灯火
野営は、日常茶飯事だ。
いや、十に満たない時期に家を失い、もうじき二十歳になろうかという自分にとっては、ちゃんとした宿で寝たことのほうが珍しかったかもしれない。
子どもの時分、世話になっていた医者はお人よしで、この点で苦労したことはなかった。けれど、旅することを思い立ち―― 一人になってからは、それこそどこででも眠れるようになった。
木の上。岩陰。廃屋。馬屋。
危険が迫ればすぐに目覚めて対処できたし、不自由を感じたことなどない。雷におびえて両親の寝台にもぐりこんでいた幼い少女は、あの日を境に永久にどこかへ行ってしまった。
今夜の宿はそれなりだ。もとは宿場町だったのだろう、廃屋の集合体のなかのひとつ。風雨にさらされてなお残った壁はこれ以上崩れる心配もなく、うまく天幕さえ張ってやれば夜露に濡れることもない。眼前では焚き火があかあかと燃え、わずかに見える夜空には満天の星。
きっと、心安く眠れることだろう。
ゆらり、と炎がゆらめいた。気配を隠す意図もなく、砂利を踏む音が近づいてくる。背後から近づくそれに、警戒もせず抵抗もせず素直につつまれてやった。
「あれ」
「……なんだ?」
「いや、なんでもない」
肘鉄くらい来るかと思ったんだけどな。
失礼なつぶやきはあえて無視する。毛布ごと包み込まれて、次第に心地よい暖かさが浸透してくる。
夜中、自分の身体の冷たさに驚いて起きることがある。
一度だけそう漏らしたのを、忘れてはいなかったらしい。彼女さえ拒まなければ、彼は惜しげもなくその体温を分け与えてくれるのだ。熱は無限ではない。代わりに自身が冷たくなるのだとわかっていて、なお。
「すまないな。私はいいが……おまえが寒いだろう」
「いや、別に? 冷え性で悩むのは女が多いらしいぜ」
「そういう問題では」
「変わらないだろ」
「いや……そうか。そうだな」
息をついて身をゆだねると、少々気配が変わる。彼はごそごそと身じろぎし――なにやらいかがわしいところに手を伸ばしてきたので、ぺしりと軽くはたき落としてやった。
「たッ!」
「調子に乗るな」
「なんだよ、ケチだな」
「けちで結構。だいたいこんなところで、魔獣にでも襲われたらどうするつもりだ」
おおげさに手をさすっているのを、無理やり首を回してねめつける。緑色の瞳は笑っていた。毒気を抜かれて前に向き直ったところをぎゅうと抱きしめられて、逆に脱力する。
この男、荒野のただ中にあって、危機感がまったくないのだ。まあ、それは根拠のない妄想でもなんでもなく、自信と経験に裏打ちされたものであるのだから責める筋合いはないのだろうが。それにしても、表面上のことかもしれないとはいえ、緊張する様子を見せないのはなんとも腹の立つことだ。常時気を張り詰めて、それが表に出てしまう自分が馬鹿みたいではないか。
「だーいじょうぶだって。まあ油断しないにこしたことはないけどな、ここいらの魔獣程度じゃ俺の結界は壊せねえよ」
「だからといって……」
「ああ、もういいから。さっさと寝ろ」
みかけよりもしっかりした腕と毛布にすっぽり包まれて口をつぐむ。べつに休むことに異存はないのだ。だが座ったままではつらくないだろうか。自分はいいが、背後にある崩れた壁は煉瓦造りで、長時間もたれかかるには向いていないだろうに。
気になって呼びかける。
「アルノー」
「……大丈夫だ。寝ろ」
耳元で吐息混じりに優しくささやかれて、少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
身体の内側から生まれ来る熱がある。アルノーの体温を奪ってばかりなのだと、いつも思うけれど。決してそれだけではない。ぼろぼろになっても、それでもまだ、生み出す力は自分にも残っているのだと、いつも再確認させてもらって。
もういい、甘えることにしよう。情けないと思うこともあるけれど、甘えるのは気持ちいい。甘えられるのも気持ちいいのだろう、アルノーはいつもそれはそれは嬉しそうに笑って受け入れてくれるから。
「…………わかった。寝る。……おやすみ」
「おう。おやすみ」
視覚が閉ざされると、彼の鼓動が大きく聞こえるようになる。子守唄のようなそれに身をゆだねて、彼女はゆっくりと眠りの淵に降りていった。
どこででも眠れるようになった。それは強さだと思った。
今でも場所は関係ないのだ。けれど、彼のぬくもりは必要不可欠。
それは、果たして強さか弱さか。
今夜もきっと、心安く眠れることだろう。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
ブレイクポイントは古代もしくは戦争中の科学技術(魔術含)で、一種の強力な結界装置なんだと言い張ってみる。だからそこでは安心して休めるんだと主張してみる。
んでもって、魔術師のフォーミュラやパラディエンヌの術にも似たようなのが(弱いけど)あるんじゃないかと想像してみる。
姐御はおそらく事故後しばらく病院か施設にいたんじゃないでしょか。戦後だし、同じような境遇の子どもはたくさんいただろう。自分がすごい怪我してたぶん眉ひとつ動かさずに治療の手伝いしてたりしてな…
他の子らの面倒も見てたのかも。だから面倒見がいいとか。
そして13〜14くらいのとき、思いたって旅に出た、と。
…いや十歳の子どもが一人旅してる光景は想像したくないでな…
(初出 2005.04.01. 改稿 2005.5.12)
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