復路のない路をたどって、こんなにも遠くまでやってきた初めての夜。
夜闇を照らす紫の光の中、いつも元気な彼女が珍しく沈んだ顔をしていたから。
自分には何ができるのか、それだけを考えて歩いていた。
異邦の夜
「だいたいこんなとこ」
自らの家の前で立ち止まり、メルディは後ろの二人を振り返った。
「ほかにはなにかないのか?」
あれだけ歩きまわっておきながらまだ物足りないのか、キールがあたりを見回す。メルディはちょっと考えてからぽんと手を叩いた。
「図書館のあるね。でも古い本ばっかり。おもしろくないよぅ?」
「図書館があるのか!? あ、案内してくれっ」
たちまち目を輝かせたキールの剣幕に、メルディは一瞬びっくりしたように目を見開いたが、すぐに笑ってうなずいた。
「はいな! キールが、ご案内〜。リッドはどうするか?」
「あ? オレ?」
ぼんやりとメルディの家のほうを見やっていたリッドは首を振って頭を掻いた。
「ん、わり。オレもう疲れた。先休んでていいか?」
「そか? じゃあメルディ達は行ってくるな」
「ああ」
リッドが扉の中に消えるのを見届けてから、メルディはすでに歩き出していたキールの後を追う。
「めずらしいな」
「ん? なにがだ」
キールは歩幅の違いからかメルディが小走りに自分についてきているのに気づき、わずかに歩調を緩めた。追いついて隣に並ぶ。
「リッドが疲れた言う、めずらし。いつも最初に疲れるのキールなのに」
ファラがレイスとの事で参っているのはわかりきっていたが、少なくともリッドは普段と同じに見えたのに。
「ああ、あれは嘘だろ」
「うそ」
繰り返すメルディの声が不思議そうな響きを帯びる。
「なんで?」
「そりゃあ、ファラのことが心配だからだろう?」
メルディも心配してるよう、と口を尖らせると、キールは肩をすくめた。
「ぼくだって心配してるさ。でも、ファラのことはリッドに任せておけば間違いはない。だからおまえもそれほど気にすることはない」
「んー?」
まだ首をかしげているメルディに、キールは言葉を続ける。
「昔からの役割分担だよ。ファラが落ち込んでるとき慰めるのはリッドの役目だ。十年経ってもそれは変わらない」
「よくわかるんだな。おさなななじみだからか?」
「おさななじみ、だ。まあそれもあるけど」
機嫌がいいのだろう、たいして怒った様子も見せずに訂正してからキールは思案げにあごに手を当てた。そのまま黙ってしまうので、メルディはなんとはなしに彼の横顔を眺める。ふと青紫の瞳がこちらを向いたので視線がかち合ってしまい、どきりとした。
「そうだな、どう言えばわかるか……たとえばだ、ファラがモンスターに襲われてたとする。おまえはどうする?」
「助けにいくよぅ、もちろんな」
「そうだな、ぼくもそうする」
キールはうなずいた。
「リッドは違うのか?」
「まさか。助けにいくさ、当然だろ?」
「……なに違う? メルディ、ワカラない」
メルディは眉根を寄せる。
「違うのはここから。助けにいこうとしたら、とおりがかった他の人がファラを助けてくれた。そうしたらどう思う?」
「よかったって」
「そうだな、ぼくもそう思う。で、リッドも良かったって思うんだ。思うんだけど、リッドの場合はぼくらより少しだけ複雑になる」
「フクザツ……」
思いのほか真剣な表情で聞き入るメルディにキールは苦笑して頭を振った。
「そんなに気負うことはない。あくまでぼくの見解だから、気楽に聞いとけばいいさ。リッドは良かったと思う。でも、それだけじゃない。なんていうのかな、自分が助けたかったって思うんだ。他人の手じゃなくて、自分の手で」
「……要するに、ヤキモチか?」
「そういうこと。ぼくは別にファラが無事でいて、笑っていてさえくれればそれでいい。ぼくを頼りにしてくれないのは情けないとは思うけど、まあ仕方ないかな、と思える。でもリッドはちょっと違うんだ。あいつはファラが一番に頼りにするのは自分じゃなきゃ嫌だと思ってる。だいたいファラが騒動を起こすたびに散々文句いいながらきっちり後始末にまわるんだからな。ほんとに嫌ならほっとけばいいんだ。それでも、ファラがたとえどんな騒動を起こしたとしても、その後始末がどんなに大変なことか最初からわかってても、リッドの態度は変わらない。わかるか?」
「わかった!」
メルディは手を叩いた。
「だからな? ファロース山でリッド怒った、レイスにヤキモチか」
「ご明察。ファラが無事だったのはうれしいけど、そのファラを助けたのはレイスで、しかもファラはレイスがいれば大丈夫だって、信用しきってただろ? だからリッドは面白くなかった。それだけのことさ。な? 至極わかりやすい」
「わかりやすいなー。ならそう言えばいいのに。リッドとファラ、仲よいとメルディうれしい。キールはどうか?」
キールは彼女の言葉にふと眉をひそめた。
「そりゃまあぼくも喧嘩しているのを見るよりはいいが……」
とばっちりを受けるのはぼくだし、とつぶやいてメルディを見下ろす。
「……おい。もしかしてそれ、どっちかに言ったか?」
「はいな! いったよーリッドにな。あ、ファラにもいったかな? よくおぼえてないなー」
「うあ……」
キールはうめいて頭を抱えた。
「おまえそれ、きつい……」
「えー? なんでー?」
なんでもなにも。普通そういうことは本人に言うものではない。
だが、メルディの様子を見る限りまったくわかっていないらしい。
キールは自分たちがいつのまにか立ち止まって話していたのに気づいて、メルディを促して再び歩き始めた。
「……もういいよ。時間がなくなる、いこう」
「はいな〜」
二人の影はゆらゆら揺れながら路地の向こうに消えた。
なんだか妙かも、と思える色彩の組み合わせの扉をくぐると、中は真っ暗だった。
もう休んだのか、と意外な思いで部屋の中を手探りで歩いて奥に進もうとすると、どん、と何かにぶつかった。
「ファラ!?」
ぶつかった勢いでそのまま倒れてしまいそうだった身体を慌てて支える。
「……あ。りっど……?」
いつもとは違う、覇気のない声に心が沈んでしまいそうな錯覚を覚える。
リッドはぶんぶんと頭を振って力をこめてファラの肩をつかんだ。
「おい? どうしたんだファラ、しっかりしろよ!」
「……あ? なにいってんの。わたし元気だよぉ……」
「どこが!」
オレの前でまで本心を隠すのか!
リッドはやりきれない気持ちになってつい怒鳴ってしまいそうになったが、何とかその衝動を押さえ込んだ。
代わりに漏れでたのは自分でもびっくりするほど力ない声。泣きそうな声。
「……なあ、しっかりしろよ……」
その声につられたのか、ファラの瞳から大粒の涙がひとつぶ、ぽろりとこぼれ落ちた。
「わたしどうしてここにいるの?」
「ファラ」
「メルディのこと助けてあげたいと思ったの。ほんとだよ。そう思ったの。……なのに、今はわからない」
流れ落ちる涙をぬぐおうともせずに、握りしめたエプロンにはひとつ、またひとつと染みが増えていく。
「迷ってるのわたし。ここにくるまでそんな風に思ったこともなかったのに」
「レイスも迷ってたよ」
レイスの名を出すのは癪だったが、この際だ、彼女が元気になるなら何でもいい。
「……レイス? レイスがなに……」
「だから、レイスも迷ってたんだよ。くやしいけど、オレは知ってる。オレの剣の腕はレイスには遠く及ばない。なのにオレたちは追っ手を振り切ってセレスティアにくることができた」
「……」
「迷ってたから、オレたちを見逃したんだ。あんなに強くて大人だったレイスが迷ってたんだぞ、おまえが自分のことわからなくなったって、全然不思議じゃない」
ファラはめずらしく懸命に喋り続けるリッドをぼんやり見上げた。
「頼むからいつものファラに戻ってくれよ……おまえがそんなじゃ、オレまで気が滅入ってくる」
「いつも……? いつもってどんなだっけ」
「だから……! おせっかいで、無鉄砲で、正義感が強くて……」
いつも向日葵みたいに笑っていて、太陽の匂いがする。
なのに、今は。
しおれてしまった花みたいだ。
「ひとがいいって言ってんのに首突っ込んで、余計な騒動起こして……!」
「ひっどいなあ」
ファラは力なく笑った。
力こそなかったものの、とりあえず笑顔を引き出せて少し気持ちが軽くなる。
「ファラ」
「リッド……ありがと。大丈夫、わたしは大丈夫」
ファラは両手でリッドの手を取って頬を寄せた。
おもわず手を引っ込めてしまいそうになったが、思い直しておとなしくされるがままになる。
「ありがとうね……わたしは大丈夫。大丈夫だよぅ……」
ぽろぽろとあふれる涙はその量を増していったけれど、リッドにはその涙の意味が先のものとは違うということがすでにわかっていたから、なだめるでもなく握られていない空いているほうの手でファラの髪を優しくなでる。
きっと次の日になればまたファラは前と同じように笑ってくれるだろう。
騒動が起ころうが、自分がどれだけ苦労しようが、リッドにとって何よりも大切なのは彼女が明るく笑っていられるかどうかということだから。
故郷から遠く離れた、異世界にきてもそれは変わらない。
古くからの絆と、新たに生まれいずる絆と。
彼らが今まで築いてきた、そしてこれから結ぶ数多の絆は世界すらも変える。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
……暗っ! ……いや、私のは大抵暗いですけど(笑)。
だってー、シリアスのほうが書きやすいんですものー。
でもやっぱりキールメルディにくらべていちゃつき度が低くなるんだな。
たぶん私の中でのこの二人のテーマが「夫婦漫才」だからなのでしょう。
重いもの背負ってるのに悲壮度が低いのは何故に。何故に。
場面としてはアイメンにはじめて到着した日のことですね。
しかしリッドファラの関係についてキールが語っているのは何故だろう。
ファロース山のイベントの影響かしらん? キールは喋らせやすいんですよ、なんだか。
晶霊占い彼と同じ性格だと言われたのもあるかもしれません。フクザツだけどー(笑)
だって短所だけ似てるけど長所はまったく似てないんですもの。いやん。
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