銀色の銃身をためつすがめつしていたら、肩にずっしり重みがかかった。驚くこともなく動揺を感じることもなく、斜め後ろに視線をずらしてその正体を確認する。ジャケットの白さが褪せた風もないのは、皮でできているからだろうか。それとも本人の言うとおり、たゆまぬ努力の賜物なのだろうか。
 瞬きひとつ、視界に差し込んだ少し長めの髪の色に納得してうなずくと、ジュードは気に留めた風もなく手の中の武器をテーブルに置いてみた。
 ごとん、と重たげな音がする。
「へえ、やっぱ持ってなくても形はそのままなんだな」
 感心したように耳元で響いた一言は、思っていたよりもはっきり聞こえた。
「うん。仕組みはよくわかんないけど、そのへんの融通はきくみたい」
 手を離れても形を維持できる。反面、もしも敵に奪われてしまった場合は考えるだけで砂に戻って使われるのを阻止することができるという、とても都合の良い代物だ。
「便利なもんだなあ」
「そうだよね。ねえアルノー」
「ん?」
「そろそろ重いよ」
 険をはらんでいるわけでもない素直な少年の言葉に、青年は悪い悪いと笑いながらその腕を引っ込めた。



 適材適所、という言葉がある。ユウリィはすくいあげたおたまを傾けて、こぼさないように用心しながら煮汁をすすった。
「……うん、上出来です」
 つぶやいて桜色の唇をにっこりさせる。
 現在同行している三人は、特に手先が不器用だというわけではない。ジュードは簡単な道具や機械ならあっという間に直してしまえるし、アルノーも然り。素人目にはどこから電源が供給されているのやらさっぱりわからなかった設備も、きっちり復旧してしまった実績がある。ラクウェルの刃物さばきは見事なもので、早くそして正確だ。硬い大根や南瓜も、綺麗に大きさのそろった欠片に変身させてくれる。
 の、だが。
 味付けに関してはこと後者二人はあてにならない。それを実感してからというもの、やむをえない場合をのぞいては自分のいない場所で料理をさせたことはない。
「ラクウェルさんも、向上心は有り余ってるんですけど……こればっかりは時間をかけないと上達しませんよね……」
 一人ごちて、調味料を取ろうと身体を回転させたユウリィは、厨房の床板がたてたギシリという音に反応して顔をあげた。
「あ、アルノーさん」
「そろそろできるか?」
 食べ物の匂いにつられてやってきたのだろうか。舌なめずりせんばかりに目を輝かせている青年を見上げて、彼女はちいさく笑みをもらした。
「もう少しですよ。あとは味を調節して――少し、馴染むように熱を加えてやらないといけないんですけど」
「そっか。じゃあちょっと時間潰してくるかな……何か不足してたものは?」
 言われて思案する。今宵の宿は自炊宿で、厨房には調理器具こそ揃っているものの材料や調味料は自前のものを使うしかない。そういえば、包帯や薬の買い置きばかりに頭が行って、塩の補充を忘れていた。砂糖がなくともあまり困ることはないが、こちらはそうもいかない。塩は水と同じくらい大切なものだ。極論を言えば、そのふたつさえあればしばらくは命をつないでいられる。
「……お塩が足りないみたいです。ちょうどこのお鍋に入れたらほとんどなくなりますから……これだけのために申し訳ないんですけど、アルノーさん」
「かまわないぜ。どうせ暇だし、行ってくる」
 期待してるからな、という台詞とともにぽんぽんと頭を叩かれた。兄のような所作に、ユウリィは微笑んでうなずき、青年の背中を見送った。



 時間の経過に移ろいやすい景色は、美しいがスケッチするには向かない。そう思う風景に出会ったときは、じっくり眺めておいて後で記憶を頼りにスケッチブックに描き起こす。忘れてしまうこともあるが、それはそれでかまわないのだ。そのとき感じた気持ちは確実に自分の中に残されているに違いないのだから。
 ラクウェルはバルコニーの柵に頬杖をついて、徐々に色を変えてゆく遠くの空を見つめていた。背後でカラカラと引き戸が動く。振り返らずとも、足音で誰がやってきたのかはわかった。気配の主は彼女の真後ろで止まり――気づいていないふりを続けてやると、胴に腕が巻きついてきた。
「ッ! こら……!」
 ラクウェルは焦って身をよじった。てっきり隣に並ぶか声をかけてくるかすると思っていたのに、まさかこうくるとは。じたばた暴れたのが功を奏したか、案外あっさり解放される。瞬時にあがった息を整えながらねめつけると、青年は唇を尖らせて抗議してきた。
「なんだよ、どうせ誰も見てないだろ」
「……そうとは限らぬだろう」
 確かに頭上を見上げながら歩く物好きなどそうはいない。なにせ首が痛くなる。だが、遠くからならば視線を動かすだけでこのバルコニーが見える。触るなと言いたいわけではないが、いちゃついているところなど見られて嬉しい人間がどこにいるものか。
 ラクウェルは嘆息して、正面からアルノーに向き直った。
「それで、何か用があったのではないのか?」
「用……まあ、そうだな。用だ」
 ぐいと手首をつかまれて軽くつんのめる。転ばないように腰に手を添えてくれるのは気遣いと受け取っておくにしても、なにやら急ぎすぎなのではないだろうか。
「いったい何なのだ」
 抵抗はあきらめ、けれど眉をひそめながらラクウェルは引かれるままに歩を進めた。見上げた横顔はなにやらひどく嬉しそうだ。
「買い物に行くぞー」
 だから、どうして他愛無いことでそこまで満面の笑みを浮かべられるのだ?
 疑問はしかし、逸る心臓の音にかき消されてしまった。



与太話





「そういうわけで、私たちはおまえを触りたがりなのだと結論づけた」
 至極真面目な顔で告げられた台詞に、アルノーは一瞬言葉を失った。
 ちょっと待て、どうしてそういう話の展開になるんだ。
 頭をひねる。今日は後から思い返してみても特筆するべきことは何も起こらず、むしろこの旅路の中では珍しいほどに平和な日だったはずだ。
 思いがけず廃棄ブリッジに向かう足を確保でき、そのために当初予定していたよりも出発が遅れることとなった。それだけの時間を取っても早く到着できるのはわかりきっていたし、ここまで来ればあせるだけ無駄だと、おのおの好きなことをしていたはずで――だから、ARMをいじっていたジュードに声をかけ、夕食の支度をしていたユウリィをかまい、ラクウェルと連れだって夕暮れの集落をぶらぶら歩いてきた。
 たった数時間の行動がものをいったのかどうかはまあ追々判断するとして、何ゆえ大真面目にそのようなことを宣告されなければならないのやら。顔をしかめて、フォークを皿の上に戻す。
「ちょっと待て、こんな善良な俺を捕まえておいてセクハラ呼ばわりか」
「べつにセクハラだなんて言ってませんけど……」
「誰も口にしていない言葉がすぐに出てくるなどと、つまりはそういうことなのか?」
 ラクウェルが、胡乱げな言葉選びとは裏腹に表情すら変えずに食事を続ける。ユウリィは曖昧に微笑んでいるが、手を止めようとはしていない。ジュードに至っては、旺盛な食欲のあまりに話に参加できるのかどうかさえ怪しいありさまだ。
 要するに、この話題は食事時の雑談の域を出ていない。アルノーは嘆息して一口水をあおった。
 内容に引っかかるものがあるが、受けたとて雰囲気がまずい方向に向かうことはないだろう。私たちは、と言われた時点で自分以外の三人の見解が一致しているのはわかったが、やはり何がなにやら。首を傾げる。
「触りたがり……って、そんなべたべたしてるか? 俺」
「べたべたっていうか、アルノーって人に抱きつくの好きだよね」
「そうかぁ?」
「ああ、確かにジュードはよくかまわれてますね。この間なんて、通りがかった方が仲のいい兄弟だなっておっしゃってましたよ」
 あんまり似てないのにね、と笑う年少組のほうがよほど仲がよさそうに見えるのだが、本人たちは気づいていないらしい。まあ、自分を客観的に眺めるのは難しいものだから。他人に指摘されて初めて気づく癖などもあるのだし。
「最初はびっくりしたよ。もう慣れたけど」
 何かを思い出したのか、ジュードが大きく肩を揺らした。
「後ろに気配が来たと思ったらさ、がばっ!」
 腕を広げるその仕種は、かつて唐突な登場で熊と勘違いされ、絶叫を引き出した男のものに酷似している。いちいちそんなポーズとってたらそれこそ変態じゃないのか、と突っ込みたかったがやめた。毎回毎回、そんなにおおげさなことはしていないと思うのに。話の種になるほど珍しいことだろうか。
「不意打ちでくるからな。どうにも逃げられぬのだ」
 ラクウェルがしみじみとうなずくと、ふいに食卓に沈黙が落ちた。彼女はそのままフォーク一本で器用にパスタをすくい上げ、口に運び――品よく咀嚼し終わってから、ようやく視線をあげて柳眉をひそめた。
「……どうしたのだ? みな手が止まっているぞ」
「ラクウェル、アルノーに抱きつかれたことあるの? 僕見たことないんだけど」
「あ」
 アルノーが一声あげたと同時、ラクウェルの手からフォークが滑り落ちた。
 それは皿の上で甲高い音をたて、二回ほどバウンドしてからテーブルの下に向かう。すんでのところでうまいこと受け止めたアルノーは、首筋に冷や汗を自覚した。
「あっ……ぶねー!」
 汚してしまうとかそういうことではなく、足にでも刺されば痛いだけではすまない。
 手の中に恐る恐る差し込んでやると、今度はぎゅっと握りしめる。ラクウェルは、ぎぎぎぎっ、とまるで関節に歯車が入っているかのような動きでジュードを見返した。
「……私はいま、何か言ったのだろうか」
「え? ……うん」
「不意打ちで来るから、逃げられないって……」
 二人は、ただでさえ大きな目をまん丸にして顔を見合わせている。一人で赤くなったり青くなったりしている姿を見て、しばらくまともに話はできないと判断したのか、素直に食事を再開する。ユウリィが空いているほうの手のひらを頬に添えて少しだけ首を傾けた。
「じゃあ、アルノーさんに抱きつかれたことがないのはわたしだけですか? あらら」
 けっこう触られてはいたと思うんですけど、段階があったんですね。
 その声音があまりにのほほんとしているので、ついつい茶々を入れる。
「なんだよ、不満なのか?」
「うーん……わたしとしては、べつにどちらでもかまわないんですけど」
 そういえば、ユウリィに対してはせいぜい手を引くか頭をなでるくらいしかしたことがなかった。別段隔意があったわけではなく、年頃の女の子にそういうことをするのはどうかと思ったから遠慮していただけだ。さすがにそのくらいの分別はある。ラクウェルも言わずもがなで、想いが通じた後も人目のあるところでは極力控えていたから――いや、たった今本人が気づかず暴露してしまったわけだが。
 どうも二人はあまり気に止めていないらしい。この年頃といえば、少しでも色恋沙汰の気配がすれば目を輝かせて追及してくるものだと思っていたけれど、純粋培養にそれを当てはめるのはいささか間違っていたということだろうか。そもそも、ユウリィはともかくとしてジュードは気づいていない。まったく。
 こうなるとラクウェルの動揺ぶりが別の意味でおもしろくなってくる。横目で盗み見ながらアルノーはこっそりと忍び笑いを漏らした。
「んじゃ、そのうちな」
「そうですね、そのうち」
「……そのうちなの?」
 きょとんとして繰り返すジュードも、にこにこしながらうなずくユウリィも、いつもどおりだ。ただラクウェルだけが、顔色をめまぐるしく変えながら彫像のように動かない。
「おーい」
 立ち上がりテーブルを回り込んで呼びかけると、銀髪が目に見えて震えた。
「え、あ、なんだ、その、」
 おろおろと意味を成さないつぶやきを繰り返す華奢な両肩にずっしりと重みをかける。そうしておいて、ほのぼのと食事を続ける二人をあごで示してみせた。
「とりあえず、おちつけ?」
「……………………そうだな」
 たっぷり十を数えられるくらい沈黙した後、ラクウェルはため息をついて肩を落としたのだった。







--END.




|| INDEX ||


あとがき。
スキンシップの度合いは人によって違いますねーて話(そうなのか?)
最初は育った環境云々入れようかと思ったんですが、冗長になりそうだった…というか余地がなかったのでやめました。
アルノーじゃないけど人に抱きつくの好きな人いますよねー。
自分は違う(好き嫌いでなくて単に習慣がない)ので、そういうタイプの人に会うと新鮮な気持ちになります。
今日は予期せぬタイミングで抱きつかれてきました。背後から来るなー!(笑)
いや、これ書き上げたのは昨日でしたけど。
ポートロザリア廃棄ブリッジ間。間にちっさいちっさい集落があったのだと思いこんでやってください。

(2005.07.21)