「アンタさあ、どうしてアタシとつきあおうと思ったわけ?」
突然投げかけられた質問に、一瞬時間が止まった。
玻璃の闇
人通りの多い繁華街、小洒落た喫茶店。少し遅めの昼食をとりながら、二人はときおり漫才を織り交ぜつつ、会えなかった数日間の近況報告などを行っていたはずだった。
……の、だが。
「…………は?」
「だからさ、どうして?」
目を点にして間抜けな声をあげた姫条まどかに、正面の恋人――というには少々色気のないつきあい方をしているが――藤井奈津実はもう一度たずねた。
首をかしげる。上目遣いに様子をうかがう。まっすぐみつめてくる瞳。その中には、特にからかうような色も疑うような色も宿ってはおらず。
そのことを確認して、まどかは訝しげに眉をひそめた。
「……なんなん、急に。どうしても何もつきあうっちゅうたら理由は普通」
「あー、ごめんごめん、言い方が悪かったかも」
奈津実がひらひらと手を振る。思わず注目してしまったその指先を、彼女はすっとまっすぐ窓の外に向けてみせた。
「ほらほら、あれ」
目を眇めて示す方向を見やる。いつもと変わりなく、とうとうと流れゆく人波。揺れる無数の頭の中に見知った後姿をみとめて、まどかは顔をほころばせた。
ほとんど金色に近い明るい色彩と。ほんのり赤みのかかった見るからに柔らかそうな頭髪。道行く人の半数以上は振り返るに違いない、端麗な容姿の二人組はまどかと奈津実の共通の友人だ。見間違えるはずもない。
「……おー。深悠ちゃんと葉月やな。相変わらず仲よさそうでええこっちゃ」
うんうんと満足そうにうなずき、で? とのんきそうな顔で聞き返してくる青年に、奈津実はがっくりと脱力した。
まったくわかっていない。
「……だからさァ。アンタ、深悠のこと好きだったんじゃないの? そうだとばっかり思ってたんだけどな、アタシ」
確かにそう見えるだけの要因を、彼は一時期示してみせていたのに。
ずっと疑問に思っていた。一見いい加減に見えるものの、実はまどかは根はまじめだ。たった今往来を歩いていった菅原深悠のことが好きだったのなら、あきらめたあとでもそう簡単に気持ちを切りかえられるとは思えないし――かといって、自分のことを最初からそういう対象として見ていたとも思えない。
まどかと奈津実、この二人が付き合い始めたのは、ほとんど成り行きのようなものだった。お互いにぎやかな性格だし、気づいたら知り合っていて、気づいたらなんの屈託もなく小突きあえるような気安い関係だった。けれど、『友達』と『恋人』の関係を区切る境界線は意外や意外、はっきりしている。まどかの口から「つきあおう」という言葉が出たのは一年も昔のことではない。
彼が何を考え、行動したのか。気になる。もしかしたらそこに深い想いはないのかもしれないけれど。
頬杖をついて見上げると、まどかは困ったように後頭部をかいた。
「あー、まあ、深悠ちゃんのことは好きやったけどな」
「だよね?」
「けど、なんちゅうか……"あんな可愛い子が彼女になってくれたら嬉しやろな〜"っちゅうくらいで。なにより、葉月がな」
「遠慮?」
ズバズバと核心めがけて切りこんでくる物言いに苦笑する。癇に障ることもあるけれど、竹を割ったような奈津実の気質は何よりもすがすがしさをもたらす。彼はかぶりを振って否定を表した。
「遠慮じゃのうて、敗北や敗北」
人懐こいほうだと自負してはいるけれど、正直まどかは葉月珪に深く関わるつもりはなかった。決して嫌っていたわけではない。ないが、彼の無愛想さは誰に聞くでもなく折り紙つきだったし、厚い壁をぶち破ってまでお近づきになりたいと思わせる要素もなかった。
珪と話すようになったのはひとえに深悠の存在があったからだ。
その無表情とそっけない態度におびえて誰一人近づけなかった中で、唯一なんの気負いもなく彼に近づいていった少女。周りがいくらあれはろくでもない男なのだからと言い聞かせても、本当は優しい人なのだと言いはって聞かなかった。
実際、深悠に対する珪の対応は中等部からの顔見知りたちが目を疑うほどに細やかで気遣いにあふれていて――最初は深悠だけが目当てだったまどかも、珪をかまうのもそれなりに楽しいかもなどと本人が知ったら憮然としそうなことを考えさせられて。
そうして、彼のもろさに気づいた。
「まあ、葉月のあの溺愛っぷりは誰にも真似できないとはおもうけどさァ」
『恋人』に切り出す話題としてはあまりおもしろいものだとは思えないのに、奈津実はこだわる素振りも見せず一人真面目にうなずいている。まどかはちちち、と指を振ってから、木製の椅子の上で偉そうにふんぞりかえった。
「ちゃうちゃう。あいつの世界にはな、深悠ちゃんしかおらへんねん。わかるか自分?」
「…………」
「奈津実〜?」
「…………わかるかも」
ぽつりとつぶやいた彼女にふと微笑む。なんだかんだで奈津実は世話好きなのだ。人の心の機微には聡い。もちろん言葉を交わさなかった頃は知るはずもなかったけれど、深悠を通して多少のつながりを持てば、たったそれだけで今までわからなかったいろいろなものが見えてきた。
珪の世界への目は深悠がいて初めて開かれる。
その気になるだけでいくらでも友人など作れるはずだというのに、ただただ不器用と臆病ゆえに自分からその可能性を放棄して。何も要らないと、はじめから目をそむけて。
けれど、そんな彼が何を犠牲にしてでも求める唯一のものが深悠なのだ。深悠の世界は広い。やわらかな魂は、どこまでも遠く遥かな地平線までも見渡す目を持っている。
結果、珪は深悠を通して世界とつながりを持った。彼女を仲立ちとして、彼自身にも友人と呼べるであろう相手ができた。少しずつ、少しずつ近寄りがたい雰囲気も薄れてきて感情も見えるようになった。
深悠が、いたからこそ。
自分にはそれほどの狂おしい想いはない。
「せやからなあ……なんか、葉月から深悠ちゃん取りあげたらごっつう悪人な気ぃがしてなあ」
同情ではないと思うのだ。情が移ったのは否定しないけれど、それだけではなくて。決して、それだけではなくて。
何度も首を縦に振って同意を表す奈津実は少し涙ぐんでいるようにも見えた。どきりとした内心を押し隠して身を乗り出し、悪戯っぽくささやく。
「……せやからな、自分が心配するようなことはなんもないねんで」
「………………なにそれ」
「あれ? 不安だったんちゃうん?」
唐突にこんな話題を出したのだから。結局乗って最後まで話したけれど、正直面食らったのだ。いくら話の種が目の前に転がっていたからといって、突然思いつくようなことだろうかと。
奈津実ははっとしたように口をつぐんでそっぽを向いた。ばつが悪そうにとがった唇にはパールピンクのルージュ。淡い色彩が、網膜を射った。
「……今からオレんち来るか」
ひとりごとのようにつぶやくと、心持ち潤んだ瞳がこちらを向き、意地悪そうににやりとする。
「……下心丸見え」
「ええやん別に」
ふてくされたようにぼやく横顔に、自然と笑みが昇ってきた。
「そうだな……こないだ食べさせてくれたさぁ、あれ」
「リゾットか?」
「そうそれ! それごちそうしてくれるんなら、行ってもいいよ」
「うっしゃ商談成立! スーパー寄ってくで!」
まどかが意気揚々と椅子を鳴らして立ち上がる。その背中に、奈津実は笑いをかみ殺しながら小走りで追いすがった。
雑踏の中、にぎやかな二人組の帰途は周囲の注目を知らず集めながらのものとあいなったのだった。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
関西弁は適当です。ひらにご容赦を。
えー、「ニイやん王子を語る」でした(爆笑)
いや、単に私の語りを代弁してもらっただけというか。とても全部は語れてませんが。
しかし王子に友達まったくいないような書き方したけど、守村くんとかとは結構話すんだよね…
無愛想だけどコミュニケーション能力皆無だとは思えないんだけどなあ、彼。
ま、それはそれ、お話の流れというやつで(笑)
「玻璃の闇」って王子のこと指してるんですよ。
私的姫条くんはこんなんです。
主人公ちゃんに思い入れどうこうの前にうっかり王子の本質垣間見ちゃったという(笑)
そんで面倒見いいもんだから、それ以降王子のほうにもちょっかいを出すという。すごい度胸。
あ、このお話の時点で、姫条くんは奈津実さんにベタ惚れです。
王子語りに終始しちゃったから描写しきれなかったけど(苦笑)
この二人は甘い雰囲気っていうよりは普段から楽しそうにケンカしてるってイメージが強いな〜。
ちなみ、王子と主人公ちゃんが一歩進んだ関係になるのもこの二人が間接的に原因作ってます。
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