変わったように見えて、変わらないもの。
変わらないように見えて、変わったもの。
どちらにしても、居心地が良くて、あまり深く考えたことはなかったけれど。
彼らのかたち
空は青く晴れ渡って、遠くの山の端までもくっきり見える。その山の裾に沿うようにして薄い雲が広がり、ふもとの森をかすませている。
春。この季節、ラシュアンは日中ずっと暖かな陽気に恵まれ、雨は降らずとも山からの雪解け水で飲み水にも農業にも困らない。獣は眠りから覚め、森中にあふれている。風はふわふわとそよぎ、狩りで汗ばんだ首筋を優しくなでて過ぎる。
「っくうぅーっ」
見晴台の上で、リッドはいつもどおり空を眺めながら大きな伸びをした。
いつもどおり、変わらない。
非日常どころかそれこそ命さえ懸けていたのは、ほんの半年ほど前のことだけれど。
異世界に行って、世界が変わって、それでも結局自分はここに戻ってきてまた前と同じ暮らしに戻った。ようとして行方の知れなかった仲間たちの安否もわかり、今では何の憂いもなくのほほんと暮らしていられる。
そう、こうしている限りは変化なんてまったく見受けられない。もっとも、前とまったく同じだなどとは彼自身思っていないが。数ヶ月ぶりに会ったキールとメルディ、フォッグやその他懐かしい面々は、確実に以前とは違う暮らしの中に身を置いていた。
何も変わらないことが幸せだと、そう言い切ることはもうできなくなってしまった。そうするには、あまりにいろいろな経験をしすぎてしまった。
変化することを忌み嫌うのではなく、望む方向へと進むこと。あの頃は生き残ることに精一杯で、必死に足掻いていただけだったけれど。
「さて、と」
リッドは誰にともなくつぶやいて、上体を起こした。今日は毎年の春の例に漏れず大猟だったから、近所を回って獲物を分けて回る心積もりだったのだ。もしも余分に獲れたなら分けて欲しいと頼んでくる村人は後を立たない。農業が主流のこの村で、リッドのように狩りだけで生計が成り立つものはそう多くはない。彼に自覚はないが、狩りにさえ出ればたいてい獲物が獲れるなどということは大半の人々にとってはなんともうらやましい話なのだ。毎日毎日穀物や野菜だけでは物足りないし、かといってそうそう買い出しに出られるほど近くに街があるわけでもない。家畜をつぶすのは冬、それも切羽詰ったときだけにしておきたいし、そうなると腕のいいリッドに頼んでおくのが確実だ。
彼は脇に置いていた頭陀袋を手繰りよせた。
まだ陽は高い。けれど重い荷物を担いで何軒かを回らなければならないことを考えると、今から村に戻っておいた方がいいだろう。軽く掛け声を出して立ち上がり、彼はふと苦笑した。以前の自分なら、頼まれても「めんどくさい」の一点張りで、村人の頼みなど聞きもしなかったろうに。気づかないところで面倒見が良くなっているのだろうか。
「やっぱファラの影響かね……」
頭を掻いて首を振り、リッドは木漏れ日の下の小道を歩き始めた。
春は、気持ちいい。
お日様はぽかぽか照っているし、吹く風も暖かく優しくて、耕されてほこほこに柔らかくなった土の匂いを一緒に運んでくる。
そこここに綺麗な緑色の新芽がちょこんと顔を出し、ちいさな草花の間を蝶がひらひらと舞う。
「ファラー、そろそろお昼にするよ」
畑の反対側でうずくまっていた叔母が泥に汚れた手をあげて姪を呼んだ。
「はーい」
顔を上げて答える。ファラもまた白い手を茶色に染めて苗の植付けにいそしんでいた。
とりあえず脇の苗箱の中身を確認して立ち上がり、すでに小川の土手に陣取って風呂敷を広げはじめている叔母たちに近づく。
泥を落とすために手を浸した水は、まだ少し冷たかった。たちまち赤くなる手をいたわるように、けれど念入りに洗う。ぴっぴっ、と手を振って水を払うと、隣で同じように手を洗っていた娘から悲鳴があがった。
「きゃ!」
「あ、ごめん!」
慌てて謝ったが、彼女は特に腹を立てた様子もなく笑った。
「いいわよ、別に。こんだけ働いたら、お昼ごはんもカクベツってものよねえ。うふふ、おかずとりかえっこしようねえ♪」
「うん!」
楽しげな声におもわずつられて笑顔になる。
春の農作業は忙しいけれど、お昼時だけはピクニックのようだ。うらうらと穏やかな日差しの下でとる昼食は労働の、ご褒美。
今こうして植えた植物が、茂り、花を咲かせ、実を結ぶ。収穫の季節を想像すると、今から心が浮き立つ。生きていくために必要な行為だということはわかっているが、それでも時々そんなことどうでもよくなるほどの喜びを与えてくれることがある。
今目の前に並ぶ弁当は、今日の皆の心境を表しているかのように色とりどりだ。
ま、リッドは食べられればなんでもいいって言うんだろうけど。
ファラはくすりと小さく笑いを漏らした。食いしん坊の幼なじみは、今ごろ空でも眺めているのだろう。彼が狩りで苦労するなど滅多にないことだから、きっと暇を持て余して……――
「ああああぁっ!」
ファラは素っ頓狂な声を出してがばりと立ち上がった。拍子に彼女の手からぽろりと落ちたパンを、隣にいた叔母が慌てて受け止める。
「ファラ? どうしたんだい急に」
怪訝そうに集中する視線をものともせず、彼女は叔母を見下ろした。
「リッドに頼んでたの。今日の獲物分けてって……昼頃うちにくるって言ってたのに、すっかり忘れてた……」
「ああ。……そういや角のゴッダんとこも頼んだって言ってたねえ。あそこはいっつも大旦那が家にいるからいいとしても、うちは」
「そうなのー!」
言葉を途中で遮り、ファラはあたふたと土手を駆け登った。
「ちょっと行ってくるねー! すぐ戻るから!」
あっという間に見えなくなった背中に、皆しばらく呆気に取られたようにぽかんとしていたが、誰かが吹きだしたのを皮切りに、くすくすと笑い声が広がった。
「すっごく大変なことがあったって言ってたのに」
「変わらないもんだねえ」
いつまでも子供のままではない。それでも、幼い頃から見知っている者の目から見れば、幼なじみたちは昔とまったく変わらないように思えて仕方がなかった。
「リーッドぉー!」
道の向こうから聞こえた声に、ドアノブに袋の口を引っかけようと四苦八苦していたリッドはほっとしたような顔で振り返った。
畑からの勢いもそのままに、土煙を上げながら正面で急ブレーキ。
「昼頃来るって言っといただろ? しょうがねえからここに引っかけていこうとまで思ったんだぜ」
口を尖らせて言い募る。
「ごめんごめん、あんまり畑の方気持ちよくって。すっかり忘れてたよー」
さいですか、と肩をすくめた彼にファラは手を合わせて謝った。ラシュアンはちいさな村だ。村の者皆が顔見知りで、盗人など出ないし昼間から戸口に鍵をかけておく家もない。けれど誰もいない家に無断で入り込むのもどうかということで、リッドはしばらくの間律儀に家人の帰りを待っていたらしい。いい加減待ちくたびれたところに、ファラが帰ってきたというわけだ。
「ま、とりあえず用事は済んだな。んじゃオレ帰るわ」
「帰るんじゃないでしょ、どうせまた見晴台に行くんでしょ?」
お見通しなんだから、とでも言いたげなファラの口調に半眼で応じる。
「わーるかったな。そんくらいの権利はあるぜ。今日なんか何軒回ってきたと思う?」
「何軒なの?」
素直に聞くと、彼は偉そうに腰に手を当ててあごを上向けた。
「聞いて驚け。なんと……」
「大変だよぅっ!!」
ど――――んっ!!
「どあ!?」
リッドは悲鳴をあげて前のめりに倒れこんだ。目の前にいたファラがぱっと身をかわしたため、彼にしては珍しく顔面から地面にめりこむ。
「……大丈夫?」
恐る恐る尋ねる声に反応して、彼はがばっと顔をあげた。
「支えるとかいう考えは浮かばねえのかあぁ!」
「だって、いきなりだったんだもん。びっくりしちゃって」
「それどころじゃないよぉ!」
リッドの背中に馬乗りになっていたちいさな少年が、赤毛の頭を押さえつけてファラの正面に顔を近づけた。ぐえ、とつぶれたカエルのような声をあげて再びリッドが地面に沈み込む。少年の気配にただならぬものを感じて、ファラは哀れなリッドを無視して少年の目を覗き込んだ。
「……何があったの?」
「あのっ、あの、ね」
いざ聞いてもらえると思うと言葉が出てこないらしい。リッドはそろそろと少年の下から這い出して彼の肩を後ろから両手でつかんだ。
「慌てるな。……慌てるなゆっくり、しゃべれ」
存外早い復活を見せたリッドに目を丸くしながらも、ファラは黙って少年の次の言葉を待った。
数度、深呼吸。
「……あのね。リズが、川で流されそうになってるの。みんなで引っぱってるんだけど、大人の力じゃないと助けられそうにないって、だから……」
一緒に遊んでいた中では一番幼く力のない彼が伝言役として戻ってきたのだ。他の子供たちはきっとまだ川にいるのだろう。一息にまくしたて、もう一度深く息を吸う。握りこぶしはわずかに震えていた。恐怖ではなく、おそらくやりきれなさで。自分に力があれば、わざわざ村まで戻って来ずとも助けられるのに。
力が欲しいと、嘆く気持ち。痛いほどわかる。
ほんの数ヶ月前までの自分たちの姿を見たような気がして、リッドとファラは一瞬押し黙った。次の瞬間、勢いよく駆け出す。
「あ、リッド、ファラ!」
おもわず声をあげた少年に、二人は力強い笑顔を浮かべて振り返った。
「川だよね? すぐ戻ってくるから、待っててね!」
「安心してろ! オレらにかかればちょろいぜ!」
そのまま風のように走り去った彼らを見送って、少年は握りしめていたこぶしをゆっくりと開いた。
「うん、頼むね……」
子供の遊び場というのは、受け継がれるものだ。
『川』という抽象的な名詞に、二人が思い浮かべたのはたった一箇所だった。彼らもまた、子供の頃駆けずり回って遊んだあの場所。
「あそこだ!」
畑のあるあたりを流れる小川の本流、山から直接流れ下る太い川。折りしも春先、雪解け水のせいで水かさはいつもよりも高くなっている。土手を走りながら、前を行くリッドが鋭い声をあげて川の中ほどを指差した。田舎には珍しい綺麗な金髪の少女が、何本も差し出された手に必死でつかまっている。
「リズっ!」
ファラが叫ぶと、子供たちが一斉に振り返って泣きそうに顔をゆがめた。その拍子に、握っていた手が滑って離れる。
「あ」
決して大きな声ではなかったのに、リズの声はその場にいた全員に届いていた。
「みんなどいて――――――!!」
大声で叫びながら、ファラが土手を一気に滑り降りて少女に突進する。後ろにいたはずの彼女がいつのまにか前にいたことに今更気づき、リッドは驚いて目を見開いた。
いつもそうだ。身体能力の点では自分は彼女に劣るどころか、むしろ優位にたっている自信さえあるのに、誰かの危機になるとファラは驚異的な力を発揮する。
飛び込むのが早かったため、ファラの手は容易く少女の身体を捕まえた。リッドが用心深く岸辺で二人の様子を眺める。彼女の手におえないようなら、すぐにでも飛び込むつもりでいた。
「だーいじょうぶ、もう大丈夫だからねえ」
必死でしがみつく少女をあやしながらファラが少しずつ岸に近づいてくる。彼がほっとして身体の力を抜いた途端、大きな水しぶきが上がった。
「ファラっ! リズ!」
きゃああ、と子供たちから悲鳴があがる。リッドは素早く川に分け入って、泳ぎだそうとした。
と。
「あああ〜、びっくりしたあ」
気の抜けた声とともに少女二人はむくりと起き上がった。すでにリズも自分の足で立っている。
なんなんだ――!!
心の中で絶叫して、リッドは一瞬水に流されそうになってしまった。
一足先に岸に上がった二人の横に座り込んで、大きくむせる。
「げーっほ、げっほげほ」
「ふぁ、ファラ、リズ、大丈夫?」
子供たちに取り囲まれて、ファラは泣きじゃくる少女を抱きしめてやりながらあはは、と笑って頭を掻いた。
「もう岸の近くまで来てたからねー。転んでも流れ遅かったし、足もついたし」
「オレは濡れ損ですか」
ほのぼのと和みかけた空気を切り裂くように、無視される形になったリッドがぶつぶつとぼやく。子供たちが振り向いた。
「何いじけてるのさリッド」
「そうそうオトコがぐじぐじ言うもんじゃないよー」
やけに大人びた台詞を幼い声で言われても、なんというか。
ぶるんと頭を振って水を飛ばすと、周りにいた子供たちがきゃあ、と悲鳴をあげて逃げまどった。
「けっけっけ、ザマミロ」
少しはせいせいしたか。ついでにあかんべしてやると、明らかに子供のものではない笑い声が耳朶をくすぐった。
振り向くと、思ったよりもずっと近くにファラの顔があった。思わずどきりとして身を引きそうになるのに、腕をつかまれて身動きできない。
「ありがとね」
ふわりと広がった笑顔に、リッドは自分でも驚くほど動揺した。
「な、何が?」
「わたしがヘマしたら、助けてくれるつもりだったんでしょ?」
「……それは、まあ」
「だから、ありがとって」
顔を近づけたままにこにこ微笑む彼女の顔から、目が離せない。頬が熱くなってきたような気がする。
何か言おうと口を開きかけたとき。
「見つめあってるー!」
逃げ出していた子供たちが戻ってきて、歓声をあげた。
「ほんとだ! 『アツイ視線』ってやつだね!」
ちょっと違……
「……って、なんなんだおまえらぁっ!」
リッドは大声をあげて少年たちを追いまわした。照れ隠しと少しばかりの怒りが合わさって、半分やけくそだ。その姿は、まさに『鬼ごっこ』。
ぽかんと口を開けている少女たちをうながして、ファラもまた歩き始めた。
「川で遊ぶのは今日はもうおしまい! ほーら、行くよ! リッドにつかまった人が次の鬼ね!」
「ちょっと待てファラ勝手に決めんじゃねえ!」
がうがうとわめく青年の声はきゃあきゃあはしゃぐ子供たちの声にかき消されてしまった。ファラはひどく楽しげにリズの手をひきながら、その様子を眺めている。
その顔に浮かんだ笑顔には、曇りひとつ見当たらなくて。
振り返った拍子にそのことに気づいたリッドは、まあいいか、と思い直して少年たちの方へ向かって走り出した。
木立の向こうに見える風車はあいかわらず軽快に回っている。
変わったことだって、少しはある。
時が流れる限り、避けられない変化。
それでもつまるところ、彼の行動理念には、あまり変わったところはないようだ。
--END.
||
ブラウザバックで戻ってください ||
あとがき。
ラブにならねえ……!
何故だ、何故なんだ!
リドファラはどうしてもぼの話になるんですねえー。
だって夫婦漫才だか……げふんげふん!
これ書いてる最中、EDの一枚絵が頭の中にありました。
獲物の入った袋を持って得意そうな(?)リッドと、村の子供たちを腕にぶら下げて「むーんっ」ってやってるファラ。
ラシュアンに雪が降るのかという突っ込みは不可v
セレスティアも水晶霊いなくても海ありますし。
イメージ的にラシュアンはミンツよりも一月ほど春が遅い…かな?
あくまで私個人のイメージですが。
キリ番5000HITまのあずみさまのリクエストでした。
「ファラの笑顔にノックダウンなリッドv」とのことでしたがこんなんなりました(笑)
「ファラの笑顔にまあいいかと思わされてしまうリッドv」に変わってしまったような…
しゅ、趣旨は大きく外れてないですよね? ね?
|