同じ年頃の少女たちと話をするたび、感じていた違和感がある。
きらきらと瞳を輝かせて、夢を語る彼女たち。
自分にはなかった、そのまぶしさは。
だって、あのころは必死だったから。
ただそのときを生き抜くだけで精一杯で、夢を見る暇などなかったから。
……未来を夢見る資格など、自分にはないと思っていたから。
馳せる夢
窓の外では、しとしとと雨が降り続いている。
自室の机で分厚い本とにらめっこしていた青年――キールは、ふと集中力を途切れさせて大きく伸びをした。首の力を抜いてかくんと頭を後ろにもたげると、伸び放題の蒼い髪がさらりと音を立てて頬をすべった。
朝から降り続く雨は未だやむ気配はなく、部屋の中は少し冷たい、湿った空気に支配されている。
キールは読みかけの本にペンをはさんで立ちあがった。
「……?」
そこで、首を傾げる。いつもなら彼が研究を中断すると待ちかねていたように入ってきて、食事なり息抜きなりを勧めてくるはずのメルディの、声がしない。
おもわず眉をひそめてしまってから、キールはかすかに赤くなってぶつぶつとつぶやいた。
「……べ、別に来て欲しかったわけじゃないぞ、ただいつもと違うから不思議に思っただけであってぼくは決して……」
尻すぼみの台詞の後にはただ雨音だけが続く。
他に聞くものもいないというのになんだか馬鹿らしくなって、彼は投げやりな手つきで頭を掻いてドアノブを回した。
二階の踊り場から身をのりだして一階の居間をうかがう。見下ろしたソファには見慣れた姿があった。ドアの閉まった音にも気づいた様子はなく、なにやら下を向いて一心不乱に考え込んでいるようだ。
足音を殺して階段を下り、近づくが、まだ気づかない。
まだ、気づかない。
そっと手元をのぞきこむと、そのちいさな手に握られていたのは刺繍枠だということがわかった。
針は持っていない。
キールは何度かまばたきを繰り返してから、そっとメルディの肩に手を置いた。
「メルディ」
「ふゃぁっ!?」
びくん、と身体が弾むと同時に傍らに置かれていた袋の中から色とりどりの刺繍糸の束がばさばさとこぼれおちた。
「あ! あー……あ〜」
「何やってるんだよ」
気の抜けたような声を上げる彼女を尻目にすばやく束を拾い集めて袋の中に放り込みながら、軽く笑う。
「刺繍、するつもりなのか?」
「あー、うー」
メルディは視線をさまよわせたが、黙ったままあくまで穏やかにみつめてくるキールに根負けしてか、もじもじと手のひらをこすりあわせてうつむいた。
気のせいだろうか、耳たぶがほんのり桜色だ。
「……センタクモノの中のキールがハンカチ、見てな。ひまつぶし、なるか思ってさっき買ってきた。……ん、だけど」
いざやろうと思ってみても、刺繍枠の使い方がわからなくて考え込んでいたらしい。下を向いたままのメルディを見下ろす。
とすんと隣に下りた重みに彼女が顔を上げると、キールは口の端だけで笑ってその手から袋を取り上げた。
セレスティアには珍しい木製の輪っか。インフェリアとはねじの部分が微妙に違うが、構造は大差ない。二千年ほどの間にすっかり違う文明を発展させたふたつの世界の、けれどよく似た道具を見て自然と笑みが昇ってくるのがわかった。
結局、同じ人間。ちょっとしたところで考えることは一緒なのだ。
「いいか、これはこうやって使う」
袋の中から――わざわざ刺繍用に買ってきたらしい――薄緑のハンカチを取り出し、内側のちいさなほうの輪にかぶせる。布をぴんと張った状態で大きなほうの輪をかぶせ、上部のねじを締めて止めてから、ほら、とメルディに手渡してやった。
「こうすればやりやすいだろ?」
「そっかあ〜」
嬉しそうに刺繍枠を受け取った彼女は、ふと何かを思いついたようにキールの腕を取った。
「なあなあ、いつだったかキール教えてくれる言ったな?」
ずーっとずーっと前のことだけど、メルディちゃんと覚えてるよー。
もう何年も前のことだ。忘れられていてもおかしくない、ちょっとしたときに交わしたささいな約束。けれどメルディには彼は覚えているに違いないとの確信があった。根拠はない、なんとなくだけれども。
キールがぎくりと身を強ばらせる。そんな彼の様子に気づかぬふりをして、メルディはキールの腕を抱きしめて頬をこすりつけた。
昨夜からずっと自室にこもってかまってくれなかったのだから、これくらいは許されて然るべきだろう。
……たぶん。
「なな、キールぅ」
上目遣いに見上げて甘えた声を出す。
最近ではキールもそんなメルディの行動にもずいぶん慣れて、わがままが通らないこともままあるのだが、それでも普通におねだりするよりは効果覿面であるのは確かだ。
その証拠に、彼は困ったような顔をして刺繍糸の入った袋を見つめている。キールは本当にその気がないときはきっぱりはねつけてさっさと逃げ出してしまう。それをしないということは――もう一押しだ。
「キールってばぁ〜」
何度目かの呼びかけが続いた後。
「……まあ、気分転換にはなるかな」
ため息混じりに低い声が降ってきた。
「教えてくれるか!?」
「っ気分転換だ、気分転換! 勘違いするなよ!」
何が恥ずかしいのやら耳を真っ赤に染めて怒鳴るように言い放ったキールに、メルディは満面の笑みを浮かべて「はいな」とうなずいた。
「……よし、ここに針を出したな? そうしたらちいさな輪を残して同じ所に――そう、刺して、……ああ引っ張りすぎたらダメだ、力を加減して……」
「こ、こうか?」
基礎もそれほど確立できていない人間にとっては、ちょっとした手法も難しく感じられるものだ。
要領を得ないながらも必死にコツを飲みこもうとするメルディに、キールもまた根気強く指導を続けていた。
細い指先がつまんだ針が、鮮やかな色彩の糸を導いて布を走る。
画布に絵の具を置くように少しずつ形ができてくるのを、キールは無意識に息を詰めながら見守っていた。
「……はあ〜……」
青紫色のちいさな花を一輪刺し終えたメルディの口から、ため息が漏れた。ことりと音を立ててテーブルに刺繍枠を置いた彼女を、キールは気遣わしげに覗きこんだ。
「疲れたか?」
時間にしてみればそれほど長い間やっていたわけではないが、根を詰めればそのぶん疲労感は強くなる。表情だけでもうやめるかと問い掛けてくる彼に、メルディは軽く首を振ってふわりと微笑んだ。
「……あのな」
「うん?」
擦り寄ってくるのを躊躇なく受け入れてそのままソファの背にもたれかかる。その仕種には、お互い何の屈託もない。自分もずいぶん変わったものだと思いながら、キールは華奢な肩にこぼれかかるふわふわの髪をなんとはなしに指先に絡め取った。
「どうかしたのか?」
「……いつかな、メルディはキールが今教えてくれたこと、今度はコドモに教えるのかなってな」
ゲホゲホッ!
キールは唾を飲みこみ損ねて盛大にむせた。
「な、なな、なんだって?」
どもりながらも聞き返すとしっかりと目が合ってしまう。いまさら逸らすわけにもいかず、かといってよりにもよって子供うんぬんの話題など出された上に切なげな表情で見つめられた日には、どう応対していいものやらわからなくなってしまうではないか。
そんな彼の内心の葛藤にも気づかず、彼女はふと瞳を翳らせて下を向いた。
「……あのな」
顔を見られたくないのかキールの肩に額を押し付けて、メルディがちいさな声でつぶやく。急激に変化したその様子に怪訝そうに目を眇めて、けれど彼は何も言わずに耳を傾けた。
「メルディ、今までいろんな人にいろんなこと教えてもらったな。リッドには野ウサギの罠のつくりかた教えてもらったな。ファラはインフェリア料理教えてくれた。キールは、おべんきょとか他のいろんなこと、教えてくれた」
ぎゅっと指に力がこもる。
「……それで、それでなシゼルには、歌うこと教わった。苦しいとき、歌うと元気でたよ。歌うのが好きだからっていうのもモチロン、ある。……でも」
一番にこころを温めてくれたのは、『教えてくれた』というその思い出。
歌うたびにあふれだすあの頃の記憶はあやふやで、だけど優しくて大きな支えとなっていた。
気を抜けば簡単に吹き消されてしまったに違いないちいさなちいさな命の炎を守ってくれた。
だから。
自分も父や母がしてくれたように、そんな記憶を、きっといつか生まれてくるであろう自分と彼の子供にひとつでも多く残せたら。
「……メルディ」
ひどく優しげな、低い声はキールが彼女を気遣うときに決まって出す声。幼い子供をあやすかのように背をなでる手のひらは大きくて馴染み深いもの。それが心地よくて、メルディはうつむいたままこっそり吐息をもらした。
そんなにつらそうにしなくてもいいのに。
確かに両親のことを思い出して、つい湿っぽくなってはしまったけれど。
それでも苦しくはない。
だって自分は今、幸せなのだ。
それがわかっていないから、彼はこんな声を出すのだろうか?
ならば伝えるまで。メルディはぱっと顔を上げた。
「だからな、キール!」
予想していたのとは違う、明るい光を宿した瞳に出会ってキールは面食らった。次の瞬間彼女のちいさな唇から飛び出した台詞は。
「メルディ、早くコドモほしーな!」
キールは、しばらくの間固まっていた。
ぼうっと眺めていると、そのうち顔色が白くなったり赤くなったり青くなったり――めまぐるしく変化し始め――彼は、ようやっと言葉らしきものを発した。
「……はあっ?」
心底から動揺しているのがわかる。メルディは可愛らしく首を傾げた。
「メルディ、なんかヘンなこといったか?」
「いいいいいいや、へ、ヘンじゃない……たぶん、でも、ここっ、子供? ……って、いやだけどそういうのは欲しいと思ったからってすぐ生まれるわけじゃ……」
「メルディだってわかってるよぅ、そのくらい」
あくまで冷静に応酬してやると、ようやく少しはおさまったのかキールは頬に朱を散らしたままゆっくり何度か深呼吸をした。
ぽんぽんと、頭に手を置かれる。
「あー……まあ、そのうち、来てくれるんじゃないか? 今日かもしれないし、明日かもしれない。もっと先になるかもしれない。……もしかしたら」
「もう来てるかもしれないな!」
言葉尻を受け継いで、メルディはキールに勢いよく抱きついた。はずみで倒れそうになるが、なんとか持ちこたえる。
両頬を包み込むように手のひらではさまれ引き寄せられて、メルディはまつげを伏せた。
ついばむような口づけを交わして、見つめあって笑いあう。
資格以前に、自分は夢見ることなど知らなかったのだと。
今更それに気づいたけれど。
けれどそんなことはどうでもいいのだ。
愛しいひとと、描く未来に。
夢を、馳せる。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
新婚さんです。誰が何と言おうと新婚さんです。
よく考えたら最近幸せ話ばっかり書いてるかもしれない。
そろそろ重い話も書きたいですね〜でもネタが浮かばな〜い(笑)
ま、それはさておき。
冒頭は普通だったのに、いきなり最後当たり前のように子供の話だのちゅう(笑)だのかましてて驚いた方いらっしゃるかもしれませんが。
だって新婚なんだもーん。
ちなみに…この時点でメルディの腹の中には、います。
何がとか聞いちゃイヤン(爆笑)
判明するのは自分設定では数週間後ですけどね。
るみさん、お裁縫ネタ提供サンクスでしたv
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