やまびこ





 ガタタンッ。


 突然襲い掛かってきた大きな揺れに、背中を丸めて座っていた青年――キールは、その長い髪と同じくらいに青くなった顔をのろのろとあげた。
「なにか?」
 たったさっきまで流れていた景色が止まってしまったことに気づき、彼の背中をさすっていた連れの少女がいぶかしげな声をあげる。キールは口元に手をあてながら、もう片方の手で、伸び上がってきょろきょろとあたりを見まわし始めた彼女の腕をそっと引いた。
「……メルディ。じっと座ってろ」
「ん〜……」
 何が起こったのか知りたいとは思うものの、具合の悪そうな青年をほうっておいてその場から離れる気にはなれなかったのだろう。メルディと呼ばれた少女は一瞬名残惜しそうな目をしてからあっさりとキールの隣に戻り、もう一度彼に寄り添った。
 車両の後ろのほうの扉がシュンと音を立てて開き、制服を着た職員が数人、ばたばたとあわただしく通路を駆けぬけてゆく。
「……いったい何なんだ……?」
 ざわつき始めた室内を見まわしても、材料が少なすぎて何が起こったのかよくわからない。
 晶霊鉄道。あの大破壊の影響で大半の線路が使い物にならなくなってしまい、そして復興もままならぬ状態で、けれどかろうじて生きていた路線はセレスティアの人々の重要な生命線になっている。キールとメルディの二人は、一足先にルイシカの廃墟を片付けに向かったガレノスと合流するために長く連なった客車に乗ったのだった。
 しかし、車両は先ほどの大きな揺れがあったときから動かないまま。破壊神の影響力がひとまずは極小になったセレスティアにおいて、強力な魔物が現れるなどということは想像しにくいが、それでも万が一ということはある。魔物だけではない、客車に連なった貨物車の援助物資を不当に略奪しようとする輩が出没することもあると聞いていた。
 とりあえず状況がわかるまで警戒するに越したことはない。多少顔色の戻ってきたキールは油断なく視線をめぐらせながら少女の肩を抱き寄せた。
 と、雑音混じりの大音声が響き渡った。
『本日は当列車をご利用いただきありがとうございます。ただいまエンジンにトラブルが発生したため緊急停止いたしました。復旧は明朝の予定となっております。お客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、なにとぞご了承くださるようお願いいたします』
 ため息と不平がさわさわと耳を打つ中で、キールはふっと緊張を解いて座席の背にもたれかかった。
「じかんー、かかるのか?」
 肩にまわされた手がすぐに解けたことが不満だったのか、メルディが多少物足りなさそうな声色でわかりきったことをたずねてくる。擦り寄ってくる彼女と微妙な距離を保ちながら、キールは真面目にうなずいた。
「明朝までと言っていたからな。……今夜は車内で夜明かしか……危険だが、野宿よりはマシだな」
 青年は窓枠に頬杖をついてガラスをコンコンとたたいた。
 窓の外には切り立った岩山が連なる山脈がのぞいている。竜岩山脈だ。その名の由来となった竜の頭のような形をした岩はグランドフォールで崩壊してしまったが、それでも草木一本生えていないごつごつした岩肌といい、黒々とそびえたつその威容といい、"竜"の名を冠することになんら違和感はない姿だと言えた。
「キール。キール」
「まあモンスターたちはネレイドの意思の影響があったからこそ狂暴化していたわけだし……列車強盗が出ても……まあ、出ないか。さすがに海の近くとかならともかくこのあたりは一時的だとしても人間が暮らすにはちょっと環境が」
「キールってばぁ!」
「悪いってうわあああああッ!?」
 大きな瞳と桜色の唇がくっついた愛らしい顔がいきなり至近距離に現れて、キールは絶叫をあげて後ずさりした。おおげさすぎるほどの反応に、メルディはぷうっと頬を膨らませて彼を睨みつけ、それから背後を示してみせた。
「お客さんよ」
「……あ?」
「も、申し訳ありません」
 後ずさりした拍子にぶつけた頭をさすりながら視線を上げる。見れば、通路におどおどと気弱そうな笑みを浮かべた鉄道職員が帽子を手に立っていた。
「えーと。なにか用でも?」
「はい。あの……キールさんですよね? アイメンの」
「……ああ」
 答えると、彼は軽く頭を下げてからさっと周りを見まわし、その必要もなかろうに声をひそめた。
「申し訳ないのですが……エンジンの修理を手伝っていただきたいのです。技師の数が圧倒的に足りなくて……それで、その」
「ぼくでいいのか?」
 キールは眉を寄せた。彼にしてみれば、晶霊鉄道の動力機関にはかねてから興味を持っていたことだし、むしろ願ってもない申し出だ。
 だが、いくら晶霊にくわしいとはいってもキールはいわば門外漢である。その道に精通している技師たちが、そうそう他のものに助力を頼もうなどとは思えないだろうに。
 いぶかしげな彼に、職員は軽く片手を振った。
「ああ、……いえ。技師が、あなたが乗っているはずだから探してこいと言いまして。それで」
「ああ」
 キールは合点がいってうなずいた。そういえば、晶霊鉄道で働いている技師の中にはアイメン在住のものもいたのだったか。人口が未だ百ほどにしかならないあの街で、住民の顔をおぼえることなど難しいことではない。おそらく知り合いの誰かが乗り合わせていたのだろう。
 彼は幾分落ちついた胸をおさえながら立ちあがった。酔いはもう大分さめている。これなら、ちゃんと役に立てる。
「キール。メルディは」
「ここにいろ」
 つられて立ちあがりかけた少女の頭を軽く押さえて、キールはその手にちいさな鞄を押しつけた。
「これ、頼む。くれぐれもおとなしくしてろよ」
「……はいな」
 少しばかり不服そうな顔をしているが、仕方がない。二人きりならともかく、大勢の技師がいるなかでメルディがこなせる役割などたかが知れている。彼はかすかに笑って、自分のガウンも彼女の手の中に落としこんだ。
「寝てればすぐさ。起きたら動くようになってるから」
「うん」
 今度は即答して、メルディは素直に白い布地にくるまった。その視線の先で、機械音とともに閉まった扉がキールの背中を覆い隠した。






 彼方にインフェリアを臨んでいたころに比べて幾分明るくなったものの、高い山に囲まれて狭くなった空からは寒々しい印象がぬぐえない。メルディはぶるんとひとつ身を震わせると、腕の中でおとなしく抱かれているクィッキーを責めるように見下ろした。
「クィッキー……キール、おとなしくしてろ言ったな」
「クイィ……」
 申し訳ない、とでも言いたげに青い尻尾が力なくぱたぱたと振られる。

 二人(正確には一人と一匹)は今現在、おもいっきり道に迷っていた。

 連れの青年に言われたとおり、客車の中でおとなしくしていればなんの問題もなかったのだ。そしてもちろん、メルディはそのつもりだった。旅費やらその他もろもろが入った鞄を胸に抱えて、キールに借りた白いガウンにくるまって、おとなしく惰眠を貪ろうと思っていたのに。
 どこからかひらひらと、黄色い蝶が飛んできたのだ。
 開け放した窓から迷い込んできたそれは、しばし退屈をもてあましていた乗客たちの目を楽しませ――そうして、座席に丸まって眠っていたクィッキーの鼻先にとまった。敏感な獣がその気配に気づかぬはずもなく、発されたちいさなくしゃみとともに開いた視界に飛びこんできた鮮やかな色彩に飛びつかぬはずもなく。
 かくて、自分がどうするべきなのかちゃんとわかっていたはずの賢い相棒は――惜しくも誘惑に抗うことができず、蝶を追って客車を飛び出してしまったのだった。
 その後は言わずもがなである。どこをどう通ってきたのやら、道なき道をただ走ってきただけなのだから覚えていられるはずもない。
 これが旅の途中ならば、まだよかった。あの旅の最中は、はぐれたときのために、各々一人でも数日間は命をつないでいられるように万全の準備をしていた。けれど、今回はただ鉄道に乗って街から街へ移動するだけのつもりだったのだ。キールからたくされた鞄にはガルド通貨こそ入っているものの、他に役立つようなものは何もない。
 火を起こすための火打石も。傷を負ったときに塗るための薬も。ナイフ一本さえなくて、この身に帯びているのはただクレーメルケイジひとつだけだ。
 生きものの気配も希薄な暗い山中に、一人。
「……ふぇ……」
 こみあげてきた涙を懸命にこらえながら、メルディは肩を震わせた。ここのところ甘やかされていたせいか、不安を抑えることができなくなっている。昔の自分なら、こんなときでもきっと顔色ひとつ変えずにあたりを見まわしていただろうに。
 そこまで考えて、彼女は袖でごしごしと頬をこすった。
 違う。弱くなったんじゃない、自分は素直になっただけだ。不安で不安でたまらないけれど、それをちゃんと認めた上で、その上で動くことができるようになったのだ。きっと。
 泣いていても仕方がない。
 賢い方法じゃないのはわかっているけれど、大声で呼んでみよう。彼だけではなく、同時に飢えた獣や魔物も呼び寄せてしまうことになるのはわかっているけれど。
 戦いなら、できる。命のやり取りは怖いけど怖くない。
 怖いのは、二度と会えなくなること。
 メルディは大きく息を吸いこんだ。






 ――――……!
 何かが意識の端に引っかかって、メルディは地面を見つめていた目をはっとあげた。かたわらを並走する相棒を見下ろす。自分よりもはるかに優秀な聴覚を有しているはずの獣は、何かを考えるように黄色い目をくるくると動かして鼻をひくつかせた。
 クィッキーの、この反応は。
「……キール……?」
 ……ディ――――
 かすかに聞こえる、この声は。
 間違いない。
「キールーっ!!」
 メルディは無我夢中で叫んだ。
 四方八方から名前を呼ぶ声が聞こえる。
 けれど、一瞬生まれたはずの安堵感はすぐに焦りに取って代わられた。
 だって。
 声が聞こえる。近くにいる。
 はず、なのに。

 呼ぶ声がわんわん反響して、彼の位置がつかめない。

 存在を感じるのに。
 これ以上ないというほどに、感じられるのに。

 姿だけが、見えない。

 涙が、にじむ。










「メルディッ!」
 いきなり明瞭に呼びかけられて、彼女は全身を硬直させた。
 おそるおそる、振りかえろうとする――前に、後ろから抱きすくめられる。
「…………キール」
 いつの間に。メルディは呆然とつぶやいた。
 あたり中を支配していたあのやまびこの中を、彼女の位置を正確に把握してくぐり抜けてきたというのだろうか。
「……っの、馬鹿ッ!」
 ぎゅうぎゅうとしめつけてくる腕に抵抗するでもなく、ぼんやりと雲ってゆく視界を他人事のように自覚する。

 乾いた地面に、ぽつり、しずくが落ちた。












「……キールがな、いっぱいいるみたいだったよ」
 泣きわめいてみたり、説教をしてみたり。
 たった二人だとは思えないほど大騒ぎをした後で、つないだ手をゆらしてメルディは言った。数歩先ではクィッキーがぴょこぴょこと二人を先導するように歩いている。そんなはずはないが、もしかして道がわかっていたのだろうかとふと思ってしまった。
 いぶかしげに見返してくる視線を感じる。そんなことさえもそばにいる証に思えて、嬉しくて頬が緩む。
 やまびこ。あの短い時間に、自分が感じることのできるすべての空間を支配していたもの。
 連なる斜面からかえる自らの名前は、いつも彼の口から出てくるものとおそろしく似通っていて、けれど明らかに違って。
 安心と不安を、同時に呼び起こすものだった。
 もちろんキールがすぐ隣にいる今は、そんなこと微塵も思わないけれど。
「やまびこのキールも、メルディがこと呼んでくれてたけど」
 思い返して、笑う。指をからませる。
「やっぱりほんものがいいな」


 するりと逃げていった指を追いかけて捕まえられず、唇を尖らせると。
 力強い手に肩を引き寄せられた。







--END.




|| INDEX ||


あとがき。
オフライン用に途中まで書いてたネタをひっぱりだしてきて完結させてみました。
……だだだから前半と後半が別物なんですよ…あああああ、あああああ〜〜(何)
何が書きたかったってわけでもなく、なんとなく思いついた情景を書いてみただけです。
日常風景…と、いえないこともないのであろう。