年上の二人のことを、大人だと思ったことはない。
一人はすでに大人なのだと言い張り、一人は大人になどなれないとつぶやいていた。
大人っぽいなと思ったことはあるけれど。自分よりはよほど、大人に近い位置にいるのだろうなとは思うけれど。
なんだろう。ちょっとしたときに感じる違いが意味するものは、単純に年齢だけのものなのか。
それすらもつかめずにいる。
垣間見えたものは
「ねえ、ユウリィ。聞きたいことがあるんだけど」
窓際のベッドに腰掛けて床に届かぬ足をぶらぶらさせながら、ジュードは机に向かう少女の背中に声をかけた。
一番年少で、そして疑いようもなく一番世間知らずの彼には、宿に落ち着いてしまえばできることがあまりない。得物は手入れ不要のARMだし、もともと少ない荷物の整理はとっくに終わった。手持ち無沙汰を責められる筋合いもなく、けれどユウリィが自分と同じ状況にあるわけではないとわかっていたので遠慮していたのだが。
ふと思いついたので聞いてみることにしたのだ。おしゃべりするくらいならたいして邪魔にはならないだろう。
「なんですか?」
案の定、返事はすぐに返ってきた。そのまま作業をやめてこちらに向き直ろうとするのを慌てて押しとどめる。
「あ、いいよいいよ。続けてて」
ちいさな手の中には針と糸がある。修道女として生活していた名残なのか、彼女はこまごまとした仕事をみつけてきては実によく働く。今は誰も気がつかなかった鞄の穴を繕っていたところだ。
手を止めさせたかったわけではないのに。すまなそうな顔をする少年に、ユウリィはやわらかく笑いかけた。
「気にしないで。そろそろ暗くなってきたし、いったん中断しようとは思ってたんです。あとは明かりを使えるようになってからするから。……何が聞きたいんですか?」
「うん」
うなずいてみてから躊躇する。これはいわゆる恥ずかしい質問に属する類のものなのだろうか。少なくとも兄のような青年渡り鳥には前準備なしにはたずねられない。意地の悪い笑みを浮かべて、お子ちゃまが、とからかわれるに違いないから。口の回る彼を言い負かせるだけの科白など一瞬で用意できるはずはなく、逆にやりこめられてしまうのがおちだ。
だが、ユウリィなら。
生真面目な彼女はどんなことでも聞かれればちゃんと考えて答えてくれる。この疑問に対する答えを与えてくれる立場としてもちょうどいいだろう。妙な顔をされるかもしれないけれど、いい機会だから聞いておこう。
ジュードは、素直に彼の次の言葉を待っている少女を小首をかしげて見上げた。
「あのさ、女の子って……可愛いって言われても、嬉しくないの?」
「えっ?」
ユウリィはきょとんと目を瞠った。それから思案げな表情で細い指を頤にあてがう。そろそろと向けられた榛の瞳をまっすぐに見返すと、彼女は何度か続けて瞬きをした。
「普通は嬉しいと思いますけど……まあ、時と場合にもよるんじゃないでしょうか」
なるほど、それほど単純なものでもないらしい。もちろん男の子であるところの自分は可愛いなどと言われれば子ども扱いされているのと同義であるからして、むしろ腹立たしい気分にさせられることもあるのだが。女の子も同じだったりするのだろうか。
「じゃあ、嫌なときって?」
「えーと。そうですね……」
いくつか指折り数えてあげられた例を反芻してみる。
しかし、少女があげたどの状況も、あのときの自分たちにはあてはまらないような気がした。そもそも純粋に思ったことを言っただけなのだし、そこには嫌味もからかう気持ちなども微塵も存在していなかった。
やっぱりわからない。ため息をついて寝台に寝転がり、天井を見上げる。
「うーん……じゃあなんであのときラクウェルは怒ったんだろう」
「え。ジュード、ラクウェルさんに言ったんですかッ!?」
ユウリィがいきなり大声をあげたので、彼は仰天してびくりと身をこわばらせた。
「え、え? なにかマズかった?」
べつに他意はなかったのだ。ただあの女性剣士が、普段あまりにも自分には可愛げがないのだと公言してはばからないものだから、そんなことはないと思うと、言いたかっただけなのに。なぜか憮然として去っていってしまった。見送る背中に特に拒絶の意思などは宿っていなかったが、なにやら釈然としない思いを抱かせたらしいということはわかった。その姿が、村の大人に可愛いといわれて反論して、それでも撤回してもらえなかったときの自分に似ていたような気がして。でも、まったく同じだとも思えなくて。
思わず身を起こして姿勢を正したジュードに、少女が少し困ったような笑顔を向ける。ユウリィには理由がわかっているのだろうか。わかっているのだろう。だが、言葉にするのはそれはそれで難しいのだ――表情がそう語っている。
「怒ったわけじゃない、と思いますけど……まあ、複雑ですよね」
「……複雑なの?」
「複雑なんです。あ、ほら、噂をすれば」
疑問符を浮かべたまま指されたほうを見やれば、連れの年長組が帰ってきたところだった。未だ相場もよくわかっていない少年たちに対して、彼らは今まで一人旅をしていたのだ。交渉の術もモノの良し悪しを見極める目も確かだから、買出しは専ら二人に任せることにしている。四人で市場をそぞろ歩くのも楽しいが、ここバックライには市どころか商店が一軒あるだけ。そんなこんなで結局、年少組は部屋の確保がてらに留守番をすることと相成った。
「なんだか言い合ってますね。喧嘩……? ではなさそうだけど」
手を振ろうとしたジュードを制して、少女が窓枠から身を乗り出す。落ちないようにさりげなく腕をとってやると、感謝のまなざしが返ってきた。さすがに危ないと思ったのだろう、姿勢を心持ち低くして外の様子を見ている。彼もまた姿を隠すようなことはせず、ただ耳をそばだてた。
「だから、私はべつに要らないと言っただろうが! いつ何が起こるかわからないんだぞ、無駄遣いできる余裕がどこにある」
ことさら張りあげることはしなくても、二人の声はよく通る。ラクウェルはなにやら苛だっているようだった。ユウリィが喧嘩ではなさそうだと判断したものの、少々疑わしい雰囲気だ。確かに彼らが本気で言い争いをしている姿など見たことがない。だがそれは、年少のものたちの目があったからかもしれないのであって。影ではけっこう激しくやりあっているのかもしれない。根本的なところで仲が良いことは確信しているが、だからといって衝突がないわけではないだろう。
しかし、少しだけ抱いたジュードの不安はお気楽そのものの青年の声で霧散した。
「ちょっと言ってみただけだろ? しかもベリー一個より安かったし、あれ」
「四人の財布だ。勝手はできない」
「えー。あいつらだったらむしろ喜ぶと思うんだがなあ。めちゃめちゃ似合ってて可愛かったのに」
「〜〜〜ッ!」
銀髪の間から垣間見える横顔が、瞬時に真っ赤に染まった。
「なっ、だ……ッ?」
あれっと思って目をこするが、見間違いではない。いつもは赤みひとつ差さない白皙の肌なのに。頬が火照って熱くなっているだろうことが、離れた二階からでも容易に察せられる。
ジュードは呆気に取られて口を大きく開けた。ほぼ同時にアルノーが弾けたように笑いだす。
「なんだよ、やっぱり満更でもなかったんじゃないか。かわ」
「連呼するなッ! 知るかそのようなこと!」
かみつくような勢いで青年の言葉を遮り、ラクウェルは宿の方向に向き直った。紅さは耳まで伝染している。
気恥ずかしいのか、視線が地面に固定されているために見られていることには気づいていないようだが、ジュードは慌てて窓の下に座り込んだ。
なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がする。くすくす笑う声は隣の少女のものか。救いを求めるような気分で見上げると、悪戯っぽい視線と出会った。
ああ、ユウリィは。わかっているのだ、たった今彼らの間に流れていたものの正体が。わからない自分はやっぱりお子さまなのか。だから、同じことを言っても受け止められ方が違ったのだろうか。
「ユウリィ……」
「今のは見なかったことにしておきましょう、ジュード?」
「うん」
おぼつかない足取りで部屋の中ほどに向かって歩く。数分もしないうちに、足音高くラクウェルが部屋に飛び込んでくるだろう。アルノーは閉め出されるかもしれない。ひと悶着が起こる前に、なんとかこのあやふやな気分を抑えこんでしまわなければならなかった。
「わかりました?」
たぶん今のに、答えが入ってました。
ユウリィは訳知り顔でそう言うが、やっぱりわからない。
いや、違うのはわかった。あのときの自分とラクウェル。そしてたった今の、アルノーとラクウェル。明らかに違う。
状況も違う。話の流れも違う。違うことだらけで、だけどたったひとつ、言った言葉は同じだった。同じはずだった。
違う、その、原因はなんだろう。
「ユウリィ」
もう一度少女の名を呼ぶ。
振り返った笑顔に浮かんだ単語があったけれど、口には出さずに飲み込んだ。
垣間見えたものは、大人と子どもの境界線だったのだろうか。
いや、きっとそれは違う。あの二人は確かに自分よりも大人に近い位置にいるけれど、明らかに境界線のこちら側に属している。
つかみかけたような気がした答えは、すんでのところで逃げていってしまった。
理解するのは何年も後のこと。結局、大人と呼ばれる年齢に達してからのこと。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
えー、よくわかっていないジュードの視点で書いたもんで私もよくわからなくなりました(言い訳)
当初はラクウェル視点あたりでもっとかゆい話の予定だったんですが…なじぇ。
元ネタはミーティングー。銀星章乗る前のやつですね、確か。
まあ十九歳が十三歳に可愛い言われてもなあ…しかも「可愛げあると思う」てワケわからんよ坊や(笑)
アルラクは、意識はしてるんだけど確固たるものにはなっていない。
ほわほわふわふわあやふやな時分です。
姐さん的には一番の混乱期に突入する頃でもあるかと…(笑)
ハリムでの告白後も混乱はしてると思いますが、一応理由が判明してるから。
とにかく 初恋v に戸惑って逆ギレかます姐さん萌え(えー)
ちこっとジュドユリのような気もしつつ、やっぱりわかっていないジュード。
(2005.05.22)
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