星に願いをかけましょう。
 空を流れるひかりのかけら。
 いくつ拾って集めれば、ちいさな願いはかなうのか。




ひかりのかけら





 日没後の、セレスティア。濃紺の帳のあちらこちらにちりばめられた星は、誰かがちいさなくしゃみをしただけでも支えを失ってすぐに降り注いできそうなほど。いつも明るい光を放つ夜空の道しるべ、月は隠れているけれど、おかげで普段はわからない弱い輝きの星もはっきりと見えた。
「すごいなあ……クィッキー」
 メルディは、話し相手にはならない、けれどこちらの意を確実にくんでくれる青く小さな相棒を膝の上に抱き上げて感嘆の吐息を洩らした。
 満天の星空。グランドフォールで世界がかつての姿を取り戻す以前、セレスティアは雷晶霊の影響で常時稲光の舞う薄暗い世界だった。濃い紫色と灰色が混じりあった曇り空ばかりを見なれていた彼女にとって、今頭上に広がるある種すがすがしいほどに晴れあがった夜空は新しい発見と驚きをもたらしてくれる格好の観察対象だ。
 インフェリアで見た空とは違う。色こそ似ているものの、星の並びがことごとく異なる。それが面白くて、アイメンの復興当初は昼間の疲れで眠い目をこすりながらも観測目的で岬の砦に向かうキールについていっていたものだった。
(………………)
 もちろん、ただ夜空を見上げることだけが目的だったわけではないけれど。
 一人で苦笑してベッドに寝転がる。天窓のブラインドは全開で、思うさまごろごろするだけで苦労もなく空全体を眺めることができる。
 ふと、視界の端を光が横切った。
「あ」
 思わず声をあげて起きあがる。流星だ。
 流れ星が消えてしまうまでに願いを三度唱えることができれば、その願いはかなう――
 ロマンチックな伝説だとも、子供じみた迷信だとも、どちらとも言えるそのジンクスを心の底から信じこんでいたわけではなかったが、メルディは息をつめて再度星が流れないかとじっと空を見つめた。
 ……流れない。
「……あーあ」
 メルディは肩を落としてぼすん、と寝台に倒れこんだ。ちょろちょろと胸の上にクィッキーが駆けあがってくる。じゃれつくちいさな前足を適当にかまってやりながら、ふとメルディは思いを馳せた。
 そういえば、セレスティアで初めて流星を見たのは、キールの隣にいたときだった。






「キール! ながれぼしよ!」
 高く澄んだ声がキールの耳に入ったのは、ちょうど彼がインフェリアとの距離を計測するために、天体望遠鏡の設置作業を終えかけたときのことだった。あまりに嬉しそうな声音にわざわざ手を止めて空を見上げる。しかし期待していたものは視界には映らず、青年は首をかしげた。
「……流星? どこに?」
「もーう、こっちよこっち!」
 キールが見上げたのはインフェリアの見える北側の空。どうやらメルディは反対方向を見ていたらしい。ぐいと腕をひっぱられる。その拍子にやわらかな髪が頬にふわりとこすりつけられた。感触の残る場所が瞬時に熱を持ったことに気を取られ、キールは少女のごく弱い力にやすやすとひきずられてその顔の向きを変えた。
 と。

 すい、と一条の光が暗闇を切り裂いて走った。

 いや、一条ではない。次から次へと、星の光がさながら雨の如くに降り注ぐ。あたりはあっという間に真昼のような明るさになり、二人は言葉もなくただ立ち尽くしていた。光の洪水。まるで圧倒的な力の奔流。いや、まさにそのもの。
 ふとグランドフォールのときの極光のぶつかりあいを思い返して、キールは無意識に隣に佇むメルディの肩を抱き寄せた。あのときも一見しただけでは光の流れとしか見えない力が激しくうねりながらぶつかりあい、目をあけていられないほどのまぶしさに息さえも絶え絶えになりながら必死で耐えたのだ。ただその場にいただけで全身を苛んだ、あの激しくすさまじい空間。
 ……大丈夫。彼女は今、苦しんでいない。ただこの滅多に見られない光景に、見惚れて呆けているだけ。
「……キール……?」
 肩にかけた手に力がこもったことに気づいたのだろう、メルディが心もとなげな顔で彼を見上げる。そうなって初めて、キールは自分がとった行為に気づいてかすかに頬を染めたが、少し唇をゆがめただけで改めて淡紫の頭を抱きこんだ。一瞬の逡巡をはさんだ後、メルディが甘えるように胸に額をすりよせてくる。
「……これだけ流れてるんだから」
 静かな口調が冬の凛と張った空気を震わせた。
「これだけたくさん流れてるんだから、願いをかければひとつくらいはかなうんじゃないか? 何かお願いしてみるか?」
 メルディは旅の途中も、セレスティアに落ちてからも、幸福の雪を見るたびにはしゃいでいた。見れば幸せになれるのだという伝承と、願いをかければかなうという伝承と。それほど違いがあるとは思えない。通常ならば願いをかける暇もなく流れて終わってしまう星々だけれど、今はこんなにたくさんあるのだから。
 しかし、キールの予想に反してメルディはちいさくかぶりを振った。
「ううん、いいの」
「いいのか?」
 青年はなんだか腑に落ちないような顔をしていたけれど、かまわずに微笑む。
「いいの」
 だって、メルディののぞみはキールとずっと一緒にいることだから。
 心の中でこっそりつぶやいて、少女は白いガウンをつかむ指に力をこめた。

 星に願ってもしかたがない。彼女の願いをかなえてくれるのはキールであって、星ではない。

 キールは共に生きるのだと約束してくれた。不安におびえてただただ証を求めたがる自分に、精一杯に応えようとしてくれている。今、このときでさえ。
 もちろん未来のことは誰にもわからない。もしかしたら自分の望まない方向へと流れていくのかもしれない。けれど、星に願いをかなえてもらうよりもメルディにはあの極限の瞬間にキールが交わしてくれた約束のほうが重要だった。星になんて願わなくても、自分の望みをかなえてくれる人は目の前にいるのだから。だから、それでいい。
 光の降りしきる中、二人はそのまま無言でよりそっていた。
 星は、一晩中流れつづけた。






 そうだ。あの日を境に、自分は流れ星を待つことをやめたのだ。
 キールに出会う前は、グランドフォールを止めようと思い立つ前は、さびしくて悲しくて、孤独から逃れたい一心で。幼い頃に聞かされたお伽話を支えに、決して流れぬ星を待って眠れぬ夜を過ごした。
 けれど、今は。
「…………ディ?」
 下の階から、声がした。
「メルディ? いないのか?」
「!」
 メルディはそれまでのだらだらした様子から一転して、すばやく寝台の上に身を起こした。
 そういえば、階下の明かりはつけていなかったのだ。急いで踊り場に飛び出す。
「キール!」
「……あ。メルディ。いたのか」
 乱れた前髪の間からのぞいた蒼い瞳が優しげに細められた。一足先に降りていたクィッキーが嬉しそうに彼の足元をくるくる回っている。弾む足取りで軽快に階段を駆け下りると、メルディは勢い良く待ち人の腕の中に飛び込んだ。
「おかえりな! キール!」




 空を流れるひかりのかけらは。
 結局ひとつも手に入れられなかったけど。
 それでもちゃんと、願いはかなった。







--END.




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あとがき。
キリリクにしては短いです。珍しい。
でも、いつもみたいに訳のわからない部分が入らなかったってのは自分としては良かったつもりで…
冗長になりすぎて妙なエピソード入れちゃったりするんですよね。

テーマ「夜空」ということで、最初は「キールの髪=夜空の色」で進めようと思っていたんですが。
どうにもそれだとうまくいかなくて、流れ星ひっぱってきたら書けました〜。あは。
作中に「決して流れぬ星」とあります。
グランドフォールが起こる前は、恐らくセレスティアの空はずっと曇り空で晴れるとしても夜明け前くらいだったのではないかと。
だから、流れ星なんて現象そのものが知られていなかったのではないかと。
じゃあ、どうしてメルディが流れ星の伝承を知っていたかというと、ちいさいころにバリルに聞いたから。
シゼル(つーかネレイド)に実験台に使われていた日々、彼女を支えていたものはただただ幼い日の幸せな思い出だったのでしょう…

ニアミス40001Hit霧島ゆのかさまのリクエスト、キルメル「夜空」でした〜。