なによりの願いは、ともにあることだ。
だから、一緒にいられるならそれでいいと思った。
たとえ、どんなかたちであれ。
絆の強固ささえ確信できていれば、それだけでいいと、思っていた。
そう、思っていた。
その、かたち
「じゃあ行ってくる」
「はいな! 行ってらっしゃい!」
淡々とした声に、はつらつとした声が重なる。空が厚い雲におおわれているときでさえも目を引く鮮やかな色彩の建物の前で、二人は出掛けのあいさつを交わしていた。
年の近い、青年と少女。少女が淡紫の髪をふわりと揺らして微笑み、ちいさな包みを相手の胸に押しつける。青年がさっと頬に朱を散らせてそれを受け取る。早口で何事かをささやかれ、少女は笑顔をますます輝かせうなずいて戸口へと消えた。青年は頭をかきかき、けれどしっかりした足取りで歩き出す。
それは、アイメンの街でここ数ヶ月の間にすっかりお馴染みとなった光景だった。几帳面に、毎朝、同じ時刻に彼らは同じやり取りを繰り返している。
一見しただけでは仲睦まじい恋人同士にしか見えない二人。彼らの関係が実際どうであるのか。新しく移住してきたものをも含む顔見知りたちの見解(というよりは、決めつけと言ったほうが正しい)だけを挙げるならば、実は全員の意見はずれなどなくほぼ一致する。
すなわち。
新婚バカップル。
事実などどうでもいいのだ。要は自分の目にどう見えるかということであって、本人たちが肯定しようとも否定しようとも判断の参考にはならない。
特に青年の前で、下手にそのようなことを口にしようものなら即座に反論もしくは晶霊術による有無を言わせぬ攻撃――もちろん手加減はされている――に沈められてしまうことは間違いないのだが、そこは心得たもの。アイメンの住人たちは、そのような彼の反応さえも楽しみのひとつとしてしまうだけの胆力を何故かしっかりと持ち合わせていた。むきになればなるほどおもしろいのだ。雪白の頬を真っ赤に染めて怒る姿は、野次馬根性がそれほど強くなくともついついかまいたくなってしまうほどに普段の彼の姿とはかけ離れていて。
ことあるごとに組織だってからかわれているのだから気づきそうなものだというのに、すでに公認されてしまっているとはつゆ知らず。
当人たちは、未だ臆病とも言えるほどの慎重さでもって歩み寄っては離れ、近づいては遠ざかる、そんなことを繰り返していた。
昼下がり。
例によってインフェリアに渡るための手がかりを求め、ふたつの世界の住人たちが入り混じってああでもないこうでもないと議論を繰り返していた図書館の一室は、今は香ばしいやら甘酸っぱいやらさまざまな食物の香りで常とは違った空気をはらんでいた。
なんのことはない、昼食休憩である。気の合うもの同士数人ずつで固まって、思い思いに好物にむしゃぶりつく。どうやって噛み切ればいいのやらと呆れるほどに硬そうなパンを持ってきているものもあれば、手の込んだいかにもな弁当を持参するもの。昼どきにまで真面目な話をしているのでは休憩にならないということで、みなの話題は自然と日常のちょっとした失敗談や、まさに目の前にある食事の内容などあたり障りのない方向に向かう。
そんな中、案の定と言うべきか否か、青年――キールは、すでに何度も何度も何度も使い古されたネタでもってまたもやからかいの目標に設定されたらしかった。
「キール」
「…………」
呼びかけられて、一心不乱に動かしていたフォークを止める。ちいさな頃からこまごまとしたことをしつけられていた彼は、口の中に残っていたものを充分に咀嚼し、飲み込んで、なおかつ一口水をあおってからようやく返事をした。
「なんだ?」
毎度毎度お決まりの始まりだというのに、気づくそぶりも見せない。律儀なものである。呼びかけた銀髪のセレスティアンの青年は、こいつ記憶力はいいはずなんだけどなあ、と内心首をひねりつつも、ここ最近の大いなる楽しみが今日も味わえるらしいことを信仰してもいない神に感謝してこっそりほくそえんだ。
彩りよく盛られた器を指し示す。
「美味そうだよな」
「……? あ、ああ」
キールは面食らって数度目をしばたたかせた。人差し指が示すのはポテトサラダ。インフェリア料理のひとつだが、セレスティアでも特に珍しいとは言えない食材で作れるために、同居人の少女メルディがよく弁当のつけあわせとして使うものだ。
「ひとくち食べるか?」
おかずに話を振るということは、味に興味があるからなのだろう。そう解釈してキールは相手が差し出した弁当箱の蓋にちょいちょいとポテトサラダを移してやった。ついでに苦手なにんじんもふたかけほど混ぜてやる。いやいや、わざとではないこれは不可抗力。色合いのバランスというやつだ。
「サンキュ」
銀髪の青年は礼を言って、さっそくクリーム色の塊を口に含んだ。神妙な顔つきでしばらくもごもごあごを動かす。その隣で、キールもまた同じような表情で彼がすべてを飲み下すのを待つ。もちろん味は知ってはいるものの、やはり多少なりとも好意を寄せる少女の作ったものが他人にどういった評価を受けるのかは気になるところだ。蒼い瞳が存外真剣に自分の次の言葉を待っているのを見て取って、彼はともすれば緩みそうになる口許を必死で引き締めながら怪訝そうな顔を作ってみせた。
「……味薄くないか、これ?」
「ん? ああ、そうだろうな」
キールがうなずく。ポテトサラダはインフェリアの料理だ。当然セレスティア独特の調味料であるソディは使われていない。強烈な味を誇るそれが入っていない、たったそれだけの違いが大きな差異を生み出すのだということをこの青年は確か知らなかったはず。
簡単に説明してやると、彼はごく短く刈ってある銀髪が風になびくほどのすさまじい勢いでがばりと顔を上げ、大きな声でのたまった。
「ああ、キールの好みに合わせてあるんだな? さっすがメルディだよなあ!」
「なっ!?」
キールの裏返った悲鳴を合図に、わらわらと人が集まってくる。今までこれだけの人数がどこに隠れていたのだろう。抱いて当然の疑問はしかし、動揺ゆえか彼の頭の隅にすら浮かばなかった。
「なんだキール、おまえさん今日も愛妻弁当なのか?」
「な」
「おーおーうらやましいね、あーんな可愛い娘にそこまでしてもらえるなんて」
「ちが」
「ああ弁当だけじゃないさ、今日も帰ったらアレだろ、熱い抱擁でお出迎え!」
「ほ……ッ!?」
「そうなのか? おいおい、いつになったら冷めるんだよおまえら」
集団がわざとらしく騒ぎたてる。その真ん中で、しばらくの間彼は赤くなったり青くなったりしながら呆然と立ち尽くしていたが、あることに気づいてはたと動きを止めた。
自分を囲むいくつもの顔。
全員に、見覚えがある。ついでに、最後に聞いた台詞にも覚えがある。
……思いっきり。
そういえば、昨日の昼どきも誰ぞに弁当の副菜のことで話をふられたのではなかったか。そして、やけに嬉しそうな男どもの狭間でおたおたしている間にいつのまにか昼休みは終わってしまって、その話題はうやむやになっていたのではなかったか。
つまり。
彼らは同じネタで交代に自分をからかっていたということか。
怒りだの恥ずかしさだのでキールの拳がわなわなと震え始めたのを何対ものきらめく瞳がおもしろそうにみつめる。恐れ知らずの彼らは、とどめの一言をいっせいに口にした。
『奥さん大事にしろよ、旦那』
「……だ」
ん? と中の一人が耳をすませるしぐさをする。その手をむんずとつかみ、耳も割れよとばかりに。
「……っ、…………っ、だぁれが"旦那"かあぁ――――――ッ!!」
キールは、絶叫した。
「……ったく、人をなんだと思ってるんだよ、あいつら……」
ぶちぶちと一人ごちながら、キールはちらほらと灯り始めた紫の光の下で家路を急いでいた。大破壊からすでに数ヶ月。アイメンのシンボルとも言える雷晶霊の街灯は、女子供でも怖い思いをせずに夜道を歩けるようにと優先的に修復されたものだ。メルディの瞳と同じ色をした美しいその光。彼はふと立ち止まり、下を向いて誰ともなしにつぶやいた。
「みんなが言うようなことなんて、ぼくたちの間には…………ない」
ことさらに声に出してしまうと現実を思い知らされてしまう。唇が酷薄な笑みにゆがんだ。
母をなくし、それでも未来を夢見ることをあきらめなかった少女。自分も寂しくて泣きわめきたくて仕方がないだろうに、未だ故郷に帰ることのできないキールのために、悲しみを押し隠して一生懸命にインフェリアの面影をこの世界の中から拾い上げてくれようとしている彼女。その瞳の中に無上の信頼をみつけるたびに、思い知らされる。
自分たちは、同じなのだ。同じだからこそ、彼女は心砕いて彼の傷をふさごうとしてくれるのだ。
母と、故郷と。
ある種同じ意味をもつものを、同時になくした同志。
二人をつないでいるものは、みながいうような甘く鮮やかな色彩をもつ感情ではなく、もっと単純なかたちをしたものだ。
「ぼくたちは……そんなんじゃ、ない」
もう一度つぶやいて、キールは力なく笑った。
立ち止まって思いをめぐらせていた時間は、存外長かったのだろうか。気づくとあたりはすでに黄昏を通り越し、濃紺の帳によって染め抜かれていた。
ちっと舌打ちをする。今ごろメルディは青い相棒とともに腹をぐうぐう言わせながら待っているに違いない。どんなに遅くなっても夕飯だけは一緒に食べようと言い交わした、その約束を守って。
ささいな口約束。なんでもないことだけれど、とても大事なことだ。命さえ失いかねないほどのあの戦いは終わったのだと、再確認するために。これからはささやかな幸せを積み重ねて生きてゆけばいいのだと、そう彼女に実感してもらうために。
キールは極力歩幅を広げて走るように歩いた。見なれた建物が見えてくる。さらに気がはやって駆け足になったその瞬間、しかし彼は唐突に足を止めた。
戸口にメルディが立っている。
ひとりならば自分の帰りが待ちきれずに外に出てきたのだろうと判断するところだが、もうひとりの人影と、彼女がそちらに向けた微笑みに、息が止まった。
……男、だ。キールよりもふたつほど年下だろうか。
誰だろう? 見覚えがない。最近移住してきたものかもしれない。
しかし何よりもキールの胸を突いたのは、メルディの楽しそうな笑顔だった。なんだろう? 何か話している。少なくともあの様子では初めて会う相手ではないのだろう。
いつのまに、あんなに、親しげに。
彼が何か言った。
メルディが笑う。
少年の腕がついと伸びて、華奢な肩に――――……
次に気がついたのは、メルディの身体を半ば抱きかかえるようにしてその場から離れた、その後のことだった。
前にある背中はずんずん先に進んでゆく。
街門を抜け、街道を外れ、鬱蒼と茂る森の中へと踏みこみ――いい加減息があがってきたころ、唐突につかまれていた手首が自由になってメルディは吐息をついた。
キールが手加減なしに歩いたおかげで、まろびながらもやっとの思いでついてきたのだ。深呼吸をする。数度。ばくばくと騒いでいた心臓がようやく落ちつきを取り戻し、相手の状態にも気を配れるようになって初めて、彼女はふっと首をかしげた。
「……キール?」
返事はない。
「きーぃ、る?」
どうやら呼びかけられた当の本人は顔を片手で覆っているらしい。メルディはとてとてと回りこんで彼の正面に座り、下からのぞきこむようにしてその表情をうかがった。
「どしたか? キール」
「――――……」
何やらもごもご言っているようだが、声がちいさくて聞き取れない。それでも辛抱強く待っていると、やがてキールは地を這うような低い低い声でうめいた。
「……最低だ」
「ふえ?」
ぱちぱちとまばたきするも、こちらを見てはくれない。彼はがばりと顔をあげ、それから今度は両手で頭を抱えた。
「人の話の途中に割り込むなんて……何やってんだかな、ぼくは」
メルディの不思議そうな視線を感じる。楽しく話していたところに突然割って入られ、しかも有無を言わさず連れ出してしまったというのに文句を言う気はまったくないらしい。そんな彼女の様子にますます自己嫌悪を覚えてキールは地面に手をついて長身を縮こまらせた。
「……キール〜? どしたのか〜?」
目の前でひらひらと手のひらを振られる。
「ああもう!」
「ふゃっ!?」
突然立ちあがったキールにメルディが驚いてのけぞる。その姿勢のままかたまってしまったのを見て、彼は苦く笑った。気を取りなおすために軽く頭を振る。そうしてから、キールは少女にまっすぐに向き直って目許をなごませた。
「……悪かったな、邪魔して。戻ってさっきの人に謝ろう。話の続きも、したいだろう?」
一気にそれだけ言ってしまう。キールは先ほどまでの動揺が嘘のように静まったのを他人事のように冷静に実感した。
考えるまでもないことだ。非は彼のみに存在する。キールが留守の間にメルディが何をしようと彼女の自由なのはもちろんだし、新しく友人を作ることを阻む権利もあるはずがない。キールは彼女の恋人でも配偶者でもなんでもなく、友として、同志としてともにいるのだ。たとえあの少年が近い将来メルディの恋の相手となる人物なのだとしても、それを邪魔するどころか嫌だと思う権利など。
彼には。
存在しない。
「……帰ろう」
彼はもう一度繰り返すと、穏やかに微笑んだ。その気持ちのままで手を伸ばしてふわふわの髪の毛をなでつけると、メルディは一瞬気持ち良さそうに目を細めかけたが、次の瞬間ふと真顔になってキールを見上げた。
闇の中で、色の見えない瞳が交錯する。未だ肌寒い大気を揺らす音はささやかで、押し黙った二人を包むものは静寂のみ。
ふとひとつの確信を得て、彼女は桜色の唇を動かした。
「………………あのひとは、ともだちよ」
「……わかってる」
キールがうなずく。けれど、メルディはかすかにまつげを震わせてかぶりを振った。
キールは訝しげに片目をすがめて首をかしげた。少女の、細い息が乱れているのは気のせいだろうか。立ち止まってからずいぶん経っているはずなのに。身振りで帰ろうと促しても動かない。ちいさなこぶしがぎゅっとワンピースの裾を握りしめている。
絞り出すようなちいさなちいさな声が、焦燥をにじませて白い耳朶を打った。
「わかってないな。やっぱりキールわかってない」
「なにを……」
「あのひとはともだちよ。ともだちよ。でもキール、疑ってる。メルディがあのひとのこと、キールよりもすきになるんじゃないかって、疑ってる。でも、それでもいいって、おもってる」
紺碧の瞳が、理解できないものを見るかのような目でメルディを射た。鋭さなど何もない、ただ単純に見返されただけなのに気持ちがひるむ。唇がひくりと震えた。
やきもちをやいてくれたのではないかと、自分は期待してしまったのに。確かにおしゃべりするのは楽しかったけれど、あの少年がもたらしてくれるものはそれだけだ。キールとは比べるべくもない。
そこまで考えて、唐突に彼女は気づいた。
そうだ。安らぎも、幸せも、焦燥も、恐怖さえ、教えてくれたキールこそを自分は一番に求めている。やがて彼はメルディのほかに一番に大事なひとをみつけるだろう。たとえそうだとしても、そばにいられさえすれば何でもいいのだと、どんなかたちであれ絆が結ばれていることに変わりはないのだと、半ばあきらめにも似た思いを抱きながらそれでもいつか来るそのときを恐れていたのは。
見上げる。みつめる。
頬に風が当たって、ようやくそこが濡れていることを自覚する。
動悸がうるさい。
外気はひんやりとして寒いくらいなのに、何故かのどが乾いて仕方がない。
潤んだ紫水晶の瞳に貫かれた瞬間、音が聞こえなくなった。
虫の鳴く声も、木々のたてる葉ずれの音も。
ただひどくゆっくりと、メルディが何かを言っているらしいことしかわからない。
いや、内容はわかるのだ。けれど、あまりに現実味がなくてそのまま受け取る気にはなれない。
そんなはずはないのだ。だって、彼女はまだまだ幼くて。
この狂暴とも言える想いをぶつけるにはたおやかすぎて。
いなくなった母の面影を恋しがって毎夜声を殺して泣いていることを知っている。その傷の深さゆえに、同じような気がかりをもつキールの世話を焼くことで少しずつ癒されていっているのを知っている。
自分が望んでいるのとは多少種類が違うとしても、それも絆に変わりはないのだ、強固さを疑うべくもなく。
だから、それでいいと思っていたのに。
思っていた、のに。
紅も差していない唇が、鮮やかな緋色に染まっている。
なめらかな頬を、透明なしずくがつたって落ちる。
『どうして』
つぶやきが、重なった。
おそるおそる伸ばされた指を、細いおとがいがおののきながらも受け入れる。
月影の下で、長く伸びた影がゆっくりとひとつになっていった。
一緒にいられれば、それだけでいいと思っていた。
そう、思っていた。
絆のかたちが変わった日。
いつのまにか変わっていたのだと、ようやく自覚できた日。
--END.
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あとがき。
一応これは「時間軸」とははずれたパラレル設定だと思っていただければ幸いです。
「気持ちの通じる話」は以前いっぺん書いたので、頭の中で一本軸をつなげてしまう自分、
ちょっとテーマずらそうかとも思ったんですが…時間軸パラレルで! OK!
時期としては早いです。
リドファラが来るまでに4〜5ヶ月の間があって、その間にくっついちゃったという設定(早)
しかしキールさんはおもいきり雰囲気に流されてます(爆笑)。いや、もともとアレですけども。
この後奴らがどこまで進んだかは不明。
私的にはちゅう止まりですが、まあそのへんは思うように想像して楽しんでやってください(笑)
30001Hit草薙斗望さんのリクエストでした。
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