実年齢より下に見られたことは、一度もない。
大人びていると評されるその原因の大半が表情の乏しさにあるということはわかっていたけれど、一人旅ではそれはむしろ有効な風除けであったから、変わろうと思ったことはなかった。
それが、今では。
笑顔上手は幸せ上手
事態は一刻を争う。
神の剣と称された巨大な兵器はおそらくすでに起動しているだろう。監獄島にたどりつくための手段も目星がついているとはいえ、確保できているわけではない。
多少の幸運はあった。廃棄された橋に用があるのだと言った男性はお人よしで、いまどき珍しい馬車の荷台に4人もの客を快く乗せてくれたのだ。ある程度は揺れるが、体力の消耗度合いは恐ろしく違う。馬を休ませるための時間をとっても、歩くよりはるかに早く目的地に近づけるはずだ。
あせるだけ無駄なのだと自身に言い聞かせながら、それでもラクウェルは南の空に目を向けずにはいられなかった。
もくもくと湧く大きな雲は、天変地異のせいなのだろうか。それとも、いつもどおりなのだろうか。もっとも、気象に関する知識などないのだから、いくら眺めても読み取れるものは何もないのだが。
「眉間にシワがよってるぞ」
唐突に横合いから声がして、白い指先が額をつついた。
「なっ……」
抗議しようと開きかけた口に、ぽくりと何かが放り込まれる。反射的に咀嚼すると、甘酸っぱい味が口中に広がった。慣れ親しんだ味。ただし、少しだけ濃いような気もする。ベリーだ。
「……甘い……」
「けっこうイケるだろ? 野生のだから、店で売ってるのほど疲労回復の効果はないんだがな。瑞々しさって点じゃこっちのほうがはるかに上だ」
手柄を自慢するような口調でうそぶいて、青年が器用に片目をつむる。二つめを受け取りながらラクウェルは破顔した。
「いきなり口に入れるやつがあるか」
「えー。でも食べたじゃん」
気づいてみれば、先ほどまでの鬱々とした気分はどこかに吹き飛んでいた。今更のように、そう離れてはいない泉ではしゃぐ少年たちの歓声が届く。
「おまえは、よくよく……」
言い差して、ラクウェルは口をつぐんだ。
おまえは、よくよく人を笑顔にさせるのがうまいのだな。
言ってしまってもよかったのだ。だが、そうすればこの青年――アルノーが調子づくことはわかりきっていたし、癪な気持ちもないではない。
荒くれものの多い渡り鳥たちにさえ、近寄りがたいと評された自分だ。それが、この男の言動ひとつで少女のように胸を高鳴らせて、頬を染め、笑い声をあげる。むしろ人間らしくなって喜ばしいといえるのかもしれないし、嫌ではないのだが。どうにも気恥ずかしさだけはぬぐえない。実際少女と呼べないこともない年齢ではあるけれど、それとこれとは別だ。そういう反応はユウリィのような可憐な女の子にこそふさわしいような気がして。
幸いアルノーは彼女の台詞を聞き流してくれたようだった。
「おー、すっごい雲。あれ見てたのか?」
「ああ」
南。監獄島のある方向だ。ラクウェルは口許を引きしめた。死にたくはないが、戦うことをやめようとも思えない。隣に座るぬくもりと、明日もともにあるために。悲壮な覚悟も決意もいらないのだ。ただ、クルースニクが言ったように――この身ひとつで、意思を貫くのみ。
「橋の途中で一雨来るかもしれないなあ」
手をかざして陽射しをさえぎりながら、アルノーが能天気につぶやいた。
「雨か?」
「ん、まあ大丈夫だろ。あそこは二層構造だから、降ってきたら適当に下層に入り込んでやりすごせばいい」
「崩れないだろうか」
「だから大丈夫だって。廃棄されてから何年経ってると思ってんだ? 崩れるならとっくにそうなってるっての」
「……」
べつに彼の言を信じないわけではない。しかし、ラクウェルは黙り込んで街道の先を見やった。そういえば、まだ一人だった頃、ポートロザリアに渡ってくるときに船の甲板から崩れかけた橋を見た。折れた鉄骨があちこちから飛び出して、乗り捨てられた車らしき影もちらほらあって、無残なさまではあったが。
あれに関わることになるとは思わなかった。縁とはなんとも不思議なものだ。
「ラークーウェールー」
「わッ!?」
目隠しをするように視界を手で覆われて、ラクウェルは悲鳴をあげた。ぐらりと傾いだ身体は、とっさに力をこめるも空しくアルノーの腕の中へと飛び込む。彼女はあせってじたばたと暴れた。
「あ、アルノーっ!」
「また眉間にシワが! 不安がるのは結構だが、ここだけは常に伸ばしておけッ!」
「伸ば……」
いや、そもそもそういう問題なのだろうか。ぐるぐると回りそうになった思考がふとひとつの言葉に反応する。
「私はべつに不安がっていたわけではないのだが……それを言うなら、おまえのほうが不安がるべきではないのか?」
確かに多少の不安はあったが、一連のアルノーの行動で霧散してしまったような気がする。むしろ彼だ。首尾よく飛空機械を手に入れられたとして、飛ばなければ意味がない。ユウリィにお願いしますと頭をさげられて、狼狽していたのは昨日のことなのだから。
突然抵抗をやめて真顔で言い放ったラクウェルに、彼は綺麗な翠の瞳を眇めてみせた。
「ほおーう。そういうことを言うのはこの口か。ふさぐぞ。ふさぐぞ?」
「こ、こら……!」
冗談にしてもたちが悪い。ずいと近づいてくる唇から逃げようと、彼女は必死で顔をそらした。手加減はしているのだろう、彼が本気なら一瞬ですんでしまうことだから。けれどまずい。この状況は、非常にまずい。
ごん、と中身の詰まっていそうな音がした。
「………………ラクウェルさん」
「自業自得だ」
言い捨てて、緩んだ腕からさっさと逃れる。こぶくらいはできたかもしれないが、数刻もすれば治るだろう。それほど力いっぱい殴ったわけではない。涙目になっているのは見ないふりをする。
「落とすとこだったじゃねえか」
後頭部をさすりながら、アルノーは唇を尖らせて白い布包みを持ち上げた。ハンカチを結んで、中にベリーを包んでいるらしい。年少組の取り分もしっかり確保しておいたということか。まあ、ジュードは今まさに育ち盛りであるからして喜んで食べるだろうし。時間が時間だから、ユウリィも小腹をすかせていることだろう。悪ぶっていることもあるくせに、世話好きな面は随所で顔を出してしまうらしい。
「まあいいか。それじゃお子ちゃまにかまってもらうとしますかね」
ラクウェルは無言のまま白いジャケットの袖をはっしとつかんだ。
「ん?」
アルノーが振り返る。視線が合った。
だが特に言いたいことがあるわけでもない。
離れていこうとひっぱられるのを引き戻す。
「……」
「……」
数瞬のにらみあいの後、先に折れたのは彼のはずだった。
「ほら」
差し出された手を取る。アルノーもそれほど体温が高いほうではないそうだが、やはり違いは顕著に現れるものだ。ラクウェルは優しいぬくもりを握りしめてそっぽを向いた。
「水が飲みたくなったのだ。だから泉に行く。それだけだ」
「はいはい」
満面の笑顔は、おかしいからなのか嬉しいからなのか。瞼裏に焼きついた鮮やかな表情が、むやみに鼓動を速くさせる。
遅れないように一歩一歩を大きく踏みしめながら、ラクウェルは空いた手で自らの頬に触れてみた。
少し、熱い。そしてやわらかく緩んでいるような気もする。
アルノーが笑うから。だから私も、ついつられて微笑んでしまうのだ。そう自分に言い聞かせる。
頬を淡く染めて。
それこそ、少女のように。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
お馬さん泉のほとりで休憩中。
馬車の反対側なので、幌に隠れてジュードたちからは見えてません(えー)
姐さんはアルノーさんの笑顔が大好きです。しかし、素直じゃない上に甘え下手です(笑)
無言で威圧……もとい、いちゃつきたいオーラのようなものを醸し出したりするわけです。
そしてアルノーは敏感にそれを察して甘やかすわけです。甘やかし上手ー。
変にニブいとこがあるので、気づかないこともままありそうだけど。
ラクウェルも中盤以降は一人旅の頃よりずっと表情豊かになってたんだろうなあ。
なんだかんだで他の三人が表情豊かですからな。つられて。
雰囲気やわらかくなって、ナンパとかされやすくなってそうだ…しかしすかさず邪魔が入る、と(笑)
(2005.05.31)
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