蝉の鳴き声が、うるさいくらいに耳を打つ。
 燃え立つ翠はまぶしいくらいで、命の輝きをあたり中に撒き散らしている。
 夏は、命の輝く季節。
 夕闇が迫るまでは息もつけないほどのにぎやかさ。




夏至祭(前)





「おおーい、まだかぁ?」
 真夏のある日、そろそろ日が暮れ始めて涼しくなってくるころ。
 彼らは王都近くのちいさな村にいた。
「ごめーん、もうちょっと待ってー」
 宿の廊下をうろうろと歩きながら発されたリッドの言葉に、彼の目の前の扉の中から幼なじみの声が返事をする。
 しばらくぶりに王都で再会した四人は、この小さな村で今夜祭が行われることを聞いてここまで足を伸ばしてきた。情報源は宿の主人――そして、それを聞いて目を輝かせた少女が二人――まあ、いつものパターンというやつだ。
 かたや元気いっぱい、強気の笑顔。かたや瞳を潤ませながらのおねだり攻撃。とにかくそれぞれが想いを寄せる少女たちにめっぽう弱い彼らが首を横に振ることなどできるはずもなく――ほとんどなし崩しにここまでやってきたのだが。
 近隣の村や王都にまで音に聞こえるほどのこの村の夏至祭、道行く娘たちはみなあでやかに着飾って、さながら咲き誇る花のよう。やはりというかなんというか、ファラとメルディはきゃあきゃあはしゃぎながら鞄の中をかき回し、とっかえひっかえ衣装をあてているらしい。
 反対に、それほどこだわらない男性陣。リッドはいつもどおりの格好、キールはさすがに重ね着は暑いので薄手の長袖のTシャツといった格好だ。
「……暑い……」
 手で顔にぱたぱたと風を送りながら、キールはつぶやいた。
「先に外に出ていていいか? 建物の中は風がないから暑くてしょうがない」
 部屋には窓があるが、この宿、どうも廊下は風通しが悪い。リッドの額にもうっすら汗がにじんでいる。
「待って待って、支度できたよ!」
 ファラが扉から顔を覗かせてにっこりした。いつも無造作におろしている翡翠の髪を、脇の部分を顔の横に流して残りを後ろに何本もの色とりどりのリボンで編みこんでちいさくまとめている。着ているのは淡いエメラルドグリーンのワンピース。薄手の布でスカート部分はたっぷりとしており、彼女がくるりとターンしてみせると裾がふんわり広がった。
 ぽかんと口を開けて呆けているリッドにファラが口を尖らせる。
「なによー、気の利いた言葉ひとつもいえないの?」
 腰に手を当てて下から覗き込むも、反応はない。
「可愛いよ、似合ってる」
 平然と言い放ち、キールは薄く笑ってリッドを見やった。
 リッドは固まっている。
 まだ固まっている。
「リッド? どうかしたのか?」
 笑いを含んだキールの声に、彼ははっと硬直から立ち直った。にやにやと唇の端を持ち上げる幼なじみをあえて無視してファラの肩をばんばん叩く。
「んあ? ああ、え、と……いいんじゃねえ? たまには」
「えへへー、ありがと」
 心底嬉しそうな笑顔にまたも頭がぼうっとなりかけるが、リッドは首を振ってなんとかもちこたえた。
「そういやメルディは?」
「はいな〜。メルディもお支度カンリョーよ〜♪」
 ファラに向けた問いに別の声が答えた。
 ぴょこんと飛び出してきて、可愛らしく首をかしげる。こちらもファラと同じような薄手の、ごく淡い桃色のワンピース。ただし、袖はない。薄い紫色の髪はおろしてところどころを少しずつ編みこみ、そこにちいさな白い花をいくつも散らしている。
 今度は硬直するのはキールの番だった。
 固まったまま何もいわない彼にメルディがわずかに目を吊り上げる。
「……キール?」
「……」
「……ファラには可愛い言って、メルディには言ってくれないか。フコーヘイな!」
「あ、いやえっと……」
 頬を赤く染めてしどろもどろになるキール。リッドとファラは何も言わずにただ傍観者と化している。クィッキーまでもがおとなしく彼女の足元にたたずんでいる。
 ぐるぐると考えた後、彼はやっとのことで声を紡ぎだした。
「……夏だからって肩、出してたら……冷えるぞ」
 背後で二人の気配が変化した。笑っているのか呆れているのか……両方か。
 欲しかったのと違う言葉を受け取ってメルディは目を見開いたが、怒り出しもせず一瞬止まって――がばっとキールに抱きついた。
「うわぁ!」
「心配してくれるか? だーいじょーぶよぉ。メルディ恥ずかしいの好きな♪」
「それを言うなら『涼しい』だろうが! 暑い離れろ!」
 甘えるのがこのうえなく好きな彼女には、別にどんな言葉でもよかったらしい。単に抱きつくタイミングを狙っていただけか。
 夕闇が迫り、ちいさな村に響き始めた虫の音に、青年の裏返った絶叫がかすかに混じった。





 祭の楽しみといえばたくさんあるだろうが――それが人によって違うのは当然のことで、けれどとりあえず彼らは仲良く表通りを歩いていた。
 すでにリッドの意識は屋台の食べ物に釘付けである。暗くなった空を照らす色とりどりの灯りの下、じゅうじゅうと音を立てながら目の前で調理されていく数々の食材たち。風に乗って漂ってくるえもいわれぬ香りといい、ファラとキール曰く食欲魔人であるところの彼が我慢できるなどとは誰も思わない。「うまそうだなあ、うまそうだなあ」と繰り返しながらきょろきょろする彼に、ファラは苦笑してかぶりを振った。
「食べればいいじゃない。別にお金も持ってるんだし。さっきからうまそううまそうって繰り返すだけで何にも食べてないでしょ?」
「ふぇ? そなのか?」
 手をべたべたにしながらクィッキーと綿菓子を分け合っていたメルディは、意外なことを聞いたとばかりに目をまん丸にしてリッドを見やった。
 ちなみにファラは食パンにクリームとフルーツをはさんだサンドイッチを、キールはジュースのカップを持ってうろついている。けれどリッドは何も持っていなかった。
「メルディ、きっとたぶんリッドは食べるの早いから、メルディが見てないうちにもういっぱい食べたのかと思ってたよ〜」
 なあ? と振り返る彼女にキールがうなずく。
「右に同じく」
 実は彼はついでに、よく見てるなとも言ってやりたかったのだが、言った場合自分に降りかかってくる災難もまた容易に想像できたのでとりあえず黙っていた。
「って、おいメルディ! よそ見するな菓子を落とすな! ……ったく、ガキっぽいったらありゃしない」
 キールが柳眉を逆立ててメルディの手から綿菓子の棒を奪い取る。歩きながら飲み物を飲むという行為を自分がしているのだから、少しくらい行儀が悪くても注意できた立場ではないとわかってはいるのだが、さすがにぽろぽろ落としてしまうのは認められなかった。ついキツイ言い方をしてしまってからあっと思う。案の定、少女は過敏に反応して頬を膨らませた。
「メルディガキじゃないよー!」
 ちいさなこぶしを握りしめて振り回しながらキールの前に躍り出る。極力見ないようにと努めていた愛らしい姿を視界いっぱいに焼き付けてしまい、彼は耳まで真っ赤にしてそっぽを向いた。
「……が、ガキじゃなきゃなんだって言うんだよ!」
「メルディとキール、いっこしか違わない! メルディがガキならキールもそうよ!」
「ぼくのどこがガキだってんだよっ」
「そーゆートコよっ」
「ああーもう、はいはい落ち着く!」
 くっつきそうなほど顔を近づけて口喧嘩をはじめた二人に、ファラは呆れて声を張り上げた。ほうっておいても別段問題はない。そのうちメルディが泣きそうになって、慌ててキールが謝る――そういう構図で終わりはするのだが、なにせ今は祭の最中、そしてここは往来の真ん中である。近所迷惑どころではない。リッドと二人がかりで彼らを無理やり引き剥がして、ふうっと息をつく。
「……まったくもう。……これじゃあわたしたち保護者じゃない」
 これ見よがしにつぶやいてみせたファラに、キールとメルディは一瞬むっとしたように口を尖らせ、次には顔を見合わせて同時ににやりとした。
「リッドがおトーサンで、ファラがおカーサンだな♪」
「それでぼくがお兄さんでメルディが妹だ」
「っな!?」
 上ずった声をあげるファラを楽しげに眺める。彼女は二人の表情の中に小悪魔の微笑をみとめておもわず数歩あとずさった。
「違うのか? 保護者だって言ったじゃないか」
「そうよ〜。そうだ! おトーサンとおカーサンの邪魔しちゃいけないな! メルディはおニーサンとどっかいってこようかな!」
「そうだな。息子としてはやはり両親には仲良くして欲しいところだ。妹よ、どっか行くか?」
 どうやら協定を結んだらしい。
(なあぁんでこういうときだけ息が合うのよー!)
 ファラが真っ赤になりつつも心の中で絶叫していると、いつの間にやら姿が消えていたリッドが戻ってきた。手にはやたら大きな包みを抱えている。どうも、今まで何も手をつけなかったのは目移りしすぎてのことらしい。やっと何を食べるか決めたのか。
「んあ? どうした?」
 幸か不幸か先ほどの三人のやりとりを聞いていなかった彼の表情は平和そのものだ。目配せしあった二人の瞳に不穏なものを感じて、ファラは反射的に笑顔を浮かべた。
 ただし、引きつっている。
「な、なんでもないのよ? ね、キール、メルディ?」
「いやあ」
「なんでもなくないな〜」
 わざとらしく肩をすぼめて首を振る二人を訝しげに見てから、リッドはファラに視線を移した。
「……なんだ? 仲直りしたんならそれでいいだろ。んじゃ、行くか」
「そそそ、そうだよね!」
「……?」
 暑そうに頬を火照らせて手でぱたぱた顔を仰いでいる幼なじみを、彼は不思議な気持ちで眺めた。が、あえて詮索はせずに歩き出す。
(……覚えてなさいよお!)
 にやにやしながらときおりこちらを振り返るキールとメルディの後姿を見て、ファラは気づかれないように両手を握りしめた。





 食べ物の屋台が立ち並んでいた場所を抜けると、今度はくじびきやら射的やら、いかにも子供の喜びそうなおもちゃばかりを集めた屋台の群れに入った。
 ファラとメルディが同時に歓声をあげて屋台のひとつに向かう。ふたつの華奢な背中を見送って、キールは肩をすくめた。
「……何かみつけたかな? 高いものおねだりされなきゃいいけど……」
 逆らえないことがわかっているだけに切実である。もっとも、その心配は無用のようにも思えたが。ここらあたりの屋台は明らかに子供向け。高価なものが置いてあるようには見えない。
「ああ、見失う。リッド、行くぞ……リッド?」
 声をかけても振り返らない赤毛の頭は、明らかに先ほどたどってきた道筋の方を向いていた。つまり、食べ物の。
(……食欲魔人……)
 キールはこっそり口の中でつぶやいた。あれだけ食べておいてまだ足りないのだろうか。
「い・く・ぞ!」
 指先で耳を引っ張る。「いで!」と一声悲鳴を上げて睨みつけてくるリッドを、負けずに冷ややかな目で見返して、キールはすたすたと歩き出した。
「この人出だ、はぐれたらことだぞ。あの二人はただでさえ危なっかしいんだからな」
「わぁってるって……」
 顔をしかめて耳をさすりながら、リッドもまた歩き出した。








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