アイメンな街の人々@〜食材市場は恋愛相談所〜





「もうぉ! キールなんて知らないな!」
「勝手にしろ!」
 図書館の中に二つの怒声が響いた。続けて遠慮のない凄まじい音を立てて、その扉が開かれる。そこを飛び出してきたのは薄紫の髪を二つに結った可愛らしい少女だった。彼女は一度だけ、出てきた空間を髪と同色の瞳を細めてみたが、すぐさま首を振り図書館を背に走り出した。


「もう! キールの研究バカ! もう知らないな」
 ぶつぶつとそんなことを呟きながら歩くのは少女――メルディだ。このアイメンの街で彼女を知らぬものなどいない。いつも楽しげで分け与えるかのように笑顔を振りまくメルディは街の人気者だ。だが、今の彼女を見て気楽そうに話しかけられるものはいないだろう。今日が街に二ヶ月の一度の大きな市が立つ。町中がお祭り騒ぎな日であろうとも。そう、とてつもなく彼女は不機嫌であった。
 原因は恋人のキールだ。というか、メルディが不機嫌になることなど彼が原因でなかったことはないのだが。
「もう、せっかく二人で色々見ようって言っていたのに、約束してたのに……なのにキールのバカぁ」
 外出ついでに図書館に本を返したいと図書館に寄ったのが間違いだった。ちょうどこの日にキールが頼んでいたいくつかの本が入るなんて間が悪かったとしか言いようがない。キールは少しだけ気になるところだけだと言いながら、嬉々として本を開いた。こうなったらキールはなかなか動こうとはしない。どんどんのめり込んでいく。
 市にいこうと何度か促したが、なかなか聞きに入れないのでつい大声を出してしまった。それをキールに静かにするように言われ、かっとなって怒鳴ってしまい、後はもう売り言葉に買い言葉だ。メルディは図書館を飛び出していた。
「せっかく……キールと……。もういいな。メルディとクィッキーとで回るから!」
「クイッキー」
 その隣を青い毛玉が跳びはねるようにして付いてきている。
 市場通りに入るといつも以上の人にメルディは感嘆の声を上げた。
「すごい人だな! クィッキー」
 グランドフォールから早数年、復興当初は住民はキールを入れてたったの4人だった。シルエシカや以前の住民の繋がりから街へやって来た人々と協力してだんだんと街は以前の賑わいを取り戻してきた。みんなと頑張った結果が今ここにあるのだ。そう思うと少し気分が浮上した。
 クィッキーを肩の上にあげ、ゆっくりと人混みの流れにそい歩く。
「ワイール! かわいいなぁ!」
 色取りのリボンが目に入り露店の前で立ち止まる。
 青や赤、チェックや刺繍の入ったモノまである。色鮮やかなそれらの中でメルディは一本のリボンに目を留める。薄いピンク色をしたレース地のリボン。
 無意識に自分の髪に手を這わす。
「なんだ、嬢ちゃん。それが気に入ったのかい? ……って、なんだ同じのしてるじゃねーか。どうせならこっちの青いやつなんかどうだ?」
 と店主がリボンを差し出してみせるが、メルディはほとんど聞いていなかった。
 今しているのはキールがプレゼントしてくれたモノだ。まだ、復興途中訪れた行商人から買ってくれた。縁にされたレースの可愛いメルディの一番のお気に入りだ。

「これ、キールが欲しがってた本だ」
 もう絶版になっていてなかなか手に入らないとぼやいていた。

「地晶霊の結晶石な」
 いつだったか、キールが図鑑を見ながら教えてくれた。

「そういえば、インクもなくなる言ってたな。紙も……」
 真っ白な紙に書き出される伸びやかな文字、青いインク、床に転がるくしゃくしゃに丸まった紙に、白い紙の上に広がる深い蒼い色の髪、子供みたいな寝顔。

「メルディ!」
「おばちゃん」
 通り過ぎようとしていた露店から馴染みの食材屋の女将に声を掛けられ、メルディは笑顔で返事をかえす。それは少し寂しげなものに見えた。が、メルディ自身は気付かない。
「今日は卵買ってかないのかい?」
「へっ? なんで?」
「? いつもいっぱい買っていくじゃないか。二人暮らしだって言うのに三、四人分」
 言われて気づく。キールの好きな料理はよく卵を使うのでいつも多めに買っているのだ。カルボナーラ、オムライス、ふわふわケーキ……。
 どこを見ても楽しくない。何を見てもキールを思い出さずにはいられない。
「キール……」
 メルディがしょんぼりとしていると、女将はその様子で察したのか一度大きくため息を付くと、メルディに向かって卵を一抱え差し出した。
「持ってきな。お代はいいから」
「えっ? でも!?」
 驚くメルディに女将は少しばかり意地悪な表情を彼女にむけた。
「ケンカしたんだろう。キールと!」
「……はいな」
「だったら、これであの子の好物でも作っておあげ。そうすれば、男なんてイチコロよ♪」
「ん、でも……」
 なんだか自分が折れるのは一緒にいないことがこんなにも寂しいと分かった今でも少し癪だ。渋るメルディに女将はカラカラと笑って見せた。
「自分から謝るんじゃないよ。黙って食べさせればいいの! そうすりゃあっちから折れるさ! 男ってのは単純だからねぇ」
 その明るい声にメルディもつられたように微笑んで頷く。
「はいな! ありがとな、おばちゃん!!」
 卵をしっかりと受け取り、メルディは来た道を引き返す。

「やれやれ。若いってのはいいねぇ」
 遠ざかっていく少女の後ろ姿を見ながら隣の魚屋の店主が顔を出す。
「あー、俺もあんな可愛い恋人が欲しいぜ」
「あんたじゃ絶対無理ね」
「お前じゃ無理だ」
 魚屋の息子に痛烈の一撃を父親の店主と果物屋の娘が加える。
「そうだとしたら、あんたの息子だからだろ」
 その言葉に反応を示したのは父親ではなく娘の方だった。
「自分の甲斐性なし棚に上げるんじゃないわよ」
「うっせぇ! じゃじゃ馬!」
「なんですって!?」
 次の瞬間。銅鑼が鳴るような大きな音がその場に響いた。
「ヌウワティイディヤ!」
 フライパンを担いだ少女がVサインをするが、
「おーい、これくれ!」
「はーい」
 客の声に果物屋の娘は何事もなかったように店へ戻っていった。
「ホント! 男は単純だね」
「ほんとにな」
 しみじみとうなずく食材屋の女将と魚屋の店主であった。








アイメンな街の人々A〜学士の憂鬱と女性司書の館内日誌〜





「たくっ、メルディのやつ。あんなに怒らなくてもいいじゃないか。後ちょっとのつもりだったのに」
 静寂に包まれた図書館の中、本を開いてぶつぶつ呟いているのは、ダークブルーの髪をした青年――キールだ。
 しかしその目は文を追うものの、内容はまったく頭の中に入ってこない。脳裏に浮かぶのは一人の少女のことばかりだ。
「キールの研究バカ! メルディの事なんてどうでもよいな!」
 そういったときの泣きそうな顔がちらつく。
「あーもう!」
 キールは本を勢いよく閉じる。同時にぱんっ! と空気のはじけた音が静まりかえった図書館内に響いた。だが、今周りにいるのは司書だけだ。その司書もちらりと視線を向けただけで何も言わない。先程の遣り取りも見ていただろうに、いつもならすぐさま、からかい混じりで寄ってくるのに今日に限って何も言わない。それがまたキールの気持ちを波立たせた。
 いらいらとしながら、本棚に本を戻す。その時、ふとした本の背表紙が目に入った。赤い革張りのそれに無意識に手を伸ばしている。
 ぱらっと音を立てて開く。懐かしさに気づき青紫の目を細めた。それはアイメンにやってきた初めての夜、開いた本の一冊だった。
 メルディが読み上げた本だった。
「これはなー、氷晶霊と地晶霊の――……」
 読み進めるたびに耳にメルディの声が甦る。自分がセレスティアの事に興味を示したことがよほど嬉しかったのだろう。はしゃいだ様子で自分の知っている限りのことを伝えようと身振り手振りで話していた。旅の疲れを押し隠し、笑顔で答えてくれた。最後のほうは時折船を漕ぎながら、それでも一生懸命で。
「メルディ……」
 其処ここを見れば、そんな本ばかりだ。メルニクス語が不慣れな自分にいつも手を貸してくれたのは、ほかでもないメルディだ。
 あの時。
「キールの研究バカ! メルディの事なんてどうでもよいな!」
 そういったメルディをキールが見返すと、途端に泣きそうになっていった。あの時自分はどんな表情をしていたのだろう。メルディの言葉と顔に気を取られよく覚えていない。分かっているのは――。
「ばかだな。あいつは自分で言ったことに傷ついてどうするんだ?」
 キールにとって研究は呼吸をすることと同じくらい自然なものだ。メルディも同じだ。もう彼女なしの生活なんて考えられないし、考えたくもない。どちらも捨てることの出来ない大事な物なのだ。比べることさえばかばかしい。メルディもそれは分かっているのだろう。それでも時々言葉を欲しがる。何よりも自分を好いているという言葉。その気持ちはキールとて分かっている。いや、それが自然で当たり前のことなのだ。だが、どうにも羞恥心や照れ臭さが先だってメルディに伝えられることは少ない。
「本当に馬鹿なのは僕か。いつも肝心なことを忘れてしまう」
「本当にねぇ」
 突然背後から聞こえた声にキールはぎくりとする。
「あんなに可愛い奥さん泣かせてしばらく出入り禁止にしようかしら?」
「な!? そんなって、って言うか、奥さんって……」
 キール少々混乱しながらその反論を言い終える前に自分の言葉に何やら、かぁと顔を赤くした。
「今更なに照れてんのよ」
 呆れ半分からかい半分と言ったところだろうか。後ろに立っていたのは先程までカウンターに座っていた司書だ。彼女は微かな微笑を浮かべてキールを見返している。
「う、うるさい! 僕らまだそんなんじゃ」
「ないって?」
 にっこりと笑顔で聞き返されキールはぐっと言葉を詰まらせた。「ない」そう言おうと思ったが、他人から言われたその言葉を否定するのは躊躇われた。今、彼女への思いを再確認したところでは尚更だ。
「大事なことが分かったんならさっさと行って来なさいよ。それともほんとに出入り禁止にして欲しい?」
「……まさか」
 悪戯っぽく微笑む司書にキールは敵わない思いで持っていた本を微かな微笑と共に渡し図書館を後にした。

「本当っ!素直じゃないって言うか、素直すぎると言うか。面白いわねぇ、あの二人。ほんとに飽きないわ」
「お前ね……。いい加減からかうなよ」
 司書は山ほど本を抱えている自分の連れ合いに持っている本を抱える本のその上に更にのっけてやりながら悪戯っぽく片目をつぶってみせる。
「だって心配だし」
「楽しいの間違いじゃないのか?」
「そうとも言うわねー!」
「はぁ、女ッてのは……」
「さぁってと! 今日の日付は――……」
 楽しげに机に向かった司書に彼は再び深いため息をついて、本を抱えて歩き出した。








アイメンな街の人々B〜彼の呼び名と良き(?)隣人〜





「メルディ?」
 家の中に駆け込むようにして呼びかける。しかしその返事はない。図書館から一目散に帰ってきたキールは息を整えながら、居間の中をゆっくりと見回した。物の配置は家を出た時のままだ。まったく変わっていない。玄関にも靴はキールが今脱ぎ散らした一対しかなかった。
「まだ、帰ってないのか」
 思わずうつむき溜息をもらす。だが、そのうつむけた視線の隅に一枚の紙が引っかかった。
 太い赤い文字が踊るような書体で書かれている、市のチラシだ。メルディがこれを手に何度も楽しそうに話していた。どこの店に行きたいとか、どんな物が見たいとか。
(もしかして、市にいったのか)
 彼女はこの日をとても楽しみにしていた。このところ研究続きであまり構ってやれなかったので尚更だった。
「行ってみるか」
 しばらくすれば帰ってくるだろう。その間はいつも通り本でも読んでいればいいのに、昔の自分なら迷わずそうしただろうに、なのに。いつの間にこんなにも変わってしまったのか。じっとしていることが今はひどく辛い。メルディに逢いたくてたまらない。そんな気持ちがどんどん膨らんでいる。キールは再び家を後にした。

 市場通りを小走りで、人の合間をすり抜けながら、メルディの人影を見逃さないように忙しなく視野を見渡す。しかしながらしばらくすると、目的とは別の前方にぴょこぴょこ飛び跳ねるようにしてこちらへ歩いてくる人影を見つけた。
「あれは……」
「あー! メルディの王子様ー!!」
「!!」
 キールは子供の甲高い呼び声に思わず顔を引きつらせる。
(ポンズ〜っ!)
 思いのほか響いたその声にその場にいた人々がこちらを振り返るのを見る。キールは引きつった表情を上気させながらも、無邪気な小さな友人に駆け寄った。
「ポンズ! その呼び方はよせと言っただろう」
「何で〜? 王子様は王子様だよ」
 キールは何度言っても止めようとしないポンズに大きく溜息をつく。
「もういい。それよりお前メルディ見てないか?」
「見てないよ」
 あっさりと首を振ったポンズにキールは落胆した様子で頷いた。
「どうしたの? メルディとはぐれて迷子なの王子様?」
「そんなんじゃない」
 とは言ったものの心の中ではそんなものかもしれないと思う。この頼りない寂しさ。昔、リッド達と遊びに行った森の中ではぐれて泣き出したことを思い出した。あの時はリッドとファラが泣き声を聞きつけて、迎えに来たのだ。ファラは僕の手を引いて、リッドは手をつなぐことを恥ずかしがって先を歩いていたがその実、僕たちが歩きやすいように生い茂る草をかき分けてくれていたのだ。そんなことを思い出していると不意に手を引かれた。
「んっ?」
「僕が一緒に探してあげる♪」
「えっ!? って、ちょっと待て!」
 早速キールの手を強引に引くポンズ。さすがに子供に力が敵わないわけではないのだが、素早く走りだすさまにキールは強く引くと転けさせるのではないかと、腰をかがめて走る、何とも不安定なはめに陥った。子供に手を取られ、たどたどしい歩調で歩くその様子はまるっきり休日に家族サービスに駆り出されるお父さんである。その微笑ましい光景に道行く人々の笑い声が後から聞こえてくる。
 そうしてキールがポンズに連れて行かれた場所は見慣れた人物が露店を開いていた。
「おう! キール! ポンズ!」
「サグラ」
 キールは足をよろけさせながらもポンズに合わせて何とか静止する。
「どうしたんだ? 二人とも」
「どうしたって、そっちこそどうしたんだ。露店なんかだして?」
 サグラはここアイメンで武器工房を開いており、以前からの住人の一人だ。立派な工房の主である彼が何故こんなところで露店など出しているのか。
「なぁにこういう大きな市の日に店に閉じこもってんのもな、つまらんからな。息抜きでさぁ」
 そういうものかと広げられた麻の布地の上にいつかの並んだ商品の上に目を向けるが、キールはどこか怪訝な表情になる。
「まあちょっとした日常の家庭用品なんだがね」
「……家庭用品なのか?」
 包丁、小型のナイフはいいとしてその横に並べられた物と言えば子供用の小型晶霊銃、晶霊爆弾、ごっつい鉈、大型晶霊銃である。これで家庭用品と言われ、セレスティアは実力主義の世界だからなとキールは改めて異文化との接触に驚き納得する、が。
「ていうか、やな日常品だな」
 サグラに聞こえないように口の中でつぶやいた。そこでキールは一度周りを見渡してからサグラに訊ねた。
「メルディ?いや、あっしは見とりませんが」
「そうか」
「王子さま、メルディとはぐれて迷子なのー!」
 ポンズの言葉にサグラは目を瞬き、キールを見る。
「いや、そういうわけじゃ」
 否定するも沈んだキールの様子にサグラがややあって頷いてみせる。
「ケンカでもしたんですかい?」
「まあ、そういうことだ……」
 と、その経緯を簡単に話す。
「はぁぁ、そりゃー」
「「「キールが悪い」」わね」
 と顎髭を撫でながらいったサグラの言葉にもう二つの声が重ねられた。
 驚いて振り向くキールの背後に立っていたのは麦藁色の髪をしたすらりとした背の高い女性とその連れ合いである銀髪の青年だった。もちろんセレスティアンで褐色の肌に額にはエラーラがついている。
「セレナ! ジード!」
 セレナと呼ばれた女性はキールのことを気にした様子も見せず、にっこり笑って遠慮のない調子で喋りだした。
「ばかねぇ! メルディが怒って当然よ!」
「ほんと! 不器用だなお前。人前では」
 その連れ合いも容赦がない。
「メルディ、かわいそー」
「悪かったと思ってる。だからこうして探しているんだろ」
 彼らはキール達の隣人であり交流の深い仲である。それでなくても気の強い所のあるセレナは容赦がない。ズケズケとものを言う。それに最もらしく頷くジードとポンズに、キールは苦虫を噛みつぶしたような表情になるが、その表情は彼女の次のセリフに更に歪んだものとなる。
「甘いわね」
「え?」
「ただ謝って、それで許して貰えると思ってんの?」
「それ以外どうしろって言うんだ?」
 メルディはとても素直だ。キールがきちんと謝りさえすれば彼女はこだわりをなくして許してくれるだろう。セレナの言いたいことはなんとなく分かっているがあえて気づかない振りをする。ちらりと横に目をやると彼女の夫はサグラを露店の商品を眺めているがその額には汗が一筋垂れている。
「うーん。やっぱり仲直りにはプレゼントよね!」
 セレナは考えるような素振りを見せた後、笑顔で手を打った。
「「「…………」」」
 男三人が思わず顔を見合わせる周りでポンズがぴょんぴょん飛び跳ねている。
「プレゼントープレゼントー」
「ちょっと待て! プレゼントって……」
「何よ? 物があった方が仲直りしやすいでしょ」
「いや、まあそうだが」
「じゃあいいじゃない」
 あっさりとした彼女の返答に苦悩するキールの肩を彼女の夫が触れ、あきらめにも似た表情で首を振った。

「プレゼントか……やっぱり本とか」
「却下」「いや、それは」「やめとけ」「だめー」
 即座にそれぞれの言葉で反対されキールが苦い表情になる。それを見てセレナが分かってないわねとキールの前で指を振る。
「基本はメルディの喜びそうな物でしょ。恋人になんで本なのよ」
「あいつはけっこう喜んでいたが……」
「そりゃメルディならあんたがくれた物なら道ばたの石ころでも喜びそうですがね」
「冗談だ。やっぱりアクセサリーとか……」
 考え込みはじめたキールだったが、
「洋服っていうのはのもありよ、若旦那?」
 突然に言葉と共に薄い桃色の生地に視線と言葉を遮られた。
「あら? マリオット」
 キールが目の前の布地を払いのけるかのようにすると、目の前にはダークブラウンの髪に瞳。その手に持った生地をひらひらさせてみせるその人物はセレスティアでは少し珍しい鮮やかな色の洋服を纏った14歳ほどの少女だった。だが、それよりも目立つのはその白い肌だ。額にエラーラもない。彼女は未だ交流の始まったばかりのインフェリアからやって来た数少ないインフェリアンだった。
「そういえば露店出すっていってたわね。近くなの?」
「三軒ほど先でね。なんだか賑やかだと思ったら思った通りね」
 と後ろに見える、生地や洋服が置かれている店を指さした。さして広くもない露店がほとんど隙間もなく立てられているのだ、身を乗り出すほどでもなくすぐに見える。彼女はお針子だ。王都インフェリアで手芸の仕事をしていたのだが、セレスティアの軽い生地素材や服飾に興味を持ち、勉強に来ているのだ。
 セレスティア人の偏見に囚われない。本質を見抜く力を持っているので彼女も今ではアイメンの街にすっかりとけ込んでいる。特にメルディやセレナとは仲がいい。にこにことキール達を見回す。
「あれ? 若旦那、奥さんどうしたの?」
 いつも一緒なのにと言われキールが耳まで赤く染める。
「その呼び方やめろー!」
 新たに増えた呼び名にキールの声が市場に響いた。








アイメンな街の人々C〜彼の美味しい調理法〜





 時は少しばかり遡り――そうキールと彼らが出会うほんの少し前――。
「ありがとう。急に来てすまなかったわね」
 かちりと音を立てて開いた診療所のドアから品のいい老婆が出てきてゆっくりと頭を下げる。
「やあね。気にしないでよ。」
「こんなのはたいてい急に来るもんだからな」
 さんさんと降り注ぐ日の光に赤紫と青い目を目を細めながら笑いのはセレスティア人の男女だ。
「医者なんて暇が一番だけど。そうでなくてもいつでも来てね」
「茶ぐらい出すぜ」
「ありがとうよ」
 二人は最後の患者である老婆を快く送り出し、それぞれに体を動かしほぐす。
「っあー! 腹へったー!」
「そうね。今日は大きな市が出てることだし、夕飯の買い物がてら、露店で何か食べる?」
「そうだな。キールも何かさっき出て行ってたし、もしかしたら会えるかもー……って何じゃありゃ?」
 ふと向けた視線の先には隣の家との間にある植木の合間からそろそろと移動をする薄紫の色彩と飛び跳ねるように動く青い毛玉が見え隠れしている。二人は顔を見合わせて同時につぶやいた。
「「メルディ?」」
 
 
「クキィ……」
「しーぃ! クイッキー静かにしなくちゃダメな」
 力のない鳴き声を出す小さな友人にメルディは人差し指で口を押さえると、キョロキョロとを辺りを見回す。
「大丈夫な。誰にも見つかってないな」
 そういってほっと一息ついた。しかし次の瞬間頭上から振ってきた声に驚きの声を上げた。
「残念だけど、見つかってるわ」
「バイバ!!」
 驚き思わず、悲鳴じみた声を上げてしまいハッとして慌てて口を両手でふさいだ。そっと上を見上げると、植木の上から覗き込んで知る見慣れた人物がいた。
「ジード、セレナ」
 隣で診療所を営む若い医者夫婦であり、キールとメルディの良き隣人だ。
「二人とも何してるか?」
「それはこっちのセリフ。隠れんぼか?」
 自分の庭の端をよつんばで移動するその姿はかなり不審なものがある。小動物がいる辺り、母親にペットを飼うのに反対されてでも諦めきれずにこっそり飼おうとする子供のようだ。
 メルディは少し頬を膨らませてそれでも辺りをうかがうように小さな声で言う。
「違うな。もうメルディ子供じゃない」
「うん。それで何してるの?」
 セレナの言葉にメルディは少し眉を寄せた。何やら苦悩した様子を見せる。
「ん〜! それは海よりも深いわけがあるな」
「ふ〜ん。俺はまたてっきりキールとケンカでもしたのかと」
「……ジードなぜ知ってるか?」
 メルディは目をまん丸くしてこともなく言い当てたジードを見る。ジードは内心またかと苦笑しながら、セレナと顔を見合わせた。
「さっきキールが帰ってきたと思ったらすぐ飛び出していったからな」
「キールいないか」
 メルディはほっとしたようにそれでもどこか寂しそうに息をつく。今からやろうとすることを考えればキールがいない方が都合がいいのだが、すれ違いに寂しさ半分といったところか。
「それで?」
 セレナはにっこり笑ってメルディに先をうながした。

「なるほどね」
「それでキールに見つからないように勝手口から入っておいしい愛妻料理をねぇ」
「はいな! キールが好きな物をメルディ心込めて作るな!そしたらきっとキールと仲直りできるな」
 花が綻ぶような笑顔で彼女はそんなことを言う。呆れたような思いを抱えながらも二人はつられて微笑んでいた。
(まったく、自分がどんな顔してんのか自覚してないわね。そんな嬉しそうな笑顔でそんなこと言われたら、どんなにおいしい料理だって、どんなにかたくなな男の心だって敵わないでしょうよ)
(特にキールはな!)
 メルディに聞こえないくらい小声で囁き合い、二人は先程のキールの様子を思い出す。ちらりと見えた程度だったが、あの表情を見れば彼が何か思い詰めていたのは分かった。今頃は死ぬほど後悔して、彼女を捜している頃だろう、あの照れ屋のインフェリアンは。だが、そんなことはメルディには言わないでおく。
 セレナは何かを思いついたのか。メルディにそこで少し待っているように伝えると、開けっ放しにしていたドアから家の中に入っていく。

「クィッキー」
 セレナが手のひらに広げて見せた黄色い粉にクィッキーがふんふんと鼻を鳴らす。メルディも覗き込んでみせるとセレナの顔を見上げる。
「これ……チーズか?」
 微かに薫るそれにメルディが首を小さく傾げて訊ねるとセレナがにっこり笑って言う。
「正解。メルディの方が詳しいと思うけどインフェリアの香辛料よ」
 メルディは確かにインフェリアにも行ったことだけにインフェリの食材や料理に詳しかった。特にキールがインフェリアンであるのでよくインフェリア料理は必ず一品は食卓に並ぶ。旅の間にファラがたまに料理に使っていたが、メルディ自身がこれを使ったことはなかった。
 ジードは妻の意図に気づいたのか、なるほどなと一人頷いている。
 セレナは袋の口を閉じて縛るとはいとばかりにメルディの前に差し出してみせる。
「それを料理の仕上げに使うととっても美味しいのよ」
「特に卵料理とは相性がいいだぜ」
 メルディは二人の心遣いに笑顔で答えた。
「ありがとな! セレナ、ジード! メルディ頑張るよ!」
 メルディはチーズの袋を加えてしっかりと腕に抱えたモノを大事に抱きしめた。
「ふふっ! 頑張ってね。メルディがしっかり料理できるようにその間、キールは私達が引き留めておくから♪」
 弾むような足取りで家に入っていくメルディとその後をついて走るクィッキーに手を振り、セレナはジードを振り返った。
「さて、行きましょうか。旦那様?」
「キールをからかいにか?」
 少しばかりキールを気の毒に思いながらジードは頷いた。
「あら、失礼ね。女の友情じゃない」
「そうだな。まあいいや。腹もへったし」
 二人は早速支度をして市へ歩き出す。


「あら、これかわいいわねー」
「でしょでしょ。やっぱりにはメルディにはふんわりしたやつがいいと思うのよ。あ、でもいつもと色を変えてこの青いワンピースとかもいいかも。ねえ、若旦那どう思う?」
「若旦那って呼ぶな!」
「王子様」
「それもやめろ!」
「「細かい男ねー」」
「……疲れる」
「落ち着けよキール」
 その漫才のようなやり取りを見ていたジードが苦笑しつつ慰める。横目でちらりと近くにあった時計に目をやりジードは時間の確認をする。メルディとの約束の時間まで後30分。どうやらうまくいきそうだなと、心でほそくむ。ただし表情にはみじんにも出さないが。
「何とかしてくれ、お前の連れあいだろが」
「無茶言うな」
 一言で断る。うんざりとした様子でため息をつくキールにジードが少し首を傾げる。
「けど、本当にお前こだわるよな。名前くらいどう呼ばれても良いだろう?」
 別に何がどう変わるわけでもあるまい。と言われキールは躊躇いがちにうなずいてみせた。
「それはそうだが、お前ならどうなんだ? 若旦那とか王子様とか呼ばれてうれしいのか?」
「そうだな……王子様も悪くないけど、やっぱりダーリンハニーは基本だろう」
 真顔でジードに告げられキールは顔を引きつらせ呻いた。
「お前に聞いた僕が馬鹿だった」
「冗談だって」
 うそつけ。キールは思いっきり疑った視線をジードに向ける。
「ダーリンハニーって何?」
 無垢な笑顔で尋ねてきたボンズにキールが引きつった表情で固まる。
「知らなくていい。知らなくて」
 これ以上妙な呼び名で呼ばれたら憤死するのではないだろうかとキールはため息をつくが。
「それはなー」
 嬉々として説明に乗り出すジードにキールはぐったりと息をついた。
 
 約束まで後26分。それまでキールは耐えられるのだろうか?








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