幸せな気持ちを、もらった。
だから単純に、お返しがしたいと思った。
以前なら、ひとしずくも湧いてくることのなかった、きもち。
双方通行
いつもなら、部活動をしている生徒たちの掛け声が飛び交っているはずの場所。でなければ人気もなく、静けさに満ちているはずの場所。
けれど今日――学園の施設が一般に解放される文化祭――におけるこの場所には、年齢も立場もばらばらな無数の人々の生み出すざわめきがあふれていた。
普段そこここにちらばっている運動部の備品は影も形もない。土足で入っても大丈夫なように板床には隙間なくシートが敷き詰められ、きっちりと整列させられたパイプ椅子が重石の役割を果たしている。さながらホールのように整えられた、体育館。
何か催し物をするにはぴったりの舞台だ。現に朝も早いうちからさっそく吹奏楽部のコンサートが開かれ、客の入りも反応も上々だったらしい。
珪はさりげなく視線をめぐらせながら開きっぱなしの扉をくぐった。先ほどまで教室に設営した模擬喫茶店でくるくると働いていた友人が、今度は部活動の発表をするためにここに来ているはずなのだ。確か、自分たちで縫製した服を着てファッションショーをするのだと言っていた。
サンドイッチを作ったり、コーヒーを淹れる練習をしたり。クラス展の準備は手を抜けるほど簡単なものではなかったし、もちろん服をつくるなどという手間もまた言わずもがな。たいして長いわけでもない準備期間の間に、よくもまあたくさんのことを成し遂げられるものだと思う。あの細い身体の中にはいったいどれほどの好奇心と生命力が秘められているのだろうか。
「やっぱり、葉月珪……?」
こちらをちらちら見ていた他校の生徒らしき集団から、ちいさなつぶやきがあがった。軽く一瞥すると、確信めいた表情で近づいてくる少女たちと目が合う。同時に、きゃあ、と音量こそ抑えているものの黄色い声が耳に突き刺さった。そればかりか体育館をのぞきこみ、あらためて入ってくるものまでいる。入り口近くにたたずんでいた老婦人が制服を着た腕におしのけられてよろめいたのを見て、珪はわずかに眉を険しくした。
すでにじろじろ見られることにはある程度慣れているし、そこにあるものをないものであるかのように振舞うすべも心得てはいる。けれど、だからといって知らない人間に囲まれることは好きではなかった。そのうえ周りの迷惑も顧みずに騒がれるなどと。追いつかれれば矢継ぎ早にわけのわからない質問を浴びせかけられることは明々白々だ。彼はさっと身を翻して舞台の方に走り出した。
ぱらぱらと足音が追ってくるが、振りかえってやる義理はない。駆けてきた勢いを殺せないまま壁にどんと手をつくと、舞台袖に続く扉の前に陣取っていた少女が無言で手招きをした。
訝しげに見返す。彼女の腕には文化祭委員であることを示す腕章がはまっていた。そういえば、ここに来た目的である友人の傍らにいるのを見たことがあるような気もする。そのことを認識して、けれどわけもわからず首をかしげていた彼に、その女生徒はもう一度手招きして自分の背後にある扉を指し示してみせた。
「こっち。関係者以外、立ち入り禁止だから」
なるほど。
珪は細く開かれた隙間から中にすべりこんだ。ほどなく追いついてきた少女たちを、怜悧とも取れる声が阻んでいるのを聞きつける。そつのない対応だ。文句を言いながらも少女たちが戻っていくのを確認してから、彼は首だけ出して女生徒に礼を言った。
「悪い」
「かまわないわよ。あのひとたちが迷惑な輩だってことにかわりはないんだから」
あなたにとっても、他のお客さんにとってもね。
憎まれ役を買ってでたことを後悔しているふしはない。あっさりとかぶりを振って、彼女はきつい印象の目許をやわらかくゆるませた。
「菅原さんの応援に来たんでしょう? ちょうどいいじゃない、あの子今中で準備しているから、顔を見てくればいいわ」
がらにもなく緊張しているようだし、ほぐしてやればいいと。
「……そうする」
珪は一瞬の間を置いてから素直にうなずいた。
この少女とは話したことはなかったのだが、なぜか友人――菅原深悠と自分とがそれなりに親しくしていることを知っているようだ。深悠が話したのかもしれないが、単に二人で一緒にいるところを見てそう思ったのかもしれない。珪が用事もなく話しかけられて、それでも邪険にすることなく相槌を打つ相手はごく少数に限られているから、なおさら目立ったのだろう。
詮索するでもなく淡々とした表情が扉の向こうに消えてから、彼は細い通路を早足で進んだ。当然といえば当然だが、女性ばかりがたむろしている中をすいすいと通りぬける。複数の視線がその姿を追うものの、それはすぐにそらされて興味の対象から外れる。声をかけてきたり近寄って来たりするものもいない。珪の無愛想を知っていると同時に彼がここに来た目的も察してくれているからだろう。
楽でいいな、と内心だけでつぶやいて、彼は緞帳の影から舞台をうかがっているちいさな背中に目を止めた。近づく。
「菅原」
「うひゃあっ!?」
友人――深悠は、素っ頓狂な声をあげて跳びあがった。くすくすとちいさな笑い声がわきあがる。微笑ましそうな視線、やっかみを含んだ視線、あきれたような視線。それらが向けられていることに気づいて彼女は口をぱくぱくさせると、すばやく珪の袖を引いて部屋の隅へといざなった。
「は、葉月くん……びっくりしたぁ」
「悪い」
よっぽど驚いたのか、頬が上気している。小声で謝ると、深悠は慌てたように首をぶんぶん振った。
「あ、ううん! びっくりしただけだから、うん」
耳元でささやかれたから、背筋がぞくりとしたのだ。熱い頬が早く冷めるようにと手のひらを当てながら、彼女は珪の顔を正面から見上げてわずかに硬さの残る笑みを浮かべた。
「すごいんだよ、人がどんどん増えてるの。わたし舞台の真ん中で転んじゃわないかなってさっきからそんなことばっかり考えてて――」
そこまで言ってから、はっとしたように胸元でこぶしをにぎりしめる。
「あ、あ、そうだよ! せっかく来てくれたんだから、プロの感想聞かせてほしいな。どう? 少しくらいはさまになってる?」
深悠は少し長めのジャケットの袖をひっぱりながら、珪の前でくるりと一回転してみせた。
のりのきいた白いブラウスに、濃い色合いのデニム地のロングスカート。その上にスカートと同じ生地でできたジャケットと、至極オーソドックスな組み合わせだ。特に華やかさなどはないが、店で購入したとしか思えないほどの見事なでき映えに彼は感嘆して深悠を眺めた。
「器用なんだな、おまえ……」
「がんばったもん」
尋ねたこととは少々範疇の異なる返答が返ってきたにも関わらず、彼女は肯定的な評価が得られたことに上機嫌で顔を輝かせている。珪はおとがいに指をあてて数瞬考えると、制服のポケットに手を突っ込んで指にひっかかった紐を引っぱり出した。
「ちょっとじっとしてろ」
「うん?」
深悠は不思議そうに首を傾げたが、ポケットから出てきたものを見て彼の意図を察したようだ。おとなしくうつむく。やわらかな髪がさらりとこぼれてうなじがあらわになった。珪は一瞬どきりとしたが、内心の動揺を押し隠してしっかりと皮紐を結び合わせた。
終了の合図代わりにぽん、と肩をたたく。顔を上げた深悠の胸元で、乳白色の玉が電球の光を反射して鈍く光を放った。
「……なんか寂しかったから、胸元。こっちのほうがいいと思う」
「そうだね。……石?」
「ムーンストーンっていう」
「ムーンストーン……月の石かあ」
指先でトップをつまんでしげしげと眺める。まんまるに磨かれた石は、確かにまるで夜空に輝く満月のようだ。深悠は嬉しそうに笑ってジャケットの襟を直した。
「ありがとう葉月くん。じゃあちょっと借りてくね」
「ああ。……ほら、出番」
「はい、心得ております!」
ぴっと右手を額にかかげて敬礼の姿勢をとると、深悠は出番を知らせに来た他の部員とともに楽しげに話しながら遠ざかっていった。どうやら自分は多少なりとも緊張をほぐす役にたってやれたらしい。
揺れる後姿を薄い笑みを浮かべて見送り、珪は客席に出るべく踵を返した。
模擬店、裏方。
昼時もすぎ、忙しさも薄れてきた調理場で、珪はサンドイッチを切りながらあくびをかみ殺していた。眠くて眠くて仕方がないが、無理を通してまで交代してもらった役目を放り出してしまうわけにはいかない。のんびりとした気持ちで祭に参加し、また楽しむことができるのは、ひとえに裏方に徹しているおかげだ。何もせずに無視を決め込もうかとも思ったが、あまりに精力的に動き回る深悠に感化されて自分も何かしなければという気分にさせられてしまった。
そういえば、そろそろ彼女が戻ってくる頃だろうか――後始末に追われているところに部外者がいては邪魔だろうと、舞台を見た後はそのまま教室に帰ってきてしまったのだけれど。
「葉月くん、もうサンドイッチは打ち止めでいいよ!」
接客を務めていた女生徒がのれんの間から顔をのぞかせて叫んだ。うなずいて、手を止める。
今調理場には彼のほかに男子生徒が一人いるだけだ。手持ち無沙汰にコーヒーカップをいじっている。ちらりと見た室内には客はもうまばらで、新たに注文が入ってくることはないだろう。珪は火の元を確かめ、刃物をまとめて紙箱にしまうと、エプロンを取って教室の窓枠を乗り越えた。そのままベランダをつたって非常階段に向かう。金属製の階と革靴がぶつかりあって、高い音を奏でる。
屋上に着くと、秋の爽やかな風が吹きつけてきた。おもいきり伸びをする。
そろそろ陽が傾く時間だ。楽しげに笑いながら校門を抜けてゆく集団が見える。売れ残った商品に忙しく赤札をつけてまわっているものがいる。すでに後片付けを始めているのだろう、布の束を腕いっぱいに抱えて校庭を走りぬける生徒の姿も見える。
こういうさわさわとしたざわめきを眺めるのは嫌いじゃない。
「あ、いた! 葉月くん」
耳なれた声がして、珪はゆっくり振りかえった。制服に着替えた深悠が笑顔で走り寄ってくる。彼女は珪の正面まで来ると、いったん立ち止まって深呼吸してからにぎりしめていたペンダントを差し出した。
「はい、ペンダント。貸してくれてありがとう」
珪が瞬きをする。
「葉月くーん?」
「……」
彼は無言だ。特に機嫌を損ねるようなことはしてないはずだけどな、と深悠は腕を差し出したかっこうのままで小首をかしげた。
「…………ああ」
珪はようやく言葉を発したが、ちいさく首を振って彼女の手ごとペンダントを押し返した。
「やる、おまえに」
「へ? え、でも……」
深悠があわあわと手を振りまわす。さすがに理由もなくそういったものを受け取るのは抵抗があるのだろうか。彼女を納得させるもっともな言い訳もみつからず、珪は観念して正直に白状することにした。
「もともとやるつもりで持ってたんだ……誕生日にプレゼント、やれなかったし」
深悠の誕生日を知ったのは、つい一月ほど前のことだ。今まで面倒くさいだけでたいした価値を持たなかった日常に、突然投げかけられた『おめでとう』という言葉。彼女らしいささやかな贈り物に微笑ましく感じられて気分が和んで、それからふと気になった。そういえば、彼は深悠の生まれた日を知らない。
返ってきた答えはすでにとうに過ぎ去った日にちを指していて、珪は少なからず落胆した。
自分より遅ければ、お返しに祝ってやることができたのに。そう思って、その後すぐに自らの抱いた想いに自分でびっくりしたのだ。
誕生日の贈り物だと称して、金品を押しつけられたことは幾度となくある。一見派手な仕事をしているのだ、おそらく他の人間よりもその機会は多いだろう。けれど、文字通り"押しつけられた"だけで、嬉しいとも礼をしようとも思えなかった。
深悠は見返りなど要らないと笑っていたけれど、それでは自分の気がすまない。来年まで待とうと思っても、半年という月日は意外に長くて――
そうして気づいたら、いつもポケットの中にペンダントを忍ばせるようになっていたのだ。いつでも、渡せるように。願わくば、次に彼女の記念日が訪れるその前に。
胸元が寂しいなどとはただの口実だったのだが、鈍感な深悠はやはり素直に信じこんでいたらしい。
「誕生日おめでとう。……半年遅れだけどな」
珪は目を細めてささやいた。生まれてきてくれてありがとう。今まで理解できなかった想いを気づかせてくれて、ありがとう。自分がもらったのと同じだけの、いや、それ以上の幸せを贈りたいと、そう思わせてくれた。
沈黙を包みこむようにやわらかな風が吹きぬける。深悠は真っ赤になってペンダントを取り落としかけ、慌てて両手をにぎりしめた。
「――反則だよ、そんな顔」
ぶつぶつはっきりしない声でつぶやきながら、上目遣いににらんでくる。軽く頭に手をやると、彼女は、でも嬉しいな、と言ってふわりと頬を染めた。
鼓動が速くなるのを自覚する。
「…………おまえこそ、反則」
ちいさくちいさく発された言葉は、けれど深悠の耳に届く前に風に溶けて消えてしまった。
以前なら、好意などただただ疎ましいだけのものだった。
だから、返す義務がないのをいいことに、知らないふりを決め込んでいた。
けれど、自分が動くことで相手にも同じだけ幸せな気持ちを贈ることができるのだろうかと、そう考えたら。
それはとても心踊る想像だったのだ。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
一方通行ではない想い。というわけで>題名(でも「相思相愛」は違うし)
違う。違う。違う…! とわめかれそうなお話です(笑)
いろいろと捏造してみました〜。元ネタはときめき状態の手芸部一年目文化祭。
ほんとはネックレスなんですよね。あれってもらってたっけか、結局?
その文化祭のイベントと、あと誕生日ネタをからめてみました。
実際のプレイは自分の誕生日(年末)でやったので、プレゼント余裕で三年とももらえてたんですよ。
でも、深悠の誕生日は五月。なんと同級生の誰よりもお姉さんです(そう見えない)
もし王子が最初からときめいてたとしても(笑)、再会して一ヶ月で誕生日プレゼント贈るほど積極的に近づいていくとは思えないし。
そうするとペンダントもらえないじゃん! と(おい)
ゲームといろいろ違いますが、まあこれもひとつの、ね。
ちなみに二人は友好状態。赤くなったりはしてますが、ラブラブではありませぬ。
あくまでほんのり、ほんのりね…(くすくす)
100500ありがとうで野原亜利氏に捧ぐー。捏造でごめん(笑)
同氏より挿絵いただきましたv→コチラ
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