逃げ出さないようにと風切り羽根を切り取られた、小鳥を見た。
 理不尽なことをするものだと、思った。






翼を








 いささか強さを増した風が窓の隙間から吹きこみ、紗のカーテンを揺らした。
 裾に縫い付けられた飾りビーズがしゃらしゃらと音をたて、翻る影に蒼い月光が板床を淡く染めては過ぎる。
「ん……」
 腕の中で眠っていた少女はそんなささやかな気配にも簡単に微睡みを破られてしまったらしい。ごそごそと身じろぎし――やがて、伏せたまつげの間からはしばみの瞳がその色をのぞかせた。
「……窓が……?」
「ああ、開いてたらしいね」
 未だ完全に目覚めには至っていない彼女にこちらは冷静な声で答え、栗色の髪に指をからめて抱き寄せる。
 頬の曲線をたどってすいとすべりゆく唇。
 同時に動き始めた手のひらに華奢な肢体がびくりと跳ねた。
「んゃっ……! マグ、何す……!」
「何って」
 笑いながら顔を寄せる。白い肌がたちまちのうちに紅に染まる。彼――マグナはそのさまを見て満足げに唇の端を引き上げ、ゆっくりと肩を震わせた。
「わかってるんだろう?」
「だ、め……! あした、起きられなくなっちゃぅ……っ!」
「そんなの知らないよ」
 有無も言わせずに手首を引いて、暴れる身体を無理やりに組み敷く。
 視界の端ではまた、カーテンが揺れる。彼の目の動きを敏感に察して思い出したのか、彼女は視線でせめて窓を閉めて欲しいと懇願してきたようだが無視した。
 こんな夜中に出歩いているものなどいないだろうし、それに。






 聞くなら、聞けばいい。



 この少女の切なくあえぐ声を。
 普段の清楚な様子とは程遠い、この乱れた吐息を。



 神というものがいるのなら、天使がその名の通り神の御使いだというのなら。
 知るがいい。
 この天使はもう自分のものだ。




 こうして毎晩。
 天上に帰るための翼を念入りに念入りにむしりとる。
 少女の中に身を沈めながら、彼はなめらかな肌に唯一残る醜い傷跡に唇を押し当てた。
「…………アメル」
 低くささやきかけると、高い高い叫びがそれに応えた。
















 原初の罪が、吹き荒れる。
 たった今聞いた言葉が、そして目の前の光景が信じられずに、マグナはただゆっくりとかぶりを振った。
 荒ぶる風の中、そこだけ凪いでいるかのように穏やかに、栗色の髪が舞う。
「……嫌だ」
 その愛らしい容貌がふわりと笑みの形を作った瞬間。
「嫌だ、いやだやだやだいやだッ!!」
 堰を切ったように涙があふれ出した。物心ついてから終始ともに在った兄弟子にさえも、滅多に見せたことのないそれが今は止まらない。
 派閥で流せばたちまちのうちに弱さの証として嘲笑われたに違いないけれど。そしてこんなもので彼女をつなぎ止められるなどとは思っていないけれど。
 体面など知ったことか。
 そんなの、どうだってよかったのに。彼女に出会って、虚勢を張ることのむなしさにも、ようやく気づくことができたのに。
「……マグナ」
 困ったようにアメルが笑う。駄々をこねる子供をたしなめる、母親のような。





 その背中に広がる光の翼が信じられない。
 彼自身の手で、すべて奪い去ったはずだった。彼女の想いを餌に、優しさを盾に。卑怯なのは重々承知の上で、不安を刃に変えて、その羽根はすべて切り取ったつもりだった。
 その、つもりだった。



 それなのに。



 いつのまにかつかんでいたはずの腕は抜き取られ、機能を果たさなくなった足は兄弟子の助けでかろうじて地に立っていて。






 目の前で、彼女は。







 その微笑みごと、光の中に






















 ――――溶けた。























 ただ一緒にいたかっただけ。
 離れたくなかっただけ。
 あったのは、ひとつの想いだけ。



 なのに。












 逃げ出さないようにと、風切り羽根を切り取られた小鳥を見た。
 理不尽なことをするものだと思ったことも、








 あった。



















--END.






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