが立ち止まる。
「どうした? ……いいから来い」
 その声を合図に、ふわりと空気が揺れた。目の前の光景にリッドは驚いて目をしばたたかせた。
 華奢な身体がさしのべられた腕の中にするりと納まるさまが、まるでその瞬間だけ時間がゆっくりになってしまったかのように克明に瞳に焼きつく。
(なっ……なんなんだ一体!?)
 今は夜。夜中。男女で寝室を分けるのはリッドにとって、というよりも世間的に当然のことで、だから自分たちもそうしている。部屋数は足りているのだからそれで問題もない。
 それなのに、いやメルディの感覚は自分たちとは少しばかりずれているのはわかってはいるが、夜中に男の寝室に入り、あまつさえ部屋の主に抱きつくとは。しかも、がちがちに堅い思考の彼の幼なじみが、それをさも当然のように受け入れるとは。
 いやこいつらなんだかんだで前からそんな雰囲気だったし何ヶ月か一緒に住んでるわけだしひとつ屋根の下で暮らしてりゃあそういうことになるのも時間の問題ってやつかもしれないんだけどでもまさか客(?)の目の前でそういうことやらかすかフツー。
 寝起きの頭には酷なほどめまぐるしく思考がめぐる。
 ぐるぐると終わりの見えない考えに終止符を打ってくれたのはもう一人の幼なじみの声だった。
「あ。メルディやっぱりここにいたんだ」
 ファラだ。肩にはクィッキーを乗せている。
「ふぁふぁふぁふぁふぁファラ、おおおおおオレ何がなんだか」
 口をぱくぱくさせながらリッドが指差す方向に寄り添う二人をみとめて、ファラはかすかに頬を染めたが、一瞬の後に彼女は眉根を寄せて寝台に駆け寄った。
「……メルディ! 大丈夫なの!?」
「…………へ?」
 ファラにつられて少女を見やった彼は、彼女同様すっとまじめな顔つきになって立ち上がった。
 ……メルディは泣いていた。
 わずかな明かりにもはっきりとわかるほど青ざめて、がちがちと歯の鳴る音まで聞こえる。小刻みに震えながら、けれど決して声は出さずに。
「メルディ……おい、メルディ?」
 どうやら呼びかけても聞こえていないらしい。瞳の焦点はどこか遠くを見つめているかのようにぼんやりとかすんでいる。キールの寝間着を握り締める指には白くなるほど力が込められ、あふれ出る涙は止まる気配もない。
 じっと見つめる視線に気づいたキールが顔を上げた。
「大丈夫だ。……ちょっと錯乱してるだけだから」
「錯乱って……『ちょっと』なんてもんか、これ……?」
 呆然とたずねるリッドの声は震えている。それも無理はなかろうと判断して、キールは嘆息して注意深くメルディの身体を支えながら寝台から降りた。
 これ以上ここにいるのは、メルディのこの様子を二人に見せるのは避けたほうがいいだろう。
 彼女は人に心配をかけることを厭う。
 だから。
「大丈夫だ。……メルディ、下に降りよう。何か温かいものでも飲もう……な?」
 こくんとひとつ、ちいさな頭がうなずいたのを確認してから彼は細心の注意を払いながら細い身体を抱き上げた。ぎゅっと首に回された腕が少し息苦しいが、まさか「離れろ」とは言えない。足で器用に扉をあけてクィッキーを先に通してやってから、身体ごとぶつかるようにして隙間を通り抜ける。
 リッドとファラは、二人と一匹の後姿を声もなく見送った。






 階下の居間に明かりが点ったのがわかった。
 なだめようとしているのか、内容までは聞き取れないがひどく優しげな響きの声がかすかに聞こえる。
 ファラはキールが寝ていた寝台に腰掛けてそっとため息をついた。
 昼間は、元気だったのだ。輝くばかりの笑顔を浮かべて、再会の喜びに踊り出さんばかりにはしゃいでいたから、もう彼女は大丈夫なのだと勝手に思っていたけれど。
「……やっぱりまだダメだったんだね……」
「……だな」
 当たり前といってしまえばそのとおりなのだ。彼女は目の前でたった一人の肉親を失ったのだから。あれからまだ、半年と経っていないのだから。
 さして慌てた様子も見せなかったキールを見れば、あれが今日たまたま起こったのではなく、頻繁にあることなのだということは容易に推測できる。錯乱して泣きじゃくる彼女にはあの幼なじみの声しか届いていなかった。
 自分たちの後ろをおっかなびっくりついてきて、転んでは泣いていた、あのキールの声しか。
 取り残されて途方に暮れる姿しか記憶になかったのに、いつのまにか彼は支えられる側から支える側に回っていたのだ。
 夜に悪夢を見ることがあるとはいっても、メルディの昼間のあの笑顔はまぎれもなく本物だ。
 けれどそれはキールがいてこそのもので。寄り添うぬくもりがあってこそのもので。そのことにファラは今更ながら気づかされた。
「……なんだかうらやましいなぁ……」
 ぽつりと漏らされたつぶやきを、リッドは耳ざとく聞きつけた。
「うらやましい? メルディが? それともキールが?」
「え? あ、やだなあ。聞こえちゃった?」
 まさかひとりごとに質問を返されるとは思っていなかった彼女は狼狽してぱたぱたと手を振ったが、その速度はだんだん遅くなり――そして、止まった手はぽすん、と膝の上に落ちた。
「こんなこと言ったらメルディに失礼だよね……メルディ、いっぱいいっぱいつらい思いしたんだもん。でもね、でも。キールもだけど……ああいうふうに、癒したり癒されたりできるのってすごくいいなあって思ったの」
 ひとりで抱え込むのは悲しすぎるもの。
 リッドはうっすらと微笑んで窓の外をみやるファラの横顔をみつめた。
 思い出しているのはあのときのことだろうか。大切で大好きな存在たちをことごとく失ったあの日。微笑んでいるのに、全身から淡く立ち昇る哀しみの気配が強く伝わってくるのは。
「ファラ」
「ん? なに?」
 低く呼びかけられて振り向いた彼女は、片手を自分の方に差し出しているリッドを見て首をかしげた。
「どうしたの?」
「今日は一緒に寝ようぜ」
「……えええええぇええ――――ッ!?」
 ファラは思わず大声をあげて立ち上がった。リッドが慌てて静かにするようにと身振りで示す。
(ばっ……バカ! 夜中になんて声出してんだ!)
(リッドが変なこと言うからでしょ!?)
 無意識にか自分で自分を抱きしめるようにして身構えているファラに、リッドは彼女がなぜそんなにも驚いたのかという理由にようやく思い至って乱暴に頭を掻いた。
「……別に変な意味じゃねえぞ?」
「じゃあどういう意味よ」
 とりあえず落ち着いたファラが寝台に座りなおす。下から探るように見上げてくる彼女の目つきに苦笑して、リッドはもう一度頭を掻いて窓のほうに視線をやった。
「そうじゃなくてさ。変な意味じゃなくて。……ガキの頃みたいにさ、手つないで寝ようかって」
「え」
「……たまにはいいだろ?」
 ファラは全身の力を抜いて、呆けたような表情で目の前の幼なじみの顔を眺めた。
 徐々に、くすぐったいような、苦しいような何かよくわからないものが胸の中を昇ってくる。
(……なんで)
 なんでリッドは、いつもいつもこんなにも自分のこころを正確に読み取るのだろう。メルディほどではないにしても、弱さを他人に見せずにすませるのは彼女の得意とするところだ。明るく明るく振舞って、けれど強がっていることすら気づかせない、それが彼女の生き方だったはずなのだ。
 それなのに。
 支えたいと願うと同時に支えられたいとも願う、それは表裏一体の想い。
「……うん。たまにはいいかもね」
 ファラはにっこりして差し出された手を握り返した。




 ふとした拍子に思い出す、罪。
 罪とは言えぬと、あれは運命だったのだからと、言い聞かせる声は自分を癒してはくれなかった。
 乗り越えられた今も忘れない、あのことだけは。忘れずにいることを自らに課し、それをもって贖いと為す。



 けれど今は。
 ただ彼のぬくもりだけを寄る辺として今は眠ることにしよう。



 二度目の眠りは、深かった。







--END.




|| INDEX ||


あとがき。
ひっさびさのリドファラ風味です、はい。
えーと、ちょっとわかりにくいかもしれないので説明しますと、「過去の傷をキールに癒してもらってる(ちょっと語弊があるかしら…;)メルディを見て、自分自身の傷にもつい目を向けてしまったファラちゃん」…で、いいのかしら?(笑)
説明ないとわからんもの書いてちゃダメですな。
まあ最初思いついたネタは単に「キルメルに触発されていちゃつくリドファラ」だったんですがー。
んんー、別にアレですよ、支える側が強くて支えてもらう側が弱い、ってわけじゃあないですよ。
どう見えるかなんて所詮他人の判断だしねえ。支えてるつもりが実は…なんてこともザラだし。
でもやっぱりリドファラですね、いちゃつくってもキルメルみたく濃ゆくないですね!(笑)
なんかリドファラって並んでひなたぼっこー、の図が一番しっくり来るような気がするのさ…
…キルメル? HAHAHA聞いちゃいけないよベイベー。
理性がもつのかとかなんとかありそうですが、私の知ったこっちゃありません。
なんとなくですが、リッドのほうがキールよりもこういうことに関しての暴走の度合いは低そう…(笑)