闇にも差し込む
「……悪いが、無理だ。少なくとも俺の腕じゃあな」
告げた言葉も重々しい声色も、彼の表情を動かすには至らなかった。
ただ、そうかとちいさくつぶやき――うつむいただけ。予想はしていたのだろう。けれど、望みを捨てきることもできていなかったのだろう――引き結んだ口許には、わずかな落胆が垣間見えた。
「同じ症状の患者を一人持ってる。そいつに結構色々試させてもらったが……」
なにぶん頭も環境も足りてないんだろうさ。
言って肩をすくめる。目の前の青年の連れ――ラクウェルと同じ街で同じ事故を体験した老人は、どうせ老い先短いのだからと、まるで人体実験よろしく闇医者の知る限りありとあらゆる治療法を施させてくれた。
その末に結局何も変わらず、彼は今では暗い思いを振り切って自分なりの楽しみを見出して生きている。けれど、すでに半世紀以上を生きた老人と生まれてまだ二十年にも満たない娘では、生に対する執着の度合いはどうしても違ってきてしまうのだろう。
まだ何もできていないのに。
聞こえないふりをしてやったのに、未だ耳に残る声。低く低く絞り出された言葉には抗いがたい渇望が込められていた。
欲しくて欲しくてたまらなかったもの。自分には手に入らないとあきらめていた夢が、かなえられる現実として目前に横たわって掴み取られるのを待っているのだ。どうしてこのまま退けようか、と。
気持ちは痛いほどにわかる。良心など欠片も残っていないと思っていたのに、哀れだと、なんとかしてやりたいという気持ちにさせられてしまう。不思議なものだ。
「……まあ、世界は広いし医者もたくさんいるわけだし」
自身を納得させるようにことさらに明るい声を出した青年に、彼はうなずいてみせた。
「そうだな。というわけでまあせめてものはなむけだ」
戸棚からいくつも紙袋を取り出して並べる。さらさらと書きつけられる文字に青年の柳眉が寄った。この男はそれなりに医学の知識もあったはずだ。いや、身につけたのか。とにかく、見てわからないものではないだろう。
「おいおい……こんなにたくさんかよ」
「たくさんなんだよ。まあ、根本的な解決になるもんはひとつもないが」
「そりゃわかるさ。その辺で普通に買えるもんばっかりじゃねえか」
「そのとおり」
書き終わり、まとめてひとつの袋に放り込む。彼は座っていた椅子ごと身体を回して青年に向き直ると、指折り数えてひとつずつ中身の正体を読みあげた。
「痛み止め。解熱剤。鎮静剤。まあその他いろいろ、普通の薬だわな。感謝しろよ、俺が副作用の軽い薬を処方してやるのは珍しいんだからな」
「威張ることかよ……」
「最後まで聞け」
真顔で視線を合わせる。この不夜城ではついぞお目にかかれない、まっすぐに人を射る緑の瞳。いい大人を標榜する気などない。良心なんてくそくらえだ。誰かが泣いたって、それは日常茶飯事に過ぎない。
だが。
「いいか、病は気からだ。むろん精神力なんぞで全部解決するようなら医者は要らんが……痛いのと、痛くないのとではやはり違う。楽に呼吸ができればそれだけで救われたような気分になる。具合の悪い人間というのはそういうもんだ」
「あ……」
言わんとすることは理解できたようだった。おぼつかない表情を急にひきしめて身を乗り出してくる。そう、根本的な治療はできなくても、医者の領分はひとつではないのだ。
「あまり使いすぎると効き目が薄くなるが、日に一、二回程度なら問題ない。苦しそうなら無理やりにでも飲ませろ。市販されてるのと成分は変わらないからな、副作用もせいぜい軽い肌荒れか眠くなるくらいだ。荒野の真ん中で服用するのは勧められんかもしれんが……とにかく、辛いのを無理に我慢するよりは薬で楽になって睡眠をとったほうがいい」
「ああ」
「そうして、症状を軽く感じさせてまあ……適当に笑わせてやれ。そのくらいの甲斐性はあるだろう?」
何もしないより、命は格段に伸びるはずだ。そうして、時さえ長くなれば治療方法を探す余裕も生まれてくるのだから。
「……そうか。そうなんだよな。そうだ」
青年は何度も首を縦に振った。なまじ頭が切れるだけに、早くに結果を求めすぎて焦っていたのかもしれない。”幸せにしてやりたい”というその気持ちもやりかたも間違ってはいないのだろうが、そこはまあ若さゆえか。
「焦るのはわかる。だが時間は残っている。そうだな?」
青年の気遣いが足りないとは思わない。ただ少しだけ、少しだけ視野を広げて見えるものを増やしてやるだけだ。
「ああ。……そうだよな。ありがとう」
意気揚々と立ち上がったその表情に、先ほどの硬さは見えなかった。
傍目にはごく普通の幸せな恋人たちに見えるのに。
柄じゃないのはわかっている、けれど。
願わくば、洋々たる未来が彼らの行く先にもたされんことを。
--END.
|| INDEX ||
あとがき。
ほんとにつらいときは痛み止めは飲みましょう、という話(違)。
ギャラボベーロの闇医者さん。ブラッキーだっけ?
一人称確認せず。口調も確認せず(ヲイ)。
むしろ悪人ですがレイモンドさんの一件から始まりほだされてしまったのでしょう。人間ダカラー(笑)
(初出 2005.04.20 改稿 2005.05.12)
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