故郷(3)





 両親の顔は覚えていない。
 気づいたら二人きりで、始終腹をすかせて、街の中をうろついていた。
 保護者がいないことを疑問に思ったことはなく、家族といえば同い年の妹がひとりきり。誕生日はちゃんと覚えていた。文字を書くことはできなかったが、簡単なものなら読むことだけはできた。着ていた服はすでにすりきれてぼろぼろになっていたけれど、もとはそれなりに上等なものだったのではないかと、孤児仲間のひとりが見立ててくれた。
 たぶん死んじまったんだろう。しょうがなかったんだ。すてられたわけじゃないさ。
 いくつか年上の子どもにそうなぐさめられたことがあったが、なぜ彼がそんな物言いをするのかはよくわからなかった。
 後に派閥では落ちこぼれとの烙印を押されることになるが、この時点では彼らはむしろ聡い子どもだった。年に似合わず頭も口も回る二人は、いつもギリギリのところにいながらも命とこころを失うことだけはなかった。
 とにかく一人にだけはなりたくなかった。マグナにはトリスが、トリスにはマグナが、ただ世界のすべてだった。二人そろって生き延びることに、日々全霊を注いでいた。
 そんなある日。
 トリスが、何かを握ってマグナのもとに駆けてきたのだ。妹が嬉しそうに、大事そうにもってきた手の中のものを見て、彼も眼を輝かせた。
 それは、宝石だった。今となってはなんだったのか、知っている。透き通る紫色をしたサモナイト石。大きさはせいぜい大人の指先程度だったが、その美しさは子どもたちの目には至上の宝のように映った。
 きっと高く売れるよ、とトリスは言ったのだ。お金がもらえたら、みんなでおいしいものを食べよう。冬が近づいてきて、最近お腹をすかせている子が多いから、これでみんな元気になったらいいね、と。そのころ彼らはたったの七つだったが、孤児たちの中にはもっと幼くもっと非力なものがたくさんいた。年長が年少の面倒を見るのはあたりまえのことで、彼ら自身、そういった構造に助けられていたことをちゃんと知っていた。
 宝石など、どこで売ればいいのか知らなかったけれど。侮られて安く買い叩かれるかもなどといった、今であれば当然頭に浮かぶはずの危惧すらなかったけれど。
 ただ浮かれて、二人一緒にその石に触れたのだ。

 ――――伝説とされたほどの魔力は本来以上の力を呼び。
 白紙だった知識はそれを止めることができなかった。





 最初に抱いた感想は、手が熱い、それだけだった。
 あのときすぐに手を離していれば、サモナイト石を投げ捨てていれば防げたことだったのかもしれない。
 しかし、じんわりと熱を帯びた石から手を離すことはできず、硬直した二人の狭間からすさまじい力が溢れ出した。
 呼び出された悪魔は、最低限の腕を持つ召喚師ならば簡単に御せる程度のものだったらしい。そのことがかえって仇となった。使い道すら知らせずにただただ受け止めきれないほどの魔力を注がれたそれは、苦痛をまぎらわせるために暴れて暴れて、暴れまわって――そうして、唐突に消滅した。
 白砂がさらさらと舞うくぼ地の真ん中で、派閥の兵に発見されるまで、気を失っていて。
 あとで聞いた話では、あの紫色の石は、こなごなに砕け散っていたという。










「……もっとも、何が起こったのかちゃんと知ったのは聖王都についてからの話だったけどね」
 青ざめた顔で、それでも必死に見上げてくるアメルに苦笑してみせて、マグナはゆっくりまぶたを閉じた。
 あのときのことは今でもはっきり思い出せる。
 殺してしまえと息巻くものたちと、必死で彼らをなだめているものたちと。その場には似つかわしくない、冷静な瞳で状況を眺めているものもいた。正直、殺されても当然の報いだろうとは思ったのだ。それだけのことをしたのだから。
 だから、騒ぎたてることもせず、泣くこともしなかった。ただ二人でよりそって、じっとうずくまっていた。
 正確に何人死んだのかは聞かされていない。街にどれほどの被害が出たのかも知らない。だが、護送されたときの兵士たちの対応を見れば、自分たちが恐れられていることはなんとなくわかった。

 あんなちいさいなりをして。

 まあ要するに、バケモノだってこったろ?

 ひそひそとささやかれる言葉にわけもなく傷ついていたのが馬鹿みたいだった。傷つく資格なんてない。むしろ、めちゃくちゃにされても文句は言えないくらいだったのに。
「…………っ……」
「……アメル?」
 押し殺していた嗚咽が洩れ聞こえて、とうとうマグナの耳まで届いた。慌てて目を開き、彼女の顔を下からのぞきこむ。手の甲に熱いしずくが落ちて、すっと流れていった。
「ごめ、なさ……っ」
「どうしてアメルが謝るのさ」
「あたしが……あたしが、あなたたちの生まれた町を見てみたいなんて言ったから。だから、」
 本当は来たくなんかなかったでしょう? 思い出したくなかったでしょう?
 泣きながらごめんなさいと繰り返す少女を見ていると、こらえていたものが溢れ出してくる。悲しいのではない。嬉しいのとも違う。ただ胸が詰まって、マグナは声を震わせた。
「アメル……泣くなよ。そうじゃない、そうじゃなくて。ほんとにずっと気になってたんだ。気になってしょうがなくて、だけどやっぱり怖くって」
 きっとトリスと二人きりでは耐えられなかっただろう。アメルとネスティがいてくれれば大丈夫だと、行きたいと言われたことに、約束に理由をかこつけてやっとここまでやってきたのだから。
 一世一代の覚悟を決めてきてみれば、旧知の友は元気に暮らしていて、街も綺麗になっていた。みながみな幸せになれたわけではないのだということはわかっているのに、なんだか拍子抜けしてしまった。
 けれど同時に、自分たちの起こしたはずの事柄が他に押しつけられて処理されていたことに戦慄を覚えたのだ。もしエランが真実を知っていたら、どうだったのだろう。もちろん公式とされている事件を覆すような発言はしてはならないけれど、彼にも知る権利ぐらいはあるはずだ。屈託のない笑顔が曇るのが怖くて、結局何も言えなかった。あの日起こったことは王都から発表されたとおりなのだと、説得力があったからこそ誰しも疑わずに信じている。それでも、あれほどの罪を他人になすりつけてそのままにしておくなどと、卑怯といわずしてなんというのだろうか。
 アメルには最初から隠しておくつもりなどなかったけれど。ありのままを告白してなお、泣いてくれるその姿は予想通りのものだった。
 彼女だけは、絶対に自分を見捨てたりしない。
 心の奥底にそんな小狡い想いを抱えていたことにだって、もちろん気づいていないわけではないだろうに。
「アメルは、優しいから……」
 栗色の頭に手を載せて、ぽつりとつぶやく。アメルはうつむいたまま首を振った。
「そんなのじゃありません。そんなのじゃない。ただ、あたしは」
 天使のように優しい女の子だと、昔そう評されたことがあった。マグナも冗談交じりにそんなことを言ったことがあったかもしれない。そのときは面映いだけだったが、今の自分は、きっとはっきり否定するのだろう。
 天使には、なれない。
 天使とは常に公平な生き物だという。人は都合よくその慈愛だけを見ているけれど、実際にはひどく残酷だ。善行に対してはそれに見合うだけの恵みを与えるが、比して罪は罪として厳格にみつめ、裁き、容赦なく罰をあたえる。
 だから違う。だって、罪を犯したことへの罰を思いつくよりも先に、どうすれば彼の涙を止められるのかと考えてしまうのだから。絶対に違う。
 ただ愛しいから。目を背けたくなるような光景を見ても、裏切られても。散々傷つけられても、最後には必ず前に向きなおる、その強さに、しなやかな心に。惹かれてやまない自分がいるから。
「あなたはあなたのまま。ずっと……変わらない。だからこそ、あたしは」
「ストップ」
 マグナは両の手のひらでふっくらした頬を包み込んだ。指先が濡れる。
「……もういい。ごめん、ずるいよな、こんなの」
 ふるふると揺れる前髪を払って、彼はそっと白いひたいに口づけた。
「何言っていいのかわからないけど……ひとつだけ。ここまで来られたのは、アメルがいてくれたおかげだよ。怖くて怖くてたまらなかったのに、それでもここまで来られたのは君のおかげなんだ」
 目じりからあふれた新たなしずくを唇ですくいとる。
 相変わらず泣き止む様子のない少女をそっと抱きしめて、マグナはゆっくりと天を見上げた。
 ちっぽけなぬくもりなのに、体格だけ見れば包み込んでいるのはむしろ自分のほうなのに、それなのに癒されているのがおかしかった。嬉しかった。

 胸は相変わらずきりきり痛むし、天井の木目だって涙でかすんではっきり見えない。
 だけど、明日になったらきっと、ちゃんと笑えているのだろう。







 忘れたことはない。
 忘れるつもりもない。
 故郷と呼ぶ街で暮らした日々、そしてあの日の記憶。
 過去にあったことのすべて。
 自分をかたちづくる大切なものたちを、ずっと、抱えていく。







--END.




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あとがき(長)
これで終わりです。
…ええ、終わりです(笑)。隣の部屋ではネストリがやっぱりしんみり語ってるんですけどね。
ちなみ故郷を見たいと言ったのはアメル。ネスティは反対しなかったけど賛成もしなかった。
二人がいいならまあいいか、って感じで。
護衛獣はファナンでお留守番。

以下勝手設定ですが、実はマグトリが一番得意なのはサプレスの召喚術です。
…いや、勝手も何もそう考えるのが自然じゃないかなとは思う。
もともとクレスメントは強大な魔力を持っていた。さらなる力を欲して、メルギトスに取引を持ちかけた…
てな感じでしょうか。
もともと一族の特徴としてサプレスの術が一番得意だったから、相手が悪魔だったんだろうなと。
機とかは考えにくいとしても、鬼神とかメイトルパの精霊とかともそういう取引はできそうなもんだから。
なんの予備知識もなく術を発動させることができたのは(二人がかりでやっとこさだけど)サプレスの石だったからに他ならない、と。
で、まあマグトリはこういうトラウマがあるもんだから極力サプレスの召喚術には関わりたがらないわけです(笑)。人が呼び出すのは平気でも、自分ではちょっと…みたいなー(みたいなって…)
まあ回復専門のリプシーくらいなら平気かもしれんが。悪魔はダメらしい。ほんとにダメらしい。
それぞれ操っているのは二番目に得意な術です。まああとはその世界の文化への興味関心とか。
もともとオールマイティーな一族やけぇね…なんでもよかったんですよ本人たちは。正直なとこ。
全属性使用可なのはメルギトス関係ないです。そういうことにしといてください。夢見させて…(笑)

なんだか一山越えた気がします。
勝手設定をつけ始めたということは乗ってきた証拠です(笑)
書くじょー! 増やすじょー!
たぶん!(たぶんかよ)

(2004.05.26)