薄暗いセレスティアの空。
かすんで見えるその彼方に目をやって、彼は知らず微笑んだ。
帰ってきた、彼らが。
出迎えに行ってやらなければ。
昔と今と
「ガーレノス〜♪」
上機嫌で名前を呼び、ぽてぽてと駆け寄ってくるメルディを受け止め、軽く抱きしめてやる。
続いて船から降りてきたキールと視線を交わして、肩を叩く。
「成果はどうじゃったかな」
ガレノスの言葉に、キールは肩をすくめた。
「まあまあってところかな? 今回は都合が悪いのが多いとかで、あんまり集まらなかったんだ。まあ、自分たちの生活と並行してだから、仕方がないんだけどさ」
「ふむ、そうかね」
キールとメルディがインフェリアとセレスティアを行き来し始めたのはつい最近のことだ。あちらの王女――セレスティアで言うならば、総領主のようなもの――に頼まれたとか何とか言っていたが。インフェリアとの交流を開くことには少しの懸念があったが、目の前のこの青年だってインフェリアの人間だ。決して分かり合えないということはないのだろうと、そう思ったからガレノス自身も協力している。
「アタシもおまえさんたちが留守の間にアイラたちと話をしてな、少しじゃが新しい見解を見つけたよ」
たちまちキールが目を輝かせる。
「本当か!? じゃあ早速……」
「だーめだめ」
メルディがちっちっと指を振りながら二人の間に割り込んできた。
「まずはごはん! 食べないと頭働かない、これみんな一緒よー」
「しかし……」
未練がましく自分のほうを見るキールと、精一杯背伸びして腰に手を当ててふんぞり返るメルディを交互に見て、ガレノスは笑い出した。
「そうさな。まずは食事といこうか。メルディがつくってくれるのかの?」
メルディはうれしそうにうなずいた。
「はいな! 今日はねー、インフェリア料理作るよ」
「ほう」
「……おまえ、つくれたっけ」
キールが半眼になって彼女を見つめる。メルディは頬をまん丸に膨らませて言い募った。
「つくれるよー! キールがおカーサンにグラタン教えてもらったよ。キールグラタン好きだったな?」
メルディの発言内容がとてつもなく引っかかって、キールは一瞬考え込んでから悲鳴のような声をあげた。
「いつ!?」
「こないだ」
「だからこないだっていつだよ!? おまえまさか、ぼくがいない間に母さんに会ったのか!?」
「そういやキールいなかったな」
キールは「ああ……」とうめきをもらして頭を抱えた。
なんだってそうそう人の心臓に悪いことをしてくださるのか。母親とメルディの間で交わされた会話は十中八九彼についてのものであることに間違いはなく、その大半はおそらく子供の頃の話だ――木に登っておりられなくなったとか、リッドが野っ原に仕掛けた草を結んで作った罠に、彼自身が仕掛けたのを忘れかけていた頃引っかかったとか、とにかくそういう類の。今となっては嫌な思い出ではない、むしろ懐かしいくらいだが、人に知られるのは抵抗がある。
キールが顔を上げると、メルディはさっさと家のほうへ向かって歩き出していた。よっぽど機嫌がいいのだろう、ダンスのステップを踏みながら遠ざかっていく。
「……やっぱり不安だ」
キールのちいさな呟きが聞き取れずにガレノスが口を開きかけたとき、彼はすでに数メートル離れた場所へと走り去っていた。
「まてメルディ! ぼくも一緒につくる!」
飛んできた叫びにメルディが振り向いてにっこり笑う。何事か会話してから、二人は並んで歩き出した。
遠くからその様子を見ていたガレノスは、口元が緩むのを抑えることができなかった。
彼らに重ねるのは思い出すのがつらくてずっと心のそこに封じ込めていた二人の姿。
バリルとシゼル。メルディの両親だ。
ガレノスとシゼルの間に血のつながりはない。友人が早くに逝ってしまって、まだ幼かったシゼルを彼が引き取ったのだ。もともと顔見知りで仲の良かった二人はすぐに家族になれた。妻子のないガレノスにとってシゼルの成長はこの上ない喜びで――同時に誇らしくもあった。
バリルにはじめて会ったときのことは今でも鮮明に思い出せる。血だらけで、虫の息で。岬で彼を見つけたのはシゼルだった。それから数ヶ月、バリルとシゼルはあっけなく恋に落ちた。美しく聡明だと評判で、総領主ビリアルからまでも求愛されていた彼女が選んだのは、異世界から来た若者だった。
二人の気持ちを知ったとき、ガレノスは一抹の寂しさと共にそれ以上に大きな安堵感を覚えたものだ。誰に言い寄られても見向きもしなかったシゼル。ひょっとして恋することを知らない娘になったのではないか、もしそうなら自分の育て方に問題があったのだろうかと、人知れず悩んだこともあるから。多少変わった容姿をしているとはいっても、バリルは能力的にも人格的にも優れた青年だ。養い子の連れ合いとして申し分ない。そのうえバリルの豊富な知識と探究心はガレノスの意欲をも刺激した。二人はあらゆる学問の話題をかわした。ときには、シゼルがやきもちを妬くほどに。
やがてメルディが生まれ、親子三人はルイシカに移り住んだ。しばらくは、穏やかで充実した日々が続いた。
十年ほど前、あの日までは。
シゼルのかくまって欲しいとの頼みを引き受け、駅まで迎えに出た彼を待っていたのはシゼルとメルディだけだった。バリルはどうしたと聞くと、彼女は遠い目をしていった。果たさねばならぬことがある、バリルがビリアルを倒したと。総領主として暮らさなければならないから、メルディを頼むと。今思えば、あれはシゼルの最後の抵抗だったのかもしれない。娘までもネレイドの道具にしてしまわないために。心と身体を支配されかけていた彼女の、最後の。
だがもう終わったのだ。
ガレノスは長い息を吐いて若い二人に思いを馳せた。
キールはその容姿といい、性格といい、なにひとつバリルと共通するものはなかったが、なぜか彼に会ったときガレノスはバリルのことを真っ先に思い出したのだ。生まれて初めてみるセレスティアの技術に目を輝かせるさまが。妙なところで頑固で、おかしいくらい潔白なところが。
あまりにも、似ていた。
だから、ガレノスは思ったものだ。母親と同じようにメルディはこの青年に恋をするかもしれない。愛し合うことは不幸ではないが、せめて両親と同じ道はたどってくれるなと。
懸念は見事に外れた。望んでいた結果と共に現れた。二人は確かにお互いに恋をしたが、そっくりそのままコピーではない。痛みを抱え込むことをせず、仲間たちと分かち合うことで見事に生き残り、そして今時を刻みつづけている。
これからもきっと平和なときが続くのだ。いっとき乱れることはあっても、きっと大丈夫。
満ち足りた気分で顔を上げ、歩き出そうとしたガレノスは自分を待っていたらしいクィッキーに気づいた。しゃがみこんで手を差し伸べると、待ちかねたように肩に駆け上ってくる。
「なんじゃ、おまえさん遠慮したのか」
ふさふさした毛並みをなでながらそう言うと、クィッキーは「クキュ」と返事をするように鳴いた。
「ほっほっほ」
朗らかに笑って家への道を歩き始めると、向こうから顔見知りの中年の男がやってきて手をあげた。今ではそのほとんどが移民で構成されているアイメンの町だが、まだそれほど人口が多いわけでもなく、人の顔は簡単に覚えられる。
「よう、ガレノス。今そこでキールとメルディとすれ違ったぞ。相変わらず仲のいいこって、カミさんたちがうらやましがってな」
「そうかい」
子供はまだできないのかな、きっと可愛い子が生まれるぞと楽しげに続ける男。ガレノスは吹き出しそうになるのをこらえるので精一杯だった。キールが聞いたら、どんな顔をするだろう。
インフェリアでは結婚は契約ととらえられているが、セレスティアでは違う。年の近い男女が共同生活を始めれば(もちろん遠い場合もあるが)、その二人は周りから夫婦とみなされる。キールはおそらくこのことは知らないし、メルディに至っては何も考えていないのだろう。そんな二人を子供っぽいととらえる者もいるけれど、バリルとシゼルだって、最初はままごとのような夫婦だった。
「まあそういうのは気長に待つしかないの。アタシも楽しみではあるんだが、なんせこればっかりは」
「まあな。ぎゃんぎゃんいってるのは俺たちじゃなくて女たちだよ。若い頃を思い出すわあ、とかいってうっとり赤くなってるんだぜ? 俺たちはあんまその話題はださねぇんだけどよ。あいつらの耳に入るのも時間の問題かもしれんぞ」
それは困る。キールの性格を考えるだに、そうなった場合の彼の反応は容易に想像できる。
ガレノスはため息をついた。
「なんなら、おまえさんから言っといておくれ。あまりごちゃごちゃ言ってくれるな、とな。急いてはことを仕損じるぞ」
「……ちょっと違わないか?」
眉をひそめて問い返してくる男に軽く笑って応じる。
「いやなに。間違ってなぞおらんよ」
「……そうか?」
納得がいかない様子の彼にとりあえず別れを告げて、ガレノスは鮮やかな色彩に塗られた扉をくぐった。
厨房のほうから話し声がする。
「……なあなあ、どうか?」
「……ちょっと待て……うん、いいんじゃないか? おまえにしちゃ上出来だ」
「ワイール! ほんとか? なな、ほんと!?」
「うわっ! 料理の最中に抱きつくな!」
「関係ナイナイー♪」
「メルディーっ!」
腹を抱えて笑い出したい衝動がわきあがったが、おそらく二人はまだ自分とクィッキーが戻ったことに気づいていないだろうから、しばらく気配を殺していることにする。キールの絶叫に続いてガランガランと金属製の皿が落ちる音が聞こえた。陶器の皿でなくてよかった、とほのぼの思う。
失ったものは大きかったけれど、得たものもまた大きいから。
きっと自分は、幸せなのだ。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
ガレノスさん視点です、はいー。ほのぼの幸せを噛みしめる(笑)
単にバリルとシゼルはどんなんだったのかなって思って。マイ設定ですね。
文中に出てくる町のかたがたは老婆心ゆえに(笑)ちょっかいだすわけです。
二周目に第三の試練を見てて、思ったんですね。
シゼルはきっとすんごい美人だ、と。メルディむっちゃ可愛いし。
で、ビリアルが、バリルを挑発する意味合いもあったんでしょうがシゼルを抱きよせたとき、「ビリアル→シゼル横恋慕説」が私の頭の中にぼんっと。
ぼんっと(笑)。で拒絶されて怒りまくる、と(笑)
ビリアルに関しては同情心もへったくれもありません。むしろ憎い。
都合よく当て馬になっていただきました。…す、すきなひといないよね?大丈夫よね?
ちなみにグラタンは私も大好物だったりします(関係ない)
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