故郷(2)





 どうやらそこは、工房と喫茶が一体となった店らしかった。
 工房で作られたパンや菓子を、いちはやく味わうことのできる喫茶。すでに昼時は過ぎているにも関わらず、買い物にきたらしい人の姿がちらほら見られる。原材料ではなく製品を売ることで商売が成り立つためには、それなりの人口と経済成長が必要だ。この街は、そのどちらをも十数年で手に入れたわけだ。二人は少し考えてから、工房の入り口近くのテーブルに陣取った。
 蒼の派閥に連れて行かれてからは将来就くべきは召喚師だと決まりきっていたから、他の職業の人々が立ち働く様をあまり見たことはなかった。それに、聖王都では関係者以外が工房をのぞき見られるような構造の店はなかったから、こんなふうにじっくり眺める機会は初めてだ。もちろんパンなんて何十個も焼いたけれど、それでも自分が食べるために作るのと、不特定多数の人に食べさせるために作るのとではやはり違うのだろう。こちらのほうが作業効率が段違いに良い。それなのに並んでいるパンは遠目からでもふかふかしていて、いかにも美味しそうなのだ。
 興味津々、注文も忘れてみていると、職人の一人がこちらを向き――やがて、あんぐりと口を開けた。
「んっ?」
 なにやら金魚のようにぱくぱくと喘いでいるが、分厚いガラスに隔てられていて声を出しているのかすらよくわからない。マグナは目を眇めて彼の顔をとっくりと見つめて――隣のトリスと同時に叫んだ。
『あぁーっ!』
 ゆっくりと、職人の顔に理解が広がってゆく。よくよく見通しのきく部屋の中で、彼は隣で生地を練っていた年配の男性に何かを言い置き、すぐに喫茶のほうに飛び出してきた。
「……マグナ! トリス!」
「エラン! うっわあああ、ひさしぶりー!」
「よくわかったね、あたしたちだって!」
 手を取り合ってはしゃぐ。客が何事かと振り返る中で、三人は手を取り合って子どものようにぴょんぴょんとはねた。
「こらあ! 騒ぐんなら裏でやれ、裏で!」
 工房の奥から鋭い声が飛ぶ。びくりと首をすくめたエランは、マグナたちに苦笑してみせると、すばやく二人を工房の裏手にいざなった。そうしてから改めて、お互いの顔を見つめて微笑む。興奮状態には違いなかったが、話したいことはたくさんありすぎた。かえって言葉が出てこなくて、トリスはすん、と鼻を鳴らした。
「……よく、生きてたよね」
「そりゃこっちの台詞だ」
 彼――エランは、双子がこの街に住んでいた頃のいわば孤児仲間だ。子どもたちはそれぞれ自分もしくは年下の弟妹のことに精一杯だったが、それでも独特のつながりを持っていた。余分に食べ物が手に入れば、腐らせるよりは分け合ったし、人手がもっとほしいと言われれば、別の子どもを紹介する。
 中には盗みや強盗まがいのことをして食いつないでいる子どももいたけれど、それをしたときの報いが恐ろしくて、マグナたちは街の外に出て食べられるものを探し、ゴミ捨て場をあさった。住人の同情に甘えることもあった。駄賃代わりに少しの金品を受け取り、あまり人が引き受けたがらない仕事をやったりもした。プライドがどうだの尊厳がどうだの、そんなことを言っていられる状況ではなかったのだ。
 それでもやっぱり、薄暗い貧民街は好きではなかった。うつろな目をした大人たちのようにはなりたくなかった。いつもつきまとってくる諦観におびえながらも、ああなってたまるものかと言い合った。抜け出す術を知らなかったのに、それでもいつかなんとかしてやろうとだけは、考えていたような気がする。
 あの日、あっけなく今までの生活が断ち切られるまでは。
「エラン、パン屋になったんだなあ」
 がんばったんだなあ。
 マグナがしみじみつぶやくと、彼は照れたような笑みを浮かべて頭を掻いた。
「いや、まあ。俺の努力だけじゃこう早くまっとうな仕事には就けなかっただろうけどな。今じゃあの薄汚い街もきれーに整備されてるんだぜ? ちっさいけどちゃんと家もあるし、嫁さんももらった。働いた分だけちゃんと報われるって、いいよな。召喚師さまさまだよ本当に」
 ぎくりと心臓がはねて、二人は顔を強ばらせた。
「……召喚師?」
「あ、知らなかった? ここの領主様ってさ、召喚師なんだよ」
 そうしてエランは、彼が知りうるかぎりのこと話してくれた。
 十数年前、この街の北東部――ちょうど当時の貧民街と一般住宅街の境目にあたる場所で、大規模な爆発が起きた。聞くところによると、それはとある召喚師の一派が起こしたテロ活動の一環だったらしい。多くの死人やけが人を出したその事件は、やはり同じ召喚師の組織によって犯人逮捕から後処理まで一連の手続きがなされた。その際やってきた監査官が事件の爪あとのみならず街の荒れ具合にも心を痛め、新たな領主として名乗りをあげたというのだ。
 彼の指導のもと街は整備され、孤児や浮浪者には職業訓練の機会が与えられ――住民の生活環境も治安状況も、飛躍的に向上した。
 いいことずくめの十数年間、我も続けと近隣領主があいついで視察に訪れた時期もあったらしい。
「まあ、そういうわけでさ。死んじまった連中のこと思い出したら複雑なんだけど……もっともっといい街にして、あの世で胸張って会えるようにしとかないとなって、みんなそう言ってがんばってるよ」
「……そう、なんだ」
「うん」
 マグナは長い息をついた。エランが怪訝そうにみつめてきたけれど、笑いかける余裕はなかった。
 なんとか気を取り直して今度は自分たちの境遇を伝える。悪魔王との戦いのことは端折ったが、二人がこの街の領主と同じ職業である召喚師になっていたことは、おおいに彼の驚きを誘ったらしかった。
 とりあえずお互い息災なのだということを確認しあって――彼が焼いたのだというほかほかのパンをご馳走になって。いつかまた会いにくると約束して別れた。
 別れ際は、きっとうまく笑えていた。確かに"今は"とても幸せだから。これから先のことを考えても、楽しいこと嬉しいことしか思い浮かばなくて、だから大丈夫なのだろうと思う。
 ただ、こころの奥底に深く強く焼きついた恐怖だけは忘れることができないのだけれど。
「……そろそろ行こっか。あたし、なんか今無性にネスとアメルの顔が見たい」
 おみやげにもらったパンの袋を抱えて、トリスがぽつんとつぶやく。
「ん。……俺も」
 陽はすでに傾き始めていた。そのことに気づいて、少しだけ歩を速める。
 この痛みを理解できるのは、ここにいる二人だけ。実際にあの場にいてすべてを見ていたマグナとトリスだけ。
 それでも、顔が見たかった。








「そういえば、ちょっと不思議だったんだけど」
 のほほんと人の流れを眺めていたアメルが突然言葉を発したので、やはり同じように街の景色を眺めていたネスティは、顔を動かさずに視線だけを彼女のほうに向けた。
「うん?」
「あのふたり、どうして急に蒼の派閥に連れていかれたりしたんですか?」
 聖王国における召喚師といえば、ほぼ例外なく貴族の代名詞でもある。まれに一般市民の中から素質のあるものが見出され、訓練を受けて家名を賜る――それでも派閥内では成り上がりよと蔑まれることが多いのだけれど――こともあるが、多くは市井の中に埋もれてそのまま一生を終えてしまうのが常だ。
 聖王都の中であるならば、または百歩ゆずって王都に近い街であるならば、そういった子どもがいるとの噂が届くこともあるのかもしれない。けれど、この街は北の果て。土地もあまり豊かではなく、それこそ十数年前までは統治もごくおざなりだったというのに。
 罪を犯したクレスメントの末裔として、存在さえ知られれば確かに派閥に縛りつけなければならない対象となるのだろうが、二人が見出されたそのきっかけがわからない。そもそも日々を生きるに精一杯な孤児たちが、どうやって召喚術の才能など示してみせるというのだろうか。
 当然の疑問は、けれど彼らの兄弟子の沈黙でもって受け止められた。
「……ネスティ?」
「……ああ。ああ、すまない。そうだな、それに関しては……僕も詳しく聞いたわけじゃないんだ。知っていても、僕の口から言うべきことじゃないと思う」
 曖昧な物言いだが、動揺は感じられなかった。いつかは訊かれることだと、彼も予測していたのかもしれない。けれど応え自体は以前から用意していたものではなく、考え考え言ったものなのだろう。口達者なネスティにしては珍しく、とつとつとした語り口だった。彼の横顔は、何かを思案しているかのようにうつむいたままだ。
 かつん。
 皮のブーツが石畳を打つ音に、アメルはふと我に返った。
「お待たせー」
「おまたせー」
 そっくり同じ色彩の、髪も瞳も夕陽に染まった二人が痛いような微笑を浮かべて立っていた。








 笑っているのに、見ていると胸が痛くなる。けれどずばり尋ねるのもためらわれて、アメルは先をゆく三人から数歩離れてついていった。
 ネスティはすでにいつもどおり。毒舌を振りまきながら、それでも二人の真ん中で、変わらぬ兄弟子ぶりを発揮している。
 はたから見れば、一番おかしいのは自分なのだろう。仲の良い三人の輪の中に入っていけず、悩む少女の姿に映るのかもしれない。実際にはたえず意識がこちらに向けられていて、ときおり気遣わしげな視線が送られてくるのにも気づいているのだけれど。
 あたしなんかよりあなたたちのほうが、よっぽど様子がおかしいんじゃないのと、きり返してやりたいのだけれど。
 景色など目に入っていなかった。だから、いつ宿に入り、部屋に入ったのかもわからなかった。
 そうして。
「……マグナ? どうしたの?」
 ふんわりと、あたたかいものに包まれてからどれだけの時間がたったのかは知らない。気が付いたら周りはざわめきではなく木の壁に変わっていて、静けさがその場を支配していた。並んで歩いていたはずのトリスとネスティの姿も見えない。唯一この場にいるのは自分と、そして背後から抱きしめてくる腕の持ち主だけだった。
 顔が見えなくても息遣いでわかる。彼は、間違いなくマグナだ。力は強すぎず弱すぎず、そのわりには抱きしめるというよりもすがりつかれているような錯覚を覚えて身じろぎする。
「マグナ……」
「ネスとトリスに頼んで、俺たち同室にしてもらった」
「え」
 無理やり振り返ろうとした拍子に吐息が首にかかる。その熱さを感じた途端、心臓が騒ぎ出した。全身を血が駆け巡る。腕の力強さが急に気になって、アメルは耳まで真っ赤になった。
「え、と、その。あの」
「アメル?」
 突然身体を縮こませたのが伝わったのだろう。マグナはいぶかしげに彼女の顔をのぞきこみ――負けないくらいに頬を染めた。
「あ、いや、そういう意味じゃなくて! や、俺としてはそれでもいいんだけど…………ってああもう、何言ってんだか」
 あたふたと離れて、それでもまだ足りずに部屋の端による。しばらく壁に向かって深呼吸して、振り向いた彼はひどく緊張した顔をしていた。
「聞いてほしいんだ。昔、この街で、なにがあったのか。俺たちが、なにをしたのか」
 こくりと鳴った喉は、彼だったのかそれとも自分がたてた音だったのか。
 寝台に並んで腰掛けて、そうして、長い夜が始まった。








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(2004.05.18)